育児本などにもよく「褒めて育てよ」というようなことが書かれているのを目にする。
また、子どもをやる気にさせるのにも、できないところを指摘してそこを改善させるより、まずはできるところをもっと徹底的にできるようにさせる方が効果的だなんてこともよく目にする。
実際、褒められて嫌な気がする人は殆どいないだろうし、特に小さい子などであれば、褒められたいがために嫌なことでも頑張れたりするなんてことはあるだろう。
そういうことは頭ではわかっているし、普段のレッスンでも極力子どものできるところを見て、そこを褒めるように心がけているつもりだ。
ただ、昨日改めて、やっぱり褒めるってのは大事だなと思った出来事があった。
ま、それは単に私が「子ども」なだけかもしれないのだが、あるメールのひと言で褒めることの効果を身をもって再認識したのだ。
最近、パズル問題を作っている。
もともと、教材などを必要に応じて作ることはあったし、それは今でもそうだ。ただ、パズルに関してはこれまではあまり作る必要性がなかったので、作らずに過ごしてきていた。
けれど、りんご先生とお知り合いになったことがきっかけで、自分でも問題を考えるようになった。
そして、できた問題をりんご先生に送って見てもらい、意見を聞いたりもするようになった。
すると、ときどきりんご先生がメールに書いてくださるのだ。
「先生、すばらしいですね。」
とか
「最高です。」
とか。
もちろん、社交辞令も入っているとは思うが、大人になってそんなにストレートに褒めてもらう機会は殆どない。特に私は1日の大半を子どもと過ごしているので、大人から自分の仕事その他に対する評価を受ける機会は一般の社会人より一層少ないのではないかと思う。
仮に塾などに勤めているのであれば、同僚の先生や経営者などからの評価を受けることもあるのだろうけれど、それすら私にはない。
なので、仮にお世辞だろうとなんだろうと、「すごいですね」とか「最高です」とかという言葉はやはり素直に嬉しいのだ。
何かを作って、どうかなぁと思って見せたときに、第三者が「すごいね」って言ってくれることで単純にやる気が出る。
もっと違う問題も作って感動してもらいたいとか、驚かせたいとか、そんな風に思うようになるものだ。
実は私は家事の中でも特に掃除が嫌いだ。もちろん汚いのが好きな訳ではないし、教室は子ども達が快適に過ごせるようにと、仕事の一環として掃除もする。
しかし、自宅は正直言って人様には絶対見せられないような状態なのだ。
洗濯はしなければ生活に困るけれど、掃除はしなくても特に困りはしない。埃アレルギーでもあれば別の話だが、幸いそんなこともない。いくら埃っぽい部屋でも、生活する上での不自由はあまり感じないのだから、一層掃除をする必要性を感じられない。
けれど、仮にもし素敵な旦那様でもいて、掃除をしたときに「おぉ、綺麗になったなぁ。気持ちいいなぁ。」とか言ってくれたら、旦那様のためにも頑張って綺麗にしようとか思えるのかもしれない。(と言いつつ、実際にはしなさそうな気もするが。。。。。。)
褒めるというのは、相手をきちんと見るということでもあると思う。
髪型が変わったとか、今日の服はよく似合っているとか、そんな小さなことを褒めようと思えば、普段から相手をきちんと見ていなければできないことだ。
目の前に子どもが2人いて、同じ問題を解いているとして、ひとりは10問中1問だけ間違えた。もうひとりは1問しか合わなかった。
その事実だけを見れば、前者が褒められ、後者は叱られるかもしれない。
しかし、仮に前者は普段常に全問正解をしている子で、後者は常に0点を取っている子だとすれば、状況は変わる。前者ではなく、後者の1問こそ褒めるべきなのだ。(もちろん前者も褒めて構わないが。)
けれど、後者を褒めるにはそれまでのその子を見ていない限り無理だ。目の前の9問不正解の答案だけ見て褒めることは難しい。
仮に全問不正解だったとしても、その問題を解くのに目の前のその子が本当に必死で取り組んでいる姿を見ていたらどうだろう。
結果は全問間違いだったとしても、必死で解こうとしたその姿勢を褒めることだってできるはずだ。
高校時代の私は正にそんな経験をした。以前にも書いたが、私は高校入学直後、数学で甚だしく躓いた。担任はとてもいい先生で、その先生が数学の担当であるのに、小テストでは毎回のように0点。いい先生なのだから、何とか点を取りたいと思っても思うようにいかない。
けれど、担任の先生は稀に私が部分点を取ったとき、本当に心からの言葉で「よく頑張ってましたね!」と褒めてくれるような方だったのだ。
あの先生がいてくださったから、今私はこうしていられると言ってもいいかもしれない。
それほどに「褒める」ということは大切なのだ。
これまでもできないことを責めるのではなく、できることを褒めるよう心がけてきたが、これからはより一層そう心がけていきたいと思う。
自分の口から常にプラスの言葉を発していれば、褒められた相手だけでなく、間違いなく自分だって幸せな気持ちになれるはずなのだから。
私に美味しいお野菜を送ってくださっただんきちさんからとても素敵で、けどハッとするコメントを頂きました。
私自身、小学生の間は母親が専業主婦で、もともとなんでも自分でやらないと気がすまないタイプの人なので、お手伝いもろくにせぬまま大きくなり、自分で家族のご飯を作るという経験はほぼ全くないまま実家を離れました。
そのため、こういう発想が全く出てこなかったのですが、確かにそうですよね。何も必ずお母さんが作らなくたっていいんですよね。当番だっていいかもしれない。
コメント欄だと気付かれない方も多いと思いますので、こちらに転載しておきます。だんきちさん、もしご迷惑だったらおっしゃってくださいね、残念ですけど消しますので。
だんきちさんのくださった素敵なコメントはこれ。↓
我が家の場合も、忙しさのあまり、子どもたちは0歳から保育所&留守番生活をしていました。それでも、なんとか心の健康を保ったまま、育ってくれたのは、やっぱり「食べること」だけはおろそかにしなかったからかな、と思います。
今も起きて台所に入るなり、子どもらはもうろうとしながら、パンを焼いたり、ごはんをよそったりしています。「食べること」に対する執着がある子どもはやっぱり心も健康なように思います。