2018年10月19日 (金)

今日の出来事

5月から一緒にレッスンをしている1年生さんは、答えを書いてはこちらを見てくる、1問解いてマルがもらえなければ次に進もうとしない、点つなぎには苦戦し、書いては消し、書いては消しを繰り返した後でもまだ線が抜けていたて、違うと言われては探して直すというような状態がしばらく続いていました。

少しずつは変わってきていた気もしますが、実はここ2回ほどのレッスンで、宿題の点つなぎも教室でしてもらう点つなぎも急に線がすっきりして、一度できちんと描き上げられるものが増えたように感じました。
それと同時に、結構苦労していたお手本通りの形を作るようなものも、随分変わってきたように感じられ、気づけば不安そうにチラチラこちらを見てくることもなくなっていました。

もちろん、その日の体調なども関係するとは思いますが、変わるときはこんなにも急激に変わるんだなと、改めて驚きました。

その一方で今日の別のレッスンでは、普段かなりの安定感を見せて問題に取り組んでくれるようになっている子が、今日は来たときからなんだか調子が悪そうだなと思ったのですが、やはりいつもに比べると反応が思わしくなく、表情も暗いまま。
体調が悪いのかなと思い、途中声をかけたりもしたのですが、そうではないとのことで、どうしたのかなぁと気になったままレッスンの終盤に。

そこで初めて、学校であった、その子にとってはショックな出来事を話してくれて、そこでようやく笑顔が見られました。原因も分かり、終わるときには笑顔にもなってくれたのでよかったのですが、子ども達はやはり疲れだけでなく、「心のコンディション」も集中できるかどうかに大きく影響するのだなとしみじみ感じました。

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2018年10月18日 (木)

羨ましい。

子ども達の性格は本当にそれぞれ違っていて、昔の自分に似ているなと感じる子や、全く違っているなという子、その違いが羨ましく感じられる子など、本当に色々な子がいます。

自分の性格として未だにずっと不思議なのが、例えば、失敗をして人に笑われたから失敗したくないと思うようになるとか、何かしてこっぴどく怒られ、それがとても怖かったからもう二度と怒られたくないと思うようになるとかいうことならともかく、失敗をして笑われた記憶もなく、親などからこっぴどく怒られた記憶もないのに、物心ついた頃からずっと、とにかく失敗することが怖く、また、人に怒られること、人を怒らせることが怖い子どもでした。(それは未だにそうなのですが…。)
辛い経験や悲しい経験をした記憶がないのに(親などの話を聞く限り、覚えていないだけということはなさそうでして。)どうしてそこまで怖がってしまうのか、その性格のせいで新しいことに挑戦するのも苦手で、色々不自由も感じてきただけに、厄介な性分だなぁと思っています。

ですが、子ども達を見ているとやはり、親の育て方などとは関係なく、持って生まれた性格の傾向というものがあるんだろうなと感じることも多く、私と同じように失敗を怖がる子を見ると、気持ちはわかるけどしんどいんじゃないかなと思う一方で、新しいことにどんどん挑戦していけるような子を見ると、羨ましいなぁとも感じます。

学習をする上で特に感じるのは、間違えることを嫌がる傾向が強い子、失敗したくない気持ちが強い子は、ときに苦労したり、持っている能力を伸ばし切れなかったりするような気がするので、変えられるなら変えた方が楽になるだろうにということです。反対に、わからないことは恥ずかしくもなんともないことなので、素直にそのまま口に出せる子、間違っても笑い飛ばせる子というのは、見ていてやはり羨ましくなります。そういう子達は学習していて喜びを感じる機会も多くなりそうに思います。

素直さやおおらかさは育て方で変えられるものではないようにも思いますが、人の話を素直に聞き、自分の気持ちも素直に表せるというのは、学んでいく上でもひとつの大きな長所なのだろうと思います。

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2018年10月17日 (水)

折り紙遊び

そこそこ長文を9割がた打ち終わったあたりで突然パソコンがシャットダウンするという憂き目に遭い、結構なダメージを受けておりますので、かなり端折った内容になりますがお許しください。

最近の子どもは生まれたときから遊ぶものには不自由しない子が少なくないのだろうと思いますし、親世代がテレビやDVD、インターネット動画、ゲーム機に囲まれているような生活ということも珍しくないのだろうと思いますので、今の子ども達の中に、折り紙でほとんど遊んだことがない、トランプをしたことがないというような子も実際にいるようです。

図形に関する能力は持って生まれたものの差があるというのは私自身が身をもって感じていることではありますが、図形の問題などが苦手だという子の中に、折り紙や切り絵遊びをしたことがないという子がしばしばいます。
図形の問題が苦手というのは確かに能力差が影響する部分も大きいと思いますが、元々苦手な子でも、小さい頃に折り紙などで遊んでいれば、自然と理解できるであろうことすら分からない子というのがいるのです。

そういう子にはたとえ高学年であろうと、実際に紙を渡して折ってみてもらい、確かめてもらうというようなことをするのですが、問題によっては、たった1回そうやって確かめることで、関連の問題もスムーズに解けるようになるということがあります。

特に中学入試の平面図形などの問題では、正方形を四つ折りや八つ折にして一部を切りとって開いたり、長方形の髪の一部を折り返したり、円を一部折り返したり、紙テープを二、三度折り返したりしたときの図形の面積や角度などを問う問題が出てきますが、遊びを通して経験している子は、紙を折ったときに重なる部分は同じ形であったり、同じ角度であったりすることをなんとなく理解していたり、折り返したものを元に戻すとどんな向きに紙が開くかも経験で理解できたりするのですが、そういうことを経験していない上に図形が苦手な子は、やったことがない問題は完全にお手上げになってしまうことも珍しくありません。

将来のため、勉強に役立つからという理由でお勧めするのは個人的にはあまりしたくないのですが、それでも、将来的に中学受験をさせるかもしれないとお考えの保護者の方は、是非小さいうちに積極的に紙を折ったり切ったりする遊びを取り入れて頂けたらと思います。

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2018年10月16日 (火)

図が描けるかどうか

子ども達と割合の学習をする際に感じるのですが、この単元は特に、数量感覚が伴なっているかどうか、図が描けるかどうかで、問題が簡単に感じられるかどうか大きな差になる単元のひとつのように思います。

例えば、「クラスの60%にあたる24人が運動部で」と言われたときに、線分図の10分の6がイメージできれば、24を6で割って10倍すればいいなというように考えることができ、わざわざ「24÷0.6」という小数の割り算をしなくても済みます。(そもそも、10分の6がイメージできる子であれば、1つ分が4人だから40人と、式すら書かずに解いてしまうことも珍しくありません。)

よくある、「定価の3割引き」とか、「仕入れ値に2割の利益が出るように定価を」とかいうような問題でも、やはり図に表せれば、公式を思い出そうとして、割るんだったかな?掛けるんだったかな?と考える必要がありません。

そもそも、小数のかけ算やわり算が好きだという子はあまりいないので、割合の計算をする場合、小学校ではどうしても小数の計算が付きまとうことも、割合が苦手だと感じる子が多い原因ではないかと思います。
しかし、図が描ければ(もしくは量としてイメージできれば)、小数で計算する必要がない問題がほとんどです。

自然と描ける子はいいのですが、そうではない場合、割合の文章題などが解けていない子には、線分を描いて「このうちの30%ってどのぐらい?」とか「これに4割つけたしたらどのぐらいになる?」とか尋ねて、それらしい長さを描くことができれば、図を見て解くことができる場合が多いように思います。(もちろん、応用問題の面倒なものになると、ひとつの図ですぐに解くことはできなかったりもしますが。)

もし割合が苦手だというお子さんがいたら、解き方を教えるよりまずは、図に表すことができるかどうか、自分で表せない場合でも、与えられた線分に対して2割がどの辺りまでか、70%はどの辺りまでかなどを表すことができるかどうかを確かめ、その感覚が全く伴なっていない場合は、まずそこを理解させる必要があるだろうと思います。

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2018年10月15日 (月)

選択肢

少し前から自宅のテレビが不調で、買い換えを検討しているのですが、何かを買い替えるとか、新たに何かを買うというような際に、よく感じることがあります。
それは、あまりにも選択肢が多すぎるということ。

例えばテレビひとつとっても、メーカーが何社もあり、サイズも様々。録画機能がついているとか、画面が美しいとか、何かに対応しているかとか、とにかく検討すべきことがあまりに多すぎて、お店を見に行っても、インターネットで検索などしてみても、結局何を選んだらいいのか決め兼ねて先延ばしにしてしまうということが、自分にはよくあります。

そんなときいつも思うのは、選択肢が3~4つぐらいしかなければいいのにということです。
2つではどちらかしか選べませんし、どちらも気に入らないかもしれません。3~4つなら、比較してある程度納得して選んだ満足感も得られそうですし、迷い続けることもなくて済みそうに思います。

もちろん、選択肢が多くても、それぞれが明らかに違うところがあるのであれば、これは好き、これはキライ、この機能はほしいけど、これはいらないなどと取捨選択もできそうですが、ほぼ似たような横並びのものも少なくなく、それは選択肢なんだろうか?と思ってしまうのです。

そういえば、教室を始めたときにもそんなことを考えたのを思い出します。
この辺りは「石を投げれば塾に当たる」と言ってもいいぐらい(やや言い過ぎですが…。)本当にたくさんの塾や教室がありますが、個別指導か一斉指導かの違いはあれど、そのほかの違いは何なのだろう?と思うぐらい、塾の名前が違う、教材が多少違う、お月謝が違う、教える先生が違うなど、根本的な違いがよくわからない気がしていました。

もちろん、実際にそれらの塾に行ったわけではありませんので、外からはわからないようなこともあるかもしれませんし、塾選びのポイントのひとつはお月謝や家から近いかどうかだというようなこともあると思いますので、それも選択肢には違いありませんが、どこの塾も基本は先生が初めに説明をして、それを聞いて、その後類題を解くという流れでの指導をするのであれば、本当の意味での選択肢にはならないのではないかと思いました。

実は元々は独立する気など全くありませんでしたし、小さいうちから塾や教室などに通ってまで勉強する必要はないのではないかとも思っていましたので、そんな自分が教室をすることになったのは、指導者がやり方を教えることで子どもの力を奪ってしまうということを知り、ほとんどがそういう塾や教室だと気づいたとき、別の選択肢が必要なのに、実際にはほとんどないのだとわかったからでした。

あくまでも「違う選択肢」として、これからもこの教室を続けていけたらいいなと思います。

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2018年10月13日 (土)

試行錯誤

数年前から少しずつ作ってきた教材を実際に子ども達に使ってレッスンをする機会が少しずつ増えてきました。
これまで使ってきた様々な教材の良いところは参考にし、よりよくできそうなところは更に工夫し、使いづらいところは自分なりに考えて作ってきたのですが、やはり実際に子ども達と使ってみることで更に気づくことがあり、その都度手直ししたりしながら、より自分の理想に近づけているところです。

そんな中、改めて気づいたことがあります。
これまで長らくメインで使ってきた教材で、多くの子がどう書けばいいのか迷う問題があり、また、宿題などでおうちの方がついて説明などをしなくても、子どもが自分で見て考えられるといいなという思いもあり、問題によっては書き方の例を付けているものがあります。

例えば、初めて足し算の式を書くようなプリントでは、1問目の図に例として式と答えを書いておくことで、何を書けばいいのかわかるようにしたり、時計の時刻なども1問目には答えを書いておいたりしています。
また、これまで一緒にレッスンをしてきた多くの子が、イコールが並んでいるとどう書けばいいのか戸惑うことが多かったので(例えば 3L=(   )dL=(    )mL などのようなもの。)そういう問題にも1問目は例として答えを書いておきました。

しかし、足し算や引き算などの式と答えを1問書いておくのと、「3L=(30)dL=(3000)mL」のように書いておくのとでは大きな違いがあることに、レッスンをしていて気付きました。
計算式の例の場合は、そのほかの問題は自分で図を見ながら数を確かめ、式を書き、答えを考えることになりますから、あくまでも書き方を参考にするだけですが、単位換算などの問題の1問目に正しい答えを書いた例を付けてしまうと、その下に同じ単位換算の問題が並んでいると、ほぼ全く考えなくても答えが書けてしまうことになります。3Lが30dLなら5Lは50dL、10Lは10000mLなど、例と見比べるだけで答えが書けるとなると、子どもが「1Lは何デシリットルだったかな?」などと考える機会を奪ってしまうことになりますし、それどころか、例を見ながら機械的に処理をするだけになってしまえば、その内容はほとんど身につかずに通り過ぎてしまうことにもなりかねません。
小さいことではありますが、子どもの考える機会を奪ってしまうところだったと気づき、教材を修正しました。

きっとこれからもそんな試行錯誤が続いていくのだろうと思います。

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2018年10月12日 (金)

少し変わり始めたかな

こればかりは本当に一人ひとり、子どもの性格などによって違うんだろうなと思いますが、問題を前にして、私がいてもいなくても解けたら次、解けたら次へと(解いた問題が合っているかどうかは別として)どんどん進んでいくタイプの子と、答えを書くたび合っているかどうかこちらを見てくる、もしくはマルをもらうまで次に進まないというタイプの子におおよそ二分される気がします。

学年が上がって、学校や他の教室、塾などで何か癖がついてしまったという場合もありますが、勉強に関しては恐らくまだ真っ白に近い状態と思われる子であっても、間違えるのが怖くて、とにかく1問1問こちらを見てくる子もいますので、やはり性格などによるものもあるのだろうなと思っています。

5月から一緒にレッスンをさせてもらっている1年生さんも、解くたびこちらをチラチラ見てくる、自信がないときは特に反応を伺うように見てくる、マルがつくまで次に進まず待っているという反応を見せていました。
1問1問マルをするわけではないので、自分でできたと思ったら次に進んでねというようなことをその都度声掛けし、自信がないときに私の顔を見ても、合っていても間違っていても顔には出さないよとも伝え続けてきました。

その子に限らず、自信がないときやあまり考えずに適当に答えを書いたときなどに、大人の表情を見て、間違っていそうだなと思えば答えを消して違う答えにして、また表情を見るということが当たり前にようになっている子達が少なからずいるのですが、その状態は取り組んでいる問題について、その子なりにきちんと考えられてはいない段階、もしくはほぼ全く考えていない段階(面倒で考えていない場合も含め)と見て差し支えないだろうと思います。
そのような状態で答えにマルをもらって次へ進むのは、その子にとってあまり意味がありません。ですから、少なくとも子ども自身が真剣に考え、自分としては答えはこれだと思うというところに至るまで、私は一切表情に出さないようにしているのです。

上述の1年生さんは、こちらをチラチラ見てくる癖や、1問1問マルをもらえないと次に進もうとしない癖がなかなか抜けなかったのですが、レッスンの初めに毎回してもらう点つなぎの線が段々スムーズにすっきりと引けるようになってきたように感じると同時に、問題に取り組む際の雰囲気が少し変わってきたように感じました。
自分で考えて意味がわかるというのがどういう状態か、少し実感でき始めているのなら嬉しいことです。
まだ1年生なので、私も焦らずじっくり向き合っていきたいと思います。

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2018年10月11日 (木)

実感しなければすぐ忘れる

以前教室に通ってくれていたお子さんの中に、勉強に熱心な幼稚園に通っておられた方がおられました。
幼稚園で九九の暗唱などまでしていたようで、足し算引き算もある程度は習っていたようなのですが、九九は歌を覚えるような感じで何度も唱えて覚えたということで、その子は掛け算の意味は何も理解しておらず、小学生に上がった後は、一度は覚えていた九九もほぼすっかり忘れてしまっていたようでした。

ほかにも、先取りで小学校の算数を家庭学習などでやっていたというお子さんの中にも、ただドリルやプリントなどを例題などのやり方を真似て解いていくという形で進めていたのだろうなと感じるような子がいて、そういう子達は、既にやったことがあると伺っていたものでもきれいさっぱり忘れているということが結構ありました。

先日から、ある教室で既に1000ぐらいまでの学習をし、掛け算をし始めたという幼児さんとレッスンをさせて頂いているのですが、さすがに幼児さんでそこまで進んでいるだけあって、とても賢いお子さんではあるものの、念のため確認でこれまで学習し終えているはずの内容をおさらいしていると、ところどころ自信がなさそうなところや、忘れてしまっているところがあったりしました。
ただ、1、2問やって、決まりに気づくとすごいスピードで答えを書き始めるという様子を見ていると、やはり賢いのは間違いないとも感じます。

その姿を見ていて改めて感じたのは、どれだけ賢い子であっても、初めにやり方を教えられてしまえば、自らじっくり考える機会を失うことになり、その結果、教えられる前に自分で考えた場合に比べて、明らかに忘れやすくなっているのではないかということでした。
賢い子であればあるほど、少し教えられたらすぐに理解してしまって、同じよな問題はどんどん解くことができるのだろうと思います。スピードを要求されたとしても、習ったことを覚えているうちにするのであれば、恐らくすんなりクリアできるのだろうと思います。
ですが、何をしているのかを理解していなかったり、意味を考える機会を与えられなかったりした場合は、定着度は確実に下がるはずですし、それはとても勿体ないことだと思います。

幸い、その子とは小学校に上がるまでに一緒にレッスンさせてもらう機会を頂けたので、これからの変化が楽しみではありますが、また改めて、幼い時期の学び方について考えさせられました。

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2018年10月10日 (水)

興味深い反応

少なくない子ども達に「怖い先生」だと思われているだろうということは否定できませんが、最近のある子とのレッスンでちょっと興味深い反応をされて、どういう感情なんだろうなと気になっていることがあります。

普段の生活の中で、例えばですが、やるべきことをいつまで経ってもしようとしないお子さんに、「嫌ならしなくていいよ」とか「嫌ならやめなさい」とかいうことで、やるように仕向ける(結果的にやり始める)というようなことはあるのではないかと思います。
ただ、私は子ども達とは駆け引き的なことは極力したくないと思っているので、やる気を出させるために本心ではないのに褒めるとか、やらなくていいと言えばやらないとは言えない子が多いということを予想して「やらなくていいよ」というとか、そういうことはほぼしません。

ですので、特にまだ幼い子などに「やらなくていいよ」というときは、その日のコンディションでは無理そうだなとか、今はまだ難しそうだなとか、無理にさせると嫌な記憶が残りそうだなとか、何かそういうことを思って、私としては穏やかに、普通に言っているつもりです。

怒っているわけではないので、「やらなくていいよ、また今度しよう」などと言えば、ほとんどの子はすんなり納得するのですが、先日から一緒にレッスンをさせてもらっている幼児さんは、やるのを嫌がっているものを「じゃあやらなくていいよ」というと、必ず「いや!やる!」と言うのです。
私が「やらなくていいよ」と言ったのは、その子が「いやだ、やりたくない!」と言ったからだったりするのですが、それを受けてやらなくていいと言うとまた「いやだ!」と。

初めは、「もうやらなくていいです!!」と怒られたと思ったのかな?と思い、「怒ってないよ?嫌だなぁと思いながらやっても賢くならないから、また今度にしよう。」などと言っても、「いやだ、やる!」と言って、結果的にやってくれるということが既に何度もあって、何とも不思議な気分になっています。

成長途上でとにかく何でも嫌と言ってみる時期などがあるのかもしれませんが、その子の場合、何でも嫌というわけでもないので、これまた不思議といいますか…。
これも成長と共に変わっていくのかなとも思いますが、今はまだ、どういう心理なのか想像がつかず、あれこれ考えてみています。

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2018年10月 9日 (火)

見切り発車

子ども達を見ていると、改めて気づくことがあります。
ケアレスミスという言葉がありますが、「ケアレスミスが多い」と言ってもらえる子の多くは、ある程度賢い子だろうと思います。(苦手な子が間違えた問題について、「うっかり」と評価することはあまり多くないように思いますので。)

そのケアレスミスで多いのは、問題をきちんと読んでいないというものが挙げられるのではないかと思うのですが、理解力が足りずに問題を読み取れないという場合は別として、反応が速すぎて、きちんと読み終えていないのに、ああ、これはこうだ!と見切り発車的に解き始めてしまうタイプの子は、本人がよほど意識しないと、ケアレスミスを減らすのが難しいのではないかと感じます。

そういうタイプの子はある意味頭がいいので、少し読んで先まで想像してしまい、思い込みで解き始めてしまう。
それでも正解する場合が多いので、その癖はなかなか改まらない。
そんな気がします。

苦手な子であれば、丁寧に読むよう促されれば、そうしようと気をつけることも多いでしょうし、見切り発車で解いて、不正解の方が多ければ、さすがにもっとちゃんと読まなければと自ら反省するかもしれません。
しかし、平均以上にできる子であれば、思い込みで解いてしまって間違えた問題は、後で見直せば「なんだ、これ、勘違いしてた!ちゃんと読んだら解けるわ!」などと、自分は理解できているののたまたま間違えたという風に受け止めて、深刻にとらえることは少ないのではないかと思います。

もちろん、それも個々の性格などにもよると思いますが、見切り発車系のケアレスミスは、本人に自覚させるのも、それを改めさせるのもなかなか難しいのだろうと思います。
反応が速く、勘違いしたまま解き始めて間違えるというようなことを繰り返している子には、とにかく最後まできちんと問題を読むよう繰り返し言い続けるとか、解き始める前におおよその答えを予想させるとか、とにかくひと呼吸置かせることが大事なのかもしれません。

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