読書
スマホを持って後悔している最大のことは読書量が激減したことかもしれません。
スマホを持つまでは少なくとも月に2~3冊は何らかの本を読んでいたというのに、スマホを持ってからは気になって買った本も途中まで読んでそのままだったり、買ったまま積読になっているものもかなりの数あって、なんとかしたいと思いつつも、ちょっとだけをスマホを手に取ると気づけばかなりの時間が…ということを繰り返し、自己嫌悪に陥るというのをもう何年も続けてきてしまっています。
そんな中、先日部屋の片づけをしていた時に、あちこちちょこちょこ置いてあった未読の本をひとまとめにして愕然としました。読まなくなっていることの自覚はあるので、書籍を購入する数もスマホを買う前に比べると相当減っているというのに、未読の本がゆうに20~30冊はあることに気づいたのです…。
スマホを触る時間を減らしたいとも読書をした方がいいとも思っているので、意志の弱い自分をなんとか少しでも読書に向けられないかと、子どもみたいに1日最低5分(とりあえず読み始めたら大抵それ以上には読むので)読書すると決め、実行できた日にはシールを貼るという表を作りました。
シールを貼れた日が続くと、貼れなかった日を作りたくない、5分読めば貼れるんだし…と、今のところ3週間近く継続できています。
と、前置きが長くなりましたが、ここ数日はちょっとだけ読んでしばらく放置していた外山滋比古氏の「こうやって、考える」という、これまで出された著書の中から印象的なものをピックアップしてまとめたような本を読んでいるのですが、その中で「おお、なるほど!」と思った文章がありましたので、ちょっとご紹介。(以下引用)
知識は有力であり、適当に使えば知識は「力」であるけれども、困ったことに、知識が多くなると、自分で考えることをしなくなる。知識があれば、わざわざ自分で考えるまでもない。知識をかりてものごとを処理、解決できる。知識が豊かであるほど思考力が働かない傾向になる。極端なことを言えば、知識の量に反比例して思考力は低下する、といってよいかもしれない。
(以上「こうやって、考える」より引用)
なんとなく、知識はいいものだと思っていましたが、子どもの学びを見ていると、「知識=人や本などから与えられたもの」と考えた場合、確かに知識として得たものについて、子ども自ら考えようとしないというのはほとんどの場合当てはまるように思います。
覚えるしかないようなことは知識として与えればいいと思いますが、考えればわかるようなことまで先回りして与えるのは、正に「思考力が働かな」くなっていくように思います。
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