2020年1月18日 (土)

読んでみて頂きたいブログ

友人がシェアしてくれていた植松努さんのブログ記事。

教育の「評価」は、ナチスがやったことに近いと思う。 

植松さんのことを知ったのは、何年か前にたまたまtedでされた講演の動画を見たのがきっかけでした。

もしかすると時代が時代であれば、この方も小学生の頃に何らかの発達障害の診断がついていたのかもしれないなと思いながら講演の動画を見たり、神戸に来られた際には講演を聞きに行ったりもしました。

ものの考え方、価値観は人それぞれであることはよくわかっていますが、このブログで書かれている、ナチスドイツのしたことや、漫画のストーリーは、仮にそうやって「優れたもの」を選び、残していったとしても、「選んで」いるうちは、その残った「優れている」とされたものたちの中にまた「劣ったもの」が出てきて、極論すれば、最後のひとりになるまで「優劣」を付け続けることができるのではないかと。
さすがに一人になるまでは極端だとしても、選ぶ側、評価する側の基準で「優れている」と評価したものだけを残した集団、社会は、恐らく決して「優れた」集団、社会にはならないような気がします。

完璧な人間がいないように(そもそも、何をもって「完璧」とするかの基準も普遍的なものなど何もありませんし)、人はみんなそれぞれ違っているからこそ、素晴らしいのではないかと、このブログを読みながら改めて感じました。

 

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2020年1月17日 (金)

1.17 あれから25年

毎年1.17が近づくとテレビなどでも震災を振り返る番組などを目にしますが、今年は震災から25年と聞いて、もうそんなにも経ったのかと改めて驚きます。
私は元々中学校の教員志望でしたが、まず3年社会勉強をしようと一般企業に就職し、その後、学校というところでは自分の能力では納得のいく指導をしきれないのではないかと思うようになり(一度に30人、40人の子をきちんと見るのは不可能だと思い…)、さて、どうしたものかなと思いながら会社員を続けていました。
そんなときにあの震災に遭い、人生一度きりだしな、やりたいと思っていることをやってみてもいいんじゃないかなと思うようになり、子ども達と共に学ぶという道に進路を変えました。

あの震災がなければ、今の自分はいないのかもしれないなと思います。
そういう意味では私にとっては大切な意味を持つ、大きな経験だったと思っています。
だからといって、あんな悲しい出来事はもう起こってほしくないとも思います。

近年、世界のあちこちで異常気象による天災が起きており、日本でも昨年だけでも大きな台風が何度もひどい爪痕を残して行きました。
温暖化が進み、このままでは10年後に地球はもう手の施しようがない状態になるかもしれないという研究結果なども目にします。
一人ひとりにできることは限られているかもしれませんが、他人事だと思わず、今の子ども達のためにも、できることを少しずつでもしていかなくてはと思います。

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2020年1月16日 (木)

子どもって面白い

私は「コワイ先生」であることは否定しませんが、怒ったからではなく、問題が難しかったり、何らかの気持ちの葛藤があったりして、子ども達に泣かれることは少なくありません。
特に小さい男の子たちは、レッスンをしていて泣かれたことがない子の方が数えるぐらいなのではないかというぐらい、思いがけないタイミングで泣きだされることもしばしばです。

未だにその泣き出す理由を正確に説明してくれた子はおらず、おまけに、年齢が上がるといつの間にか泣くことはなくなり、自分が泣いていたことすら忘れてしまう子もいるので、いつまでも本当のところはわからずにいます。
ただ、自分にとって未知の、難しそうな問題を前にすると、不安に襲われるのかなとか、できないということが悲しいのかなと、そんな感じだろうなとは思います。(幼児さんとかであれば、眠くて泣いてしまう場合もありますが。)

泣き出した場合、声をかけると一層激しく泣かれることもありますし、かといって、泣かれるのが嫌でやり方を教えてしまうというようなことはしたくないので、無理そうであればその問題を保留にしたりします。

ただ、それとは別に子どもは面白いなと思うのが、一緒にレッスンをしている子が泣き出した場合、それに気づいても、不思議なぐらい「何で泣いてるん?」とか「泣かなくてもいいやん」とか、何かしら声をかけるような子はあまりおらず(その子がお友達や兄弟だったとしても)、かといって、気にしていないわけではなく、泣いていない子が妙に明るく振舞い出したり、いつも以上にレッスンをがんばったりすることがあるのです。

子どもながらに、泣いているときにはそっとしておく方がいいと気づいているのでしょうか。
そして、直接励ますでも慰めるでもなく、かといって迷惑がったりすることもなく、何らかの気遣いを見せるのが本当に可愛いなと思います。

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2020年1月15日 (水)

それでもいいのだろう。

教室の子達とレッスンをするとき、できる限りまだ習っていないことをここで初めて一緒にできるよう心掛けています。
もちろん、学校の授業の進度や個々の能力差、その他の事情によってはこちらでおさらいをすることもありますが、習ってしまったことをやるのは子どもも私も楽しくありませんし、「あ!」という気付きや発見をしてもらい辛いので、やはり可能な限り学校などより先にさせてもらえたらと思っています。

ですので、まず子どもに考えてみてもらうことで、自分になかった発想を目の当たりにすることもあれば、子どもなりに考えた方法なので、大人が見れば非常にまどろっこしい解法を見ることもあります。

今日のレッスンでは、平行四辺形や三角形、台形などの面積を学習していた4年生さんが、三角形の面積を出す際、何度も何度も一旦底辺と高さをかけた式を書いてから、その答えを2で割る式を書いていました。
計算も得意な子なので、もちろんそれできちんと答えは出ていましたし、問題ないのですが、ひとつの式(底辺×高さ÷2)で書いてしまうことで、先に2で割って計算が簡単になる場合があるということには気づいてもらいたいと思いました。

ですので、その子が気づいた解き方は正しいし、その解き方で問題ないと前置きをした上で、学校で習うときには一つの式に書くよう言われると思うということを伝え、例えば9×12÷2なら、108÷2をするより、12を先に2で割ってしまえば簡単になるというようなことを、その子が書いている式を指しながら気づいてもらうよう声掛けもしました。

それでも、黙って見ていると式を2つ書いたりもしていましたが、今の段階では無理にそれを直させなくてもいいのだろうと思います。もちろん、「一つの式に書けるんだったら書いてね」などと声掛けはしますが、その子が2つに式を分けているのは、きちんと図が頭に浮かんでいて、長方形や平行四辺形の面積を出してから半分にしているのだと思いますので、そのうち一つの式に移行していくのではないかなとも思います。

公式や解く方法を教えるわけではありませんし、それを覚えさせるわけでもありませんので、いずれ学校で教えられるまでは、子どもが気づいた解き方を支障がない限り尊重したいと思っています。

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2020年1月14日 (火)

覚えることと覚えなくてもいいこと

私自身は子どもの頃、今のように「教えられる前に考える」という学び方をする機会がほとんどなかったので、特に算数や数学などでは、先生の説明を聞き、覚えるように言われた公式は特に何も考えずに覚え、それに当てはめて答えを出すという作業をしていることがほとんどでした。
その頃には「これは覚えなくてもいいよ」というようなことを言ってくれる大人が身近にいませんでしたので、気づくことなく大人になってしまいましたが、問題の意味を考える、公式と言われているものの意味を考えるということをするようになってから、覚えるようにいわれた公式の大半は覚えなくても導き出せる、もしくは、公式と呼ぶほどのものでもない(特に算数では)ものだと気づきました。

覚えなくてもいいものは覚える余裕があるか、覚えるのが好きであれば覚えた方が時短にはなるでしょうから、子ども達にも「覚えなくても解けるけど、覚えられたら覚えてもいいよ」などということもあります。

ただ、用語その他、覚えなければ始まらないものもありますので、それに関しては「私は滅多に覚えてって言わないけど、これは覚えるしかないから」などと言っています。
普段私が「覚えなさい」ということが滅多にないことを実感している子達は素直に聞いてくれますが(覚えられるかどうかは人それぞれですが)、昔の私のように、習ったことを覚えて当てはめて解くことが癖になっている子の場合、何でも覚えようとするため、結局絶対覚えなくてはならないことと忘れても大丈夫なことの判断が付きにくいということがあるのかもしれません。

今日のレッスンで、体調不良で学校を休みがちな子が、先週も一緒に復習をしたはずの「比例・反比例」の問題を「これはわからないから先生と一緒にやった方がいいと思って」といって持ってきました。
先週もやったところですし、それ以前にももちろんやっているのですが、まだあっけらかんとそんなことを言うので、「比例ってどんな式で反比例はどんな式だった?」と尋ねるとどちらも答えられませんでした。(もちろん、これまでに何度も出てきているのですが。)そこで、「小学校でも習ったはずだけど、xと決まった数をどうしたらyになるのか説明して」と言っても答えられません。

それが出てこないのに、問題が解けないのは当たり前です。
本人ができなくていいと思っているのであれば、それもひとつの選択ですから、何が何でも覚えなければならないというつもりはありませんが、英単語を覚えていないのに書けないのは当然、知らない漢字を書けないのも当然で、比例・反比例がどういうものなのかは覚えなければできるはずがない。それは絶対に覚えなくてはどうしようもないことだと話して聞かせました。

仮に、y=axやy=a/xの式が思い出せなかったとしても、比例はxを2倍、3倍…とするとyも2倍、3倍…となる関係だということを知っていれば、x=2のときy=5という値を与えられれば、x=4ならy=10になりますし、x=1ならy=5/2になるということは考えられます。2のとき5で4のとき10、8のときには20になるというように考えられれば、y=5/2xという関係を導き出すことはできなくはないでしょう。
ただ、比例がどういうものなのかを知らなければ解きようがないわけです。

その辺りのことを、ただ覚えるのが当たり前の状態になってから来てくれた子達にしっかり伝えていかねばと、改めて思いました。

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2020年1月11日 (土)

長い1週間

年末にレッスンを振り替えて頂いたり、冬休みにイレギュラーのレッスンをお受けしたりした加減で、年明けのレッスンは日曜から土曜まで7日連続になりました。

今週はお正月ボケかしら?という子も少なくありませんでしたが、なんとか無事1週間が終わりました。

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2020年1月10日 (金)

「できると思うから」

子ども達とレッスンをしているとき、その子にとって簡単そうなものは当然ですが、まだ一緒にやったことがないものでも、これまで学んだことを元にすれば、その子ならできるのではないかなと思うようなものは、「(あなたなら)多分できると思うから、ちょっとやってみて」と言って差し出しつつ、「もしわからなかったら助けるから」と言葉を添えます。

もちろん、やったことのない問題に挑戦することが楽しくて仕方ない子などにはひとこと添えずに差し出して、表情を見ているだけということもありますし、そこはケースバイケースですが、やったことのないものを前にすると身構えるとか、不安を感じるとかいう子には、ちゃんと見ているし、困ったら手助けするからという安心感ごと差し出すことで、先生がそういうならちょっと、ちょっと考えてみようかなと思ってもらいやすくなるのではないかと思っています。

ただ、当然ですが、「できると思うから」と言って差し出した問題が難しすぎて、その子には手も足も出ないようなものであれば、私の「できると思う」の言葉を子どもは疑うようになるでしょうし、逆に、簡単すぎる問題であれば、そんなのできて当然なのに自分のことをわかってくれていないのかなと思われるかもしれません。

傍から見ていると、何でもかんでもとりあえず「できると思うから」と子どもに丸投げしているように見えるかもしれませんが、そこは私なりにひとりひとりの子を見て判断していますし、できるはずのものでもその日のコンディションなどによって予想以上に苦戦しそうな場合は、当然無理はさせません。

そもそも、初めてする問題ですから、子どもがひとりで解けなくても「まだ教わっていない」のですから、「教わったのにできない」というのとは全く違います。教わらなくてもできれば、自信につながりますし、できなければ、どうすれば解けるのだろうとモヤモヤした状態でヒントや説明を聞くことになりますから、初めから説明されるのとは吸収の度合いが変わってくるのではないかと思います。

今日のレッスンでも、ある1年生さんに、まだ一緒にはやっていない3桁同士の足し算を、初めは100+300のような簡単なものから、最後は一の位も十の位も繰り上がるものまで順に取り組んでもらうことになったのですが、最初の何百+何百のプリントは「多分これは簡単やと思うんやけどやってみて」と言って渡し、スラスラできたのを見た後で、「それがスラスラできるんだったら、多分これもできると思うからやってみて」と、ひとつひとつ段階を経て、繰り上がりが出てきても迷わず解けたら「すごいね!ばっちりやね!」などと声をかけつつ、最後の二度繰り上がるプリントに到達したときには「すごいね!これ今までの中で一番難しいかもしれないけど、そんなにできるんだったら多分できると思うから、ちょっとやってみて。もし無理だったら助けるから」と差し出したところ、すっと問題に向き合って、繰り上がりに気づいては消しゴムが登場するというのを繰り返しながらも、私の助けなど必要なく、きちんと正しい答えを出してくれました。
全て終わった後は「すごいねぇ!今日の中で一番難しいのもばっちりやね!」というと、満足そうな表情を見せました。

そんな風に、一人ひとりの子に自分の頭をしっかり使って、達成感、満足感を感じてもらいながら、本物の自信をつけて行ってもらえたらなと思います。

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2020年1月 9日 (木)

嬉しい経験

教室を始めてから、それまでにはほとんど経験することがなかった場面にたびたび出合うようになりました。
元々教員志望で教育学部出身。教育実習にも行きましたし、学生時代から家庭教師のバイトなどもし、教室を始める前は塾講師などもしていましたが、自分自身が「先生から教わる」ことが当たり前だったので、常に、いかにわかりやすく教えるかということを意識していました。

そうすると、結局は多くの学校や塾で行われている、先生が説明して子ども達が同じようにやってみるという形からは抜け出せず、せいぜい、「学校の先生よりわかりやすい」というような比較での評価しかしてもらえませんでした。

ですが、教室を始めてからは、プリントをする前に教具などで子ども自身に意味を理解してもらったり、問題を見て、これなら何も言わなくても考えられるのではないかと思うものは、いきなり考えてみてもらったりするようになったため、自分の予想を超える解法に出合ったり、教えなくってもこんな問題まで考えられるんだなと感心したりということがたびたび起こるようになったのです。

今日のレッスンでも、まだ小数のかけ算は学習していない子が、5×3.14のような式を書いた後、黙って見ていると、5×3と5×14をそれぞれ計算して、きちんと答えを出していました。整数の部分と小数点以下の部分を切り分け、小数点以下はいくつになるのかを考えたようですが、普通であれば、5×314の答えを100で割る(小数点の位置を後ろから2つ動かす)という形で答えを出しますので、今日の子が使った解き方は、私が教えてしまえば出てくることのない解き方です。

ですが、小数点を境に別々に計算をすれば、小数の意味がわかっている子であれば、例えば仮に8×3.14で14×8が112になった場合、きっとそれは1.12のことだと気づくような気がするのです。(もちろんそれは個々の能力差などもありますので一概には言えませんが。)

やり方を教えないことで子ども自身が工夫し、そのことで私もこれまでになかった気付きをもらえて、更には「すごいね!」と褒めることもできる。これらは、指導者側が教えてしまえば全て得られないものではないかと思うのです。
教室で子ども達と学べることは、本当に幸せなことだなと思っています。

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2020年1月 8日 (水)

私がいないとダメな子にはしたくない

うちの教室では、基本的に自分で考えてわかるということを重視していますので、私は本当にごく僅かなことしか説明しませんし、レッスンの大半は子どもが考えているかどうか表情を見て、考えられていないようなら必要な手助けをすることに費やします。
しかし、過去に何人か、どうしても自分で考えようとせず、やり方を教えてほしがる子がいて、その子達には何度も何度も自分で考えることの大切さを伝えたものの、私の力不足で伝え切れず、お別れすることになった子もいます。

教室をして暮らしている身としては、矛盾するかもしれませんが、私の理想とするところは、子ども達がそれぞれ自分の頭でしっかり物事を考え、私の助けなど必要なくなること、自ら学べるようになることでもありますので、私のことを好きになってくれなくても、きちんと考えられる子になってくれればそれでいいとも思っています。ですから、私から教えてもらわないとダメというような子にはしたくないとの思いは常にあります。

今通ってくれている子の中に、かなり躓いてしまってからここに来てくれた男の子がいるのですが、その子が私でなければダメというようなことを言ってくれるのは嬉しくないわけではないものの、結構心配もしています。
勉強は本来自分でするもので、それが一番力にもなるのではないかと思います。もちろん、自分だけでは理解できないところなどは誰かに助けを借りなければなりませんが、まずは自分で考えるところから始めてほしいと思っていますので、少しずつひとりで考えられる子になっていってもらえるよう働きかけていきたいと思います。

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2020年1月 7日 (火)

嬉しい言葉2

今日、ある保護者の方から頂いたメールに、なんとも嬉しいことが書かれていました。

5年生の秋頃、算数に強いコンプレックスを持った状態で来てくれた子がいました。確かに、問題に向き合うときも自信なさげで、全く楽しそうではなく、見ている方も辛くなるほどでした。

ただ、真面目な子なので、計算などはほぼきちんとできていましたし、指示も素直に聞いてくれたので、その子が考えられる範囲で精一杯考えてもらう、時間がかかっても待つということを続けていくうち、とりあえずコンプレックスは和らいでいきました。

そして、小学校の算数のテストは大抵ならったたんげんのまとめテストなので、落ち着いて問題に向き合えるようになったからなのか、6年になってからは常に高得点を取れるようになり、評価も上がったそうです。

その子がおうちの方に「先生は殆ど教えへんのになぁ」と言って不思議がっていたと教えてくださいました。

「教えない」は教室を始めたときから最も大事にしていることで、そうは言っても全く何も教えないわけではなく、加減やタイミングがなかなか難しいのですが、「教えられていないのにできるようになった」と感じてもらえたことは私にとってこの上ない褒め言葉でもあります。

まだまだ力不足ではありますが、今年もしっかりがんばっていきたいと思います。

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