2017年5月20日 (土)

「ダメなの?」

私自身も、人から見ればなんでそんなことが苦手なの?というようなことでも苦手なことがいくつもあるのですが、子ども達の中にも何かに対するこだわりが強かったり、意外なことが苦手だったりという子がいます。

自分がやりやすいと感じる方法があると、それを崩すことに強く抵抗を感じる場合がある子とレッスンをしていたときのことです。
教室でも学校でも筆算を習い始めたのですが、前回のレッスンのとき、筆算の式が書かれたプリントを渡すと、おもむろに定規を取り出して、位ごとに数字を区切る縦の線を、全ての問題に、それも1本1本丁寧に引き始めました。

雑に済ませても平気な子ならさほど時間もかからないかもしれませんが、1本1本が丁寧なので、それだけでも全問に引いているとそれなりに時間がかかります。
そこで、「その線引かないとできない?」ととりあえず尋ねてみたところ、「引かないとわかんない。」とのことだったので、初回だし慣れるまではいいかと、代わりに私が線を引いてからプリントを渡して問題を解いてもらうようにしました。

その後学校でも授業でやったようですし、宿題にも出していましたので、今回は線を引かずにやってみてもらおうと思い、そのままプリントを渡したのですが、やはり同じように丁寧に線を引き始めたので、「試しに線引かずにやってみられない?」と聞くと、「引いちゃダメなの?」と。

この子は「ダメなの?」と聞くときには、それをしないと不安だったり、難しいと感じたりするらしいということがわかってきたので、ダメとは言わずに、学校では先生は何も言わないか尋ねてみたところ、先生は何も言わないと。
先生は最初のうちだから何も言わないのか、ずっと引き続けてもOKなのか、その辺りがわからないので、さてどう言えばいいかなと、少し考えました。

「慣れてきたら引かずにできるようになった方がいいと思うけど、もし線を引かなかったらできないんだったら、できないよりは線を引いてできる方がずっといいから、引いてもいいよ。」

そういうと、やはり線を引いて解いていました。少なくとも今の段階ではその子は線を引かなければできないと感じているようで、それを無理に止めると本当に解けなくなる気がしたので、その日はそれ以上言わず、引きたいなら引いていいことにしてレッスンを進めました。

丁寧に線を引いて問題を解いていたら、テストなどで時間が足りなくなってしまうかもとか、クラスの子達のペースについていけなくて苦手意識を持ってしまうかもとか、あれこれ考えてしまって、引かずにできるなら…と言ったのですが、本人がもう引かなくてもできると感じるまでは無理に止めさせない方がいいのだろうと思うので、もう少し様子を見てみようと思います。

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2017年5月19日 (金)

当たり前だと思っていること

この仕事をし始めてから、それまで当たり前だと思っていたり、特に疑問を抱くこともなかったようなことが、実は人によっては理解しづらかったり、そう言われてみればなんでそういう風に言うんだろう?と思うようなことがあったりするんだなと感じるようになりました。

そのひとつが、繰り下がりのひき算をするときに、小学校などで当たり前に使う「10借りてくる」という表現です。
教室で子ども達と繰り下がりのひき算をするときには、わざわざ10と残りを分けるのではない考え方をするので、私自身が「10借りてくる」という表現を使うことはないのですが、以前何かで読んで、ああ、そう言えばそうだなと思ったことがあります。

投書か何かだったかと思いますが、繰り下がりの引き算がどうしても理解できない様子の女の子がいて、色々手を尽くして教えても、なぜか繰り下げたはずの数が戻ってしまって正しい答えが出せず、本人も困っていたと。そして、どうして繰り下げたものをまた戻すのかを尋ねたところ、「借りたものは返さなくてはいけないでしょ?」というような答えが返ってきたのだそうです。

これ、目から鱗じゃないですか?そうだ、確かに借りたものは返さなくちゃいけないのに、なぜ繰り下がりの指導のときには当たり前のように上の位から10を「借りて」くると言うのだろうと、それを読んで初めて疑問を抱きました。
自分が子どもの頃にも同じように指導されたのではないかと思いますし、子どもの頃には特にそこにひっかかることもなかったので、なんとなくそのまま、そういうものだと思っていましたが、10は借りてくるのではなく、もらってくるのですよね、実際は。

子どもは「借りたものは返す」ということはしっかり身に着けるべきでしょうし、それなのに算数では借りたら借りっぱなしになるのは、なんだかおかしい気がしますから、その女の子がそこに引っかかってひき算で苦戦をしたという、その感性がなんだか素敵だなと思いました。その一方で、なぜ「借りる」という表現にしているのかが新たなる疑問になりました。

このことに限らず、大人は何となくそんなものだと思っていることでも、子どもによっては引っかかるということも珍しくはないので、大人が見たら簡単だと思えるもので子どもが困っているような場合、予想外のポイントで詰まっている可能性があるということを少し気に留めておいて頂くと、何かの役に立つことがあるかもしれません。

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2017年5月18日 (木)

ほんの少し

小学生の頃通ってくれていて、中学時代は徒歩圏の塾に通いつつ、一時期数学だけこちらに戻ってきてくれていた子が高校生になりました。
入学前に高校入学準備ということで、少し数学を一緒にさせてもらい、その後もスポット的に何度かレッスンをさせてもらっています。

元々数学は結構よくできる子で、めんどくさがりなので、覚える必要のないことは覚えなくていいというのはその子にも合っていて(私自身がそういうタイプなわけですが…(汗))、 入学前に一緒にレッスンをしたときも、最低限のことしか説明しないで、その子自身に考えてもらう形で進めていきました。
しかし、進学校で予想通り授業の進度も速く、定期試験前ということで範囲を聞くと、ひと月足らずの間に、やはり一緒にしたところより先まで進んでしまっていました。

一緒にしていないところを重点的にしようと思い、復習内容であるはずのところを考えてもらったところ、学校で習ったことを思い出そうとする様子が見られました。また、ある問題では、その子なら公式などを覚える必要もなくできそうなものであるにも関わらず、見るなり「うわぁ、これムズイやつや!」と嫌そうな声を出したので、「え?できるやろ?難しくないはずやけど。」と声をかけて様子を見ていると、私にそう言われたからとりあえず見てみるかという感じで問題を考え始め、結局は「な~んや、簡単やん!」と。

因数分解や展開の公式も、どこがマイナスになるんだったかを思い出そうとしているようなことがあったので、「それ、考えたらわかるやん。こっちがマイナスなんやから、それが2乗になればプラスやけど、そうじゃないところはマイナスでしょ?」みたいなことを言っただけで、「ああ、じゃあこことここがマイナスか。」という反応。

結局、数学の力がある子であっても、自分の頭を通す前に説明されてしまったことは、考える機会がないまま「覚えること」となってしまい、その結果、忘れやすくもなり、更には考えようというのではなく、思い出そうという風に頭が働いてしまうということが起きてしまうということなのだと思います。

どうにも数学が苦手な子や、機械的に暗記することが得意な子などは、習ったことを覚えて使うというのもひとつの方法だと思いますが、本来数学が好きで、力もあるような子は、学校で習う前にほんの少しでも、自分の頭で考えてみる、「これなんだろうな?」でもいいので、与えられる前に自分の頭を動かしてみる、そういうことがとても大事なのではないかと、改めて感じました。

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2017年5月17日 (水)

予想外の言葉

今日のレッスンで2年生さんと立方体の展開図に関する問題をしました。
その子は、以前に展開図の位置関係を問う問題をしてもらったとき、割とスイスイ、どの面が前に来てどの面が後ろに来て…というのを答えることができたので、頭の中で組み立てられる子のようだなと思っていました。
しかし、先週はほかのことを学習した後、くたびれてきた頃にしたからか、どうも答えがチンプンカンプン。無理にしてもダメだなと、次回に回すことにしました。
そして今週のレッスンだったのですが、初めは少しあやしかったものの、意味がわかった後は結構スイスイ解き始め、1つ目の課題をクリア、別の展開図の問題もクリア、3種類目の問題をニコニコ楽しそうに考えていたときに、突然その子が言いました。

「今日まだ全然勉強してない!」

あまりに予想外で思わず笑ってしまいましたが、その子は展開図の問題を勉強だと思っていなかったようです。
「これもお勉強よ?」というと、少し驚いたような顔をして、「え、そうなの!?」と。

そして、頭の中で思い浮かべられていいね、私は問題を解くことはできるけど、思い浮かべるのは苦手だからというような話をしたところ、「え?こんなの大学で習わないの?」と、また意表をつく質問が!(笑)

話しているときに、私は思い浮かべるのが苦手で、女の人はそういう人が多いから、お母さんとかお姉ちゃんとかも苦手かもしれないよというような話はしたのですが、その子は、難しい問題は中学や高校、更には大学で習って、習ったらみんなできるようになるというようなことを思っているようでした。

「こういうのは大学では習わないかな。」
「え?じゃあいつ習うの?高校?」
「う~ん、小学校では習うけど、得意な人は得意で、苦手な人は大学に行ったらできるようになるとかいうことはないかなぁ。」
「へぇ~。そうなんや。」

そんな会話をしながら、子どもの発想ってやっぱり新鮮だなぁと感じました。

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2017年5月16日 (火)

ひと呼吸置く

子ども達の中には、まだ小さいのに、早く答えを出さなくてはと思い込まされていて(もしくは、実際にそういう環境に身を置いていて)、問題を前にするととにかく何か書こうとする子がいます。

最近通ってくれるようになった子も、今はまだそういう傾向が見られるのですが、そういうタイプの子の多くは、とりあえず何か答えを書いて大人の反応を見、どうやら間違っていそうだなと思えば「あ~、違う違う」などと、さも勘違いしたかのようにふるまいながら、違う答えを書いてまた反応を伺うというようなことをします。

そういうことは決して珍しいことはないので、(ああ、気の毒に…。この子も急がされて、じっくり考えさせてもらえなかったんだな…。)と、そのたび感じます。
ただ、うちに来てくれるようになったからにはそのままでいいというわけにはいきません。そこで、色々なアプローチをするのですが、例えば、こちらの顔を伺ってくる子には、表情には出さないようにして、たとえ答えが合っていてもしばらく待ってみたりします。
すると、合っているのに違う答えに変えて、またこちらを見てくるということも、これまた決して珍しくない反応です。
それでもまだ様子を見ていると、そのうちどうしていいかわからなくなる。そこで、私が「なんでさっきの答え消したの?」などと尋ねると、きちんと考えていない子は「え?だって間違ってるんやろ?」などと言ってきたりするのです。
「え?なんで?何にも言ってないよね?」などと返すと、「だってマルしてくれへんかったやん。」などと言ってきたりするのですが、そこで例えば、「じゃあ、もし1+1=2って答え書いて、私がマルしなかったら、消して書き直す?」と聞くと、「直さへん。」というような答えが返ってくるわけです。
「1+1=2って書いて、マルしてもらえなかったら、『なんでマルしてくれへんの?』とか『これで合ってるよ』とか言うでしょ?」と確認すると、みんな同意しますから、それが本当にわかっているということだと話すのです。

自分がきちんと考えて出した答えなら、大人の顔を伺う必要はありませんし、そもそも、大人の顔を伺いながらマルをもらうのは勉強ではありません。例えば、その能力が身についても、試験の場では全く役に立たないわけです。(大人になって社会に出たら、人の顔を見て空気を読むことができるなどの能力として生かせるかもしれませんが…。)

小さい子なら、上述のようなやりとりで私が伝えたいことをなんとなくわかってもらうようにしますが、ある程度学年が上がってから来てくれるようになった子の場合、その「習慣」がかなりしっかり身についてしまっている場合が少なくありませんので、落ち着いて考えられるようになるまで、個人差はあれ、結構時間がかかったりもします。

で、最近のその子は、焦って答えを書いては、何度も何度も「あ!」と言いながら答えを書き直そうとするので、本当の勘違いの場合はともかく、早いうちに何とかせねばと、色々な声掛けをします。
今週のレッスンでは、また焦っているようだったので、「慌てなくていいし、時間かけていいから、その代わり、答えは1回だけ、これだと思うのを書いてね。何回も書き直すのなしね!」と声をかけてから問題を考えてもらいました。
子どものタイプによっては「チャンスは1回だけね!」というような言い方をすることもありますが、とにかく、違ったからまた書き直すというのは、しっかり考えていないのだということをわかってもらえるよう努めています。

それにしても、じっくり考えさせてあげるだけで、子ども達はどんどん力を伸ばしていくということは、何度も何度も実感しているので、それだけに、もっと多くの大人がそのことに気づいてくれたらなぁとしみじみ思います。

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2017年5月15日 (月)

コンプレックスや苦手なことも役に立つこともあるのかも。

私は子どもの頃から知らないところに出かけることが苦手だったり、電話をかけるのが苦手だったり、大勢が集まる場が苦手だったり、ほかにも色々、未だにその苦手を引きずっているものも少なくありません。

その一方で、怒られるのが嫌だったり、人に失敗したところを見られることがとにかく恥ずかしくて、失敗しそうなことには手を出さなかったりしたこともあり、子どもの頃の周囲の評価は、何でもよくできる子というようなポジティブなものが多かったような気がします。

歳を重ねるごとに、更にフットワークは重くなり、やろうと思っていることをどんどん先延ばしにしてしまって自己嫌悪に陥ることも増え、あ~あ、なんで自分はこんな何だろう…と思うことも多いのですが、今の仕事をしていて、ある意味、そういうコンプレックスだったり、何かが苦手(それも一般的には「なんでそんなことが苦手なの?」というようなこと)だったりすることは、ちょっと役に立つこともあるのかもしれないなと感じるようになりました。

子どもが家ではなかなか宿題に取り掛かれない気持ちも理解できますし、自分に、人からは「え?なんで?」と思われるようなことで苦手なことがあると、子どもが何かを苦手だと感じていたら、それが全く同じことでなくても、何かを苦手と感じる気持ちは理解できる気がするからです。

子どもの頃、特にコンプレックスもなく、何でもバリバリやってきたような人は、子どもが何かに抵抗を感じていても、なんでかな?どうしたんだろう?と気づくことはできるかもしれませんが、共感することは難しいかもしれません。
もちろん、私もなんでも共感できるなんてことは全くないものの、子ども達は、得意なこと、よくできることは認めてもらえる場合が多いでしょうから、苦手なこと、うまく説明がつかないけど嫌なことなどに気づいて、理解を示してもらえることを求めているような子もいるのではないかと思うのです。
そういう意味では、私の、自分でも嫌になるようなコンプレックスや苦手意識も、ちょっとは役に立っているのかなと、そう思うと、ほんの少し気持ちが軽くなるような気もします。

きっと、親御さんたちもお子さんにとって、何でもできる親でなくても、むしろ苦手なことがあったり、失敗してしまったりを見せられる方がいい場合もあるのではないかなと、そんな気がします。

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2017年5月13日 (土)

ちょっとびっくり。

算数が全く楽しくなさそうで…ということで1年生の終わりごろから来てくれるようになった2年生さん。
当初は見ていても、ああ、本当に算数が嫌いなんだなというのがひしひしと伝わってくるぐらい、苦しそうに呼吸をしたり、体にかなり力が入ったりしていたこともありました。
それが少しずつ変わっていき、最近は苦しそうに呼吸することも体にぐっと力が入ることも滅多になくなりました。

初めのうち、好き嫌いは理屈ではないので、好きになれなくても、少しでも楽に取り組めるようになったらいいなと思っていましたので、そういう意味では既にある程度目標は達成したのですが、レッスンを重ねるうち、あれ?もしかしてこの子、実は結構算数のセンスがいいんじゃないかな?と思うようになりました。

少し前、100を超えた数の学習をし始めたとき、さほど算数が嫌いではない子でもそこそこ苦労するような問題も、思った以上にすんなりできて、驚いたことがありましたが、今週のレッスンでも、時計の問題で35分後は何時何分になるかや、15分前は何時何分になるかなど、中に少し面倒な(時間をまたぐような)ものが混じっている問題をしていたときに、またちょっとびっくりしました。

前回少しだけ一緒にしたものの、時間計算は苦手な子が多いところでもあり、元々算数がとても嫌だったということや、まだ2年生になったばかりということなどを考えても、時間をまたぐ場合は難しいかもしれないなと思っていました。
宿題に出していたプリントで、そういうような問題で詰まったようで、わからなかったというので、一緒にすることにしたところ、まずは敢えて「4時72分」という考え方をしてもらった後、「72分ってないよね?」など少し言葉をかけたところ、時計の絵を見ながら、ほどなく「5時12分?」と正解しました。

その次に少し面倒だったのが、7時9分の40分前を考えるというもので、「9分戻ったら何時?」と聞くと「7時」と答えたかと思えば「31分!」と言ったので、「え?」と聞き返そうとしたところ、「7時から31分戻ったらいい!」と、そんなの簡単というような表情をしています。そして、「6時29分」の答えを想像より遥かにすんなり出してくれました。

私の頭の中では9分戻ったら7時になるので、あと何分戻らなくてはいけないかを尋ねるつもりだったのですが、その質問をする必要なしに、その子自身が気づいて、きちんと考えることができたのです。
どうやらこの子に関しては、そろそろ「手助けレベル」をもっと上げていいのかもしれないなと思っています。

子どもの力って本当に伸びるときは想像以上にぐっと伸びたりもしますし、指導する側が抱くイメージによって、子どもの能力に影響が出ることがあるそうですから(ピグマリオン効果と言われるものだそうですが。)この子は算数が苦手なんだとか嫌いなんだとかいう決めつけをしないように気をつけなくてはと思います。

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2017年5月12日 (金)

知ることは本来楽しいことのはず

知らなかったことを知るとか、できなかったことができるようになるとか、そういう経験は恐らく楽しかったり嬉しかったり、何らかのプラスの感情を抱くのが一般的なのではないかなと思います。
少なくとも自分はそうなので、どのぐらいそうではない人がいるのかわかりませんが、生まれてきたときは自分ではほとんど何もできない赤ちゃんが、色々なことを学んでできるようになっていくその過程が、正に成長なのだろうと思いますし、成長することは喜ばしいことなのだろうとも思います。

子ども達はほとんどみんな、たし算とひき算を比べるとたし算が好き、たし算が簡単と言います。
それはたとえまだ数が少なくて、簡単な計算であっても、たし算の方が好きという子が圧倒的に多いです。
小さい子達を見ていて思ったのですが、なんとなく、本能的に「増える」のはいいけど、「減る」のは抵抗を感じるということが影響しているのではないかと。

そういう意味では、知識が増える、できるようになることが増えるというのは、やはり好感情につながる人が多いのではないかなと感じます。

ということは、もちろん好き嫌いや能力差などはあるとしても、教科学習について、その結果によって評価されるなどがなければ、多くの子が楽しいと感じることができるのではないかなとも思うのです。
知らなかった言葉を知ったら、「へぇ~、こういうときはそんな風に言うのか~」と感じるかもしれません。そのときに嫌な感情を抱くことは、まずないだろうと思います。
たし算を知らない子がたすというのは数を合わせること、数が増えることというような理解をしたら、やはりたし算ができるようになって嬉しい、たし算が分かって楽しい、そんな感情を抱く子がほとんどではないかと思います。
知ったことを忘れてしまっても何も咎められたりしないのであれば、嫌だなと思うことすらないはずです。

そう考えれば、勉強が嫌、勉強が嫌いと、まだ小さい段階でいう子は、「やらされている」、「できないと怒られる」、「テストで悪い点を取るのが嫌」など、本来「学ぶ」こととは直接関係のないところに、嫌いだと感じる原因があるのではないかと思います。

もちろん、学校の勉強では評価がつくのが普通ですし、入試などでは合格点に届かなければ自分の行きたい学校に行けないなどというのは現実ですから、どこかの段階で人からの評価に対してもある程度適応できるようになる必要はあると思いますが、やはり「つ」がつく年齢の間ぐらいは、学ぶことの楽しさの方が優先されていいのではないかなと感じます。

全ての子どもが全ての教科に関して楽しいと感じるのはさすがに難しいかもしれませんが、それでも、知らなかったことを知る、できなかったことができるようになる、そういうことに対してお子さんがマイナスの感情を抱くことがあれば、何かストレスがかかっているのではないかと、気をつけてもらえたらなと思います。

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2017年5月11日 (木)

「教えない」ということ

普段、うちの教室ではやり方を教えないという表現をよく使っていますが、もちろん何も教えないわけではなく、恐らくその何を教えて何を教えないかというところが、もしうまく伝えることができれば、もっともっと多くの方に私が言い続けていることを正しく理解してもらえるのではないかなと、ずっともどかしさを感じています。

例えば、筆算をするとき、筆算の書き方などのルールはもちろん教えなければ子どもはどうしていいかわかりません。ですが、ワークブックなどを見ていると、「ここに繰り上がった1を書きます」というような書き方がされているようなことがあります。
繰り下がりの引き算などでも、先生が「上の位から10借りてきて、上の位を1減らします」というような説明をされることがあるのではないかと思います。

もちろん、それは間違いではありませんし、その通りやればマルがもらえます。そして、その説明でも意味を理解する子もいると思いますが、中には「ふむふむ、引けないときは上の位から10借りてきて、数を1減らすんだな」とテクニックの部分だけを覚える子がいるわけです。

これは筆算の例ですが、先生などの説明を聞いて、このようにテクニックの部分だけ覚えて再現することが勉強だと思ってしまう子は少なくないのが現実です。

でも、例えば、足し算で繰り上がった場合、仮に「28+47」を筆算でするのであれば、一の位同士をたすといくつになるかをまず尋ね、「15」と答えたら、「15をこんな風に書いてね」と、「15」の「1」は十の位の数の上に、「5」は一の位の数の下(答えを書く部分)に書いて見せれば、筆算の書き方を教えていると共に、足したら15になるのだから、15と書くけど、書く位置がこことここになるんだなということで、意味を理解する子はかなり増えるはずです。

問題によっては本当に教えずに考えてもらうものもありますが、教える必要がある内容については、できる限り何をしているかの意味も含めて教えるということをいつも意識しています。
先ほどの「15」を書く位置についても、こちらからやってみせる場合もありますが、子どものタイプによっては書いて見せる前に「どう書くと思う?」などと声をかけることで、より一層記憶に残りやすくなるだろうとも思います。

学年が上がってくれば、必要に応じてテクニック的なものを教える方がいい場合もあるだろうと思いますが、少なくとも低学年の間は、子ども自身が自分が何を学んでいるのか、何をしているのかが理解できるような提示の仕方を心がけてあげるのが、とてもとても大事なことではないかと思います。

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2017年5月10日 (水)

これって案外すごいことなのかも。

教室で子ども達とレッスンをしていると、今ではもうすっかり当たり前のような感覚になっているのですが、もしかするとこれって案外すごいことなのかもと思うことがあります。
今日のレッスンでも、6年生の女の子と比の利用の学習をしていて、それを感じることがありました。

その子は、比に関して「:」を使うことと、それを「対」と読むことなどの基本的なこと以外はほとんど説明いらずでどんどん進んでいたのですが、元々図を描いたりして考えることが当たり前になっている子達には比の単元はほとんど説明がいらないというのはよくあることです。

そんな中、応用問題の中で何か問題の意味を勘違いしているらしいことがあり、決して難しくないはずなのに、何か違う捉え方をしていそうだなと感じました。
牛乳とコーヒーを混ぜてカフェオレを作るような問題で、牛乳とコーヒーを混ぜ合わせる比について考えるものだったのですが、最初に作ったものに牛乳だけを更に足して、比を変えたら、足した牛乳はどれだけかという感じでしたので、本来のその子なら、それまでの問題もスラスラ解いていたことからして、詰まるようなところではなさそうです。それでも手が止まっているので、問題がわかっていないんだなと、意味が理解できているか確認したところ、書かれていることの意味はわかっているようなのに、どこかで詰まっている様子です。

そこで、「たとえば、カ○ピスを作って飲もうと思って、コップの4分の1カルピスを入れて、4分の3水を入れたら、カ○ピスと水の比は1:3よね?」と宙に手でカルピスを注ぐ幅と水をそそぐ幅をおおよそで見せると、ちょっと考えて「ああ、うん。」と納得。
「で、それだとちょっと甘すぎだなと、最初のカ○ピスと同じだけ水を足したら、カ○ピスと水は1:4になるよね?それはわかる?」と尋ねると、また少しだけ考えて「うん。」と答えたので、「そんなような意味なんやけど…」と言ったところで、何か線がつながったようで(どう勘違いしていたのかは不明ですし、実際の問題はもう少し難しいものでしたが。)「あ!」と顔がパッと閃いた顔になったかと思えば、あっという間に解き切りました。

この子に限らず、慣れている子達とは、実際に図を描いて見せなくても空中に身振りで表現したり、時にはそれすらせず言葉だけで伝えても、子ども達の頭にイメージが描かれているのがこちらに伝わってくることがよくあります。
それは今の私には珍しいことではないので、あまり意識したことがありませんでしたが、こうしてそれぞれの子達が自分の頭でイメージを描ける状態になっているというのは、案外すごいことなのかもしれないなと思います。
でも、それは何も特別な能力ではなく、小さい頃からしっかり自分で考え、自分で絵や図を描いたり、具体物を使って確認しながら進んでいけば、自然と身についていくものなのだと思います。(中には生まれつき長けているのだなと感じる子もいますが。)

そういう子達は学年が上がっても算数で苦労することはまずないと言っていいのではとも思いますので、これからもその能力をしっかり育んでもらえるようにしていきたいと思います。

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