2017年4月22日 (土)

高校までに。

うちの教室では主に小学生さんとレッスンをさせてもらっているので、中学生、高校生までを継続して見せてもらうことはごく稀なのですが、自分の頃を思い出しても、また、中学生、高校生とのレッスンでの限られた経験から見ても、算数、数学が好きな子、それなりにセンスがある子で、公立の小中学校に通っている子達は、学年にこだわらず、余裕のあるうちにどんどん先に進めておく方がよいのではないかと感じます。

うちの教室ではじっくり考えて理解するという学びをしてもらっていて、それが当たり前になると、見ていて惚れ惚れしたり、しみじみ感心したりするようなことがたくさん起こってきます。
最初は時間がかかっていた子が気づけばかなりのスピードで問題を解いていくようになることも珍しくありません。
ですので、そういう子達は、これまでの印象では中学入学までに中1の数学を終わらせるぐらいは無理なくできそうな気がします。それで前倒しできた分、高校数学をじっくり考えて解く余裕を持てれば、数学を楽しいと感じたまま高校でも過ごせるのではないかなと。

もちろん、数学の能力が高い子であれば、進学校などでかなりの進度で授業が進んでも、それを十分にこなし、数学は好きなままということもあるのだろうと思いますが、公立中学の数学と比べて、高校数学は量も増え、内容の難しさも一気に増すような印象があります。学校の進度に合わせて進めていくには、じっくり考えたくてもその時間が取れないということが起こってくる場合が少なからずあるのではないかと感じるのです。

そうなると、きちんと納得できていなくてもとりあえずやり方を覚えて、公式を覚えて…とモヤモヤ感を抱きながら、とりあえずこなすしかなくなってくるか、数学を諦めるかということになってしまうかもしれません。

進学校に進むような子であれば、公立中学の数学は、考えても意味がよくわからないような問題は限られているのではないかと思いますし、先取りする余裕はあるのではないかと。(少なくとも、高校に入ってからの時間のなさに比べれば。)

私自身、最近高校数学を解くときに、まずは解答や解説は見ずに問題を解いてみて、必要であれば後から確認するようにしているのですが、閃かないときや自分の解き方ではかなり手間がかかるようなときに解答や解説を見ると、書かれていることの意味がよくわからないということが時々あります。
そこに書かれていることを覚えて、こうやって解けば解けるよと教えることはできるかもしれませんが、それだと自分もモヤモヤしますし、子どもが理解したいと思ったときに説明ができないかもしれませんから、面倒でも全部書き出してみたり、とにかく「ああ、こういうことかな」と納得できるまで、その問題に取り組みます。
それをすると当然時間もかかりますから、そのたび、こんなこと高校時代にあの授業の進度で、ほかの教科も全部進度が速い中、とてもじゃないけどやれなかっただろうなと思うのです。

ここでいう「先取り」は、やり方を覚えて解くという意味ではなく、じっくり考えて理解して進めていった上で、余裕があればどんどん先に進めていくのがいいのではないかという意味ですが、小中学生のお子さんがおられる方はちょっと意識しておいて頂けたらなと思います。


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2017年4月21日 (金)

個人差はあるかもしれませんが。

以前読んだ記事で、人間の脳はたとえ寝不足であっても午前中の方が働きがよくて、午後になるとどんどん鈍っていくということが書かれていました。

私自身は子どもの頃、中学生になっても夜10時には寝ないと怒られるような生活をしていましたし、毎日たっぷり寝る子どもだったので、夜遅く勉強をするということがあまりなく、朝と夜の頭の働きの差を実感したことはないですし、また、大人になって今のような仕事をするようになってからは、塾に勤めていた頃もあわせると20年あまりになりますので、完全に夜型にずれ込んでいて、これまた午前中と晩との差を感じることがあまりないのですが、子ども達を見ているとやはり、時間が遅くなればなるほど、頭の働きが鈍ってくる子が多いように感じます。

もちろん子ども達はその日の体調や疲れ具合、心の状態などにも影響を受けやすいですし、個人差もあるとは思いますが、普段比較的早い時間に来ている子が、欠席振替などでたまに遅い時間のレッスンになると、「あれ?今日はなんだかミスが多いな」とか「頭が働いてないみたいだな」とか感じることがこれまで何度もあった気がします。

今日も普段は夕方のレッスンの4年生と3年生の姉弟さんが、18時半頃からの振替レッスンになったのですが、いつものように一所懸命取り組んでくれているにも関わらず、普段ならこんなミスしないのになと思うようなミスが多発して、やっぱり小さい子達は遅い時間はなるべく避けてもらった方がよさそうだなと思いました。

これもしばしば話題に出ることかと思いますが、中学受験をするような小学生は眠いのをこらえて夜遅くまでがんばらせるぐらいなら、さっさと寝かせて朝にさせる方が同じ量を終わらせるのに朝の方が短時間で済むというようなことも言われています。
それぞれのご事情もおありでしょうし、私自身は早起きも苦手なので何とも言えませんが、受験のための勉強に限らず、学校や教室の宿題なども、晩に疲れた頭で取り組むよりは、さっさと寝て、朝早起きしてさせる方が親にとっても子にとっても楽だということもあるかもしれません。
何度か試してみて、お子さんがどちらの方が取り組みやすそうか確かめてみられるのもいいかもしれませんね。

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2017年4月20日 (木)

すごい変化

今日は、1年生の早い段階で算数に大苦戦をし、おうちでできることは色々してみたものの…ということでご縁を頂いた子とのレッスンがありました。
夏から半年余りが経ち、随分色々なことができるようになり、何より問題を前にしても辛そうな表情になることがなくなって、嬉しいなぁと思っていました。

それがここのところ更にパワーアップした感じがあって、100までの数の繰り上がりのある足し算は「こんなの簡単!」と暗算で答えを出せる。繰り下がりのあるひき算はまだ簡単にとはいかないものの、どう考えればよいのかかなりしっかり身に着いた感じが。

そして、先日から100を超えて1000までの数を学習し始めたのですが、当初のその子の様子からすると、ここはじっくり時間をかけないと無理かもしれないなぁと思っていたのが、よい意味で予想を裏切られ、思ったより遥かによくできていて、その上「楽しい。これもっとやりたい!」などという言葉まで出てくるようになりました。

スピードはまだまだゆっくりですし、低学年だと単純計算などが速い子は結構いると思いますから、学校などでは計算が遅い子と見られてしまうかもしれません。でも、少なくとも今のその子は、自分が何をしているか、どう考えたらいいかをきちんと身に着けながら前に進んでいますし、何をしているか分からないけどとりあえずやり方を覚えたらいいかというような気持ちは全くないようにも見えます。

低学年のうちにそれがしっかり身につけば、この先必ずその子の大きな力になるはずですし、何より算数が好き、楽しいと言ってもらえるようになったことが本当に嬉しく思います。
更にパワーアップしていきそうなその子のこれからがますます楽しみになってきました。

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2017年4月19日 (水)

不思議な現象

今日のあるレッスンでのこと。
まだ小さいので、その日のコンディションによって、とてもよくできる日もあれば、別人のようにダメダメな日もあるというタイプの子とのレッスンで、先日来かなり桁の多い引き算の筆算、0が並ぶ引き算の筆算などをしていました。
前回は途中までバッチリだったのが途中からダメダメになってしまったのですが、今日は前回以上に桁も多く、計算も難しくなるので、少し心配していました。
しかし、今回は登場の時からニコニコしていて、コンディション的には問題なさそうな様子。実際問題をしてもらっても、楽しそうにどんどん解いていき、これだけでいいよと言った以上にやりたいと言ったりもしました。

しかし、ある問題で、そこに引っかかる子は結構多いというところに引っかかり、その途端パタッと表情が変わりました。
時間的にも疲れて眠くなってきたのかなと思いつつ、何度か助け舟を出したのですが全くダメ。そこで、試しに違うプリントにしてみたところ、それも内容的にはそこそこ難しいはずなのですが、表情が戻ってスイスイ解き始めました。

ということは、眠かったわけではなく、何かおかしなスイッチが押されたのかなと、様子を見ながら先ほどの問題に戻ってみました。しかし、なぜかその問題だけはダメ・・・。

その子がそのときしていたのは   

    50000
   - 2579    

のような問題のように、0が並ぶ数からの引き算や、途中に0が入るような数からの引き算の筆算でした。
0が並ぶものはスイスイ快調に、楽しそうに解いていたのですが、おかしくなったのは一の位は繰り下がりなく引けて、十の位が引けないのでそこで十万の位から順に繰り下がってくるというようなものでした。

実際、0が並ぶ問題を何問もしていると、一の位はそのまま引けるのに、なぜか十の位の0が最初から9になってしまうという子は結構いるのですが、その子はそこで完全にストップしてしまいました。
そこで、一の位の部分だけを見せてひき算をしてもらった後、一の位の数を隠して、残りをひき算してもらおうとしたのですが、さっきまであれほどスイスイできていたのにできなくなりました。

そこで、同じ数を紙に書き写してやってもらおうとしたのですが(一の位をのけた部分だけを書いたので、それまでその子が簡単だと言ってやっていた問題と同じ形になっていました。)やはりダメ。
困ったなと思いながら、さっきスイスイ解いていたプリントの同じ形式の問題を「じゃあこれやってみて」というと、ちょっとだけ間が合った後、スイスイ解き始め、一発正解。

ああ、これで戻ったか?と思って、先ほど手書きした問題を見せるとまたストップ。
前のプリントに戻るとスイスイ。
手書きだからダメなのか?と思い、最初におかしくなった問題の一の位を見え亡くした状態で再度やってみてもらおうとしたものの、またダメダメな顔に…。

そんなことを何度か繰り返した末、最終的にはできたのですが、見た目が全く同じ(数は違うもののぴったりの何万という数からひき算をする問題でしたので。)で、できる問題とおかしくなる問題があるというなかなか不思議な現象でした。

その子にとって何がどう違っていたのか突き止められませんでしたが、子ども達の反応は本当に興味深いものがありますね。

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2017年4月18日 (火)

せめて1、2年の間だけでも…。

今日のレッスンに来てくれた子の中に私立の小学校に通っている子が2人いました。
2人ともまだ低学年で、うちに来てくれるようになってからまだ日が浅い子達です。
その子達を見ていると、なんとも切なく申し訳ない気持ちになることがあります。

どちらの子も礼儀正しく、人の話をきちんと聞くこともできるいい子です。しかし、2人とも、問題を解こうとすると、じっくり考えることをせず、とにかくぱっと答えを書かなければという意識に囚われていることがひしひしと伝わってきます。
習った方法を思い出そうとし、何か答えを書いてみてはマルになるかどうかを待ち、マルにならなければ、だったらこっちか?という感じで答えを書き直す。自分が一体何をしているのかのイメージなど全くできていない様子で、ただ目の前の数を適当に計算している、そんな印象を受けるのです。

公立の学校であれば、子どもの能力のばらつきも大きいので、私立に比べるとまだゆっくりである場合が多いので、低学年のうちからそこまで極端に、考えるよりとにかく答えを…という風にはならない印象もありますが、私立の学校に行っていなくても、プリント反復形式の教室などで大量に計算問題をこなしているような子だと、公立の学校の子でも考えずにとにかく答えを書くという子はいます。

それではその子の役に立たないということを指導者側が知っていれば、こんな状態にならなかったんだろうにと思うと、本当に申し訳ない気持ちになるのです。
そして、その状態になってしまっている子をじっくり考える学びへシフトさせるには、多くの場合子ども自身が苦しく感じる時期を乗り越えなくてはなりません。その子に合わない方法での勉強をさせられていなければ、本来感じる必要のなかった苦労、苦痛を低学年の子に感じさせることも、やはり申し訳なく思います。

たとえ進度重視の私立の小学校であっても、せめて1、2年の間だけでも、ペースをゆっくりにして、子ども達にじっくり考えて理解させる教育をしてもらえないものかと(もちろん、そういう学校もあるとは思いますが。)、ついつい思ってしまいます。

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2017年4月17日 (月)

答えのない問題

子ども達とレッスンをしていて、時々どうすること、どうしてあげることが正解なのかわからなくなることがあります。

うちの教室では子どもたち自身が考え、気づき、学び取っていくということを目指しているので、やり方を説明してその通りにさせるようなことはしませんが、教室を始めてからこれまでに記憶にあり限りでは2人、どうしてもそれが伝わらず、どれだけ話をしてもやり方を教えてと言い続け、それならそういう塾や教室はたくさんあるから我慢してここに来なくてもいいんだよというような話もし、おうちの方にもお話をし…ということをした子がいます。

ただ、そういう場合は、こちらの考えをきちんと伝えた上で、それでもお子さんがやり方を教わって覚えてその通りにしたいということなら、別の教室などを選ぶという方法があるので、一応答えのようなものは見つけられなくはありません。(長くなるので端折りますが、やり方を教える、わかりやすく説明するということを、教室を始める前の私はしていましたが、それが子ども達の力を奪っていたと知って、もう二度とそんなことはしたくないと思ったので、今はもうしていません。)

ですが、ここ最近また、何がいいのかまだ自分なりの答えが見つからないことにぶつかっています。
人の「常識」や「正しい・間違っている」の基準などは、実はかなり曖昧で、自分にとっての常識は誰かにとっては非常識だったりすることもあるのだろうと思いますし、誰かにとって良いことは別の誰かにとっては悪いことということだっていくらでもあるだろうと思います。

それを、例えば学校などで子ども達は何となくある「常識」や「基準」に基づいたルールを守るよう言われたり、みんなと同じようにすることを求められたりするわけで、それに馴染めない、ある面で少数派になるような子などが学校に行かなくなったり、行けなくなったり、行っていても居場所がないように感じたりするようなこともあるのだろうと思います。

先日、教室のトイレのタオルハンガーの吸盤が外れて手を洗うところにタオルごと落ちていたことがありました。
落ちていたと言っても、手を洗うところでもあり、そこに水が溜まっていたわけでもないのですが、たまたまそのタイミングでトイレに行った子が「先生、トイレがたいへんなことになってる!」というので、何事かと思って見に行くとその状態でした。「ああ、取れて落ちちゃったのね。」と言って、吸盤をつけ直していると、本当に汚いものを見るような表情で「そのタオル汚い。」と言いました。
トイレの床に落ちていたら、さすがに汚いと思う子も多いだろうと思いますが、手を洗うところに落ちたタオルにそこまでの反応をするのは、かなり潔癖な子なんだなと思いながら、新しいタオルと交換して「これで大丈夫?」と言うと、うなずいたので、私はトイレを出ました。

小さな例ですが、外れて落ちたタオルに対して、落ちた時点で汚いと感じる人もいれば、落ちた場所によってはセーフな人、床に落ちても土足の床でなければきれいだと思う人、土足の床でも気にしない人と、恐らく色々な人がいるだろうと思います。
汚いと感じるものを「きれいでしょ?」と言っても、それは感じ方ですから、外から変えることはなかなか難しいだろうと思います。
そういう意味では潔癖であればあるほど、普段の生活の中で不快に感じることが多いということかもしれませんし、そういうことが気にならない人ほど、穏やかに過ごせるのかもしれません。
でも、この場合、どの基準の人が正しくてどの基準の人が間違っているかなんてことは判断のしようもありませんし、仮に学校などではその基準を先生などが決めて、それを子ども達に守らせたりすることになるのかもしれません。

勉強の面でも、こだわりが強く、自分のやり方以外を受け入れるのが苦手な子は学校など集団で学習する際には、子どもにとっても先生にとってもお互い快適な授業というのはなかなか難しいのかもしれないなと。
困っていそうだからやり方を教えたり、何か手助けをしようとしても、本人が聞き入れようとしなければ、指導する側は何がしてあげられるのか、でも、手助けをしなければそこから先に進めないのであれば、その子自身がどこかで折り合いをつけて、人の言うことを聞く努力をすべきなのかもしれませんが、本当にそうすることがその子にとって正しく、幸せなのかとなると私にはそれがわからなくなるのです。

特に相手がまだ小さい子どもだと、変われるものなら変わった方がこの先の長い学校生活で苦労が少しでも減るのではないかなと思ったりする一方で、今の世の中では学校教育のシステムに馴染めなかった子達の中に天才と言われるような子やなかなか人が思いつかないようなアイデアを思いつくような子がいたりするのも事実ですから、無理に学校などの集団に馴染ませようとする必要があるのかどうかもわからないのです。

もちろん、答えのない問題なんていうのは生きていればいくらでも直面するのだと思いますし、わからないなりに考えていくしかないのだろうと思いますが、その子にとって一番いいのは何なのか、その判断ができないのはなかなか悩ましいです。

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2017年4月16日 (日)

オフでした。

今日は更新お休みします。


以前こちらに書かせて頂いた、数年ぶりに息子さんの合格報告にいらしてくださったSさまへ。

コメントを頂き、嬉しくてメールをお送りしたのですが、もしかしたら届いていないでしょうか。
お忙しくしておられるのかもと思い、再度メール差し上げることも躊躇っていましたら、すっかり日が経ってしまっていました。大変失礼いたしました。

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2017年4月15日 (土)

意識しなければ「知らない」ことにも気づかない

なんだかちょっと哲学的なタイトルになっていますが、そんなたいそうな話ではありません。
小学生の算数なんてものは大人からしたら簡単と思っているようなところが、多くの大人の方にはあるかもしれません。特に低学年の算数などは、一体どこが難しいんだ?という感じなのではないかと。
もちろん、問題を解くということだけでいえば、多くの大人にとって苦も無く解ける問題がほとんどだと思いますが、実は意識していないから考えることなくやり過ごしてきたことが、思ったよりたくさんあるのかもしれないなと、問題を作るようになってからしばしば気づくことがあります。

以前、立体図形の問題を作っていたとき、算数の教科書やワークブックなどには直方体や立方体の図について、「立方体や直方体の平らな部分を面といいます」というような説明がされていたり、「直線の部分を辺といいます」と説明されたりしていました。
しかし、それを読んだとき、あれ?でも球などの曲面も面だよな。平らな部分を面というということと面は平らなものだということは違うんだなと、そのとき初めて意識しました。

学校で学習する順として、曲面が出てくるのはまだあとのことで、小さい子でも理解できる説明として、立方体や直方体の各部の呼び名として指導するなら、確かに平らなところが面なので、嘘を言っているわけではなく、また、その段階で習っていない曲面を持つ図形についても、この曲がった部分も面ですと説明するのがよいかと言えば、子どもによっては混乱してしまうかもしれず、また教科書を作ると立場からすると、その段階で習っていない図形を取り上げるのは相応しくないなどもあるのかもしれません。

そんなふうに、なんとなく意識することなくやり過ごしてきたものの、数学的に正しいのかを考えると表現に悩んでしまうようなことが何度となくあったのですが、今回は説明とは違って、概数にする際の上から1桁、上から2桁などの問題について、7を上から1桁の概数にしたら7なんだろうか?とふと考え込んでしまい、検索したもののうまく行き当たらず、問題集やワークなどではもっと桁の多い問題しか出ておらず、そういえば、これまで出合ったことがないよなと。

でも、よく考えたら概数なんだから、もともと1桁のものを1桁の概数にするということがおかしいんだから、そういう問題はなくて当然なのかと自分で納得したわけですが、こんな風に、これまで意識することがなかったこと、ただ問題集などに出てきた問題は解けたけど…というようなことが少なからずあることに気付きます。

私は算数の問題を作りながらそんなことを感じているわけですが、きっと普段の生活の中にも意識しないから自分が知らない、わかっていないということすら気づいていないことは数え切れないぐらいあるんだろうなと、そんなことを思いました。

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2017年4月14日 (金)

面白すぎる!

前回のレッスンで大泣きしてレッスン時間の3分の1ほど全くどうにもならなかった子とのレッスン。
まだ小さい子達は教室に入ってくるときの表情でも、今日はちょっとあぶない感じだなぁとか、今日は頭が働いていそうだなとかがわかることも少なくないのですが、その子が今日登場したときのこと。

ドアのところでこちらを見つめて立ち止まっているので、「どうしたの?」と言うと、「え、今日は絶対泣くから!」と。

なんやねん、その宣言!!(笑)

その子曰く、レッスンに来る前にたくさん遊んできたので疲れてしまって、泣く自信があると。(そんな自信はいりません…。(苦笑))
でも、表情を見る限りは、すっきり元気そうな表情をしていたので、「そんな宣言していらんから。顔は全然大丈夫そうな顔よ?」と言ってレッスンを始めました。

すると、予想通り(私の)、今日はきちんと話も聞いてくれるし、聞かずに突っ走りかけても「ねえ、ちょっと聞いて!」とストップをかけるとちゃんと止まってくれるし、声もしっかり出るし、笑い声も出るし…と、前回とは全く違って、調子のいいときのその子でした。

レッスン時間の3分の2ほどが過ぎた頃、今度は突然「今日は絶対泣かへんから!自信ある!」との発言が。(笑)
泣く自信はいらないけど、泣かない自信はありがたい。(笑)
というわけで、ここ何回か不調続きだったその子も、今日はしっかり取り組んでくれて、明るく気持ちよくレッスンを終えることができました。

それにしても、入ってくるなり「絶対泣く宣言」されたのは多分初めてで、ほんと子どもって面白いなぁと思いました。

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2017年4月13日 (木)

「算数すき!」

タイトルは今日のレッスンである子が言った、とっても嬉しい言葉です。
その子は元々、算数で大苦戦して教室に来てくれるようになり、その子なりに一所懸命がんばっているのがよく伝わってきますし、できるようになったことも多いものの、前進してはちょっと後退、また前進してはちょっと後退という感じで、まだ発展途上というところ。

今日のレッスンでも最初のうちずっと顔つきが、これは頭が働いていないときの顔だなぁという感じで、実際問題に取り組んでもらっても、え?なんでそうなるの??という感じのことを次々繰り出してきました。
その子にとっては結構大きな数の問題だったので、数を小さな数にしたら、さすがにピンと来るかなと、2と3と1の数を使って尋ねてみたのですが、それでも2度間違った答えが返ってくるような、ああ、今日はダメな日なのかな…と思いかけていたのです。

しかし、何がきっかけだったか、途中ぱっと顔に生気が戻った感じになり、しっかり声が出るようになったかと思えば、途端に問題への取り組みが変わりました。
その結果、もしかしたらまだ難しいかなと思いながらやってみたものを、予想を遥かに上回る速さで理解し、自分からもっとやりたいと言いました。

その中でその子が「算数すき!」と言ったのです。

正直なところ、まだうんうん頭に大汗かきながら考えている感じで、100までの引き算も絵を描いたりしながら、やっとできるようになったかと思えば、宿題ではまたできなくなり、また一緒にやったらできるようになったのに、家に帰ればやはりまた…みたいなことを何度も繰り返しているので、キライじゃなくなったとか、嫌じゃないとか、そのぐらいの感覚を持ってもらえていたらいいなと思っていたので、ニコニコしながら「好き」と言ってくれたことは本当に嬉しく、ちょっとウルウルしそうでした。

やはり、みんな、自分のペースでじっくり考えて理解できれば、何らかの快の感情を持ってくれるものなのかもしれませんね。

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