2018年7月14日 (土)

ちょっと嬉しい

のろのろとしか進んでいませんが、数年かけてオリジナルの教材を作っています。
色々な書籍やこれまで使ってきた教材などを参考にしているところももちろんたくさんありますが、自分なりにこういうのがいいのではないかなと思いながら、オリジナル(少なくとも何かを見て参考にしたのではない)ところも織り込んでいます。

そのうちのひとつは時計の文字盤に関するもので、多分大人が見たら、そんなものに何か意味があるの?と思われてしまいそうなものではないかと思います。
また、少なくない子が教室で一緒にレッスンするまでに普段の生活で既に多少わかるようになっている内容でもあるので、作ってはみたものの実際の子どもの反応はどうかなぁ、もし今ひとつであれば無理にそれを入れなくてもいいけど…と思っていたものでした。

それが、既に多少時計が読めるようになっている、更には算数が結構得意な1年生の男の子達とのレッスンで使ってみたところ、完成したものを嬉しそうに「これ、持って帰っていい?」と言ってくれたり、お迎えに来られたおうちの方に「ほら、これ見て!時計なんだよ!(実際には文字盤もどきですが。)」とニコニコしながら見せたりしてくれました。

自分で作ったものを実際に子ども達に使ってもらうのは、自分が試験を受けているような気持ちにもなりますが、思った以上の反応をしてもらえると思わず嬉しくなったりもします。
よりよいものにできるようがんばりたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月13日 (金)

話しかけるときに気をつけること

時々ついうっかりするのですが、特に男の子に何か聞いてもらいたい場合(例外はありますので、男の子でも当てはまらない子もいますし、女の子でも当てはまる子がいますが。)、何かしているときに話しかけるのではなく、一旦手を止めさせ、こちらを見るよう促してから話をするということに気をつけるようにしています。

それは脳の働きに関係しているようですが、多くの女性は同時に2つ以上のことを並行してすることができる一方、多くの男性は一度に1つのことに集中するとほかのことはできなくなる傾向があるそうです。
ですので、例えば、男の子がプリントを見て問題を解こうとしているときに話しかけても、それが全く耳に入っていないというようなことも珍しくありません。
しかし、何かをしているときに人が話をしていてもきちんと聞いているという子もいますので、この子はどっちのタイプかなというのは日頃の様子を見て判断して頂くのがいいかと思います。

今日のレッスンで、マンツーマンでレッスンをしていた1年生の男の子が、その子しかいないので私が話しかけるのは自分しかいない状況であるにも関わらず、それも、きちんとその子の方を向いて十分に大きな声で話しかけたのですが、全く聞いてもらえず、ついなんで聞いてくれないんだろうと思ってしまいましたが、そういえば、この子は問題を見ていたなと、後になって反省しました。

来週以降気をつけようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月12日 (木)

算数パズル

先日からぼんやり考えているものの、まだどういう形でご提案するか決めかねているのですが、比較的時間の余裕がある夏休みに、やりたいというお子さん向けに色々な算数パズルをすることを考えています。

通常のレッスンとは全く別で、ひとりひとりつきっきりで見せて頂くわけではありませんので、費用的にもできるだけ負担が少ない形で、頭の使い方を学んでもらう機会になればと、そんなことを思っています。

小さい子達の比較的簡単なパズル問題などでは、とりあえず適当にやってみて、ダメだったら消してまた適当にやってみて…ということを繰り返していてもそのうち解ける場合もありますが、簡単なものがある程度できるようになれば、とりあえずやってみるという方法ではさすがに大変そうだと感じ、では何か工夫できないかな?と考えるようになり、ここから見ていけばよさそうだなとか、あっちもこっちも見ていないとダメなんだなとか、その子なりに考えるようになってくれれば、その頭の使い方は正に算数などを学んでいく上で、この先ずっと役に立つものですから、大きな価値があると思うのです。

ただ、普段はレッスン時間が限られているので、時間制限なしに心行くまでパズル問題を…というわけにはいかず、なんとかできないものかしらと日頃から思っていました。

パズルが好きではないお子さんには無理にやらせてもあまり効果があるとは思えませんので、希望者でお時間が合えばという感じで考えていますが、アイデアがまとまりましたら、またご案内させて頂きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月11日 (水)

教えてしまえば気づけない

今日のレッスンでも感じたことですが、先に子ども達に解き方や考え方を教えてしまえば、こういう風に考える子どもの姿を見ることもなく、へぇ~、そんな考え方もできるのか!と新鮮な気持ちになることもないんだろうなと感じることがしばしばあります。

今日はある3年生の子がこんな問題を考えていました。
Aくんが持っているどんぐりの数は3で割ると2個あまり、Bくんが持っているどんぐりの数も3で割ると2個あまる場合、2人合わせたどんぐりの数は何個かを、4つの選択肢、39個、40個、41個、42個のうちひとつ選ぶというものでした。

それぞれいくつ持っているかは決められませんが、2人合わせていくつになるかは4つのうち3つの選択肢が成立しないという理由で答えを選ぶことができます。
考え方を説明すればすぐわかるでしょうし、説明しなくても気づく子もいるかもしれません。
また、どう考えていいか困っているような場合に、少し声掛けをしてあげることで気づくという場合もあります。

しかし、今日の子はそういう問題をしっかり考えられる子だったので、まずは様子を見てみることにしました。
すると、5、8、11…と3で割ると2余る数を書き並べ、「これ違うわ。う~ん、これもあかん…」などとブツブツ言いながら考えています。

それを見たとき、一体何をしているのかわからなかったのですが、とにかくその子はしっかり考えている様子で、ひとつひとつ考えた末、40個という選択肢をきちんと選ぶことができました。
恐らく、例えば39個なら、Aくんが5個ならBくんは34個、それだと1しか余らない。40個ならBくんは35個だから2余る。41個だとわり切れる、42個だと1個しか余らない。だったら40個かもしれない。
でも念のため、Aくんが8個だと…といくつか確かめてみて、40個を選んだのではないかなという感じがしました。

大人になってしまえば、こう考えたらいいのだとわかっているため、そういう発想は忘れてしまっていましたが、その子なりに考えて答えが出せた後で、「AくんもBくんも、持っているどんぐりを3人に配ったら2個あまるんやんね?じゃあ、AくんとBくんのどんぐりを合わせてから3人に配ったらいくつあまる?」と尋ねたところ、「4個あまる。あ、違う、1個あまる。」と言った後、先ほどの選択肢を見直して、「ああ~。」と言いました。

それぞれ2余るのであれば、合わせれば余りが1になるという考え方の場合はあらゆる場合を試してみる必要はありませんが、先ほどその子自身が考え付いた問題の場合は、選択肢である39~42個までの数について、全ての場合に当てはまるかどうかを確かめなければ、数学ではマルはもらえなくなるのだろうと思います。

ただ、教えられることなく自分でそういう考え方を思いつくことができれば、いずれ中学で証明を学ぶときなどに、偶数と奇数を足せば必ず奇数になるとか、連続する3つの数の和は真ん中の数の3倍になるとか、そういう問題を、全ての場合を確かめることは不可能だから、どうすればうまく説明できるかなという発想を自然と持つことができるかもしれないなとも感じました。

教えてしまえば子どもも私も気づけないこと、思いつけないことはきっとたくさんあるのではないかなと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月10日 (火)

成長

1年生の早い段階で算数につまずき、おうちの方もその子に分かるようにと色々考えられたようなのですが、目に見える変化がなく、うちに通ってくれるようになった子がいます。
一緒にレッスンさせてもらうようになり、じっくりその子を見ていると、確かに理解するのに長めの時間が必要だったり、やり方を覚えさせたわけではなく、きちんとその子自身が考えてできるようになったことでも、しばらく時間が経つと全くできなくなっていたりと、算数に関しては、本人の努力とは比例しない感がありました。

幸い、おうちの方も何が何でも勉強ができなくてはとか、算数が得意になってほしいとか思っておられるわけではなく、その子にはその子の得意なことやよいところがあるということをきちんと見てくださっているので、何としても得意になってもらわなくては!というようには私も考えてはいないのですが、算数や数学はまだ当分避けて通れませんし、少なくとも学校の授業で困らないぐらいになってもらえたらなと思ってレッスンをさせてもらっています。

そして、その子ももう3年生になったのですが、今回のレッスンで学校の授業でのことを話してくれました。
学校ではあまりのある割り算の学習が始まったようなのですが、教室では既に学習を終えており、九九を使って考えなさいとかいうようなことは一切言いませんでしたが、その子なりに考え方を見つけ出し、スピードはゆっくりながらも確実に正解できるようになっていました。

その子が聞かせてくれたのは、クラスのある男の子が、あまりが割り算の商より多くなることはないと言って、あまりのある割り算がうまくできなくて困っていたということでした。
例えば「30÷8=3あまり6」のような場合、商が3なので、あまりは3より少なくなければいけないとその男の子は言ったということのようです。
そして、その子が困っていたけれど、自分はあまりの方が多くなってもいいとわかっていたので、そうなってもいいんだと言ったと。そして、自分はちゃんと考えているからというようなことをニコニコしながら話してくれました。

この子が算数に関して、自分はちゃんとわかっているのだと笑顔で話してくれた姿を見て、少しずつかもしれませんが、算数に自信が持てることが増えてきたのかなと思えて、なんだかとても嬉しくなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月 9日 (月)

まだまだ知らないことばかり

今回の豪雨災害で被害に遭われた方々を思うと本当に胸が痛みますし、自然の猛威の前には人は本当に弱いものだなと改めて感じもしています。

そんな中、SNSでシェアされていた記事で初めて知り、とても感動したことがありました。
ある程度以上大きな川の上流にはダムがあるところが多いということや、ダムは水を貯めていて、川への水の流れをコントロールしているということは何となく知っていましたが、今回、京都の桂川が氾濫するかもというニュースと、日吉ダムがこれまで一度も使ったことがなく、一生使うことがないと考えられていた非常用ゲートから始めて放水したというニュースを別々に見ていました。

しかし、桂川が氾濫しなかった裏で、日吉ダムからの水の放水量を限界ギリギリのところまで調整し続けた方達がいらしたということを初めて知りました。
ダムが作られた際に定められた最大貯水量のレベルを超えても、降水量、その後の予報などを見ながら、ダムを決壊させない(それは最も最悪の事態なのだと思いますので)ギリギリのラインで、しかし桂川も氾濫させないで済むようにという闘いをしておられた方達がおられたということを知り、大きなダムというのはそこまで緻密な計算で貯水量や放水量をコントロールできるのかという驚きと、日々そういうことを管理しておられる方達がいるありがたさを感じました。(本当に分刻みで数センチ単位でのコントロールをしておられたようです。)

全く知らなかったので、ダムに対する見方が多いに変わりました。そして、こういうことを子どもの頃に知った子は、ダムへの興味を持ったり、そういう仕事をしたいと思うようになったりというようなこともあるのかもしれないなと。

色々なことを知り、経験することは、人生を豊かにしてくれるのだろうなと思います。
特に、人知れず、みんなのためにがんばってくれている方々のことを子どもの頃に知るというのは、生きていく上で大きな経験になることもあるのだろうなと感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月 6日 (金)

今日もレッスンはお休みにさせて頂きました。

こんなに雨が降り続くのはこれまで記憶にありませんが、本当に心配ですね。
何かあってからでは取り返しがつきませんので、今日、明日のレッスンは夏休みに振替をご検討頂くということでお休みにさせて頂きました。

今日以降お配りする予定だった夏休みのアンケートは本日郵送させて頂きましたので、どうぞよろしくお願いいたします。
皆さまどうぞくれぐれもお気をつけて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月 5日 (木)

皆さまお気を付けください。

今日は朝からずっと警報が出たまま、それもよくある「警報が出ているものの、結局大した雨も降らず…」というようなことはなく、生まれてからずっと神戸のこのあたりで暮らしている私もあまり記憶にないほどの雨ですね。

今日はレッスンをお休みとさせて頂きましたが、この分だと明日、明後日もお休みにさせて頂くことになりそうです。
今日から夏休みのアンケートをお配りする予定でしたが、今週は手渡しできないかもしれませんので、明日以降の様子を見て郵送させて頂くかもしれません。
お忙しいところ恐縮ですが、届きましたらご協力のほどお願いいたします。

これ以上の大きな被害が出ないことを祈っています。
皆様もどうぞくれぐれもお気をつけて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月 4日 (水)

思い込み

教室では色々な算数パズルなどにも取り組んでもらうことがあるのですが、図形に関する問題に不安があるということで、面積パズルや角度を求めるパズルのようなものを頭の体操的にやってもらっている子がいます。

算数や数学の問題で、中には敢えてバランスを変えた図を使い、ぱっと見た感じでは解けないようにしているものもありますが、図が複雑になってくると(例えば正三角形をわざと歪めて描いて、そのまわりに他の図形などをつけていくなどすれば、図が成立しなくなるようなこともあるので)おおよそ正しいバランスで描かれているものも少なくありません。

バランスが合っていそうな場合、解き方を思いつかないときや、時間が足りずとにかく何か書かなくてはというような場合には見た目で答えを書けば正解する可能性は多少あるだろうとも思います。
また、多くの場合、教科書で扱う問題やそれに準拠するドリルやワークブックなどの問題では、正しいバランスで描かれているものが多いので、なんとなく解けてしまうものも少なからずあるのかもしれません。

ただ、その感覚に慣らされていると、同じ長さだという条件が与えられていないのに見た目だけで長さを同じだと思い込んでしまったり、見た目でこれは直角だなと決めて問題を解き進めてしまったりということをしてしまう場合があります。
受験をしない小学生であればそれでも大丈夫かもしれませんが、中学受験をする場合、条件が与えられていないのに思い込みで解き始めるといつまで経っても解けないというようなことにもなりかねません。

図形に不安があるというその子は、算数自体はかなりいいセンスをしているのですが、その類のパズルを考えてもらっていると、何も書かれていないところを勝手に二等辺三角形だと決めていたり、長さが書かれていないのに、二等分されていると決めていたりということがちょこちょこ見受けられました。
「それ、同じ長さってどこにも書いてないよ?」「そこ、なんで30度って決まるの?」などと声をかけるたび、「え?違うん?」というその子に「見た目で解いたらダメなのよ。」と繰り返し言っているのですが、その感覚を身につけてもらえるのにどのぐらい時間がかかるかはわかりません。
それでも、この先数学へとつながっていくことを考えれば、しっかりと身につけておくべきことなのは間違いありませんので、気づくたび何度でも声掛けをしていこうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月 3日 (火)

「正解」はひとつじゃない

算数がメインのうちの教室では、教科の性質上、ほとんどの場合正解はひとつなので、いきなりタイトルと矛盾しますが、最近の世の中を見ていると、なんというか、自分と違う考えは間違っているかのような言動をする人は多くなっているように思えてなりません。

人はみんなそれぞれに考え方や価値観が異なりますので、自分と違う考え方や価値観に対して、何らかの抵抗を感じることはあるだろうと思いますし、親しい相手であれば、できるものならお互いが歩み寄るなり、相手か自分が変わるなりして、同じ考え方になれたらと思うこともあるかもしれません。

ただ、人それぞれに譲れないところはあるでしょうし、私自身はそういう部分が大きい人間なのではないかと思いますので、自分の考え方と明らかに違う考え方の人に対して、歩み寄れないこともあります。
ですが、自分と違う考え方に対して攻撃しようとは思いませんし、できるだけ、そういう考え方もあるんだなという受け止め方をするようにしています。

例えば、今回のワールドカップで、直前に何とも納得のいかない形で監督が電撃解任され、私が知り得たニュースや記者会見などからは、理由の説明を求めた監督に対して一切対応せず、それどころか監督を悪者にして、メディアまで巻き込んで笑いものにしたと私は感じていますが、ワイドショーなどでろくにサッカーを見たこともないであろう芸能人が前監督を馬鹿にして笑っていたりするのを目にし、私はその人たちが大嫌いになりました。

ただ、そのことに対して例えばインターネットなどを利用して攻撃したり、いわゆる「炎上」させたりしようなどということは全く思いません。私とは全く価値観の異なる人達なんだなと思うだけです。(もちろん、そういう考え方の人が向こうから「お前が間違っているんだ!」と攻撃してきたりすれば、恐らく言い返すだろうとは思いますが…。)
ではありますが、答えを導く方法はひとつではない場合がほとんどです。

これは一例ではありますが、なんというか、最近はそういう風に「自分とは価値観が違う人だな」とただ受け止めて、受け流すことができない人が少なからずいるように思えるのです。
そういう人が増えれば増えるほど、争いは増えますし、恐らく子どもの世界でのいじめも増えます。他者への寛容さがなくなれば、どんどん暮らしにくくなるだろうと思います。

これは全くの想像ですので、見当違いの可能性もありますが、子どもが学校などで学ぶ際、本来なら色々な考え方があっていいはずのものでも、教えられた通りにやらなければだめだとか、公式通りに当てはめて解かないとだけだとか、そういう教育をされ続けることで、「正しいことはひとつしかない」、「正しい方法に則らないやり方は認められない」、「みんなと同じようにできなければ失格」…そういった価値観を植え付けられてしまうこともあるのかもしれないと。

誰かにとってわかりやすい方法も別の誰かにとっては難しいという場合もあります。
同じ目的地に辿り着くためだとしても、急な坂道を登るのが好きな子もいれば、階段の方が好きな子、歩く距離が長くなっても緩やかな道を歩くのが好きな子もいるでしょう。
それぞれの好き、それぞれの得意を尊重し、お互いの弱い部分、苦手な部分は助け合っていける、そんな教育がとてもとても大事なのではないかなと、そんなことを思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧