2020年10月30日 (金)

考えることの大事さ

昨日のニュースで驚いたのが、最近活躍している若手俳優のひき逃げ報道でした。
咄嗟にパニックになって逃げてしまったと話していたそうで、いい悪いではなく、そうなってしまう人もいるだろうなと思いながら、被害に遭われた方達が命に関わるような事故でなかったのが不幸中の幸いだなと思っていました。
そして、その事故を目撃した70代の方が車で追いかけて、現場に戻るように諭されたという話には、咄嗟のときにそんな行動を取れるその方をとても素晴らしいとも思いました。

その俳優さんのことはテレビなどで見て知っているだけですので、事故直後に実際どんな状態だったのか、どんなことを考えたのかはわかりませんが、例えばそのときに、もし怪我をさせてしまった方達に思い及ばなかったとしても、逃げたら一層罪が重くなると考えられていたら、何より目撃者もたくさんいる状況で、逃げても逃げ切れるはずがないのだから、その場に留まるべきだと考えられていたら、逮捕されることにはならなかったのだろうと思います。被害者に思いが及ばず、自分の身を守りたいという気持ちの方が強かったとしても、その場に留まる方が得策だと、少し考えたらわかったのではと。(パニックだったというなら無理だったのでしょうけど…。)

テレビでコメンテーターの方が、咄嗟のときに人柄が出ると言っていたのですが、だとすれば尚更、普段から色々なことをしっかり考えられるようになっておくことがやはりとても大事なことなのではないかなと。

それにしても、活躍中でドラマや映画に何本も出ている俳優さんが、一瞬にして多くのものを失ってしまうという現実を見て、改めて車は怖いなとも感じました。

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2020年10月29日 (木)

教材作り

今日はレッスンはお休みでしたが、出勤して教材を作ったりしていました。
問題を作るとき、どう表現したらわかりやすいか、読み間違いをしないかなども気にしますが、そういう目で教材を見るようになってから、色々なことに気づくことが増えました。

今日も約分や通分のあたりの教材をいくつか見ていたときに、「分母の方が大きく、分子と分母の差が~で、約分すると〇/△になる分数を求めなさい」というような表現があったのですが、約分した時点で分母の方が大きいのに、問題文の中に「分母の方が大きく」と断る必要があるのかな?と気になりました。

昨日のレッスンで中3の子が持ってきていた円周角や平行線と比のプリントでは、円の直径にあたるところに線が引かれていたり、接線が描かれていたりするのに、それを使わずに考えようとして悩んでいるものがあって、問題を解くのに使う必要がないのなら、わざわざ直径に線を引いたり、接線を引いたりしないんじゃない?と声を掛けましたが、こういうことも、慣れはもちろんあると思いますが、子ども自身が問題を作る経験をしてみたら、案外色んな気づきがあるのかもしれないなと思いました。

算数パズル系の問題を作っているときに、興味がある子は問題を作ってみるのもいいんだろうなとよく思います。

勉強は習って分かったつもりになっていても、人に説明できないということもあるので、人に教えることが自分にとっていい勉強になるというような話はよく聞きますが、色々なことについて、普段自分が身を置いているのとは反対の側を経験してみることで学べること、気付くことは多いのかもしれませんね。

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2020年10月28日 (水)

期待させるわけではなく

今日の中学生のレッスンで、中3の子が以前に話していた志望校より下げた学校の名前を口にしました。
そして、元々の志望校はがんばれば無理ではないと言われているんだけどという話も付け加えたので、今の時点で志望校を下げるのはお勧めできないという話をしました。
もちろん、例外はあると思いますし、子どもの性格などにもよるかもしれませんが、少なくとも今の時点ではまだ願書を出すどころか、内申書すらまだこれからという段階なのに、今の時点でまず大丈夫だろうと言われるところを目標にしてしまうと、気持ちが緩んで、最終的にそこにさえ届かなくなる可能性が高まると考えられます。(これは一般にもよく言われていることですが。)

まだこれから内申書の関係する試験が残っていて、更には入試まで勉強できる期間も4か月前後あるわけですから、元々の志望校を目指して努力して、もしギリギリになっても不安が残るようであれば、その時点で志望校を下げることはいくらでもできるわけで、そういう話も伝えました。

すると、うちでは数学しか見ていないので、その子は別の塾にも通っているのですが、その塾の先生が、自分ではない別の生徒に対して、その子の成績では志望校は「絶対無理」で、その子が希望していないそれより偏差値の低い公立校を名指しして、「お前はそこしか無理」と言ったのだと言いました。
詳しいことはわからないものの、話を聞く限りではめちゃくちゃ高望みをしているという感じではなく、先生がそこしか無理といった学校よりは少し上の学校を希望しているようでした。
それなのに、今の時点でそこまで断言してしまうのは、その先生はその子のことや学校での評価などをどれだけ把握しておられるんだろうと思いました。(大手の塾ではなく、個人塾のようなのですが。)

もちろん、ほぼ望みがないのに大丈夫というのは無責任ですし、本当に子どものためを思っているのであれば、時には厳しいことをいう必要もあるかもしれませんが、子どものことを思っているのであれば「絶対無理」だとか、「そこしか無理」だとかいう表現にはならないのではないかとも思ってしまいます…。
私の知らない子ではありますが、その子が傷ついたり、やる気を失ったりすることがなければいいなと思います。

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2020年10月27日 (火)

親心は想像しかできないけど

私は親になる機会のないまま年を重ねてしまいましたので、親心というのは想像するしかできません。
自分のお腹をいためて生んだ子どもというのは、私が教室の子達をどれだけ大事に思ったとしても、比べ物にならないのだろうということもわかっています。
きっと、よその子だったら穏やかに見ていられることも、我が子になるとできないということもたくさんあるんだろうなということも、これまでの経験で想像してもいます。

子育ては常に何かと比較してしまいがちなものなのだろうとも思いますので、言葉を話し始めるのが人より早いとか遅いとか、歩きはじめるのが人より早いとか遅いとか、色々なことでやきもきしたり、安心したり、そういうのが親心なのだろうなと。そして、そうやって子育てをしておられる方達を本当に尊敬もしています。

ひとりひとり大切なお子さんだということはよくわかっているつもりなので、教室に来て頂くからには、私がその子にとってよいと思えることしかしないつもりで、これまでずっとやってきています。

随分以前のブログにも書いたことがあるように思いますが、勉強は何のためにするのかという問いがあるなら、それは「幸せになるため」なのではないかと思っています。もちろん、「幸せ」の定義は人それぞれ異なりますので、偏差値の高い学校に入ることが幸せだと考える人もいるかもしれませんし、お金持ちになれば幸せだと思う人もいるでしょう。(因みに、個人的には幸せかどうかは「心が満たされるかどうか」によるのではと思っていますが。)
ただ、人によっては、自分の幸せのためには学校での勉強は特に必要ないという人もいるかもしれませんし、何か夢や目標が明確にあって、そのために学校での勉強が必要ないという人は、別にしなくてもいいのではと、割と真剣に思っています。

偏差値の高い学校に入るために子どもの頃から必死で勉強して、難関大学を卒業して、人から尊敬されるような仕事に就いても、幸せではない人というのは少なからずいるのだと思いますし、勉強はあまりできなかったし、多くの人からは評価されないような仕事に就いていても、幸せな人も間違いなくいると思います。

うまく言い表せませんが、どれだけ勉強ができるかという物差しは、他者との比較になりがちで、自分を卑下したり、人を見下したりということにもなりかねません。ですが、目の前の課題をしっかり考えてクリアし、それを積み重ねていくという学びは自己完結できますし、安心感や満足感を得ることもできます。
そういう意味でも私はこれからも、後者のような学びを、子ども達をしていきたいと思っています。

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2020年10月26日 (月)

見えそうで見えない

パズル教材を作るとき、答えがひと通りに決まるかどうかは、問題を作ってから自分で解いて確認しなくてはならないのですが、計算系の問題であれば、作って、どれだけヒントを入れるかなどで調整することができるものの、道を作るとか、ナンバーリンクのような問題などの場合、答えが何通りもあっていい(もしくは、何通りもある可能性があっていい)のであれば、いくらでも簡単に作れる反面、ひと通りしかできないようにとなると、どう決めればいいのかがまだ「これだ!」というものがつかめていません。

空間認知能力が高く、バリバリの理系の方ならあっさりきまりなどがわかるのだろうなと思いつつ、この見えそうで見えないもどかしさを突き詰めるには、気合いと集中、根気など、今の自分にはなかなか難しいものが必要と思われるので、問題作成もなかなか捗らずのオフでした。

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2020年10月24日 (土)

早いですね…。

10月も残すところあと1週間。来週は年間予定で29日から31日までは通常レッスンがお休みになります。
元々フットワークは極めて重い方ですが、コロナ禍でなければ、カレンダー的に29日から11月2日までは5連休の予定だったので、年度末に年間予定を立てるときには、数年ぶりにどこかに行こうかなと思ったりしていました。
それがまさか、今でもまだ収束せず、欧米などでは再流行、それも、国によっては第1波より感染者の増え方が激しいところもあるようで、どこかに遠出する気にもなれず、31日には振替でレッスンを入れることにもしました。

今のところ、県内ではある程度落ち着いているようではありますが、寒くなってきましたので、まだまだ安心はできませんね…。
子ども達にもマスクの着用を継続してもらっていて気の毒ではありますが、お互いが着けていることで、万が一のときに感染を防げる可能性が高まるのは確かだと思いますので、ご理解のほどお願いいたします。

 

 

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2020年10月23日 (金)

反応の違い

教室ではできるだけ言葉での説明はせず、子ども自身に気づいてもらえるように持っていくことを心がけているため、例えば筆算などでも、どこに何を書くとか、どういう手順でするとかいうようなテクニック的なことを教えるのではなく(それに関してはいずれ学校で習うわけですし)、できるだけ、何を計算しているのかをきちんと意識してもらえるようにしています。

今日のレッスンで、ある2年生さんに掛ける数が1桁の掛け算の筆算をしました。
掛け算の筆算も導入のときには、例えば、23を4段重ねにしたり、85を7段重ねにしたような足し算の筆算を何問か解いてもらった後で、足し算の筆算を掛け算の筆算で表すという流れで考えてもらうようにしています。
足し算の筆算は、たとえ5段重ねだろうと8段重ねだろうと、きちんと繰り上がりも書いて、1問もミスなく解いていたので、その後かけ算の筆算に移ったところ、初めのうちは大丈夫だったのが、途中から掛ける数と掛けられる数を足してしまったり、十の位は掛け算しないまま足してしまったり、次々とおかしくなり始め409×7という問題では、初めは63と2800の位のズレに気づかず、63と280と思ってしまってミスをし、もとの数より小さくなっているからそんなはずないよね?と言って様子を見ていたものの、次にはどう考えたか全くわからないような答えになってしまいました。

そこで、409を7段重ねにした足し算の筆算を書いて考えるようにいうと、まだ九九を覚えていないので多少時間はかかったものの、正しい答えが出せました。
理屈ではわかっていても、目に見える状態で409が7回書かれているものと、409×7とでは、小さい子達にとってはすんなり同じようにイメージすることは難しい場合もあるのだなということを改めて感じました。

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2020年10月22日 (木)

超人??(笑)

今日のあるレッスンでのこと。
レッスンの初めにしてもらう教具を使う課題のひとつで、いくつかある難しい問題のひとつに苦戦していた子がいました。かなりあれこれ考えていたものの、なかなか完成しないので、来週のレッスンが5週目でお休みになることもあり、途中で一旦切り上げてもらうことにしました。
そのときに、「それ難しいからねぇ。私も前にやったけど、答え覚えてないからもう一回やってみるわ。」と言ったときのことでした。

覚えていなくても、答えは冊子の後ろにあるものだったので、見れば分かるのですが、基本的には答えを見てからやることはありませんし、過去にできたとしても、それを全て暗記しているなんてことはありません。(それでなくても年々記憶がボロボロになっていますし…。)

しかし、「答え覚えてないから」と言った瞬間、隣にいた子が突然「うそ、覚えてへんの?」と驚いたように言いました。
その言葉に私の方が驚いて、「え?そりゃ全部覚えてられへんやん?プリントのマル付けとかも全部その場で考えてるよ?もしかして、全部覚えてるって思ってたん?」と尋ねると、2人して「うん、思ってた!」とのこと。

もちろん、何度も見ている教材等は答えをなんとなく覚えているものもありますし、自分で作ったプリントなどは、こういう答えになるように作ったはずというように覚えているものもありますが、膨大な量の教具やプリント、ワークブックなどの答えを全て記憶し、更にはその都度的確に頭から引っ張り出せるなんて、もっと若い頃であっても、当然私には全く不可能です。

「そんなことできると思ってたん?そんなん超人やん??」というと、それでも「先生はそうなんやと思ってた」と。

……。ごめんね、全くそんな能力のない凡人で…。
ちょっと穴があったら入りたい気持ちになりました。(苦笑)

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2020年10月21日 (水)

もっとフレキシブルになればいいのに

教室に来てくれる子どもたちを見ていると、少なくとも算数、数学に関して、学校で習うことぐらいなら軽々とこなしてしまえる能力の子もいれば、一所懸命がんばっているのに、思うほどの成果につながらない子もいます。ただ、思うほど成果が出ない子でも、学校の進度などを気にせず、ペースをゆっくりにしてひとつひとつ理解していけば、それがしっかり身につくというタイプの子もいます。

現状の日本の学校制度では、何年の何月生まれからは何年生という線引きがされていて、基本的には飛び級もなければ、特別な事情がなければ入学時期などを遅らせるということもないのだと思います。

一緒にレッスンをしながら、得意だからどんどん先に進んでいくという子はいいとして、学校の進度を考えなくていいのであれば、もっとひとつひとつその子がきちんと理解して、満足しながら進んでいけるんだけど…と思う子を見るたび、それぞれの子の得意不得意、好き嫌いは異なるのだから、もっと柔軟に選択できる仕組みがあればいいのになと思ってしまいます。

日本では例えば大学卒業時にすぐ就職せず、特別な理由もなくブランクがあって就職するような場合、それだけで就職が不利になるというようなことがまだたくさんあるようですが、人生80年、100年などと言われるようになっていることを考えると、みんながみんな22歳や23歳で就職しなければ、不利になるシステムというのもかなり時代にそぐわないものになってきているのではとも思います。

もちろん、能力の高い人(勉強ができるという意味ではなく)は、学歴などに関係なく、自分で起業したり、何らかの道を見つけて進んでいきやすい時代になってきてもいるので、人によってはよい時代になっているのだと思いますが、色々変えていかなくてはいけないのではと思うことはありますね。
とにかく、ひとりでも多くの子ども達が将来に希望が持てるような社会になるといいのですが…。

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2020年10月20日 (火)

手が動く安心感

教室の子達とレッスンをしていると、私もこのぐらいの頃からしっかり考えて算数や数学をしていたら、もしかしたらもっと違った人生を歩んでいたかもしれないなと思ったりすることがありますが、私立中学に通う中3生は、随分前からとっくに高校数学の内容に入っていて、このところずっと数Ⅰや数Aをしています。

自分の高校時代には、教えられたことを覚え、当然のように公式は丸暗記し、それに当てはめて解くということしかできていなかったので、考えると言えば「これはどうやって解くんだったかな?」と記憶を呼び起こすというのがメインだったように思います。
しかし、もう十数年、まず考えるということを積み重ねてきたことで、すっかり忘れきっていた数Ⅰや数Aも、まず問題を見て考えるのが当たり前になり、その結果、ほとんど全てを忘れていても、考えれば解ける問題がかなりたくさんあることが分かりました。

一緒にレッスンするようになった当初は数学がキライで、とにかく面倒だから、マルになればそれでいいというタイプだった子が、段々と考えてくれるようになり、今週のレッスンでは二次関数をからめた二次不等式などをしていたのですが、見ていると、何も言わなくても簡単なグラフを描き、条件に当てはまるのがグラフのどの部分かを目で確かめ、それを見ながら答えを出していくので、なんとも嬉しく、頼もしく思いました。

完全に大人になって、高校数学に関しては習ったことを全て忘れ切っているような状態であっても、それまでの内容をしっかり考え、意味を理解したことで、こうすれば解けるのでは?と考えられる範囲が広がり、実際に数Ⅰ・数A程度であれば、覚えなければどうしようもない用語や、証明が面倒な定理などを除けば、大半を解くことができるとわかりましたので、子どもの頃からそうやって学んでいる子達であれば、もっと容易く高校数学も乗り切っていけるのだろうなと思います。

みんなが数学ができなければいけないわけではありませんし、高校、大学に行かなくてはいけないということでもありませんが、できることが増えると、それだけ選択肢が広がるのは確かですし、何より自分でしっかり考えられるということは、生きていく上でとても大切なことであるのも確かです。
そんな子がひとりでも多く増えていってくれるといいなと思っています。

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