20年前の投稿と余談
先日兄が言っていたのですが、一部の若者の間で例えば、「1万強、1万弱」という言葉の使い方が変わっていると。
兄の関わる狭い世界だけのことと言う可能性はあるものの、どういうこと?と聞いてみたところ、例えば10200は1万に近いから1万弱、10800は11000に近いから1万強だというのだと。
いや、いくらなんでもあり得ん…。
そもそも、11000に近いからという判断も滅茶苦茶ですよね?1万に近いか、2万に近いかで弱か強かというのならまだしも…。(いえ、それでもあり得ないですが…。)
本当にそんな考え方で使っている若者がいるんでしょうかね?
そして、以下、20年前の投稿。
最近、色々なパズル問題を考えています。
もともと、パズルは全般に好きで、具体物を使うジグソーやタングラムなども好きですし、ペンシルパズルはイラストロジックにはまったり、ナンバープレイスにはまったり、その後仕事で相当の数の論理パズルや数字に関するパズルその他色々を解いてきました。
しかし、最近は、少しずつですが自分でも問題を作ってみています。すると、これまで気づかなかった作り手のルールみたいなものが垣間見えてくることがあります。
例えば、ナンバープレイス(数独)なども、これまでは自分では解いたことしかありませんでしたが、実際作ることを考えると、新たなルールを発見するのです。
なんだ、こういう規則で作られているのかとか、ものによってはそれに気づくことで、今後問題を解くときに圧倒的に役に立ちそうな発見もあるのです。
で、これっていうのは、何もパズルに限ったことではないのでは?と思いました。
算数や国語で何かを習ったとき、実際に自分で問題を作って誰かに出してみるなんてことをすると、受身で解いていたときには気づかなかった発見があると思うのです。
例えば、国語でよくある例ですが、「15字で抜き出せ」という出題なら当然ぴったり15字ですが、「15字以内で抜き出せ」という出題で答えがぴったり15字になる可能性は高くありません。
なぜかと言えば、ぴったり15字で収まるのであれば、わざわざ出題者が「以内」という言葉をつけることはあまりないことだからです。
その考え方でいくと、20字以内でとなっている問題の答えが15字以内に収まるということもやや不自然です。
作り手の側に意識が及べば、もっと問題を解きやすくなる。それはきっと多くの指導者がわかっていることでしょうし、そう指導している方も多いに違いありません。
ですが、受身である子ども達は、今ひとつそれを実感するところまで至らないことも少なくないのではないでしょうか。
もちろん、問題を作ること自体ある程度の能力を必要とするのかもしれません。
それでも、子どもにやらせてみる価値はあるかもしれませんね。ふとそんなことを思いました。
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