7月もおしまい
今日はレッスンはお休みだったので、色々時間を有効に使おうと思っていたのですが…。
明日からはもう8月。のろのろしていたら、あっという間に今年が終わってしまいそうです。
自分が子どもの頃のことを振り返っても、学校でそんなことは教えてくれなかったよなと思ったのが単位の話。
少なくない子ども達が、1㎞が何mかとか、1Lが何mLかなどの単位換算で迷いますし、例えば1mが100㎝は割とすんなり出てきても、1mが何㎜かは1mが100㎝で、1㎝は10㎜だから…という順を辿って1000㎜という答えを出したりします。
かく言う私自身も、1mが何㎜かというのは、子どもの頃は同じように考えていましたし、教室の子達にも覚えなさいということは最低限しか言わないので、忘れてしまったら同じような順で尋ね、答えを導いてもらうこともあります。(その子がしっかり覚えていることを使って考えるということで。)
自分が教わったことがなかったので、意識したこともなく、大人になって、ああ、ただ単にそういうことだったのかと理解したのが、「ミリ」というのは1000分の1、「キロ」というのは1000倍、因みに、滅多に出番のない「デシ」は10分の1ということを表しているということでした。
キロといえば、kg、㎞のほかに、小学校では習わないものの、kL、KB(キロバイト)など、それらは全て、「k」の後ろの単位のものの1000倍、ミリといえば、㎜、mL、mgなど、それらは全て、「m」の後ろの単位のものの1000分の1というだけのこと。
それさえ覚えていれば、迷うことはありません。それなのに、小学校でそれを教えてもらった記憶がないんですよね…。
単位表みたいなものはあった気がするので、それを見て、説明してくださる先生がいたら、単位換算に苦手意識を持つ子が少しは減るのではないかと思ったりします。
もしかしたら、今は教えてもらっているのかもしれませんが、どうせ単位自体覚えなくてはいけないものなのであれば、単位のルール自体をきちんと教えてしまえば、迷う必要もないですよね。
先日兄が言っていたのですが、一部の若者の間で例えば、「1万強、1万弱」という言葉の使い方が変わっていると。
兄の関わる狭い世界だけのことと言う可能性はあるものの、どういうこと?と聞いてみたところ、例えば10200は1万に近いから1万弱、10800は11000に近いから1万強だというのだと。
いや、いくらなんでもあり得ん…。
そもそも、11000に近いからという判断も滅茶苦茶ですよね?1万に近いか、2万に近いかで弱か強かというのならまだしも…。(いえ、それでもあり得ないですが…。)
本当にそんな考え方で使っている若者がいるんでしょうかね?
そして、以下、20年前の投稿。
最近、色々なパズル問題を考えています。
もともと、パズルは全般に好きで、具体物を使うジグソーやタングラムなども好きですし、ペンシルパズルはイラストロジックにはまったり、ナンバープレイスにはまったり、その後仕事で相当の数の論理パズルや数字に関するパズルその他色々を解いてきました。
しかし、最近は、少しずつですが自分でも問題を作ってみています。すると、これまで気づかなかった作り手のルールみたいなものが垣間見えてくることがあります。
例えば、ナンバープレイス(数独)なども、これまでは自分では解いたことしかありませんでしたが、実際作ることを考えると、新たなルールを発見するのです。
なんだ、こういう規則で作られているのかとか、ものによってはそれに気づくことで、今後問題を解くときに圧倒的に役に立ちそうな発見もあるのです。
で、これっていうのは、何もパズルに限ったことではないのでは?と思いました。
算数や国語で何かを習ったとき、実際に自分で問題を作って誰かに出してみるなんてことをすると、受身で解いていたときには気づかなかった発見があると思うのです。
例えば、国語でよくある例ですが、「15字で抜き出せ」という出題なら当然ぴったり15字ですが、「15字以内で抜き出せ」という出題で答えがぴったり15字になる可能性は高くありません。
なぜかと言えば、ぴったり15字で収まるのであれば、わざわざ出題者が「以内」という言葉をつけることはあまりないことだからです。
その考え方でいくと、20字以内でとなっている問題の答えが15字以内に収まるということもやや不自然です。
作り手の側に意識が及べば、もっと問題を解きやすくなる。それはきっと多くの指導者がわかっていることでしょうし、そう指導している方も多いに違いありません。
ですが、受身である子ども達は、今ひとつそれを実感するところまで至らないことも少なくないのではないでしょうか。
もちろん、問題を作ること自体ある程度の能力を必要とするのかもしれません。
それでも、子どもにやらせてみる価値はあるかもしれませんね。ふとそんなことを思いました。
自分で教室を始める前は塾に勤めていた時期もありましたが、その時期も含め、一緒に学んだ子達は、今頃どうしているんだろうなと思うことがあります。
中には今もSNSなどで細~く繋がっている子もいますが、教室を始めてからだと、うちの教室の性質上、多くの子が小学校高学年になる頃には転塾していくので、その先のことを教えて頂けるとしたら、保護者の方からのご連絡になることが多く、さすがに小学校低学年の頃に通っていた教室にその後の進路などを教えてくださるということは限られているので、ふとした折に、あの子はどうしているかなぁとか、今はいくつになってるのかな?もう結婚しているかもしれないなとか思うことがあります。
私のことは忘れてしまっても、子どもの頃に自分の頭でしっかり考えて分かる気持ちよさ、大切さをしっかり身に着け、その後の人生に活かしてくれていたらいいなぁと、それは強く思います。
教室を始めてしばらくは年少さん、年中さんともレッスンさせて頂くことがあり、やっぱりそうなんだなと実感する機会が結構あったのですが、その後主に年長さん以上を対象とさせて頂くようになり、しばらくそれをしみじみ実感する機会がなかった「3までの数」「5までの数」の認識の段階を、ここ最近改めて実感させてもらう機会がありました。
1年生さんで、学校の算数で困り始めておられるというお子さんが体験レッスンに来てくれました。
1年生ですが、初めての体験レッスンですし、お困りとのことだったので、5までの数が認識できているか、目視ですぐ5までの数がとらえられるかを確かめさせてもらいました。
サイコロや積み木などをパッと見せて答えてもらったのですが、4までははっきり答えられるのに、5になると途端に声が小さくなり、「4?5?」とこちらの顔を見てきます。
この状態で10までの計算や20までの数の学習が入ってくると、それは困り始めるだろうなと、体験では5までが認識できるよう教具を使って色々させてもらいました。
その後、1回レッスンをさせてもらったのですが、体験の1回で既に変化が見え始めたと伺っていて、実際にレッスンをしても、明らかに反応が変わってきていました。
こんなにあっという間に変わるということは、これまで5までを意識する機会がなかったというだけのことなのだろうと思います。
それでも、そこがきちんと体感できなければ、そこから先は訓練で身に着けるような状態になってしまうこともありますから、早目のタイミングで来てくれてよかったなと思っています。
更に、先日、お勉強は何もしていないという状態の年中さんと体験レッスンをさせてもらったのですが、こんどは3まで把握できていても、4になると答えられない。
その差はとてもはっきりしていて、1、2、3はニコニコ大きな声で答えられるのに、4になるとピタッと止まり、3より1多いというとらえ方もまだできず、「1、2、3、4」と1つずつ数えて確かめるということを繰り返します。
5ももちろんまだとらえられません。
大人になってしまうとそんなこと意識もしなくなりますし、3も5も10も同じようなものでしょ?と思いがちですが、数の把握にはまずは3まで、次に5まで、そこから10までという段階があるというのは間違いないようです。
もちろん、それを把握できるまでの個人差はあると思いますが、その段階を経ずに大きな数を把握できるようになるということはないのかもしれません。
昔々、数を数えるというときに、1、2、3の次は「いっぱい」だったというような話を聞いたことがありますし、漢数字でも1から3までは棒の数なのに、その先は文字が複雑になります。
ローマ数字も1から3は棒の数なのに、4は5より1少ないというような表し方をするようですから、4よりは5の方が把握しやすいということなのかもしれません。
小さい子に算数などを学ばせたいと思われるときには、まずは3まで、それがパッと把握できるようになってから5まで、そして10までと、段階をしっかり経て取り組むことが大事なのではないかと思います。
今日のレッスンも、夏休み序盤だからか、普段なら睡魔と戦う子も全く眠くならず、難しい問題で煮詰まっても、どう考えたか尋ねたら答えてくれるし、とてもいい感じでレッスンができました。
それを思うと、やはり学校で4~6時間授業を受けてからだと、かなり消耗するということですよね…。
私は自分では塾に通ったことがないので(小学生の頃は完全下校の時間まで運動場を走り回っているような子どもでしたし、中学生では部活の後に塾なんて絶対無理!と思っていましたし、高校では、日々の予習復習でいっぱいいっぱいで、塾や予備校に行く余裕なんてありませんでしたので…)今の多くの子達はすごいなぁ、えらいなぁと思います。
ただ、体力があまりない子などは、早くから塾などに通わせても、あまり効果が得られないということもあるのかもしれないなと思います。
酷暑日という言葉を作った途端、この夏は40度越えの日が続いているようで、神戸でも体温より高い発熱状態の気温。
家のドアを開けて外気に触れた瞬間、気が遠くなりそうになります…。
こんな中、スポーツをしたり、屋外のレジャーを楽しんだりされる方たちは、本当に本当に気を付けてくださいね。
暑さで消耗し、なかなか集中も続かず、この夏は高齢者でなくても、冷房なしでは本当に命に係わる気がします。
今日のレッスンの子達は日焼けしていたものの、学校がお休みになって体力に余裕があるのか(長期休暇の初めの方は多くの子が割と調子がいいのです。)、まずまずいい感じでレッスンに臨んでくれていましたので、ひと安心。
よく寝てよく食べて、バテないよう気をつけたいですね。
最近は、といっても、もう随分前からですが、分からないことがあればインターネット検索をすれば、正誤の判断は別として、大抵のことはすぐ答えが見つかるようになりました。
更には、近年AIの発達で、曖昧な質問でもそれなりに答えが見つかるようにもなってきて、今後は、知識を覚えることよりも、正しい答えを導く方法、正しいかどうかを判断する方法を身に着けることが大切になっていくのだろうとも思います。
さて、真面目な話はさておき(いや、むしろ余談を「さておく」べきな気もしますが…)今日は検索して思わず感心してしまったことが。
ここ2~3日、片頭痛がしていて、治まらないので痛み止めを飲んだりもしたのですが、今日もまた目覚めてほどなく頭痛を感じ始め、同じあたりに痛みを感じるので、気になって検索してみました。
すると「片頭痛 左後頭部」と入れただけなのですが、出てきた答えに思わず苦笑してしまいました。
ものすごく心当たりがある…。とりあえず深刻な話ではなくてひと安心するとともに、反省もしました。
しかし、そうか~、そんなピンポイントで原因と思われるものが分かるんだなぁと、体の不思議というか、神秘というか(痛みの原因は完全なる自業自得ですが…)体ってすごいなぁと思いました。
今日はほぼ仮眠せずにワールドカップ決勝を見届けてしまったため、かなりの寝不足で頭が働いておりません…。
3連休は暑すぎるほどのお天気だったので、レジャーのご予定があった方はお疲れが出ませんように。
明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。
恐らく20年近くチラシというものを作っていなかったので、その間に時代はどんどん進み、こだわりさえなければ、サイトのテンプレートから選んで文字などを変えるだけというような作り方もできるようなのですが、これまた変なこだわりがあり、更には、一般的な塾や教室のように、子どもが机を並べて学んでいるとか、楽しそうに手を挙げているとか、そういうのも違うし、かといって、ピアノや絵画などの習い事とも違うので、使えそうなテンプレートというのもなかったりして、結局自力で考えることになり…。
しかし、そうなると、私がどうにかこうにか使えるのはWordとExcelなので、それで自力でできることをするとなると、がんばって考えているのですが、気づけば昭和臭が…。
お若い保護者の皆さまは既にご存知ないかもしれませんが、その昔、インターネットが電話回線だった頃、画像1枚表示するのにものすごい時間がかかったり、表示できなかったりなどということも多々あったのですが、そんな中でもサクサク表示されると有名だった阿部寛さんのホームページ。なんと、今でも変わらず、めちゃくちゃ昭和臭(といっても、正確には平成初期とかなんですよね、多分。私がインターネットを始めたのは平成になってからですし。)がするのですが、なんというか、私が自力でできることをすると、どうしてもそのにおいがプンプンするのです…。
とはいえ、まあ、それが私の教室ということなのかもしれませんので、どうにか形にせねばと思っていますが、今日はまだ完成できそうにありません…。
今日は多くの子達が終業式。
今年はカレンダーの加減で終業式翌日から多くの方が3連休のようですので、この週末は色々ご予定がある方も多いのかもしれません。
とはいえ、元々出不精の上、2年前からは日々実家に通うのが日常になっているので、私にとってはいつもの休日というところでしょうか。
完全に予定をずれ込んでいるチラシもこの連休明けには何とか…と思うものの、暑さでバテ気味でどうなりますやら。
しかし、最近の自分のがんばれなさでは、子ども達にしっかりがんばって考えなさいとは言えないなぁと自己嫌悪に陥りつつあります。
親は子どもと違って、時が経つにつれ、できないことが増えていくので、もう少しうまく自分の気持ちを切り替えたり、リセットしたりできるようにしなくてはというのが目下の目標でしょうか。
元々、自分で教室を始めるより遥か前、勉強が分かるようになりたいという子達と一緒に学びたいなぁと思っていた頃があり、昔でいう寺子屋のようなイメージ、いや、ちょっと違うかもしれませんが、子ども達が来たいときに来て、分からないところを解決し、帰りたいときに帰るというような教室がしたいなぁと思っていました。
ただ、それをうまく形にできそうになく、また、おうちの方たちの送迎が必要な場合、そんなぼんやりした枠組みで通ってもらえる気もせず、ちょっと違った形ながら、やりたいと思える教室を始めることができたのが二十数年前。
今新たに始めたいと思っていることは、昔の夢により近いのかもしれないと思いつつも、形にするのは相変わらず難しそうではあります。
しかし、手探りながらもなんとか進まないとなと思っています。
このところ、疲れが溜まってきているのか、子ども達がいない時間帯に教室でさえ眠気に襲われることがあったり、自宅ではしばしば転寝してしまったりで、なかなかぐっと集中することができず、チラシもまだ形になっておらず…。
にも関わらず、明日には終業式が!子ども達はもう夏休みですね。
色々しなくてはいけないことを忘れていることに気づき、焦ったりしていますが、眠いのは私だけではないようで、今日のレッスンでも子ども達が睡魔と戦っていました。(苦笑)
普段しっかり考えられる子でも、眠気には勝てない。眠いと全くというほど考えられなくなるというのは、これまで何度も目にしていますので、子どもだけでなく、自分自身も睡眠は大事だなと思います。
しかし、もう夏休みになるのか…。今更ながら焦ります…。
今日もまた仕事とは関係ない話ですみません(汗)
今日は父の祥月命日で、日曜に三回忌の法要は済ませたものの、仕事の前にお供えを買って実家に寄ろうと、自転車で家を出て、2軒お店に寄り、実家に寄って、自転車を置いて最寄り駅に向かって歩いていました。
実家からJRの最寄り駅までは徒歩15分ほどかかるのですが、歩き始めて5分ほどで携帯が鳴り、それと同時に定期入れがないことに気づきました。
携帯には最寄りの警察署の名前が表示されており、え?何?詐欺電話?いや、登録してなきゃ出ないな、母に何かあった?でも母はデイサービス…と瞬時にあれこれ考え、出なきゃと思った瞬間、定期入れがないことに気づいたもので、「こちらは〇〇警察です」と女性がしゃべり始めたと同時に、咄嗟に「私、定期入れ落としてますね」と言ってしまいました。(汗)
その用件かどうかも分からない上に、冷静に考えたら、私が移動した道程を考えると、既に落とし物として警察署まで届いているのはいささか早過ぎるのに、あほやん、私…と思いましたが、正に用件はそれでした!!!
定期入れにはICOCA定期のほかに某スーパーのカード、某所のカードキーともしもの時のために少しばかりのお金などが入っており、すぐにでも取りに行かねば!!と思ったのですが、受付が16時までと。電話を頂いた時点で残り数分。ワープでもしない限り無理だったので、今日は泣く泣く諦め、切符を買って出勤し、帰りも切符を買って帰らねばなりません…。
中身がまだどんな状態か分かりませんが、そして、なんでそんなにすぐに警察署まで(道程を考えると、普通なら最寄りの派出所に届けそうですし、徒歩だと30分はかかるのではという距離感。)届いたのか、おまけになぜ私の携帯番号が分かったのか、色々謎過ぎますが、落としたことに気づいたと同時に、警察署に届いていると分かったのは、ある意味奇跡だなと。
明日はさっさと支度して取りに行きたいと思います。
拾って届けてくださった方、本当にありがとうございました。
因みに、定期入れはリールがついているタイプのもので、これまでも、使っているうち恐らくリールの金具が削れて緩んで落ちてしまうということが何度かあり、リールを何度か買い替えているのですが、もう今度こそリールの形状を変えるか、リールを辞めるか考えねばと思いました。
あまりおられないかもしれませんが、おしゃれなタイプのリールを定期入れなどにつけて、カバンにぶら下げている方はお気を付けくださいね。
機械オンチの私にはますます恐ろしい世の中になってきているんだなと感じた出来事がありました。
今日の日中、X(旧Twitter)を見ていたところ、昨日のあるニュース番組で日銀総裁とひろゆき氏が対談をして、対談途中で日銀総裁が席を立ってしまい、その後、世界的に有名な経営者の方ともつないで、ある投資の話題をしたと。しかし、放送終了後、ひろゆき氏が逮捕されたという投稿が、動画付き(そのニュース番組のスタジオ、キャスター、日銀総裁、ひろゆき氏、経営者の方の映像)であがっていました。
投資に関する話題だったのですが、そんなことで逮捕されるの?日本ってそんな国なの??とちょっと怖くなり、ちょっと検索してみたら、ひろゆき氏は何事もなくXに投稿しており、もう少し検索したところ、その動画は詐欺広告で、架空?の投資話で詐欺サイトにアクセスさせるためのものだという投稿を見つけました。
じっくり見たら何か違和感があるのかもしれませんが、スマホの小さい画面では、全員本人の映像に見えましたし、検索しなければそのまま信じていたかもしれません。
これはほんの一例で、きっと、ますます巧妙にしくまれた偽情報、偽動画が増えていく時代なんだなと、ぞっとしました。
ITなしには暮らしが成り立たないような世の中になっていますが、一層警戒心を持って、怪しいものは必ずきちんと確かめるということが大事になるんだろうなと感じた出来事でした。
今日は20年前の投稿の再掲です。
これは実際、生活の中で自然にお金に触れることで、身につく能力があるということで、その考えは今も変わらないのですが、これを書いた20年前とは違い、今の時代、親御さんのお財布に小銭がじゃらじゃら入っているなんてことはほとんどなくなっているのではと。
大人がお財布から現金を取り出して買い物をするという機会も減っているでしょうから、子ども達が実際にお金を見る、使うという機会は、昔と比べて激減しているのでしょうね。
となると、生活の中でどうやって繰り上がりなどを身に着け、大きな数でもイメージできるようにするかというのは、昔より難題になっているということかもしれませんね。
以下、20年前の投稿です。
以前書いたことがあるように思うが、実は私は子どもの頃にちょっとおかしな趣味があった。
子どもの頃からあまり物欲がない方だったので、親に何かを買ってとねだることもなかったし、プレゼントをもらうのはお誕生日とクリスマスとお年玉と決まっていて、それにも不満はなかった。
なので、お金がほしかったとかいうことではないように思うし、実際、さわっていても「ほしいなぁ」とか「いいなぁ、これだけあったら。。。」というような感覚は全く持たなかったようにも思う。
それでも私はたびたび、母のいないときに母のお財布を取り出し、小銭だけをテーブルの上に広げて、全部でいくらあるのかを数えるのが好きだった。
1円玉、5円玉、10円玉、100円玉とグループに分け(まだ500円玉はなかった。)それぞれ何枚あるかを数え、10円玉がたくさんある場合は10枚ずつ積み重ね、10枚で100円という風にして、合計金額を出しては、満足してお財布に戻すなんてことを、どのぐらいの頻度だったかは覚えていないが、少なからず繰り返していた。
時々母に見つかることもあったが、勝手にお財布をさわっていたことに対して最初は叱られたものの、お金をとる気がないということもわかり、その後は母も多分黙認してくれていたように思う。
誰かが答え合わせをしてくれたわけではないので、その合計が合っているかさえ定かではないわけだが、なぜかその作業が楽しくて、何度もやったことを今でも覚えているのだ。
ただ、今になって思えば、あれはあれで大変役に立ったのではないかと思っている。
当然そんなことは全く意識もしていなかったが、1円が10枚集まれば10円になり、10円が10枚集まれば100円、100円が10枚なら1000円になるという風に、知らず知らずのうちに繰り上がりや10倍などの感覚を身につけていたように思うのだ。
私はそこまではやらなかったような気がするし、仮にやろうとしたって、母の財布に1000円札が10枚以上、1万円札が10枚以上なんて、まず入っていることはなかったし、結局繰り上がりの学習には直結しなかったけれど、そのあたりまでやっていれば、絶対算数で役に立つのではないかと最近しみじみ思っている。
以前にも少し書いた気がするが、例えば、「50×6」などの計算でも、ただの数字だと全く手が出なかったり、わざわざ筆算を書いたりするような子に、「50円のお菓子6個買ったらいくら?」と尋ねると、難なく「300円」と答えたりするような例は少なくない。
何かに100をかけるとか、1000に何かをかけるとか、そんな計算でも、放っておくと筆算をする子がかなりいるのだが(特に高学年になってから来てくれているような子達は殆どみんなそんな感じ。)、100円がいくつとか1000円が何枚と言い換えてやれば、大抵は即答するのだ。
もともと、数というのは抽象概念だ。例えば、ひらがなひと文字だけを取り出しても意味がないように、「2」といわれても、「2」というものは存在しないのだ。
ただ単に、経験として「2」と言われれば、おはじきが2個だったり、飴玉が2個だったり、犬が2匹だったり、折り紙が2枚だったり、鉛筆が2本だったり・・・と何らかのイメージが蓄積され、その結果「2」という形のないものを捕らえているに過ぎない。
結局それは幼い頃から色々なものに触れ、経験を重ねたことによって獲得されたものであって、何も見せず、何も触れさせず、ほったらかしにしていて勝手に数を身につけるなんてことはそうそうあることではない。
殆どの子どもは10までの数は簡単に捕らえることができるようになる。それはおそらく、手の指が10本だからではないだろうか。困ったときには数えればいい。指を折って数えることを繰り返し、そのうち指を見るだけでわかるようになり、最終的には手を使わなくても、その指を頭にイメージできるようになるのだろう。
また、教室では更にそれを玉やドットの描かれた紙などを使って、10、100、1000などをイメージできるようにしていくわけだが、ドットで1000や10000などを見せるとなると、それはそれで結構大変なことだし、家庭でそれだけのものを用意して見せるのはほぼ不可能だ。
けれど、お金であれば、1000だって10000だって簡単に見せられる。100だって、決して大きな数ではないのだ。100円玉が10枚で1000円になることがわかっていれば、「100×25」などの計算だって100円玉10枚重ねたものが2つあって、残りが5枚。それさえイメージできれば「2500」とすぐ答えられるようになるはずだ。
これは割り算にだってもちろん使える。何かを100や1000で割るときには、100円が何個になるか、1000円が何枚になるかさえわかればいいのだ。
ご家庭によっては子どもにお金はさわらせないというところもおありのようだが、大きな数でもイメージしやすい手軽なものの筆頭に上げられるのではないかとさえ思う。
もし可能であれば、1000円札もなるべくたくさん用意しさわらせてあげられたらいいのだろうけど、さすがにそれは大変ということであれば、おもちゃのお札でも、手書きのお札でも構わないだろう。
お店屋さんごっこや両替ごっこなどを、お子さんが小さいうちからおうちの方が一緒にやってあげれば、少なからず算数の助けになるのではないかと、この頃の子ども達を見ながら、改めてしみじみ思っている。
今日もまたAIの話ですが、まだ全く使いこなせていないものの、何かのサイトを開いておいて、そのサイトの要約をしてほしいとか、そのページに関してチラシを作るアイディアをもらいたいとか入力すれば、あっという間にそれらしいものが表示されるのですね(汗)
その昔、自分が大学生だった頃、フランス語の授業で教科書の要約の課題が出たときに、訳本があって、それを使ってそれらしいものを書いて提出する子が相当大勢いたのですが、その頃は自分の手で書き写す必要があったので、少なくとも読んで書くという作業はありました。
でも、仮に今、フランス語を日本語訳しなさいというような課題が出たとしたら、フランス語の文章をスマホで撮影し、翻訳アプリで翻訳。場合によってはそれをコピペしてプリントアウトして提出…というようなこともできるのでしょうし、その場合、ほぼ全く、フランス語に対しての頭を使うことはないんですよね。
きっと、子ども達の読書感想文だって、本を指定して、それの感想文を書いてと言えば、AIが書いてくれるのでしょう。それこそ、小学4年生が書くような文章とか細かい指定もできるのでしょうし。
こうなってくると、もう本当に、ますます学力は二極化していくのかもしれませんね。
簡単だけど手間がかかる課題などにAIを利用して、その代わり難しいもの、興味があるものなどは深く掘り下げて学ぶというような使い分けができるなら、よりよい学びができそうな気もしますが、何もかも楽をしようと思えばできてしまう時代になってきているのでしょうから、保護者の方も悩ましいですね。
AIでイラストを描いてもらおうとしているものの、私が生成AIのことを理解していないからだと思いますが、なかなかうまくいきません…。
恐らく、うまく指示を出せたら、かなり結果が違うのだろうと思うのですが、それを学ぶとなると、果たして望むイラストが完成するのはいつになるやらという…。
今年はカレンダーの関係もあるのだと思いますが、1学期の終業式が思いのほか早く、元々はそれまでにチラシをと思っていたのに、このままでは間に合いそうにありません…。
とはいえ、実家のことが気にかかって、それで時間も気持ちもかなり費やしてしまって、空いている時間はあるのに、うまく使えていない状態が続いているので、なんとかしないといけません。
誰かお尻を叩いてくれるといいのですが…。
レッスンで眠くなってしまう低学年さん。その昔、教室を始めた頃にも、2年生で来てくれた子がレッスンのたび睡魔と格闘し、4年生頃に体力がついてきてようやく睡魔との戦いに終止符が打たれたという子もいましたが、今の子は、そこまでではないものの、そこそこの頻度で眠くなるため、そのたび、お茶を飲んでもらったり、立ち上がってもらったり、あれこれ働きかけるものの、眠いときは何を言っても聞いてくれないということもあって、なかなか悩ましい状態になることも。
今回のレッスンでもレッスン序盤でいきなり瞼が閉じかけて、お茶を飲んでもダメ、本人はがんばって起きようとしているものの瞼が…。いっそ5~10分寝てもらおうかと思ったのですが、それも拒否され、立ち上がるのも嫌、さて、どうしたものかと、「どうしたら目が覚めると思う?」と尋ねたところ、これまでは無言のまま時間が過ぎることも珍しくなかったのですが、今日は蚊の鳴くような声ではありましたが、答えてくれました!!
そして、その子の言葉に沿うようにしたら、眠そうながらも動き出してくれました!!
ああ、なんて嬉しいんでしょう!
この子、ひと月ぐらい前にようやく「わかりません」ということもできて、それも私は大層嬉しかったのですが、今回もまた意思表示をしてくれて、お蔭でレッスンが進んで、本当に嬉しかったです。
これも成長なのでしょうかね。
今どきの若者たちはもう当たり前のように使いこなしているのだと思いますし、若くなくても、同級生たちも十二分に使いこなしていそうな子が何人もいるAI。私はいわゆるチャッピーはもっとより、Windowsのパソコンなら当たり前に使えるAIでさえ、ほぼ使ったことがありません…。
使ったことがないと言っても、最近はGoogle検索をしたら、AIモードとやらで、最初にAIが回答するようなことにもなってきているようですから、知らず知らずのうちに使っているということはあるのだろうと思います。
しかし、今回、重い腰をどうにかあげてチラシを考えなくてはと思い、パソコンで検索などしていたものの、塾・教室などのチラシ見本はほぼ全て、うちの教室のイメージには合わず、子どもの写真を使う気はないけど、イラストはほしい気もする…そんな曖昧な状態で考え始め、そういえば、AIってイラストも描いてくれるんだっけ?と、ダメもとで試してみました。
すると、初めて使うというのに、なんと親切な!(苦笑)
文句も言わず、細かい希望に合わせてあれこれ修正してくれるではありませんか!
とはいえ、分からぬままに使っていたので(無料で使えるから制限があるということなのかと)、今日のところはイラスト作成の上限になったと言われ、完成には至らず…。
これ、もっと早くからしっかり使う練習をしていたら、本当に「人生変わる」ぐらいのレベルで色んなことができるんだろうなと、今更ながらそんなことを感じました。まあ、機械音痴なのと、それなりの歳なのと、今は実家のことでも時間を取られるのとで、私が使いこなせるようになる日は来そうにありませんが。
でも、使いこなすまではいかずとも、ちょっと学んでみた方がよさそうという気はしました。(ほんと、今更ですが…。)
今日はあまりお天気は良くないようなので、夜に星は見えないかもしれませんが、七夕ですね。
笹に短冊、願い事を書きたいなぁと長年思っていましたが、今年は実家の近くの商店街で毎年催される七夕まつりの笹飾りに1枚願い事を書きました。とはいえ、自分のことではなく、親のことですが。
ところで、スマホのアプリで色々なパズルゲームがあり、元々紙でもパズル好きだったので、いくつかダウンロードして楽しんでいます。
やりすぎはもちろん禁物ながら、ゲームによっては、確かに論理的思考の訓練になるよなぁと思うものがあります。
個人的には数独などのパズルは紙と鉛筆(ペン)のほうがやりやすい気がしますが、最近目に留まってためしにDLした、「MEOWDOKU」というパズルゲーム、ルールは簡単ですが、理詰めで考える練習ができ、考えつかないときはヒントをもらえるため、自分では気づいていなかった考え方に気づかされ、ほぉ、なるほど!と思ったりします。
「DOKU」というのはやや数独に似たゲームということなのだと思いますが、「MEOW」は猫で、縦横各列に1匹ずつ猫がいるという設定で、盤面は色分けされており、各色1匹。猫は接触しない。ルールはそれだけ。
すぐ分かるものもありますが、理詰めで考えても気づけないものは、ヒントを確認して、自分にはなかった発想に気づかせてもらっています。
新たに開講する予定のコースの募集のためにチラシを作ろうと思うのですが、実は教室を始めた年から3~4年は年に1、2回、折込チラシやフリーペーパーの一角での募集広告などを出していたものの、あることがきっかけで募集広告を出すのをためらうようになり、その後気づけばずっとチラシでの募集というのをせずに来ていました。
開講当初は今より20歳以上若く、良くも悪くも「熱かった」ので、チラシにも文字だらけで語りまくったのですが、時代は変わり、今の子ども達の保護者の方も、恐らく、チラシをじっくり読むという方は少なくなっておられるんだろうなと。
それ以前に、新聞を取っておられないご家庭も相当増えているんだろうなと。
となると、さて、一体どんな形でチラシを作ればいいんだろうと…。
新聞折込は20年前より遥かに、見てほしい方には見てもらえなくなっているでしょうし、かといって、ポスティングは、自分を考えても、多くは水にまとめて処分なのではと思うんですよね…。
そうは言ってももう7月、この1週間ぐらいで真剣に考えないとと思いつつ、ここ一番の集中力が若い頃のようにはいかず…。なんとかがんばります。
ある低学年さんは、何年か一緒にレッスンさせてもらっているものの、恐らく算数は好きではないんだろうなという感じで、特に数や単位関連の問題を考えているときに楽しそうに見えたことはほぼないのではないかと思います。
それでも、その子なりに一所懸命考えていそうだということが伝わってくることは増えてきて、難しめの問題でもきちんと解けることも珍しくなくなっては来ています。
それでも、どうしてその答えになった??と、かなり予想外の答えを出してくることもやはりまだ少なからずあって、そんなに一所懸命考えていたのになぁと思ったりもします。
今回のレッスンでは、時間と分と秒が出てきている問題があって、繰り上げたりする際、半端になった分の数と秒の数を合わせてしまうなど、時間の感覚、量のイメージが伴っていないんだなということがありました。(数量感覚が身に付きづらいように感じており、それはやはり興味が薄いということも関係しているのかもしれないと思っています。)
とはいえ、本当に真剣な顔で、明らかに考えているのが伝わってくるので、たとえ間違った答えを出してしまったとしても、頭を使っているのは確かですから、ある時突然ブレイクスルーする可能性もあるのではないかと思います。
近い将来そんな日が来てくれたら、その子の満面の笑顔が見られるかもしれません。
なかなかエンジンがかからず、更には身内が体調を崩したりもして、このままだと夏休み前に開講案内を出すのも間に合わないかもと、ちょっと焦っていますが、近々うちの教室でも始めたいと思っている教材の紹介動画があることに気づきました。
開発されたのが関東のエジソンクラブさんなので、動画も関西人にはちょっと馴染みにくいかもしれませんが、言っておられることは正に、これまで教室でレッスンをする際に意識してきたこと、大事にしてきたことと通じるものがあり、また、計算など数に関する能力は、努力で補える部分もかなりある一方で、図形に関する能力はそれを持って生まれたかどうかの差がかなり大きいと感じていて、持って生まれていない場合は、この動画の中でも言われているように、幼少期、脳がどんどん成長、吸収し、刈り込みが起こる前の時期に、積極的に取り組むことで、ある程度能力を伸ばせるというのも身をもって感じているため、教室でも取り入れてみたいと思った次第です。
紹介動画のリンクをはっておきますので、ご興味があればご覧ください。
教室に通ってくださっている方は、正式開講以前でも、今のレッスンに一部取り入れるという形で取り組んで頂くこともできると思いますので、ご希望があればお気軽にお尋ねください。
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