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今日は更新お休みします。
明日は日曜なので、5月の出勤も今日でおしまいです。
相変わらず、時間を上手に使えぬまま、どんどん日が過ぎていくことを反省しつつ、6月こそは少しでも自分で「がんばった!」と思えるような月にしたいと思います。
とはいえ、6月早々に台風が来るかもしれないようで、それも心配ですね。
来月もどうぞよろしくお願いいたします。
新たに導入したいと思っている教材ですが、まず自分で取り組んでみているものの、次から次へと誤植などが見つかり、何度も問い合わせをし、初めのうちは私の勘違いかも…とちょっと弱気になっていたものの、ここまであると、教材として販売しているのに、一体どれだけ丁寧に校閲などをして印刷に回したんだろうと、だんだんもやもやしてきました。
比較的新しい教材のようですが、既に使っている塾もおありのようなので、これまでまだ指摘がなかったんだろうかという疑問と共に、仮にそうだとしたら、間違っていて、いくら考えてもできないものを考えさせられる子どもがいるのかもしれないと、なんとも気の毒になります。
その昔、教室を始めた際に使っていた教材も、解答にあちこち間違いがあり、見つけるたびにリストアップして知らせていたことを思い出しましたが、ある意味、私が無料で校閲している状態だったんだなぁと思ったりします。
私自身教材を作っていますが、できるだけ気を付けて作っていても、自分が作ったもののミスは見落としがちなので、友人の子どもにモニターになってもらい、間違いがあったら指摘してもらうようにしたりしていました。
それでも誤字や言い回しが分かりにくいところなど、使っていると見つかることもありますが、そこまで多くないと思うので、尚更ちょっともやもや…。
まあ、導入前に自分で目を通して、間違いを訂正してもらっているので、ある程度整った状態で導入できる予定ですが、一所懸命考えたのにできない問題だったなんてことは、子ども達に申し訳なさすぎるので、作る側の方はもっとそのあたりの配慮をお願いしたいなぁと思います。
元々、算数はあまり好きではないのかなと思っていた低学年さんがいるのですが、それでも学年が上がり、ちょこちょこ、お?こんなのが考えられるんだ!?とか、形を作る問題で、え?もうできたの?とか、驚かされることも増えてきていて、その子なりにコツコツがんばってきたことがちゃんと身についているんだなと嬉しく思うことも。
しかし、なんというか、時計に関しては、未だに全く興味がないのか、強い苦手意識があるのか、少なくとも時計が動いているイメージで考えているというのではなく、ただ与えられた数字を足したり引いたりしているだけという印象が強いのです。
時間計算も以前何度かやりかけて、帯に色を塗るなど、目で見てわかるようにしながら取り組んでもらっているのに、帯に色を塗ることさえ間違ったり、ようやく塗れた帯を見て、どれが時間でどれが分かすら把握せず、頓珍漢な答えを書いたりということが起こるので、そのたび、ある程度までがんばってもらった末、保留にするということを繰り返してきていました。
そろそろちゃんとやらないと、学校で困るのではと、再び取り組んでもらうことにしたのですが、一緒にやって、ゆっくり確認しても、なぜかおかしくなるのです。
この子の場合はそれではないと思いますが(目盛りはちゃんと数えられるので)、過去に、目盛り全般によくわからないという子がいて、計算や図形など他はできるのに、なんで目盛りがらみになるとこんなにもできなくなるんだろう?と思っていましたが、それも一種の学習障害だったようで、気づかなかったことでしんどい思いをさせたのではと思ったことがありました。
様子を見ながら進めるしかないとは思いますが、最近の子はこれまで以上に時計が苦手な子が増えているとも聞きますし、それはアナログの時計を読む機会が減っているとかも関係しているのではないかと思うので、色々悩ましいですね。
巨人軍の監督が長女への暴行で逮捕され、監督を辞任されました。
逮捕の速報が流れたときにはかなり驚きましたが、翌日になって出された長女さんのメッセージを見て、なんとも言えない気持ちになりました。
実際のところは分からないものの、少なくとも、暴力を振るわれて命の危険がというような状況ではなかったのでしょうし(そもそも、そんな状況ならchatGPTに質問する余裕はなかったでしょうから)、監督を辞めざるを得なくなったこの結果は、ご家族、もしかすると長女さんにとって最も望まない結果なのではないかと思ってしまいます。
そして、そんなことになってしまったのが、長女さんが恐らく深く考えることなくAIに頼ったからなのだということが、何より怖くなりました。
生まれたときから当たり前に身近なところにIT機器があり、スマホなどは大人より遥かに使いこなしている子達も多いのだろうと思います。
調べ物は検索すれば何でもすぐ分かるような時代に、自分であれこれ考える機会は、意識しなければどんどん減っていき、深く考えることをしないまま成長していけば、疑問や違和感を持つことも減ってしまうのかもしれません。
もちろん、今回のことは、監督と長女さんのほかに、次女さんも伴侶の方もその場におられたそうなので、どういう状況で検索し、電話をしたのか、色々疑問が残りますが、今の子どもや若者たちは、大人の知らないところでIT機器を使いこなし、どんどん自分の頭で考える機会を失っていっている子も少なくないのではと、心配になります。
10年前の投稿ですが、今も同じようなことを思っています。
つい先日書いた、お金を触る機会が減っているとか、トランプで遊んだことがない子がいるとか、それと同じようなくくりで、昔は普通に子ども達がしていた手遊びなどの機会も減っているんですよね。
その代わり、IT機器を使うことで、昔は育まれなかった能力が育まれているのかもしれませんが。
以下、10年前の投稿です。
子ども達とレッスンをしていて時々感じることは、小さい時だからこそ先取りで字を覚えたり、計算問題を解いたりするよりもっと、長い目で見れば遥かにその子の力になることがたくさんあるのではないかなということです。
将来勉強に役立つからそれをすべきだというと、それも何か違うような気もしますが、例えば、小さい頃に折り紙を半分や4つやらに折って切り紙遊びをたっぷりしたことがあるような子は、線対称の問題などを簡単に理解できることが多いであるとか、昔ながらのすごろくなど、サイコロを転がすような遊びをたっぷりした子は、サイコロの目が1の反対には6があり、2の反対には5があり…ということをなんとなく経験として知っていたり、紙を細長く切って糊で貼ってつないだりする経験があれば、のりしろの問題は自分の経験をイメージできたり…そんなことが色々あるように思います。
で、最近感じるのは、中学、高校で出てくる、場合の数、順列・組み合わせなどの問題は、数学として学ぶ際、イメージしきれず難しく感じる子が少なからずいて、実際私自身もとても苦手としていました。
先日、円順列と数珠順列の問題を高校生の子と一緒にしていたとき、その子もやはりすんなりとは思い浮かべられず、公式に当てはめれば答えは出せるものの、イメージできているかといえばややあやしい感じでした。
だからといって、もう中3や高1になってから、実際にものを使って並べてみたり、色を塗ってみたりしながら確かめるというのは、時間の制約などもあって(ほかにもやらねばならないことが色々ありますし。)、なかなか難しいところもあるのだろうと。
また、実際にやってみるとしても、高校あたりで解く問題だと、膨大な数の組合せができるものもありますから、さすがにそれを全部書き出すなどというのは無理があるだろうとも思います。
でも、例えば、幼児や小学生の間に、ビーズなどを使って輪を作るとき、何種類のものが作れるかであるとか、四角いカードや丸いカードに描かれた形を色分けして塗っていくとき、違う塗り方のカードはどれだけ作れるかであるとか、数字が書かれたカードを用意して、どんな数を作ることができるか色々試してみるであるとか、そんな色々な経験をしていれば、その経験の中で何らかのルールに気づく子もいるかもしれませんし、仮にそこまで到達しなかったとしても、大きくなって同じような問題を考える際、自分でやったときの経験を頭の中でイメージすることができる分、問題の意味の理解や、実際の状況を想像する際の助けになるかもしれないなと。
並べ方、組み合わせ方を考えるというのは、ある面でパズル的な要素もあるように思いますし、子ども向けのそういう学びがあってもいいのかもしれないなと、そんなことを感じています。
今日は仕事には関係ないお話。
父が亡くなってから、母の頭の衰えが著しいのですが、それでも、日々、不思議だなぁと思うことが色々あって、何でもどんどん進歩している現代なんだから、そろそろ本格的な認知症の治療法が確立しないものかと思ったりします。
短期記憶はボロボロになるのに、古い記憶は残っているというのはよく聞くことですが、時折、古い古い記憶が(私がまだ影も形もない頃の)鮮明に思い出されることがあったり、これはうちの母だけかもしれませんが、食べ物の好みがどんどん子どもに帰っている気がしたり、性格もちょっと変わってきたよね?と思ったり…。
脳の奥深さというか、まあ、日々色々大変なものの、なんか脳って興味深いなぁとも思うのです。
脳の問題(アミロイドβのせいとか)というのはわかっているのでしょうから、更に研究が進んで、もっともっと効果の高い治療法が、少しでも早く確立してほしいと思う今日この頃です。
人はみんなそれぞれにこだわりがあったり、価値観はみんな異なっていたりするのだと思いますが、問題を作る側と解く側とでこだわりや引っかかるところが違っていると、なかなか厄介なことだなぁと思います。
例えば、よくある話だと、国語の読解問題などに小説を引用された作家の方が、自分はそんなつもりで書いていないとか、自分はその問題を正解できないとかいうようなことをおっしゃる。それはつまり、出題者がその小説なりを自分の解釈で読み取り、問題を作っていて、その解釈は作家の方とは異なっているということなのでしょう。しかし、出題者が解答も決めるので、出題者の意向をくみ取れなければ正解できないというようなことも起こるわけです。
また、数独などのペンシルパズルの問題でも、私は理詰めで徹底的に考えれば答えが出せるというものが望ましいと思っていますし、少なくとも答えは1つに決まるべきだと思っていますが、問題作成者によっては、理詰めだけでは無理でトライ&エラーをしながら、正解に辿り着けばいいとか、答えは複数あってもいいとかいう方もいます。
それは作成者の好みだったり、どういうことを求めているか(論理的にとことん詰めることを求めるのか、答えはひとつとは限らないし、試行錯誤が大事だということを教えたいのかなど)によっても違ってくるのだろうと思います。
新たに始めようと思って準備をしているところの教材は、どうやら一部、トライ&エラーをしなければ解けそうにないものがあったり、推測で進まねばならないところがあったりするようで、私にとってはちょっともやもやして辛いです。(苦笑)
お尋ねの回答を頂くのにかなり時間がかかったため、まだ準備中ですが、近いうちにご案内できればと思っています。
あるレッスンで、これまでも何度も、眠いのか、考えているのか、わからなくて困っているのか、意思表示をしてくれず、しかし見ているだけだと判断がつきづらいという状態になっていた子がいます。
うちの教室では、子ども達が考えている間は黙って待っている、考えを邪魔しない、それはとても大事にしているので、考えている最中に話しかけることで思考を遮ってしまうといけないし、子どもによっては違いが分かりやすい子もいますが、集中して考えているときにぼーっとして見える子も少なくないため、声掛けのタイミングは本当に難しいのです。
しかし、今週のレッスンでもそんな状態に陥った子が、恐らくこれまでで初めて「分かりません」と意思表示をしてくれました。
ちゃんと考えた末、どう考えていいのかわからないというようなことであれば、もちろん喜んで助けますから、そこからは比較的スムーズにレッスンが進みました。
何より、何か月もかかりましたが、ようやくその子自身が「分からない」と言ってくれたことが私にとってはとてもとても嬉しく、思わずお迎えのお母様にもお伝えしてしまいました。
当然、ろくに考えないうちに分からないから教えてというタイプの子にはすぐに手助けしたりはしませんが、その子の場合そうではないので、がんばって意思表示してくれたことは喜ばしく、また、私が喜んでいるということをその子自身にも分かってもらうことで、分からないということは恥ずかしいこと、悪いことではないと伝わればいいなと思いました。
数年前、高校生を指導している塾の先生が、最近はトランプで遊んだことがない子がいて、確率の問題でトランプが出てくると、前提条件を知らないから解けないというようなことを言っておられたことがあり、確かに、最近は小さい子達もゲーム機などで遊ぶのが主流で、トランプで遊ぶ機会がない子がいてもおかしくはないのか…と思ったものでした。
しかし、今日のレッスンで新たに気づいたのは、10年ほど前までなら、算数があまり得意でない子でも、円を付けてあげれば考えられるようになるというようなことが結構あったのですが(例えば、500÷4などの計算を500円を4人で分けるというようにするだけで、100円と残り100円を4人で分けるから…というようなイメージがしやすくなる感じ)、キャッシュレス化が進み、今では大人でも現金を触る機会がかなり減っていて、特に小中学生の親御さんたちであれば、多くの方がキャッシュレスが基本なのではないかと。
となると、子ども達が現金に触れる機会は一層減っていて、円の単位を付けたところで、結局イメージできないというようなことになってきている気がします。
それも時代だから仕方ないのだろうと思いますが、時代の変化が速すぎて、問題を作る側の年代とのギャップが昔より短期間で大きくなるような気もして、なかなか大変だなぁと思います。
今日は仕事の後、数か月ぶりに幼馴染とご飯を食べてきました。
自分が歳を取るということは、親はもっと歳を取っているということで、今は週のうち5~6日は仕事の後にも実家に行き、晩ご飯の支度をして、母と食べてから自宅に戻っているので、滅多に友人と会うこともなくなっていて、久しぶりの外食は貴重な気分転換になりました。
リフレッシュして、明日からまたがんばります。
教室のパソコンは1年ほど前にWindows11の機械になっているのですが、自宅では使用頻度が教室ほど高くない上に、10でも不自由を感じることがなく、サポート終了に合わせて新しい機械を買ったものの、セットアップを後回しにし続けていました。
しかし、何か月もほったらかしにしていたら、その間にOSのアップデートがいくつもあったりして、最初の設定だけでもものすごく時間がかかるかも…と。となると気持ちと時間の余裕があるときでないと…と尚更先延ばしに…。
ですが、いい加減どうにかせねばと、今日の出勤までの時間にようやく手を付けたところ、よくわからないなりにセットアップしていた結果、自宅のパソコンが教室のパソコンと同じ状態になりました!!!
教室のパソコンで作ったファイルなどが多分全て自宅の新しいパソコンにも入っているようです。なんかもう、色々進歩がすごすぎて、尚更ついていけません…。
そして、セットアップ自体何年かに一度しかしないため、毎度毎度メールの設定で躓く…。
今回もまだ完了までこぎつけられず…。
それにしても、ITの世界の進歩の速さはもう本当に早すぎて「日進月歩」なんてもんじゃありませんね(汗)
今日は母の通院日で、夕方にはケアマネさんが実家に来られる日でもあったため、午後からはずっと実家やら医院やら、母のことで終わりました。
明日からまたがんばりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
実家で晩ご飯を食べているときに、あるバラエティー番組で出川哲朗さんが、海外に行き、英語で現地の人に質問をして、目的を果たすという企画があり(定期的にやっていると思いますが)、見ていました。
私は子どもの頃から英語に苦手意識があり、更には、覚えないとどうしようもない教科は全般に苦手だったので、英語は積極的に学んだことがありませんでしたが、それでも、出川さんより多少は知識はあるように思います。
しかし、彼がすごいと思うのは、めちゃくちゃな英語でも恥ずかしがることなくぶつかっていき、何人かに尋ねたり、苦戦することはあっても、結局いつも相手の方が彼が聞きたいことを理解して、答えをくれることなのです。
その姿を見ていて、出川さんは私の何十倍も、何百倍も「生きた英語」が使えるんだなと。
英語圏に突然放り出されたとき、きっと彼は何とかやっていかれるのだろうと思います。その姿が羨ましいというか、尊敬するというか。
今日なんて、大英博物館の「ブリティッシュミュージアム」を覚えるのに「鰤」と「ティッシュ」をイメージして覚えようとしていて、その覚え方は賢いなぁと思って見ていたところ、目的を達成した後に確認で聞かれたときには、「サバティッシュ」と、魚が変わっていたのもまた彼の「すごい」ところだと思います。
語学上達の大事なポイントのひとつは「恥ずかしがらないこと」なんだろうなと思います。
元々機械音痴のため、今の時代の流れには全く乗れていないのですが、AIについても、自分では検索の際にAIモードとかがあって、それでちょっと触れることがあるぐらい。
しかし、ニュースなどで、とても「頭のいい」AIが開発され、悪用されたら、国家転覆なんてこともあり得るというような話を見聞きして、恐ろしい時代になったなぁと。
人が作り出したもので、全く血を流すことなく、国を潰すことすらできるかもしれないと言われても、全く想像もつきません…。
私の場合、子どももおらず、長生き願望もないので、どこか「なるようになれ」と思えなくもありませんが、今の時代の子ども達は、ITの大波に乗りつつ、世の中を渡っていかねばならないのかもしれませんね。
しかし、ITの発展で、若者たちの多くは自分の頭で必死になって考えるという機会をますます奪われて行っているようにも思えて、本当に難しい時代になっているのかもしれないなと思います。
そんな時代でも、子ども達が将来に夢や希望をもって、しっかり自分の足で歩いていけるといいですね。そのためにも「考える」ということは本当に大事なことなのではないかと感じます。
今日のレッスンで、短い時間の学習をしていた低学年さん。
1分は60秒ということは確認済みで、その後、2分は何秒、8分は、10分は…というような、分を秒に直すとどうなるかの問題に取り組んでもらっていました。
もともと、計算が得意というタイプではないので、時間がかかるのは問題なく、どんな風に考えるか様子を見ていたところ、2分も8分も10分も、20分やそのほかにも、1分20秒とか30分45秒とか、そんなものを秒に直す問題でも、それなりに一発で正解していたので、ちゃんと考えられているようだなと、安心して待っていました。
すると、60分になった途端完全ストップ。30分は何秒だったか確認し、書いてもらうと、ちゃんと1800秒と書くのですが、60分は6000秒と書いたので、「6000って60が100回よ?」とだけ言ってみたのですが、しばらく考え込んだ後、次に書かれたのは60000秒!!
元々、時計に苦手意識を持っている子なので、何かおかしなことになっているようだなと思い、時計の模型を出して、長針を30分動かして、これは何分?と聞くと「30分」と。そこで、今度は30分の位置から60分(12)の位置まで長針を動かして、これは何分?と聞いたところ、なぜか50分という謎の答えが…。
最終的には30分と30分で60分、だから3600秒という考え方はしてくれたようには思いますが、そこに至るまでの迷走っぷりが、その子の頭の中でどんな思考がされていたのか知りたいです。
今日はお昼間にも、外は晴れているのに突然雨音がし始め、その後、びっくりするぐらいの雷鳴が何度も鳴り響いていましたね。
変なお天気だなと思っていましたが、レッスンをしていたら、日没前の頃にもまた同じように、空は明るいのに雨と雷。
雨雲レーダーを見たら、本当に局地的に大雨を降らせる雨雲が出ていて、ゲリラ豪雨にはまだ早い気がするんだけど…と思いました。
幸い、レッスンの子が帰る頃随分収まっていたのでよかったですが、雨具を持たずに外出するのは危険な季節に、もう早々となったということなのでしょうか。
皆さまもお気をつけて。
昔の投稿を少し見返していたところ、20年前3歳だった子のことを書いているものがありました。
20年前3歳ということは、今はもう23歳。大学に行ったのであれば、大学を卒業したか、理系などに進んでいたりするなら、まだ学生か。いずれにせよ、それほどの歳月が過ぎたんだなぁと。
その頃、私から見ればなんとも眩しく新鮮な感性に何度も感動させられたことを書いていましたが、これまで教室に通ってくれた子達も、もう結婚して子どもがいるという子も何人もいるのかもしれませんね。
幼い頃に通ってくれていただけの子達は、もう教室のことなど覚えていないかもしれませんが、教室のことは忘れても、自分の頭でしっかり考えるということはずっと忘れずにいてくれていたらいいなと思います。
2年前の初夏に父を亡くして、それまでは誰かが亡くなったという話を聞いて、悲しいだろうな、寂しいだろうなと思うことはあっても、本当の意味でその悲しさや寂しさは分かっていなかったんだなと感じました。
遥か昔、阪神淡路大震災で被災したときも、それまでどこかで天災の被害のニュースなどを目にしても、気の毒だな、大変だなと思うことはあっても、やはり実感を伴うものではなかったなと感じました。
で、話はかなり変わるのですが、私は恐らく生まれつき目が悪く(極度の乱視)、生まれたときからなので、ちゃんと見えるというのがどういうことか分からず、特に生活に困ることはなかったため、目は確かに悪いのに、眼鏡やコンタクトがないと何も見えないというような方の不自由さはあまり理解できていませんでした。
それが、歳のせいなのか、近くばかりを見ていることが積み重なったせいなのか、ここ数か月で急激に目が悪くなったと感じていて、恐らく、近視とか老眼とかで見えづらいと言っている人たちの感覚はこんな感じなのかなぁと思うようになりました。
見えづらいというのは大変不自由ですね。何かを読んだりする気が失せるし、読むためには気合が必要だったりします。
ということは、子どもの頃から近視などできちんと補正できていないような場合、読む意欲、学ぶ意欲というものが削がれるのかもしれないなと、改めて感じています。
知識として知っていたりすることも、実際自分が経験して初めて「分かる」ということは多いのだなと。
学びについては、教えられたことは身に付きづらく、自ら考えたことは頭に残りやすいというのは分かっていますが、結局は、学びに限らず、どんなことも自ら経験しているか、実感しているかというのは大事なポイントということなのですね。
先月体験レッスンをさせてもらい、年長の間は隔週の月2回でレッスンをさせてもらうことになった子と、体験を含めて3回目のレッスンがありました。
人見知りをしないタイプなのかもしれませんが、今日はなんだかかなりレッスンにも私にも慣れた感じで、6歳になったと教えてくれたり、一所懸命取り組んでくれつつも、何かしら話しかけてきてくれたりしました。
今のところ、素直に取り組んでくれていて、分からないときは表情を見ればすぐ判断できるのもありがたいですし、理解すればスラスラと、思った以上にできているのも喜ばしい限りです。
この子やお姉ちゃんはお休みボケはあまり感じませんでしたが、別のレッスンの低学年さんは、終始なんだかちょっと眠そうで、頭の働きも今ひとつ。お迎えに来られたおうちの方によると、今日は朝もなかなか起きなかったとか。そういえば、多くの子が5連休だったんですよね。
おまけに今日はちょっと気温も上がりましたし、久しぶりの学校で消耗もしていたんでしょうね。
GWが明けると当分祝日はありませんので、またしっかりペースを取り戻していきましょう。
中高一貫校に通っている中3くんは、進度が早いので、既に数Ⅱの範囲も出てきていたり、そもそも、一般的な順序ではなく、数Ⅰ、数Ⅱ、数Aが行ったり来たりしていたりで、それに対応した塾用教材がないこともあり、前もって準備するのにも限界が…。
進度も速いため、基本は学校で習っていることがきちんとできるかどうかという感じで(本人もそれでいいようなので)レッスンをしているのですが、学校の問題集を出され、その場で一緒に考えるということもしばしばあります。
高校時代の自分は、公式を覚えて、それに当てはめて解いていたという感じですし、チャートなどの例題を参考に類題を解くというようなことも普通でしたから、まっさらな状態から自分で考えて解くということは、高校数学の範囲が先に進むほど、していないところが増えます。
数Ⅰ・数Aは過去にも何度か必要に迫られて、ある程度の範囲までは自力で考えて解き直したものの、最近その子がしているところは高校生以来というのも出てきているため、過去の記憶はないに等しく、問題を見て、まず考えてみるということになります。
しかし、テストがあるとか、成績を付けられるとかではないので、ノーヒントであれこれ考えてみるというのは結構面白いと感じることも珍しくありません。
ということは、小さい頃からしっかり考えて理解を積み重ねてきた子にとっては、中学も高校も、その延長で数学に取り組めるのではないかと思います。(実際、今来ているその子はそんな感じです。)
ああ、羨ましいな~。私も子どもの頃、そんな風に学びたかったなぁ。
早いもので連休も明日まで。
私は明日は振替のレッスンがあって出勤するので、今日まででしょうか。
しかし、ここ数日、ろくに頭を使っていないため、明日からがいささか不安ではあります。
実家に行くまでにちょっと明日の予習でもしておくことにします。
カレンダーを見ると、今日は八十八夜と書かれています。
八十八夜といえば、「夏も近づく八十八夜~」という歌は知っていますが、そういえばどういう日なんだろうと検索してみたところ、
「八十八夜(はちじゅうはちや)は、立春から数えて88日目の雑節で、毎年5月2日頃(2026年は5月2日)。霜の被害が収まり、気候が安定する時期(別れ霜)で、農業の種まきや茶摘みの目安となる縁起の良い日。新茶の季節であり、八十八夜に摘まれたお茶は不老長寿の縁起物として親しまれている。(JREメディア)」
というようなことが書かれていました。
茶摘みの歌というのは知っていましたが、八十八夜に摘まれたお茶は不老長寿の縁起物だというのは知りませんでした。
興味がないと調べない、もしくは、見聞きしていても印象に残らないということなのでしょうね。
最近は母のことで気懸りが多く、何か新しいことに興味を持つというようなことが今まで以上にできていないのですが、できる範囲で色々なことに興味を持って、脳に刺激を与えたいものです。
今日から早5月ですね。1年の3分の1が過ぎました。
新たに開講したいと思っているコースは、教材を作られたところに色々確認することがあり、お尋ねは随分前にしているのですが、かれこれひと月ご回答を頂けておらずという状態でして…。
教室を始めたのが23年前の7月なので、新しいコースも夏からのスタートができるよう準備を進めようと思います。
5月もどうぞよろしくお願いいたします。
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