要求レベルが高いのか?
自分も含め、人はそれぞれ興味関心の違いや能力差があって、同じように努力しても同じ結果にはならないことは重々承知していますし、好きでないことはなかなかがんばれないことも分かっているのですが、うちの教室は嫌なら無理に通わなくてもいいところですから、算数・数学が好きでもっとしたいという子や、苦手で苦戦しているので何とかできるようになりたいという子など、自分自身でがんばる気持ちがあってほしいと思っており、そうでないなら、通わなくていいようおうちの方にお話してあげるよと言うこともあるぐらいです。
ですから、通ってくれるからには自分の頭でしっかり考えてくれるよう要求します。ただ、その要求レベルは、算数・数学のセンスがある子と、発達上の困難がある子、平均的な子など、それぞれの子に応じて調整しているつもりではあります。
恐らく算数にはあまり興味がないんだろうなという感じの中学年さんは、毎回のように宿題の取り組みがいい加減で、いい加減にするならしなくても一緒だと何度も話をし、一所懸命考えた結果、時間が足りなくなって手付かずのものが残ったとしても、その方が自分にとって力になるという話もし続けているのですが、前回ようやく久々に、その子なりにしっかり取り組んできた感じがあったというのに、今週はまた、12mのロープからある長さのロープを何本か切り取った残りという問題の答えが元より長い長さになっていたり、50メートルのロープの束が何束いるかという問題に0.625mと答えていたり(単位間違いとかではなく、全く無意味な計算をしていました。)で、悲しい気持ちになりながら、どうしてこの計算で答えが出るのか説明を求めると、しばらく黙ったまま何も言えず、ようやく読み間違えていたと。
私はいつも、自分の頭でしっかり考えるということを要求し続けているだけなのですし、しっかり考えて分かったときは、たとえ算数があまり好きでない子であっても、多少の気持ちよさ、スッキリ感はあるのではないかと思うのです。そこに辿り着いてほしいと願うことは、子どもによっては高望みなのでしょうか…。
まだ試行錯誤は続きそうです。
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