なんとも不思議
宿題の取り組みがいい加減な子達には、宿題は自分のためにするのだから、やらなくても忘れない、困らないのであればやらなくてもいいし、絶対できるというものは減らしても、やらずに済ませてもいい、何より、嫌々やっても身につかないので、やりたくなかったという理由でしてこなくても、基本的に怒らないというような話はします。
私は怒ると怖いということは多くの子が知っていますし、やりたくなかったという理由で手付かずで持ってこられることより、明かにいい加減に取り組んできたものを見せられる方が機嫌が悪くなることも知っているはずなのですが、どうしてなのか、見た瞬間間違っていると分かるもの、明かに適当にやっつけたものを、何も言わずに提出する子がいるのです。
それも、そういう話をする前であればともかく、既に何度も同じ話をしているのに、いっこうに変わらない子が複数いて、それは一体どういうことなんだろうと、なんとも不思議な気持ちになります。
怒られたくてやっているのであれば、まあ納得できますが、実際、やりたくなかったからやらなかったと言われても腹は立たない一方で、例えば、四角に分けるパズル問題で正方形にも長方形にもなっていない凸凹のものが書かれているとか、掛け算パズルで九九の範囲の計算なのに答えが全く合っていないとか、そういうものは、とりあえず埋めても本人に達成感も満足感も一切ないでしょうし、更に見せられた私は不機嫌になるのですから、それなら「やりませんでした」と白紙で出された方がお互いにいいわけです。
宿題に対する考え方は教室を始めた頃からずっと変わっていないので、それでもいい加減に形だけ埋めてくる子がいなくならないのは、ここ以外の宿題ではそれが通用しているということなのかもしれません。
なかなか悩ましい問題です。
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