理不尽でありませんように
私は教室をしてはいますが、どうしても勉強したくないのであれば、それもひとつの選択肢だと思っていますので、教室に来てくれる子達に対しても、やる気にさせるためにおだてるとか、本心ではないのに褒めるとかいうようなことはしませんし、子ども達にも、いい加減にするのならしても賢くならないし、時間の無駄だから、それならしなくてもいいというような話も必要だと感じればします。
宿題についても、やりたくないのにとりあえずやっつけでめちゃくちゃな状態で持ってこられるぐらいなら、やりたくなかったからやらなかったと持ってきてくれる方が余程いいという話もしますから、とにかく、やるならしっかり考えるということは譲れません。
考えるのに時間がかかって時間が足りなくなったのであれば、それは立派な理由になると思っていますし、真面目に取り組んだかどうかは、見ればある程度分かるものだとも思っていますので、しっかり取り組んだ宿題があって、手付かずのものがあるのと、いい加減にひと通りやって間違いだらけなのとを見せられたら、迷いなく前者を評価します。
それはずっと一貫している考えであり、折に触れ子ども達にも伝えていることですから、明かにいい加減に取り組んできたものを見せられると、我ながら大人げないとは思いますが、本当に嫌な気持ちになってしまいます。
特に、一緒にレッスンするようになってある程度長い子がそういうことをすると、かなりのショックを受けますから、子どもにも「こんなのを見せられたら不機嫌になるよ」と言ったりもします。
ここで子どもにも勘違いしてほしくないのですが、怒られるのが嫌だからという動機でやってほしいとは一切思っていませんし、そのために怒るということもありません。やるならしっかり取り組む、やらないならやらない、そのどちらかを選んでほしいだけなのです。
過去に何人か、宿題をほとんど手つかずで持ってくる子がいましたが、それぞれの子や必要であればおうちの方ともお話をして、家ではやる気にならないから、その分居残りでやると決めた子もいましたし、やらずに次のときに忘れてしまって同じところを繰り返しすることになってもいいならと、当面宿題を出さないことにした子もいました。
宿題の量や内容も、一律で決めているわけではなく、時間がかかる子、算数が苦手な子には少なめにしたりなど加減もしますから、要は、自分が賢くなるために学ぶのだと思ってほしいのです。
この思いが子どもたち一人一人にきちんと伝わっているといいのですが、子どもによってはうまく伝えきれず、怒られて嫌な思いだけが残るというようなこともあるかもしれません。そうならないことを願いつつ、ひとりひとりと向き合っていきたいと思います。
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