命懸けでとは言わないけど
恐らく能力的には恵まれているのだと思うものの、とにかくスケジュールがびっしり、常に忙しいのが当たり前であるらしい低学年さんは、図があっても目に入っていないように感じられたり、最後の詰めの手前辺りできっとこうだろうと問題を解き始めてしまう状態がすっかり癖になっているようでもあったりで、せっかくの能力が発揮し切れていないように感じることがよくあります。
小さい頃からスケジュールがびっしりなことが当たり前だからか、本人は大変だと感じてはいないようですが、限られた時間で多くのことをこなすとなると、どうしても早くしなくてはという意識が強くなるのは当然だろうとも思います。
子どもの性格や体調、置かれている状況などにもよるとは思いますが、何かをじっくり考えるためには大人であっても、心身に余裕がなくては難しいのですから、小さい子であれば尚更、時間的余裕は不可欠だろうと思います。
更に、じっくり考えるということは集中力も必要ですし、その分消耗もしますから、長時間考え続けるということも難しいのが普通でしょう。(いくらでも考え続けられるとすれば、考えている事柄が自分の興味があること、好きなこと、楽しいことなのだろうと思います。)
日頃から何事も早くしなくてはという状況に身を置いている人に、突然、ある場所でだけじっくりゆっくりを求めてもなかなか切り替わるものではないので、なかなかもどかしいですが、それでもここではゆっくりじっくり、自分が納得いくまで考えてもらうよう促しながら、私も根競べをすることになります。
よく考えずにぱっと答えを出して、間違っていたら直せばいいやという感覚は極力身につけさせないようにすべきだと思うのですが(テストなどではやり直しできませんので)、大量にやらなくてはならないことがあれば、当然じっくり考えるなんてことはできるはずもありません。
よく考えずに答えを書いて、考え直したら正しい答えを出せるような子には、もしその問題に命が掛かっているとしたら、そんな適当には答えないよね?などと言ってみることがあります。もちろん、全ての問題を命懸けのつもりで解きなさいとは言いませんが、本気を出して考えるというのがどういう状態なのか、経験したことがない子に対しては多少のきっかけになるかもしれません。
じっくり考えることをせずに来た子であっても、真剣に考えて分かったときの快感を繰り返し経験することで、大人があれこれ言わずとも、自然と考えるようになっていくものなのではないかなと、これまでの子ども達とのレッスンを通して感じています。
| 固定リンク
コメント