書いているのに見えていない
今日のレッスンで、別の時間のレッスンの子達が持ってきた宿題のプリントの答えを見て、なんとも悲しい気持ちになりました。
いい加減にするのなら、やっても全く意味がないので(むしろ、時間も鉛筆の芯も無駄になる上、それを見せられた私の精神衛生的にもマイナスになるので)それならやらなくてもいいという話は、いい加減な答えを書いて持ってきた子には必ずします。
適当にやってマルをもらっても、それでは一切賢くならないから、自分の力にならないということももちろん話します。
にもかかわらず、どう見てもあり得ない答えを書いて持ってこられると、ああ、まだ伝わらないのか…ととても悲しくなりますし、本人も、そんなものを持ってきたら、私が不機嫌になることぐらいわかるだろうに…とやるせなくなります。
どんなものかと言えば、例えば95×12の答えが200より小さかったりというように、桁が違うあり得ない答えが多発していました。
文章問題だったので、考え方自体は合っているのに、解けているものはないというプリントもあって、悲しくなりながらも、95は2回でもその答えより大きくなるよね?と声をかけ、再度考えてもらおうとしたものの、なぜか動き出さないので、「95が10回と2回よね?」と言ったところ、次に出てきた答えは95×10×2をしたものでした。
結局は数字を見ているだけで、量などの感覚はないんだなと、面倒かもしれないけど、足し算で表してくれるよう伝えたところ、95+95+と12回足す式を書いたので、「うん、そういうことよね?じゃあ解けるよね?」と言って待っていたのですが、なぜか今度は90×10と5×12で960というような、なんとも謎めいた答えが…。
もちろん、どの子も数量感覚が身についているということはありませんし、そもそも算数が好きではない子の場合、楽しく考えるというのは無理かもしれません。気乗りがしないのに考えるというのは結構辛くもありますので、ここは学校ではないので、どうにも嫌でやりたくないのであれば、無理して通う必要もないのです。(必要なときにはそういう話も子どもにします。)
別の子も、底辺9㎝、高さ6㎝の平行四辺形と高さが同じで上底が6㎝の台形の下底は何㎝かという問題で、9㎝と答えていました。平行四辺形は上も下も9㎝なのに、上が6㎝、下が9㎝の台形と面積が一緒になるはずがないことは、少しでも形をイメージすればわかるはずで、念のため、平行四辺形の図を描いておいたというのに、その答えを見せられ、そのほかにも見た瞬間絶対あり得ない答えが多発…。
その子達は2人とも、教室でレッスン中は集中して考える子たちなので尚更、いい加減に取り組んでいるであろうことが想像できるので、伝わらなさに無力感を感じます…。
自分で考えてあれこれ書く・描く場合は、自分の頭で考えているから見えるのでしょうけれど、どう書くの?などと促されて書くと、見え方が違うのかもしれませんね。私ももっと覚悟を決めて、教室を始めた頃のように、時には1時間のレッスンで1問しか解けないことがあってもいいと腹をくくって根競べする必要があるのかもしれません。
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