やわらかい頭
恐らく私が1年生のときに言われても響かなかっただろうなと思うので、すぐすぐそれで何か変わるとは思ってはいないものの、ある1年生さんにお話をしました。
というのも、その子は小さい頃から色々なことをがんばっていて、お勉強も早くから始めていたようで、まだ1年生なので、何ができて何はまだ知らないかを確認するため、今はひとまず最初から全部おさらいを兼ねてやり進めていて、そんな中、ああ、これはきっと自分で考えることなく、解き方を教わったんだろうなと思う場面に出くわすことがちょこちょこあるのです。
もちろん、それに関してその子には全く何も非はないですし、教室を始める際にお世話になった先生もおっしゃっていたのですが、先に習ってしまったことを使うなと言っても、それは大抵無理だというのは私も納得できますので、習ったことを覚えて解くのが悪いわけではないし、そのやり方が分かりやすいのならそれでもいいのだけどと必ず前置きをしてから、こういう方法もあるよとか、こうした方が簡単だよとか、他の方法を提示することもあります。
私自身、小学生の頃に、自分であれこれ考えるより先に、異分母分数の大きさ比べは通分して解くと習ってしまったため、大人になってもしばらくは何の疑問も持たず、異分母なら通分をしていた時期がありました。
ですが、教室を始めるにあたり、まず考えるということを自分でも意識するようになった結果、少なくない割合で、わざわざ通分しなくても見ただけでどちらが大きいかわかる問題があるということに気づきました。
そして、分数を大きさのイメージから入る子ども達は、通分なんて習っていない段階でも、大小比較の問題を結構解くことができます。
もちろん、問題によっては通分しないと判断しづらいものもあるので、それは当然すればいいですが、例えば分母が大きく、通分するにも計算が結構面倒そうというような場合は、大小比較ができればいいのなら、これまた何が何でも通分しなくても小数でどちらが大きいかわかるところまで計算するという方法もあるわけで、色々な方法があるということを知っていて、状況に応じて使い分けられるのがよりよいですし、その方が楽に解ける問題があるとも言えます。
今回の1年生さんは、サイコロを決められたところまで転がしたときに、上の面に来る目の数は何かを考える問題で、明らかに塾か何かで習ったのだろうという解き方をしていたのですが、今回の問題で問われている位置は、最終的には手前か後ろの面、どちらかが上に向くだけのものだったので、途中を一切考えず、即答できる問題でした。
ですが、恐らく「こうやって解きなさい」と言われた手順に疑問を持つことなく、1面ずつ細かく5つの数字を書いて、手間暇かけて正解にたどり着いていたので、それでももちろんいいのだけど、この問題は手前に倒れるか後ろに倒れるかだから、全部書かなくても分かるのではという話をして、問題によって、そういうことが判断できるといいねという話をもう少し分かりやすい表現で話しました。
子どもが試行錯誤した後で、その方法が面倒だったり、間違いやすかったりすれば、こういう方法もあるよと後から提示するのならいいのですが、先に教えてしまうことで、子どもは試行錯誤の機会を失うことになりがちです。
せっかく先取り学習をしても、「やわらかい頭」を育てられなければ、長い目で見るとがんばった割に実り少ないというようなことにもなりかねませんので、大切なお子さんのためにも気を付けて頂けたら嬉しいです。
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