なんとも悲しくなる
私は教室をしてはいますが、どうしても勉強したくないという子に無理矢理やらせようとは思いませんし、勉強以外に何か打ち込んでいるものがあるような場合は、それに力を注ぐというのも立派な選択の一つだと思っていますので、本当に算数が嫌なんだろうなと思えば、本人に無理しなくてもいいし、教室は嫌々通う必要はないのだという話をします。宿題をしない子には、なぜ宿題を出しているかを話し、出された宿題の中に自信をもってできるものがあるなら、やりたくなければそれはやらなくても構わないとも言います。
例えば、辞めてほしくないからとなだめすかして何とか取り組ませるとか、何でもかんでも助けて、褒めて、続けてもらうというような方法ももちろんあるでしょうし、それを世渡り上手といったりするのかもしれませんが、とにかく、子ども本人のためにならないことはしないと決めていますし、頂くお月謝が無駄になるようなことは続けられないというのも、教室を始めたときから一貫している考えです。
だからこそ、それなりの年数付き合いがある子どもに自分の思いが全く響いていないと感じさせられることがあると、本当に悲しい気持ちになります。もちろん、自分の力不足のせいなのだと思いますが、それも含め、何年も一緒にレッスンしているのに、思いが伝わっていないのか…と思い知らされることは悲しく、辛いものがあります。
それでも、ここに通ってくれる限りは、自分がどれだけ嫌われても、その子にとって本物の力になる学びの手助けしかしないというところはこれからも譲らずがんばっていくしかありません。
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