子どもより優れていなくても
日々、子ども達とレッスンをしながら、よほど面倒な計算でなければ、極力その場で暗算をしてマル付けをしてきたのですが、これも老化なのか、ずっとやっていることだというのに、自分でも明らかに計算スピードが遅くなったと感じたり、簡単な計算でも暗算では自信が持てないことがあったりと、情けなく感じる今日この頃。まだ、紙があればきちんと計算はできますが、頻繁にやっていることでも衰えるということを身をもって知るのはなかなか切ないものがあります。
ただ、自分の計算に些か自信がなくなっている状況は、意外にも悪いことばかりではないようで、答え合わせをしているときに、計算が元々私よりよくできるのではないかというような子が計算間違いをしているときに(念のため二度、三度確かめたりもしますが)、もしも自分が間違っていたら申し訳ないので、先日ある子に「多分これ、ちょっと違うと思うんやけど、もし私が間違ってたら間違ってるって言っていいよ」と声掛けをしたところ、それはそれは楽しそうに「違う!」と大きな声で言われました。(まあ、そのときは私が合っていたんですが。)
先生が間違えるというのは、子ども的にはどうなんだろうと思っていましたが、先生より自分のほうが合っていたという出来事自体は、たまにであれば嬉しいことなのかもしれないなと、そのとき感じました。もちろん、そういうことが極力ないように気を付けていますが。
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