気持ち悪さを感じるかどうか
小さい頃からしっかり考えることが当たり前になっている子にとっては、例えば公式を教えられたとしても、なぜそれを使えば解けるのか、その公式はどういうことを表しているのかなどが分からないとモヤモヤする子も少なくないかと思います。
特に小学校の算数では、公式といわれるもののほとんどは覚えなくても考えれば解けるものですから、考えるのが当たり前の子の場合、そもそも公式の大半を覚えていないということもあるかもしれません。
例えば、速さの学習をすると、学校では「はじき」とか「みはじ」とか言って円を描き、円の中にTの字を描いたようなものの3つの区分に道のり(距離)・速さ・時間の言葉を入れて、その図を覚えるように指導したりするようですが、私は教室の子達に速さの公式を教えたことはありませんし、教えなくても解ける子がほとんどです。
ただ、小さい頃に考えることが当たり前になることなく、学校や塾などで習ったことを真面目に覚えて問題を解くということを繰り返してきた子の多くは、公式の意味を考えることなく、ただ当てはめて答えを出したりします。また、その出てきた答えが正しそうかどうかの感覚さえ持ち合わせていないことも珍しくありません。
今日のあるレッスンでも、大手受験塾に通いつつ、学年が少し上がってからご縁をもらった子が、13で割ると9余る400に最も近い数を求める問題の答えに、13で割っても9余らない数を書いていたので、どう考えたのか尋ねてみたところ、13+9をして、それを400から引いたのだと言います。あまりに予想外の説明だったので、なんでそれで解けるの?と尋ねると返事はなし。
例えば、どうしても提出しなくてはいけない宿題で、とにかく答えを書かねばというような状況だったり、算数がキライで考える気がないとかいう子だったりするなら、ろくに考えず、適当に答えを書くことはあるかもしれません。
ただ、その子の場合は本人に高い目標があり、その目標のためには確実に難しい算数も、その先の数学もできるようにならねばならないことは確かで、その話も何度もしているのですが、それでも説明のつかない答えを書いてしまうことに、少し戸惑います。
きっとこれまでの数年間で、そうすることに抵抗がない状態になってしまっているのだろうと思います。
それをいかにして、そんな曖昧な状態で適当に答えを書くのは気持ち悪い、モヤモヤすると感じてもらえるようにするか、そこが一番大事で、それさえできれば、地頭がいい子なら勝手に算数ができるようになっていくのではないかとさえ思います。
早くその日が来ることを願いつつ、根競べを続けます。
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