道半ば
私は子ども達に対して、いつも同じことしか言っていないのではないかと思います。
その考え方が正しいかどうか、人によっては否定されることもあるのかもしれないと思いますが、少なくとも私は、点数が取れるなら、分かっていなくても構わない、点数のためにはとりあえず解き方を覚えて乗り切ればいいとは思えないのです。
もちろん、学年が上がって、受験までにどうしても点数を取れるようにならなければならないものの、じっくり考えるだけの時間がないというような事情がある場合はやむを得ないかもしれませんが、「自分で何をしているか分からないけど、とりあえず答えは出せる」という勉強の仕方は、その子が生きていく上で、ほとんど役に立たないと思うからです。
特に小中学生ぐらいであれば、暗記で知識を問われる教科も少なくない中、算数、数学は覚える必要のあることはかなり限られていて、問題に書かれていることをイメージしたり、図に描いたりすれば、考えられる問題がかなりある教科ですから、自分でしっかり考えて答えを導き出すという練習ができる数少ない教科だとも思うのです。
世の中に、そういう子は少なからずいることは知っていますが、例えば、割合の問題を解く際、学校などでは公式を覚えさせられることが珍しくありません。その公式も3つあったりして、よく考えることがない子ども達は、どの時は掛け算でどの時が割り算かごちゃごちゃになり、割り算の場合はどちらをどちらで割るのかさえ曖昧になるなどということも多々あります。
マルがもらえたら、それはたまたま覚えていた、運がよかったというような状態で、その答えが本当に正しいかどうか、なぜそれで解けるのかなどを考えないままの子もいるのです。
中には一所懸命考えようとしても能力的に考えられない子もいるので、そういう子の場合、覚えられるのであれば覚えて解くという選択もあると思うのですが、考えられるはずの子が考えることなく解いて、それが合っているかどうかも分からないというのは、何のために解いているのか私には分かりません。
少なくとも私は適当に書いた、ろくに考えていない答えをそのままよしとすることはありませんから、そういうことで済まそうとする子は、何度も何度も同じことを言われることになります。ほとんどの子は繰り返し繰り返し、考えることの大事さを伝えていると、だんだん切り替わっていくのですが、一時期よい方向に変わりつつあった子のうち何人かが、なぜか考えない人に戻りつつあって、非常にもどかしい今日この頃です。
それでも何度でも、その子に響くまで言い続けるしかありません。
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