考えたことがなかったけれど
これまで長らく生きてきましたが、考えたことがなかった視点に気づきました。
自分自身はテストは解ける問題は解くのが当たり前だと思っていましたし、恐らく世の多くの人がそうなのだろうとは思います。
ただ、今日のレッスンの一人の子を見ていて、ふと思い至ったことがありました。
その子は算数のセンスがないわけではないように感じるのですが、なぜか引き算に激しい抵抗を示します。足し算や掛け算は学年相応のことができているように思うのですが、引き算になると、まずやる気がほぼ0になり、それでもなんとかやらせると、全くできないわけではないという状態です。
ちょっと話は変わりますが、例えば、ちょっとびりっと電気ショックを受けるのを我慢すればお菓子がもらえるという設定があった場合、ちょっとの痛みなら我慢してお菓子をもらおうと思う人と、痛い思いをするぐらいならお菓子はいらないと思う人がいるでしょう。
更に言えば、痛みに強い人と弱い人、お菓子が好きな人と嫌いな人がいますから、痛みに弱くてお菓子が嫌いであれば、初めから設定が全く成り立っていませんし、痛みに強くてお菓子が好きであれば、ちょっとぐらいの痛みは感じないので迷う必要はないかもしれません。
上記の子の場合、例えば、とにかく大嫌いな引き算は、がんばって考えたら解けなくはないという状態で、もし、テストでいい点を取ったら本人がとても嬉しいご褒美がもらえるとか、逆にテストで悪い点だったら本人が絶対に嫌と思うような罰が与えられるとか、何らかの条件があったとしたら、嫌でも考えてみようとするかもしれませんが、そうでないなら、テストの点なんてどうでもいいから解かないという選択をしても不思議ではありません。
何が言いたいかというと、もっと広い視点で見ると、「テストの点が悪い=理解できていない」とは言えない場合があるのかもしれないなと。
テストの点数に全く無頓着な子であれば、解けば解ける問題でもやらずにテスト時間に空想にふけっているなんて子もいるかもしれません。
そう思えば、テストで測れる学力というのは、あくまでも本人が解く意思があった場合なんだなと。
入試などであれば、余程のことがない限り合格したいと思って受けるわけですから、嫌な問題、苦手な問題にも立ち向かっていくかもしれませんが、学校の単元テストぐらいであれば、「できるのにやっていない」の可能性も頭の隅に置いていかねばならないのかもなと思いました。
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