泣きそうに嬉しい
夏前からご縁を頂いた低学年さんは、それまで通っていた教室などでは、やりたくないと思ったら泣いて、泣くと先生がおしまいにしておられたそうで、私も何度となく泣かれていますが、小さい子達が問題が難しそうというだけで泣き出すということはこれまで何度も経験していますので、辛いながらも「泣いてもいいよ」といって、レッスンを切り上げることはせず、様子を見てきました。
当初に比べると泣くことはかなり減ったものの、やりたくないものにぶつかると、どこかに涙スイッチがあるのでは?と思うぐらい一瞬で泣く特技(?)は健在です。
そんな中、今日はご機嫌でかけ算のプリントに取り組んでいたのですが、私と一緒に学習するより先に、既に九九をかなりの範囲覚えているようで、教具を見せても覚えていることでさっさと解いてしまう状態だったため、残念だなぁと思いながらも、どこかで行き詰るまではそのまま進めることにしました。
すると、ずっとご機嫌ですごいスピードで問題を解いていたのに、突然4×9で止まり、「わかんない」と言って、その他の問題を終わらせました。
とはいえ、導入の段階では積み木の教具を並べて見せながら10×〇や5×〇などをし、その次には教具が図に描かれたプリントもし、段階を経て進んでいるわけですから、4×9の意味がわからないはずはありません。仮にそれすら分からないのであれば、ここまでやってきたかけ算の学習はほぼ全く意味がなかった(ただ単に、その子の記憶力によるものだった)ということになります。
本人にはこれまでも何度も何度も、たとえ答えを間違えたとしても、自分で考えたら考えた分賢くなる、適当に答えを書いて、違ったら書き直してを繰り返してマルをもらっても、全く賢くはならないということを伝えていますし、マルさえもらえればいいのであれば、わざわざうちに通わなくてもいいということ、これまで色々がんばって、初めはできなかったのにできるようになったことがたくさんあるのでは?ということなどを話しているのですが、今日もまたそんな話を何度も繰り返し、考えることを放棄するその子と根競べになりました。
何度も何度も言葉をかけ、なぜ考えることが大切なのか、私なりに思うことも話し、粘っていると、ようやく「4×9」は4の積み木を9本置くということを答えてくれました。
しかし、紙に「4を9こ」と書いただけで再びストップ。言葉にはしたものの、量としてイメージするところに至っていないようでした。そこで「言葉じゃなくて、見てわかるように、ここ(紙)に4を9個描いて」というと(その時の私は 444444444 と書いてもらうつもりでしたが)、マルを4つ並べたものを1段、2段と描き始めました。
黙って見ていると、それを9段分描いた後、数えて答えを出しました。
大袈裟に思われるかもしれませんが、私はその姿を見て、泣きそうになりました。
今、目の前のこの子は確かに自分の力で答えに辿り着いた、かけ算がどういう計算なのか自分で図に表せた、それは本当に感動だったのです。
勉強に関して、速くできるということを褒めがちですが、小さいうちはスピードを褒めていると、ぱっとできることばかり好きになり、じっくり考える必要があるものを嫌がるようになったりもします。
できるものをダラダラとしているときには速くするように促してもいいとは思いますが、小さい子にはスピードは求めないで考えることを優先させてもらえるといいなと思います。
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