賢いとは
私達は日常生活の中でたびたび「賢い」という言葉を使うことがあるかと思いますが、子ども達と一緒に学習を進めていると、「賢い」というのはどういうことなんだろうと思うことがあります。
例えば、いわゆる天才といわれるIQ130overの方たちは間違いなく「頭がいい」のだろうと思います。多くの人が理解するのに時間を要するようなことも、いとも容易く理解してしまう方たちは「賢い」と言えるのかもしれません。
ですが、私達はしばしば、学習に関してはテストの点数がよいこと、通知表などの評価が高いことを指して「賢い子」ということもあるように思います。もちろん、点数が悪いことと比較すれば、よい方が賢いのかもしれませんが「賢い」というのはかなり抽象的な言葉なんだなと思います。
今一緒にレッスンをしている子の中に、数学以外はテストでいい点数を取り続けているという子がいて、ほかの教科で安定して得点できるのであれば、頭はいいのだろうと思うのですが、数学を見ていると、他塾で習ったことの多くを忘れており、習ったことも、どうしてそうすれば解けるのかを考えることはほぼない様子で、問題を前にして、こんな感じで解くんだったっけ…という取り組み方をしているように見えます。
少なくとも、その子は数学の学習の仕方は頭を使って考えているという感じはなく、応用問題が苦手というのも当然といえば当然だなと。
それでも、その子のことではなく、一般的に暗記が得意、習ったことを使って処理するのが得意というような子はテストではそれなりに点数が取れますから、「賢い」と言われることも少なくないのかもしれません。
ただ、個人的には、しっかり頭を使って考えられる人が「賢い」のではないかと思っていますし、そういう人は社会に出てもしっかりやっていけるのではないかなと思います。
ですから、私は後者の「賢い」子どもを育てるお手伝いをしていきたいと思います。
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