考えてみれば…。
私は子どもの頃、ありがたいことに、そんなに必死にがんばらなくても、困らないぐらいには大抵なんでもできたので、公立の小中学校だと、授業が分からなくて困るとか、運動が全くダメとか、美術的センスが全くないとか、そういうことはなく、常に平均以上の成績をもらっていたように思います。
そのせいなのか性格的なものなのか、テストの点数が多少悪くても気にならず、よかったからと言って自慢に思うようなこともなく、点数には無頓着な方でもあったと思います。(高校で赤点を複数取ると留年する可能性が…というような話になってようやく、赤点は何としても避けなければという程度に点数を意識するようになりましたが。(苦笑))
成績や受験に対して無頓着だったにも関わらず、もしかするとやや分不相応かもしれない学校に進学することもできたことで、尚更深く考えることもなく、自分にとって小中学校の頃は「学校は楽しいところ」と思っていました。
ただ、教室で色々な子ども達を見ていると、がんばっているのになかなか結果に繋がらない子や、少なくとも教科学習の面については能力的にあまり恵まれなかった子などもいて、そういう子もみんなと同じテストを受け、そのテストの結果などで評価され、成績を付けられるという状況は、その子の努力を評価しているのとは違う面も多々あるのに、子どもの性格によっては、常に劣等感を抱いて学校生活を送ることになるかもしれないのだなと。
「もともと」という表現は抽象的ではありますが、子どもによって、もともと人より運動神経が優れている子、音感が優れている子、美術の能力に恵まれている子などがいるように、教科学習、学校での「勉強」についても、もともと労せずともできるという子がいるわけです。
もともと運動神経に恵まれなかった子も、努力すればある程度能力を伸ばすことはできるでしょうけれど、努力だけで抜群に運動ができるようになるということはそうそうないでしょう。
それと同じことが教科学習に関しても言えるはずなのに、持って生まれた部分は考慮されず、成績がついてしまう仕組みは、能力に恵まれなかった子達に対して、非常に残酷で不公平なものなのかもしれないなと。
試験でよく、平均点よりよかったとか悪かったとか言いますが、そもそも、その試験を受けた子達の半分ぐらいは平均点を取れていないからこその「平均点」なわけで、仮にがんばっているのに常に平均点より低い点しか取れない子がいたら、その子にとって教科学習は嫌なもの、授業はつまらないもの、学校は行きたくないところ…というような感情が芽生えても不思議ではないですよね…。
何をどうすればいいのかわかりませんが、一人ひとりの子が、その子のがんばりを評価してもらえるような仕組みがあればいいのになと思ってしまいます。
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