考えさせられる
先日インターネットの記事で、教科書を読めていない子どもが9割いるというようなことを目にし、さすがにそれは大袈裟なのではと思いましたが、そこで書かれているのは中学、高校の話ではなく、小学校低学年の段階で既にという話でした。
「読めない」というのは、もちろん、書かれている文字を読むことができないということではなく、内容を正しくつかめないという意味なのだと思いますが、仮にそういう子が低学年の段階で3割いると言われても、大抵の大人は驚くでしょうし、信じないのではないかなと思います。
ですが、私はまだ読み終えていないものの、その本を書かれた方は子ども達やAIについて研究されている方で、データに基づいて書いておられることを考えると、決して少なくない割合の子ども達が、教科書に書かれている程度の文章を、正しく理解できていないのが事実なのかもしれません。そうなると、教科書だけが読めないなんていうことはないはずですから、親や先生との会話の内容も、伝えたいことが正しく伝わっていないということも少なからずあるのかもしれません。
私自身は、子どもの頃を思い返しても、文を読むことは苦にならなかったので、恐らくある程度正しく読み取り、会話していたつもりですが、自分の意図を相手が同じように受け取っているかどうかは分からないということなのだなと、ちょっと考えさせられます。
簡単な例でいうとご飯の量が「多い」といっても、言葉だけでは想像する量は人それぞれ異なるはずですから、抽象概念であれば、こちらの意図と相手の意図がずれている可能性は大いにあるだろうと思います。
平易な文章であれば、小さい子でも分かるだろうと思っていても、子どもによっては分かっていないこともあるのでしょう。
子ども達とレッスンをするときに、角の大きい、小さいがぴんとこない子に対して、尖っているといってもダメな場合、刺さったら痛そうな方が小さいという説明をすることがあるのですが、これまではそれを言えばどっちが痛そうか正しく(私の意図する方を)答えてくれていました。
ですが、仮に、尖ったものが刺さった経験がない子がいたら、「刺さったら痛い」ということ自体が理解できないかもしれません。
日常の中で使われているので、当たり前に知っているだろうと思うことでも、その子が興味を持っていなければ、意識に残っていないこともあるでしょう。
そういう意味でも、映像などだけではなく、具体物に触れ、色々な経験を実際にすることは、子ども達の読み取りの力をつけるためにもとてもい大切なことなのではないかなと感じます。
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