今はまだそれが必要なのだろう
高学年に差し掛かって、算数での苦戦が目に見えてきたとのことで、ここに来てくれるようになった子は、真面目で丁寧な子なのですが、実際、数の感覚がほとんど身についていない、イメージできていないという感じで、ただ習ったやり方通りに計算をすることはできるものの、文章題などになると途端に全くちんぷんかんぷんという状態でした。
これまで理解が曖昧なままやり過ごしてきたところが多いため、まだ学校の方が先に進んでしまう状態から抜け出せてはいないのですが、ここ1か月ほどでしょうか、ようやく自分から、物を使ってでも考えようという姿勢が見えるようになってきました。
学校では既に2桁で割る筆算なども済んでしまったのですが、解き方はある程度覚えていても、まだ数のイメージとはきちんと結びついてはいない印象で、小学校の間になんとか、イメージを伴って考えられるようになってほしいので、敢えて筆算の前段階を硬貨を使って両替をしながら、実際に何回取れるか、何円余るかなどを考えてもらっています。
前回は自分から硬貨を使い、問題に取り組んでくれていましたが、今回も、絵に描かれたものを頭の中で両替しながらというのはまだ難しいらしく、実際に硬貨を出し、両替したりしながら、問題を考えていました。
もちろん、もう高学年なので、1問1問そうやって解くのは時間ももったいないですし、実際に学校ではそうやって解くことはできないので、そのうち使わずに考えられるようになってもらわねばならないのですが、これまで長い間、数が具体物と結びつくことなく、量感を伴わないままきてしまったその子にとって、数をお金でイメージできるようになれば、それはひとつ大きな力になるだろうと思うのです。
小さい子達に数の教具を見せるとき、教室を始めるときにお世話になった先生は、見せ過ぎたらダメとおっしゃっていたのですが、数回見たらすぐ理解して、イメージできるようになる子もいれば、何回、何十回と繰り返し見せても、なかなかイメージできるようにならない子もいて、そういう、なかなかイメージできない子に、見せずに考えてというのは、結局きちんと理解できぬまま、嫌な感情だけが残るように感じました。
また、何度も何度も見なければできない子でも、自分の中でもう大丈夫と思えるときが来たら、自然と教具なしで考え始めるというのも、何度も目にしてきたことです。
ですから、もう高学年になっているその子にとっても、今、何度も硬貨を実際に並べ、分けてみる作業は、割り算をイメージする上で必要なことなのだと思います。そうして何度も触って、分けてみることで、学校などで問題を前にしたときに、100円玉や10円玉、1円玉が浮かぶようになるのではないかなと、そう思います。
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