みんな「同じ」であるべきなのか
先日、都立高校の男女別定員問題の裁判の判決がニュースになっていましたが、そのニュースを見ながら感じたのは、知識重視のペーパーテストでの試験が時代にそぐわなくなっているのではということでした。
もちろん、現状の入試で、都立高校がペーパーテストの点数で合否判定をするというルールを決めているのだとすれば、最低点の男子より高い得点を取ったのに、女子だからと不合格になるというのは不公平感があるだろうというのは分かります。ただ、どれだけ工夫をしても知識偏重になりがちなペーパーテストで測れる能力は、人の持つ能力のごく限られた部分だけのように思いますし、「覚えるのが得意な子=能力が高い子」とはいえない面もあるだろうと思います。
更には、昔と違い、色々なことを手軽にあっという間に調べることができるようになった今の時代に、例えば歴史の年号だとか、首都がどこだとか、化学反応式その他諸々、もちろん覚えていたら便利なこともあるでしょうけれど、普段覚えておいてもほとんど使うことがないような知識については、それを問うより、調べる力や、考える力など、もっと重視するものを測れる試験に変えていく必要があるのではないかと思います。
それはある程度成長した子達のことですが、教室の子達を見ていても、得意なことと苦手なことというのは、ほとんどの子があるでしょうし、スピードはゆっくりだけれど、時間を与えられれば考えられる子は、学校の授業の中ではその能力を見落とされがちだったりするのだろうと思います。
みんなが同じ課題を同じ時期に与えられ、できればマル、できなければバツで評価されてしまうような今の学校制度も、いい加減限界なのではないかなという気持ちになることがあります。なかなか難しいのでしょうけど…。
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