多分正しいのだけど
教室の子ども達には、必要だと感じたときには、宿題にしろ、ここでの課題にしろ、自分のために学ぶのだから、怒られるのが嫌で適当にするぐらいならしなくていいし、ここが学校とかではないのだから、嫌なのに我慢して来る必要もないという話をします。
学ぶのは自分のためだというのは多分正しいと思いますし、嫌々やっても身に着かないのでやらないのと大して変わらないというのも、脳科学的に正しいようですので、私が子ども達に言っていることは恐らく間違ってはいないのですが、それとは別に思うことがあります。
例えば、子どもでなくても、人はきっとほぼ例外なく、自分のためにがんばるよりは、大切な誰かのためにがんばる方ががんばれるのだろうと思います。大切な人や好きな人に喜んでもらいたい、役に立ちたい、褒めてもらいたいなど、他者がいるほうがモチベーションが上がるという場合は多々あるのではないでしょうか。
私は家ではひとりなので、食事も体を壊さなければ何でもいいや…と思いがちですし、家事も自分のためにするわけですから、やっても誰かが褒めてくれるわけでも、気づいてくれるわけでもなく、なかなかやる気は出ません。(もちろん、一人暮らしでもきっちりされている人もいると思いますが。)
子ども達に対して、特に宿題を嫌がるような子に対して、ここが学校とは違い、嫌なら無理に通う必要がないところでもあるので、自分のためにするのだから、嫌なら無理にしなくてもいいというのは間違いではないとは思うのですが、それだけだと、やる気を出せるかというと難しい面も大いにありそうだなと。
怒られるのが嫌だから嫌だけど我慢してやるというのは、学習効果がほとんど望めないようですから、それは避けねばなりませんが、例えば、がんばったら大好きなお父さんやお母さんが褒めてくれるとか、喜んでくれるとかがあって、そのためにがんばるというのはあってもいいのだろうと。
テストでいい点数を取ったら何かを買ってもらえるというようなご褒美的な仕組みは、個人的にはあまりいいとは思いませんが(ご褒美がなければやる気が出ないということになりかねないので)、誰かを喜ばせたい、好きな人に褒められたい、そういう動機でがんばれるのであれば、それはとてもいいことなのかもしれないと。
私も、宿題に関して、やってくることを当たり前と思うのではなく、もう少し、褒める機会を見つけられるよう努力しなくてはと思います。
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