悲しくなるけど
多分、子どもに限ったことではなく、ほとんど誰もが例外なく、好きなことはいくらでも集中することができる一方で、それはしなければならないことだと分かっていたり、自分のためにはした方がいいと分かっていても、好きではないことにはなかなか集中できないのだろうと思います。
ですから、宿題がいい加減な子も、やりたくなかったのなら、それも仕方ないことなのだろうということは分かります。ただ、伝わっていないのか、その場では分かっていても家に帰るとついつい同じことを繰り返してしまうのか、ろくに考えもせずいい加減にするぐらいなら、しないのと同じだからしなくていいということを聞き入れず、それなのにいい加減な状態の宿題を繰り返し持ってくる子がいると、どうしても腹が立ってしまいます…。
怒ると、怒られるのが嫌だからというネガティブな動機で宿題をする子も出てくると思うので、やらないことに対しては極力怒らないようにはしているつもりなのですが、私が言いたいことが伝わらないもどかしさは消えません。
例えば、計算パズルで同じ列に同じ数は並ばないという、最低限のルールさえ無視して、同じ列に同じ数がいくつも並んでいるプリントを、宿題をしたといって提出された場合、それはした意味が一切ありません。計算パズルは大抵の場合、計算自体はごく基本的なものなので、計算練習のために出しているわけではなく、頭の使い方の練習のために出しています。縦の列、横の列に目をやりつつ、ここにこの数が入るなら、ここには使えないから…などと、理詰めで考えていく練習のためのものなのに、ただ足し算や掛け算の答えだけが合っていて、パズルのルールを無視したものを持ってきても意味がないのです。
また、兄の体重が妹の体重の50倍などという答えを平気で書いてくる時点で、その問題を解いたとき、その子の頭には一切何もイメージがわいておらず、また、答えを書く際に、体重が50倍ということへの違和感すら抱けないのであれば、それも解いた意味が全くありません。仮に妹が赤ちゃんで体重が3キロしかなかったとしても、兄の体重は150キロですから、ほんの少しでも何かイメージしたり、考えていれば、そんな答えをそのまま書いてくるはずはないと思うのです。(もちろん、算数自体がとても苦手で、一所懸命しているのにできていないような場合は、私も腹立たしくは思いませんので。)
勉強は自分のためにするのだということ。したくなければしなくてもいいと私は思っているということ。いい加減にした宿題を見せられるのなら、しないほうがマシだということ。自信がある問題はたくさんしなくていいけど、問題を減らすのであれば、解く問題はきちんと解くこと。そんなことを折に触れ伝え続けているのですが、私の伝え方が下手なのか、伝わっていないように感じる子が、現状数人います。
悲しい気持ちになりますが、それでも伝え続けていくしかないのでしょうね。
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