5月もおしまい
今日で5月もおしまいですが、今日はレッスンがお休みでしたので、家で引きこもっていました。
何が功を奏しているのか分かりませんが、県内、市内とも感染者数が少し落ち着いてきたようで、何とかこのまま減少し続けてくれることを願わずにはいられません。
梅雨の雨や夏の暑さでウイルスが減ったり、弱まったりしてくれるといいなと思いつつ、6月もどうぞよろしくお願いいたします。
今日で5月もおしまいですが、今日はレッスンがお休みでしたので、家で引きこもっていました。
何が功を奏しているのか分かりませんが、県内、市内とも感染者数が少し落ち着いてきたようで、何とかこのまま減少し続けてくれることを願わずにはいられません。
梅雨の雨や夏の暑さでウイルスが減ったり、弱まったりしてくれるといいなと思いつつ、6月もどうぞよろしくお願いいたします。
子ども達とのレッスンでは、初めに説明をすることはほぼなくて、特に通ってくれて何年か経っているような子達は、問題を目の前に出されれば、まず考えてみるのが当たり前になっているので(何か最初に説明が必要な場合は、それだけは説明するので、私が何も言わない場合は、さて、どう解こうかなというのがスタートになります。)、そのお蔭で、色々感動したり、改めて気づかせてもらったりということが、よくあります。
今週のレッスンでも、色々な子が「へぇ~、その問題もノーヒントで解けるようになったのか」とか、「おお、そういう考え方もあるんだな」とか、色々な喜びがありました。
自分がまず説明しなくてはと思っていたら、気づけなかったことを子どもがしたりということもありますし、例えば、私自身、昔から定石のようになっている解法があれば、当たり前にそれで解いてしまうこともあるので、定石ではない解き方を子どもがして、それがなかなか「イケてる」なんてこともあって、初めに教えないからこそ、もらえるご褒美みたいなものがたくさんあるなぁと思います。
最初に説明をして、その通りに解かせることは簡単ですし、説明したのにできなければ、子どもに責任を押し付けることも可能かもしれません。
ですが、こういう仕事をしているのに、大人の側が楽をして、子どもが不利益を被るのはおかしな話ですから、その子が解けそうなレベルの見極めや、最小限の手助けをするタイミングを見計らうことに、これからも力を尽くしたいと思います。
じわじわと気温が上がり、日中は暑さを感じる日も増えてきました。おまけに早い梅雨入りでじめじめしていたりもするので、そのせいなのか、先週あたりからまたちょこちょこ、頭の回転がにぶそうな、なんだかぼんやりしているような、そんな子がちらほら現れ始めました。
その姿を見ていると、マスクを外させてあげたいと思ってしまいますが、まだごく一部の方しかワクチン接種が済んでいない上に、感染者も思うように減らない状況で、私の一存でマスクを外させて感染リスクを上げてしまうことがあってはと思うと、それもできず…。
今後ますますじめじめ、むしむし、そのうち強烈な暑さがやってくるわけですから、とにかく本当に1日も早く状況が落ち着いてほしいです…。
高学年のときに算数で強い拒否反応が出て、うちに来てくれるようになった中2さん。とても一所懸命で、コツコツがんばっているものの、ペースはかなりスローなまま。授業の進度が速くなる中学ではどうなるか、正直なところかなり心配していました。
それでも、思った以上にがんばって、中1は常に平均より十分上の点数を取っていたようで、普段問題を解くペースを考えると、テストの限られた時間内でこれだけ解けているのはすごいなと感じることもよくありました。
その子と、今週レッスンをしていたとき、やはり手が動き出すまでには、もどかしくて何か言いたくなるぐらいの間がありますし、計算も、少しでも速く時間短縮をするのであれば、その途中式は省略できないのかなと思ってしまうほど、きっちりきっちり本当に細かく途中段階の式も書くのですが、連立方程式の少し複雑なものを「まずはちょっと解いてみてくれる」と言って見ていたところ、ノーヒントであれば面倒な解き方をしてしまう子が多かったり、引っかかる子が多かったりする問題を、ほぼ全てノーヒントで次々と、お勧めの解き方で解いていくのです。
係数が全て小数になっているものは、小数のままでも解くことができますので、まずはどうやって解くかなと見ていたところ、何も言っていないのに、10倍や100倍をして、係数が整数になるようにしました。係数が分数のものも、最小公倍数を掛けて係数を整数にしていました。加減法で解いた後、代入するならその式が一番簡単だけど気づくかなと見ていたものは全て、一番簡単な式に代入していました。
中でも感心したのが、A=B=Cの形式のもので、例えば、「2x+3y=5x-2y=6」のような形であれば、「=6」になる式を2つ作るのが簡単だということは、まあ言わなくても気づく子が多いと思うのですが、AにもBにもCにも文字の項がある場合、どことどこを取って式を作るかによって、解くのが簡単になるか面倒になるかの差が大きい場合があり、何も言わなくてもそれに気づく子は、センスがあるか、本当によく考えているかなのだろうと思いますが、その子は何も言わなくても、それに気づいて2つの式を作ったのです。
この子はペースは確かにかなりスローではありますが、これはもう数学はかなりできる人になっているのでは?!と改めて驚きました。
あんなに算数が嫌だったのに、ここに来てくれるようになってからは、意味がわからないのに解き方を丸暗記するような方法は我慢できなくなったそうで、ゆっくりながらも、きっと本人が納得できるまで考えて、それを積み重ねてきたからこその今なのだろうと思います。
その子を見ていて、本当にしみじみ感心しました。
先日から一緒にレッスンさせてもらうようになった、数学で苦戦している中2さん。体験レッスンでの様子を見た限りでは、授業で習ったことを覚えようと努力し、そうはいってもじっくり考えて身に着けたことではないので、大半はボロボロとこぼれていき、このときは掛けるんだったかな、割るんだったかな、こういう問題はどうやって解くんだったかな…というような頭の使い方をしていそうな印象でした。
そういう状態で年を重ねた子達には、まずは図を描いたり、回りくどくてもコツコツ考えていけば答えが出せるはずの問題を、ノーヒントでとにかく解いてもらうことも大切なことのひとつだと思っているので、その子にも、じっくりおさらいできるのは中2まででもありますし、まずは自分で考えたら解けるのだということを実感してもらうべく、小学校5・6年のおさらいから始めています。
今回の問題の中に、兄が分速70m、弟は分速50mで1800mの池の周りを反対方向に歩いていくと何分後に出会うかを問うものがありました。もちろん、式で表せば「1800÷(70+50)=15」でおしまいなのですが、その子はどう考えたらいいのか分かっていない様子でした。ですから、まずは2人合わせた距離がどれだけにあれば出会うのかわかるか尋ねたところ、それもぴんと来ていない様子。そうなると、解き方を教えたところで、その子にとっては全く何もイメージできていないまま答えだけ出せたということになってしまいます。当然それは避けたいので、紙に適当に楕円を描き、背中合わせに2人の棒人間を描いて、進む方向の矢印と速さをそれぞれ書き込んでから、半周あたりに印をつけ、その子に尋ねました。
「2人が出会うのは(半周の印をした)この辺か、それよりこっち側か、こっち側か(弟の方が長い場合と短い場合)、どの辺か分かる?」
すると、少し考えてから「この辺」と弟の方が短いあたりを指しました。「それはなんで?」と更に尋ねると、また少し考えてから「兄の方が速さが速いので…」と答えました。これでようやくスタートラインでしょうか。
「(スタート地点を指して)ここから1分で兄は70m、弟は50m、2分で兄は140m、弟は100m(動いていく様子を指し示しながら)ってことよね?じゃあ、もうわかるんじゃない?どんな解き方でもいいから考えて。」
そういうと、何か手を動かし始め、15分という答えを出しました。どう考えたのか尋ねると、地道に考えたようではありますが、2人合わせた距離が1800mになったら出会うのだということはちゃんと気づいたようでした。
解けた後で、「1分で2人合わせて120m進むんでしょ?で、2人合わせて1800mになったら出会うんだったら、式も分かる?」と尋ね、また少し考えた後、1800÷120=15と書いてくれました。
他にも、釘10本の重さが80gなら、釘900gはおよそ何本か一の位までの概数で答えなさいという問題は手つかずだったので、10本80gなら、800gは何本か分かるか尋ねました。即答してくれるかと思いましたが、それも自信がなさそうだったので、もし、別の種類の釘1本の重さが2gだったら、その釘2本なら何gか、5本なら何gかと尋ねたら、それは即答してくれたので、本数と重さの関係は比例か反比例になっているか尋ね、比例していると答えたので、先ほどの80gと800gは何倍になっているか尋ね、10倍と答えられたので、再度本数を尋ねて100本と答えてもらった後、160gなら何本か尋ね、20本と答えた後、先ほどの問題に戻ってもらったところ、きちんと自分で答えを出すことができました。
まどろっこしいことかもしれませんが、まずは自分できちんと考えられることを積み重ねていけば、解けることが少なくないということを実感してほしいと思っています。それを積み重ねていく中で、忘れたら解けないとか、数学が苦手だという思い込みを少しずつ手放してもらえたら何よりです。
長年レッスンをしていると、子どもが間違いやすいところはある程度把握できています。
例えば、0、1、2、3の4つの数を使ってできる2番目に大きな数を答えるというような問題を初めて解く子の多くは、一番大きいものは3210と答えられても、少なくない割合の子が2番目は2310というように、上の位を交換してしまいます。ノーヒントで一発正解する子は限られている印象です。
では、そういう類の問題を、私とは初めてする子がいた場合、初めに注意を促すことはもちろん可能ですし、先に類題を一緒に解いてからさせる方法もあるわけですが、それをすると、一発正解できるかもしれない子にとってはいらぬお世話になりますし、正解できない子にとっては、自分で考えるより先に説明されるわけですから、浅い理解で終わってしまいがちです。
ですから、敢えて何も言わずに、まず解いてもらうようにしています。
今日のレッスンで最近一緒にレッスンをさせてもらうようになった高学年さんが0から9までの10個の数字を一度ずつ使ってできる10ケタの数で、2番目に大きなものという問題で、やはり上の位の9と8を入れ替えました。
その子は、算数で苦戦をしているということで来てくれた子なので、数の感覚も十分には身についていない印象で、これからじっくり取り組んでもらわねばならないのですが、考え方を理解してもらうために、まずは1、2、3の3つの数でできる一番大きな数321の次の、2番目に大きな数を答えてもらったところ、それでも231と答えました。でもまだ私は何も教えずに、その3つの数を使って作れる3桁の数を全て書いてもらうことにしました。
すると、ゆっくりゆっくりでしたが、321、123、231、213、132までは書けたものの、それで全部だと言います。そこで、更に、百の位を指しながら、「百も二百も2つあるのに、三百だけは1つしかできない?」と尋ね、312に気づいてもらいました。
全部書き出せたところで、「じゃあ、2番目に大きいのはどれ?」と尋ね、「312」と答えてもらった後、更に1から4までの4桁にして、千の位が4で始まるものを同じように全て考えてもらいました。ただ、これまできちんと理解せずに通り過ぎてきたことが少なからずある様子のその子は、千の位を4と決めた4桁の並べ方でもスラスラとはいかず(4の後に先ほどの3桁の並べ方を全て付ければ済むのですが)、「まだあるよ?」「百の位が1のはもうないの?」などと尋ねながら、6つ書き出してもらった後、1番大きいのがどれで2番目がどれかを確認し、どこが変わったのか確かめてもらいました。
そんなやり取りを経て、先ほどの問題、「9876543210」の次に大きいのは「9876543201」だと答えてもらえました。
しかし、次に一番小さい数を答えてもらうと、今度は(これも初めに同じような間違いをする子はいますが)「1234567890」と答えたので、今度は0、1、2の3つの数字を並べて考えてもらいました。
分かっていることは先に説明するのは子どもに対して失礼だったり、迷惑だったりしますし、分かっていないことを自分で何も考えないうちに説明されても、分かった気になるだけで、深いところで納得はしていないことは少なくありません。
ですから、極力いつでも敢えて先回りしないよう気を付けています。
問題を作るようになってから、既存の問題集の設定されている数値が気になったりすることも増えました。
また、子ども用の教材とはいえ、なるべく実生活に関係ありそうなもの、実際の数値に近いものを取り入れたいと思うので、問題を考えるたびにインターネットなどで調べては、計算しやすさなどを考えて、あれこれ頭をひねります。
例えば、これまでの人生で意識もしなかった、列車の1両の長さだったり、新幹線、飛行機などの速さだったり、はたまた色々な年齢の子の走る速さの平均であったり、昔習ったのだと思うものの、興味がなくて全く覚えていないような、色々な山の高さや、様々な国の広さ、人口密度など、色々なことを調べては、へぇ~、そうなんだと思います。
もちろん、一度調べただけでは、年々衰え行く記憶力だとすぐに忘れてしまうのですが、興味を持たなければ素通りしてしまうことは、本当に本当にたくさんあるのだなと、改めて感じることも少なくありません。
作らなければ気づけないことは色々あるのだろうと感じますので、子ども達にも問題を作る側になる経験をさせることは、これまで意識したことがなかった何かに気づくきっかけになるのではないかなと思ったりします。
多分、子どもに限ったことではなく、ほとんど誰もが例外なく、好きなことはいくらでも集中することができる一方で、それはしなければならないことだと分かっていたり、自分のためにはした方がいいと分かっていても、好きではないことにはなかなか集中できないのだろうと思います。
ですから、宿題がいい加減な子も、やりたくなかったのなら、それも仕方ないことなのだろうということは分かります。ただ、伝わっていないのか、その場では分かっていても家に帰るとついつい同じことを繰り返してしまうのか、ろくに考えもせずいい加減にするぐらいなら、しないのと同じだからしなくていいということを聞き入れず、それなのにいい加減な状態の宿題を繰り返し持ってくる子がいると、どうしても腹が立ってしまいます…。
怒ると、怒られるのが嫌だからというネガティブな動機で宿題をする子も出てくると思うので、やらないことに対しては極力怒らないようにはしているつもりなのですが、私が言いたいことが伝わらないもどかしさは消えません。
例えば、計算パズルで同じ列に同じ数は並ばないという、最低限のルールさえ無視して、同じ列に同じ数がいくつも並んでいるプリントを、宿題をしたといって提出された場合、それはした意味が一切ありません。計算パズルは大抵の場合、計算自体はごく基本的なものなので、計算練習のために出しているわけではなく、頭の使い方の練習のために出しています。縦の列、横の列に目をやりつつ、ここにこの数が入るなら、ここには使えないから…などと、理詰めで考えていく練習のためのものなのに、ただ足し算や掛け算の答えだけが合っていて、パズルのルールを無視したものを持ってきても意味がないのです。
また、兄の体重が妹の体重の50倍などという答えを平気で書いてくる時点で、その問題を解いたとき、その子の頭には一切何もイメージがわいておらず、また、答えを書く際に、体重が50倍ということへの違和感すら抱けないのであれば、それも解いた意味が全くありません。仮に妹が赤ちゃんで体重が3キロしかなかったとしても、兄の体重は150キロですから、ほんの少しでも何かイメージしたり、考えていれば、そんな答えをそのまま書いてくるはずはないと思うのです。(もちろん、算数自体がとても苦手で、一所懸命しているのにできていないような場合は、私も腹立たしくは思いませんので。)
勉強は自分のためにするのだということ。したくなければしなくてもいいと私は思っているということ。いい加減にした宿題を見せられるのなら、しないほうがマシだということ。自信がある問題はたくさんしなくていいけど、問題を減らすのであれば、解く問題はきちんと解くこと。そんなことを折に触れ伝え続けているのですが、私の伝え方が下手なのか、伝わっていないように感じる子が、現状数人います。
悲しい気持ちになりますが、それでも伝え続けていくしかないのでしょうね。
子ども達はみんなそれぞれ性格や興味、能力が異なるので、同じ私がレッスンをしても、もちろん反応や成果は異なります。
ただ、私は一緒にレッスンをする子達に対しては、勉強が得意であろうと苦手であろうと構わないものの、今よりできるようになりたい、賢くなりたい、苦手意識をなくしたいなど、本人に何らかのモチベーションがあることは欠かせません。
例えば、自分は乗り気ではない、もしくは嫌なんだけど、お父さんやお母さんが勉強しなさいというから仕方なくする、仕方なく塾や教室に通うというような子もいるかもしれません。でも、少なくとも私は、そういう気持ちの子とは一緒にレッスンをしたいとは思いません。
初めのうち、何度言ってもろくに考えずに適当な答えを書いては消し、書いては消しを繰り返すような子や、恐らくやりたくなかったとか、面倒だったとかでやらなかったと思われる(もしくはおうちからそうお知らせが入っている)宿題を「今週忙しかったから」とか「難しくてわからなかった」とか、こちらからすればバレバレの言い訳をするような子には、とにかく伝わるまで何度でも、自分の考えを伝えます。
仮にその考えが伝わらず、こんな教室、こんな先生は嫌だと思われたら、残念ながら私ではお役に立てないわけですから、自分の信念は曲げられません。
今週のレッスンでも、まだ一緒にレッスンをするようになって比較的日の浅い子が、問題をろくに読まず、次々に適当な答えを書き、宿題はやりたいものだけやってある状態で「(残っているものは)今週忙しかったからできなかった」と言うので、また、宿題は嫌々やっても身につかないから、したくなかったらしなくていいけど、私は嘘をつかれるのはとても嫌だから、やりたくなかったからしなかったときにはそう言ってくれる方がいいということを伝え、ろくに考えずに答えを次々変えることに対しては、ほかの塾や教室なら、わからないといったらすぐ教えてくれるところもあるかもしれないけど、それではその子が賢くなることはないから、私は絶対しないということと、その代わり、一所懸命考えているのにわからないようなら、そのときは必ず助けるということを伝えました。
その子は集中していないときはやたらとはしゃいでふざけて見せるのですが、その話をした後、ずっとその子なりに集中して取り組んでくれているのが伝わってきました。
こういう話を子どもに向かってするたび、中には、説教臭いとか、小うるさいとか思う子もいるかもしれないなと思いますが、少なくとも私は子ども相手にも真剣に向き合っているので、それが伝わらなければ仕方ないとも思っています。誰にだって相性、好き嫌いはあるでしょうし、子どもにも選ぶ権利があるのですから。
私は、子ども達がここに来てくれる限りは、できるだけ誠実に、真剣に向き合いたいと思っています。
小1の時点で算数が難しいと感じてしまってから長年苦手意識を募らせてきた中学生さん。ここでレッスンをするようになって、その子なりに本当にがんばってくれているのですが、これまで積み残してきたものがあまりに多いので、すぐすぐ大きく結果につながるわけではなく、コツコツがんばってもらうしかありません。
それでも、本当に嫌で嫌で仕方なかったらしい数学が、少しは嫌でなくなってきたようで、まずはそれが何より嬉しいことでした。(数学ができるかどうかももちろん大事なのだと思いますが、まずは嫌だと思う授業を受けなくてはいけない苦痛がなくなることはその子にとって喜ばしいことだと思いますので。)
本人はまだ数学は嫌いなようですが、最近のレッスンでは、まず考えてみてというと、一所懸命考えようとしてくれるようになりましたし、今日のレッスンでは、困っていそうだったので、助けようかなと思ったのですが、「あ、わかりそうなんで、ちょっと待ってください!」と言ってくれて、もうほんと、嬉しくて泣きそうになりました。
小さい頃からそんなふうに、じっくり考えられていれば、そんなに長い間苦しみ続けなくても済んだのではないかと、気の毒に思いますが、時間は戻せませんから、これからがんばって変えていってもらいたいと思います。
小学校高学年で、算数に強烈な拒否反応を示したことでご縁をもらった子が中学2年になりました。その子とは算数、数学しか一緒にしていないので、他教科のことはわからないものの、強い拒否反応は小学生のうちになくなり、むしろ算数は比較的好きな教科にさえなってくれました。
ただ、慎重な性格なのか、自信が持てないと手を動かせないのか、問題を解き始めるまでにかなり時間がかかります。それでも、意味が分からないのに解き方だけを覚えるという勉強の仕方はもう気持ち悪く感じるようになったようなので、私としても待てる限りは待つようにしています。
そんな彼女は、文字式の計算や方程式などでも、そこまで丁寧に途中式を書かなくてもいいのではと思うぐらいにきっちりきっちり全部書くので、これまた時間がかかるのですが、見ていると、時間はかかるもののミスは極めて少なく、更には、解けるようになったものは時間が経っても結構しっかり頭に入っているようだとわかりました。
近々実力テストがあるとのことで、今週のレッスンに来るまでに、ワークブックの中1のおさらいのページを見直して、解けると思うところはとばして、不安なところは解いてみて、わからないところがどこかはっきりさせて持ってきてと伝えておいたところ、予想以上に解けると思うところが多く、不安だったから解いたのであろうところもほとんど全てあっており、解けなかったというものはごく僅かでした。
手を付けていなかった問題のうち、忘れる子が多いものや、うっかりミスをしそうなものをいくつかピックアップして解いてもらったのですが、それも解けるものの方が多く、解けるか解けないかの見極めもまずまずの精度なのだと感じました。
正直なところ、ペースは本当にゆっくりゆっくりなのですが、ここまで身に着くのであれば、すぐわかってパパっと解いてしまうものの、大半を忘れてしまうタイプの子と比べたら、彼女の学習の仕方の方が「効率的」ともいえるかもしれません。
やはり、何より一番は、たとえ時間がかかろうとも、その子がしっかり理解しているかどうかなのだなと改めて感じました。
今月から一緒にレッスンさせてもらうようになった4年生さんは、算数で苦戦しているとのことでご縁を頂いたのですが、とても真面目で一所懸命取り組んでくれるのに、確かにこれまで習ったはずのことがあちこち曖昧な状態のようです。
はじめにおうちの方から伺った話では、計算はある程度できるのに文章題になると全然ということだったので、それは多分残念ながら、計算も本当の意味ではできていないのだろうなと予想はしていました。
どういう意味かというと、例えば掛け算の2桁や3桁を掛ける筆算をする際、位に合わせて答えをずらして書かなくてはなりませんが、間に0があったりして、書くべき位とはずらして書いてしまい、全く桁が違う答えを出してしまっても気づかない。違うと言われたら、ただ計算をし直すだけで、次に出た答えが正しそうかどうかの判断もつかない。そういう状態は、計算もできていないのです。
まだ体験も含めて3回目ですが、やはりかなり理解があやしいところがたくさんあって、本人も不安げだったり、自信なさげだったりしています。
でも、とにかく一所懸命取り組もうとしてくれているのは伝わってきます。
今回は、本来はおさらいの内容である何千(2000や5000などジャストの数)からの引き算を暗算でしてもらったところ、算数が得意ではない多くの子がしてしまうことを、次々とその子もしてしまいました。それでも、筆算ではなく、お金を並べてみたり、間違いにくい考え方で解けるよう声掛けしてみたりするうち、顔つきが少し変わって、今、きちんと考えているなと感じられる状態になりました。
おさらいで補わなければならないことが結構ありそうなので、すぐすぐ算数が好き、楽しいとは思ってもらえないかもしれませんが、まずは自分できちんと考えて理解できたときの気持ちをしっかり感じてもらいたいと思います。その気持ちよさ、楽しさを積み重ねることが、結局はできるようになる近道なのだろうと思います。
神戸市でも高齢者のワクチン接種が始まりましたね。
予約開始のとき、親に変わってインターネット予約をすることも考えたのですが、サイトや広報誌を見ただけではわからないことがあり、親が電話で確認するというので任せていたところ、電話をかけ続けても全然つながらなかったそうで、予約開始から数日出遅れ、親が役所に足を運んで「お助け隊」に助けてもらった結果、予約できたのは6月下旬でした。(あいにく、両親のかかりつけ医では接種をする予定がありませんでした。)
でも、予約できた時点からだと2か月近く先にようやく1回目の接種というのはやはり不安で、神戸市ではその後、独自に大規模接種会場の設置も検討しているというニュースも見聞きしたので、何か新しい情報はないかと神戸市のサイトを覗いてみたところ、新しい情報が更新されていて、灘区に臨時で設置される集団接種会場では、検索したその日以降連日予約が取れる状態でした。
せっかく接種機会を増やそうと市ががんばっていても、高齢者(それも現在は75歳以上がメインだったと思いますので)の方が自らパソコンやスマホで情報をチェックして、インターネットを使って予約の取り直しをするというのは、相当ハードルが高いのではないかと。もっと広く周知するいい方法はないのかなぁと、少しもどかしく思いました。
今日もまだ明日以降6月第1週ぐらいまで連日予約ができそうな状態でしたので、保護者の皆さまのご家族やご親戚の方などで、接種予約が随分先になってしまったという方がおられたら、一度チェックしてみられるのもいいかもしれません。(神戸市内であれば、居住区に関係なく、どこでも申し込みができるとも書かれていましたので。)
今日は、あれだけ抑え込みに成功していた台湾でも英国株の感染急拡大のニュースが流れていましたね。それを見れば、いかに英国株の感染力が強いのかを思い知らされた気がします。
インド株も本当に心配ですが、なんとか乗り切りたいですね。
ある程度学年が上がってからご縁を頂いた子達の多くは、あまり嬉しくない癖を身に着けていて、まだろくに考えないうちにとりあえず答えを書いて「合ってる?」と尋ねてくるとか、とりあえず書いてみて反応を見、違っていそうだなと感じたら、また適当に答えを書き替えて反応を見るということを繰り返すとかいうことをしがちです。
今週のあるレッスンでも、まだ一緒にレッスンをするようになってひと月ほどの子が、「〇〇?」と尋ね、私が無反応であれば「△△?」と先ほどとは違う答えを言い、それでも無反応だと、更に…と、思いつく答えを次々繰り出してきました。
そのうちひとつの問題は、81本のものをひとりに6本ずつ配ったら、何人配れるかというもので、計算としては81÷6=13あまり3と解いていたのですが、答えを14人としていました。「なんで14人なの?」と尋ねたら、すぐに「13人」と書き替えたので、いずれにせよ、理由をきちんと答えられなければ、今後も同じような間違いをする可能性があると思い「なんで?」と尋ねたところ、あっさりその答えを消し、次は掛け算を試し始めました。
こういうことをする子は、学校などでは恐らく珍しくないと思いますが、本当はおかしな話です。何度も何度も答えが変わるということは、その子自身はその問題を全く考えられていないということですから。
深く考えようとせず、手あたり次第色々な計算をしているその子に、「その問題、本当に考える気があるんなら、割り算も掛け算も知らなくたって、絵を描いたりしたら、小さい子でも解けるよ?」というと、そこで初めて6つマルを描いてはそれを囲み、またマルを描いては囲みを繰り返し、マルを81個描いて、13回囲んで、最後が3個になる絵を描き上げました。
その後、先ほど何度も書き換えていた答えを「13人」と書いたので、もう一度「なんで?」と尋ねると、絵を指しながら「最後、3個しかないから。」と答えました。これが、この問題をその子が自ら考えて意味を理解したということだろうと思います。この感覚がない状態でいくら問題数をこなさせても、運がよければ正解、悪ければ不正解というのが続いていく可能性が高いでしょう。
しかし、その子がその状態でいられたということは、これまでずっとその手が通用してきたということなのだろうと思います。そして、そういう子は世の中にたくさんいるのも事実なので、それを思うとなんとも切ない気持ちになります。
レッスンさせてもらっている年長さんで、好き嫌いがとてもはっきりしている子がいます。賢い子なのですが、やりたくないことは決してやらない。それも、別にもじもじ嫌がるとかではなく、もう気持ちのいいぐらいすっぱりと「やらない」とか「これイヤ」とか言ってくれるので、嫌なものを無理強いせずに済むのは助かりますが、それはここのレッスンに限らず、日常生活でも一貫して、嫌なものは嫌という子なのだそうです。
もちろん、誰しも程度の差はあれ、嫌なものは嫌で、できれば避けたいというのは自然な感情だと思うのですが、その子は飴も大抵いらないと言いますし、それは気の毒だと思い、何か好きな飴があるのならそれを用意しようかと尋ねても、遠慮しているという感じではなく辞退されます。
教室を始めて以来、ああもすっぱり飴を辞退する子も記憶にないのですが、お母さんのお話では、周りのお子さんも色々な習い事をしているので、その子にも体を動かすものや頭を使うものなど、色々なジャンルで体験をさせてみているっものの、うちの教室に体験に来たときに即決したのとは違い、どれもやると言わないのだそうです。(とはいえ、うちのレッスンでも嫌いなものはすっぱり断られるのですが。(笑))
この先、この子はどんな風に成長していくのか興味深いですし、自らやりたい!というのはどんなものなのかも気になります。
ただ、小学校に入ると、先生のいう通りにとか、みんなと同じようにとかいうことを求められる機会が増えるので、その状況に対して、その子はどんな反応を示すのか、賢いのでそこは状況判断で合わせられるのか、まだ1年近く先のことではありますが、少しだけ気がかりです。
今日のあるレッスンでのこと。小さい頃から算数に苦手意識を持ち、年々それを強めてきてしまった子と、2月から一緒にレッスンさせてもらっているのですが、苦手なまま過ごしてきた期間がかなり長いこともあり、本人はとてもがんばってくれてはいるものの、まだおさらいもひと通り終わっていない状態です。
それでも、その子なりに努力してくれているのは常に感じられるので、どうにか少しでも苦手意識が和らいでくれるといいなと思っているのですが、今日のレッスンではじめに思考力系の問題を考えてもらっていたときのこと、あれこれ考えているようだったので、しばらく待ってはいたのですが、さすがにそればかりで時間を使ってしまっては、先に進めないし、そろそろ…と助け船を出そうとした瞬間
「あ、今わかりそうなんで、ちょっと待ってもらえますか?」
その子がそう言ったのです。
小さい頃からずっとずっと算数が苦手、嫌いで過ごしてきた子が、思考力系とはいえ、完全に算数・数学系の問題を、わかりそうだから待ってほしいと言ってくれたことが本当に嬉しくて、危うく泣きそうになりました。
最終的には助け船が必要だったものの、長く算数アレルギー状態だった子がほんの数ヶ月で自ら進んで考えようとし、分かりそうだから最後まで考えさせてと言ってくれたことは、とてもとても大きな変化だと思います。
私は個人的に、勉強はしたくなければしなくてもいいのではと思っている人間ですので、本人がしないと決めているならそれでいいのですが、分からないことが辛いとか、苦手意識によって自信を失っているとかであれば、なんとかそこから抜け出す手助けをしたいと思っているので、まだあまり成績に直結していないとしても、この変化はやはりとても喜ばしいことです。
年長の初めに来てくれて、この春1年生になった子は、うちに来てくれる前にほかの教室にも通っていたとのことだったのですが、答えを間違えたりすると、まだ年長さんなのに、泣きそうな顔で「間違えてないよ」と訴えてくることがあり、前の教室で何かあったんだろうかと思ったりしていました。ですが、その後もとにかく間違えることに対して、必死になって間違えたんじゃないということを言ってくるので、そのたび、自分で気が付いたんだから間違いじゃないよとか、うっかり書き間違えただけでしょ?とか、できる範囲でフォローしつつ、それと同時に、間違えることは悪いことではないし、大人でも、もちろん私でもいくらでも間違えることはあるよという話もし続けてきたのですが、1年生になった今も、やはり変わらぬままです。
今週のレッスンでも、まだ分からないかなどうかなと思う問題があったのですが、その子は間違えることを嫌がる一方で、自分ができそうなことを説明されたり、助けられたりするのもかなり嫌がるので、まずは考えてもらおうと思い、様子を見ていると、多くの子が勘違いするところでその子も勘違いをし、それに関しては、経験がなければできないものでもあったので、説明したところ、わかってたけど書くのを間違えちゃったんだと(それ以前のやり取りなどから、書き間違えたわけではないのは確かなのですが)一所懸命に言うのです。
問題の答えを間違えたからと言って、よほどのことがない限り私は怒りませんし(例えば、ろくに考えもせず適当に書いた場合や、学年があがって、その子ならきちんと考えればできるはずのものを、何度も何度も同じ間違いを繰り返したりする場合などは怒ることもありますが)、少なくともその子は来てくれた当初から、間違えることに怯えているようだったので、尚更、間違いだという言い方をしないように気を付け、間違うのは悪いことではないのだと言い続けてきているのに、それでもやはり、その子にとっては、間違えることは泣きそうなぐらい嫌なことのようです。
人それぞれ、嫌だと思うことや悲しいと感じることの基準は違うのだろうと思いますし、私も人前で失敗するのは恥ずかしいと、失敗しそうなことは極力避けて通るタイプの子どもでしたので、その子の気持ちも全く想像できないというわけではないのですが、少なくとも、あそこまで気にしてしまうのは、その子にとっても辛いだろうし、なんとか和らがないものだろうかと思います。
先日上のお子さんが体験に来られ、思いがけず、体験のご希望を頂いていなかった下のお子さんまで同時に通ってくださることになったというご兄弟の初めてのレッスンがありました。
男の子2人なので、どんな感じになるかなと思っていたのですが、2人とも驚くほど礼儀正しく、真面目で、レッスンにも、それはそれは真剣に取り組んでくれて、なんだかもうおばあちゃんになったような気分で、微笑ましく幸せな気持ちになりました。
お兄ちゃんの方が算数で苦戦し始めたということでご相談頂いたため、お兄ちゃんはこれまで習ったところで理解が不確かなところをきちんと詰めていくところからのスタートですが、弟さんはまだ習ったことのないことを中心にレッスンを始めました。
確かにお兄ちゃんの方はこの状態だと授業も楽しくないだろうなという印象ではありましたが、それでもとにかく真面目に一所懸命問題に向き合おうとしてくれていて、何より素直に話を聞いてくれるので、学年は上がっているものの、これは本人のやる気次第では早く変わり始めるかもと期待を抱かせてもらいました。弟さんは今のまま真っ直ぐに伸びていってくれるといいなと。
私もがんばります!
もう15年以上経つと思いますが、個人情報保護法が施行されたときに、知人からアドバイスを受け、それまで名簿に書いて頂いていた保護者の方の年齢の欄などをなくしました。
それ以来、私は保護者の方や子ども達が教えてくださらなければ、年齢を知ることはできなくなり、それと同時に、私だけ知っているのは申し訳ないという気持ちになることもなくなったので、やはり尋ねられることがなければ、年齢もお知らせすることはありません。
気は若いつもりでも、明らかに老化を感じることも増え、保護者の方との年齢の差を感じることも少なくありません。(実際おいくつかは分からなくても、低学年のお子さんのおうちの方の多くは遥か年下でらっしゃるだろうということは分かりますので。)
ただ、実際に私の歳をご存知の保護者の方はかなり限られていますので、果たしていくつぐらいだと思われているのかなぁと思うことはあります。
今日は体験レッスンがあったのですが、レッスンの終わりに話の流れでお母様は私より遥かにお若いだろうと思うので…という場面があり、それを聞いたお母様が全力で否定されたので、ためしにいくつぐらいと思われるかお尋ねしてみたところ、実際より若く思ってくださっていました。
マスク効果でしょうか?(苦笑)
コロナ禍を乗り越えたときにひとつ恐れているのは、コロナ禍以降に入会され、私のマスク姿しかご覧になったことがない保護者の方や子ども達が、マスクを外した姿を見て「思ってたより老けてる!!」とか「思ってたのと違う!!」ということが起こるのではないかということです。
まあ、それは恐ろしくもありますが、それでも、早くみんながマスクなしで暮らせる日常が戻ってほしいですね。
これまで何度も書いていますが、私自身、教育学部を出て、塾講師をしていたこともあるにも関わらず、自分で教室を始めるまでは知らなかったことでもあり、それを知ったのが教室を始めるきっかけだったともいえるので、世の大人の多くが知らないとしても全く不思議はないのですが、それでも、ひとりでも多くの、子どもに関わる大人に、そして、子ども達自身に知ってほしいことがあります。
今日、ある中学生さんの保護者の方からのご紹介で、数学が苦手で困っているという中学生さんのお母様からお電話を頂きました。現状がどんな状態なのか説明してくださる際に、「習ったときはできてるみたいなんですけど」や「練習量が足りないんでしょうか」、「覚えても忘れてしまうみたいで」というような言葉が出てきました。
それは、そのお母様に限らず、算数、数学が苦手だというお子さんを持つ保護者の方から、初めにお話を伺う際には、しばしば出てくる言葉でもあり、私自身、その昔は「反復しなければ忘れてしまう」、「公式を忘れたら解けなくなってしまう」というような考えを持っていたように思います。
ですが、問題をきちんと考えて解くことを習慣づけるようになると、小学校で覚えるように言われた公式はほぼ何も覚えなくても大丈夫ですし(もちろん、覚えられるものは覚えておく方が便利ですし、円の面積などは覚えずに導き出すのはちょっと面倒でもありますので、いくつか覚えた方がいいものはあると思いますが)、考えることを習慣づけていれば、中学の数学でさえ、忘れたら解けなくなるような公式はとても限られています。
少なくとも、英語や理科、社会などのように、ある程度覚えておかなければ答えようがない教科とは全く異なり、暗記すべきことは極めて少ない教科だと思います。今日お電話頂いたお母様にも、少しそういうお話をしたところ、驚かれてしまいました。
覚えることが苦にならない子であれば、覚えた方が便利、速いということはありますから、それを止めるつもりはありませんが、算数、数学が苦手だと感じている子であれば、苦手なもの、嫌いなものを覚えるのは苦痛を伴いますし、そうなるとなかなか記憶に残りませんので、やはり覚えることは最低限にした方が、結果的によい方向へ向くことが多いのではないかなと思います。
教室に通って数年になるような子達は、余程のことがない限り、まず自分で考えてみるというのが当たり前になってくれているので、私もそれぞれの子の様子を見ながら、これはまずやってみてもらおうとか、最初に少しだけ解いて見せようとかを判断するのですが、相手が中学生になると、うっかりすると、つい、初めに必要以上に声掛けをしてしまいそうになることがあります。
例えば、括弧の前の符号がマイナスのとき、展開するときに符号を間違えやすいとか、係数が小数の式を整数になるように直すときに、両辺に同じように掛けなくてはいけないのに、かけ忘れのミスをしやすいとか、問題によって、子ども達が引っかかりやすいところがある程度わかっているので、つい、事前に気を付けるように言いそうになることがあるのです。
今日のレッスンで、連立方程式の利用の定番問題のひとつ、昨年度の男子生徒と女子生徒をそれぞれx、yと置いて式を作るのに、問われていることは今年度のそれぞれの生徒数というものが出てきました。初めに、昨年度の男子生徒、女子生徒をx、yと置くべきであることと、出た答えは昨年度の生徒数なので、更に計算して今年度の生徒数を求めなくてはならないことがポイントなのですが(もうひとつ、ふたつ、説明を添えた方がいいこともありますが)、ふと、この子ならまずどう解くのか見てみようと思い、黙って見ていました。
すると、当たり前のように昨年度の男子、女子をx、yと置いた後、出てきた答えを更に計算して、きちんと今年度の生徒数まで求めました。
それを見て、ああ、すごいな、ちゃんとわかってるんだなと感心し、安心するとともに、先に言わなくてよかったなとも思いました。
先に言ってしまっていたら、私はその子に「すごいね、完璧やね!」ということはなかったでしょうし、言われなくてもできることをあれこれ聞かされて面倒だなとか、退屈だなとか思わせていたかもしれません。危ないところでした。
子どもにとって貴重な考える機会、私にとっては感動する機会を、うっかり潰してしまわないよう、一層気を付けていかなくてはと思いました。
今日はどうなるかなと思っていましたが、子ども達は概ね好調なようでひと安心しました。
小さい頃から、形に関する問題にはほとんど抵抗がなさそうなのに、数に関してはずっと苦労している感じがあった子が、連休前のレッスンでも明けのレッスンでも、計算の反応がこれまでとちょっと変わったような印象を受けました。
これまでコツコツがんばってきたことが、力になり始めているのであればいいなと思います。
別の子は、小さい頃から色々な教室や塾でたくさんお勉強をしてきたらしいのですが、学年より大人びて、落ち着きもあり、理解力も高そうな一方で、小さい頃から教わって、覚えて、使いこなすということを繰り返してきたのかもしれないなと感じる場面も見られ、どのぐらいで変化を見せてくれるだろうか、塾などと掛け持ちだと、なかなか変化が出にくいかもしれないなと思ったりもしています。
ただ、それより何より、連休明けにみんなが元気に顔を見せてくれたことは、やはり嬉しいことで、これからもそんな日々がずっとずっと続きますようにと願わずにはいられません。
通常レッスンはちょうど1週間お休みでしたが、今日はウォーミングアップがてら振替レッスンと事務仕事に出勤しました。
連休中も何度かは出勤しましたが、子どもとレッスンをするのは6日ぶり。私自身はそれほどには休みボケしている感じはなかったものの、レッスンに来た中学生が、普段はしないような引き算の間違いをしたり、左の式から右の式を引くように指示されているのを(つまり、書かれている順番通りに引くだけだったのですが)、なぜかわざわざ右の式から左の式を引いてしまったりと、どうやら休みボケの気配。
その子にも、学校が再開する前にレッスンに来ておいてよかったのではと話しましたが、さて、明日からの子達はどんな状態で登場するでしょう。特に、普段の連休なら、レジャーなど、外に出て思う存分体を動かすことなどもできるでしょうに、去年、今年と2年続けて、外出自粛を求められ、思うようには発散できない状態でお休みを過ごした子も少なくないでしょうから、その場合、ゲームや動画鑑賞など、少なくとも「考える頭」にとってはあまりよろしくない環境に長時間あった子もいるかもしれません。
さて、明日の子ども達の反応やいかに。
結局今日も目標としていたことの5割ぐらいしか片付かず、連休中の目標に対しては2割か3割か…。
明日はウォーミングアップを兼ねて出勤し、ひとつ振替レッスンをする予定ですが、全く達成感のないまま1週間が過ぎようとしています。
そういえば、予定が更に狂った原因がひとつありました。全くの余談ですが、11年前から応援しているイタリアのサッカーチームが11年ぶりに(応援するようになった前年以来)優勝しまして、自分にとっては初めてのことだったもので、インターネットで色々な情報を追ったり、喜びに浸ったりしてしまいまして…。
イタリアもまだずっとコロナ禍で、試合はシーズン通して無観客なので、11年ぶりの優勝なのに、スタジアムにファンがいないのは残念だなと思っていましたが、やはり、優勝が決まった後、恐れていたことが…。ミラノのドゥオーモ広場にすごい数のファンが集まって超密集状態になった上、マスクはしているようでしたが、みんな大声で歌ったり、叫んだりしていて、せっかく嬉しい出来事なのに、これでまた感染が拡大するのではないかと、他国のことながら心配になりました。
兵庫、大阪も本当に救急医療の現場は限界が来ているようですね。
できることをしっかりして、感染予防に努めたいと思います。
この連休には仕事も家のことも、あれをして、これをして…と考えていたのですが、結局理想とは遥かかけ離れた状態です…。
ただ、家に引きこもっていることに関しては、感染予防の大義名分がある分、自己嫌悪に陥らずに済みますが…。
今日も出勤予定はずるずると遅れ、出勤してもあまりエンジンがかからぬまま帰宅。さて、明日は何か捗るでしょうか…。
今日は年間予定でレッスンはもともとお休みでしたし、お天気も悪かったので、家に引きこもっていました。
連休中には仕事も家のこともあれこれしようと思っていたのですが、果たして何がどこまで片付くやらという連休2日目です。(昨日は少し出勤して仕事もしましたが。)
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