イメージできないものは考えられない
当たり前のことなのだと思いますが、私自身、子どもの頃に勉強をするときには考えることもなかった気がしますし、大人になってからも、自分で教室を始めるまでは、やはり意識したことがなかったような気がするのが、イメージできないことは考えられないということです。
算数、数学に関して、私は多分割と真面目な子どもだったので、授業は先生の話をきちんと聞き、必要なことはノートにとるのが当たり前でしたので、習ったから解ける、覚えたから解けるというものが、今思えば少なからずあった気がします。
どうしてそうすれば解けるのか、これは解くための何をしているのかなどを深く意識することなく、習って覚えて当てはめたらマルがもらえたという感じだったので、そもそもイメージをしようと努力する機会もあまりなかったのではないかと思います。
ですが、問題をきちんと理解し、納得して答えを出すためには、問題に書かれていることを正しく読み取り、それを図示したり、頭に思い浮かべたりできなければなりません。イメージできないものについて考えるのは、勉強に限らず、何についても難しいのではないかと思います。
今日のレッスンで、気付く力はあり、恐らく能力的には結構いいものを持っているはずなんだけど…という高学年の子が、速さに関する少し骨のある問題に取り組む際、全くあり得ないような答えを次々と繰り出してきました。最近一緒にレッスンさせてもらうようになった子なのですが、速さに関しては苦手意識があるような印象で、説明しようとしても耳に入らないような状態が続いていました。
今日の問題の中に、川の流れがあるところを舟で進む際、静水時の速さなどいくつかの条件が与えられていて、川の流れの速さを求めたり、かかる時間を求めたりというものがあったのですが、川の流れに逆らうとスピードが落ちるということはわかっているようなのに、どうしてなのか、速さ同士をかけ算してみたり、割り算してみたり、とにかく全く見当違いの答えを繰り出してきました。
何も思い浮かべていない、浮かべる気もないというのが伝わってきたので、答えを制して「その人が時速12キロで川上に向かって漕いでるのに、川の流れが時速12キロだったらどうなるかわかる?」と尋ねました。
すると、そこでようやく少し考える間があって、「動かない!」と言ったので、「それはわかるん?じゃあ、それ考えるのにかけ算や割り算するん?かけ算で答えが0になるのは式に0がないと無理やし、割り算は0を割るときしか0にはならないよ?」と言ったところ、ようやく頭が動き出し、そこからは比較的スラスラ問題をクリアしていきました。
難しいし、わからないからという気持ちが先に立って、話は聞かない、問題もしっかり読まない、何よりその光景を全く思い浮かべていない状態だったところに、12キロで漕いでいるのに12キロで流れが向かってきたら…というところで、初めてイメージが浮かんだのだろうと思います。そうやって一度でもイメージできれば、考えられる範囲は広がりますが、それをしなければ、いつまで経っても、とりあえず行き当たりばったりであれこれ計算してみて、運がよければ正解するという状態から抜け出せないか、解法を暗記する苦行に耐えるしかなくなる可能性が高いように思います。
思い浮かべること、目に見えるよう図に表すことは、少なくとも算数や数学では、とてもとても大切なことだと思います。
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