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2021年3月 3日 (水)

もどかしい

子どもの学びに限った話ではなく、例えばしなくてはいけない仕事が山積していて、どれも期限があり、期限内に終わらせるにはひとつひとつ丁寧にやっていては間に合わないかもしれない、仮に間に合うにしても、それだけの量を丁寧にというのは気合いや覚悟が必要になるというような場合、大人でも手を抜いたり、やっつけ仕事で片付けたりしてしまうのはいくらでもあり得ることだろうと思います。

少し考えたらそんな当たり前のことでも、「子どもの勉強」となると、何か別物と思ってしまう大人もいるのでしょう。
更に厄介なのは、結構広く、「定着させるには反復が必要だ」という考えが信じられていることもあるのでしょう。

もちろん、ものによっては反復が必要なものもありますし、好き嫌いなどによってもぱっと覚えられるものとなかなか覚えられないものなどもあるでしょう。ただ、例えば小学生の頃に宿題になりがちだった百字帳に同じ漢字を何度も書くような宿題は、退屈だし、やっつけ仕事で書くので、ひとつひとつ細かいところまで気を配って書く子は稀ですし、間違えたまま何度も書くとむしろ害になったりもします。
それであれば、細かいところまで意識を向けながら、これ以上丁寧には書けないというぐらい丁寧にひと文字だけ書くのと、どちらが記憶に定着するかは、後者である可能性は少なからずあります。

計算問題も同じような問題を大量にせねばならないとなると、集中が続かなくても不思議はありませんし、いちいち考えていてはくたびれますから、適当に終わらせるということになってもおかしくありません。
適当に20問やるのであれば、3問連続正解したらそれ以上はしなくていいというふうにして3問きっちり考えるほうが有効な場合もあります。

教室のプリントの問題を減らすとか、宿題を加減するとかは可能ですが、学校の宿題に関しては私にはどうしようもないところなので、学校の宿題が多い場合、子どもがじっくり取り組まないとしても無理はないのだろうと思います。

たくさん宿題などを課す先生は、反復させて定着させようと思っているのかもしれませんが、それが好きな子はたくさんしなくても身に着くでしょうし、嫌いな子はたくさんすることがストレスになりますから、なんとももどかしいというか、悩ましいというか…。
それぞれの子がきちんと問題に向き合って考えられる程度の量の課題をうまく与えるというのは、クラス単位になるとやはり難しいものなのでしょうね。

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