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2021年2月12日 (金)

「当たり前」

私は子どもの頃、物心ついて以降、親や兄弟に勉強を教わった記憶はほぼなく、学校以外での勉強の場もなかったので、先生に教わったとかでなく、学習において自分が自然としていたことは、どこかで「当たり前」と思っているところがあります。
もちろん、こういう仕事を長くしているので、自分の当たり前は子どもにとって当たり前とは限らないということは理解はしていますが、高学年、中学生になってくると、経験も増え、話もある程度対等にできるようになってくる分、つい「当たり前なのでは?」と思ってしまうことがあります。

例えば、問題文が長文で複雑なとき、見ただけでちょっとげんなりしてしまうのは私自身もそうなので、そこに関してはそう思う子の感覚は理解できるのですが、それでも問題を解かねばならないとなれば、丁寧に問題文を読み、与えられている条件をチェックしたり、図に書き込んだりするのは「当たり前」だと思うのですが、その意識が薄いままの子もいて、そういう子はきっと学校や時には家などでも、ちゃんと読むようにとか、図に書き込むようにとか指導されているのではなかろうかと思うのですが、「自分事」にはなっていないということなのでしょうね。

もちろん、興味があるかどうかや、その教科についての能力がどの程度あるかなどによって、差が出ることはわかっているのですが、元々持っている「自分の物差し」でどこまで「はかって」いいのか、なかなか判断が難しいことも少なくありません。

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