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2021年2月26日 (金)

気持ち悪さを感じてほしい

これまで何度も書いているように、私自身は子どもの頃、習ったことを覚えて解くという勉強の仕方をしていたので、公式なども教えられれば疑問を持たずに覚え、当てはめて答えを出しているものの、どうしてそれを使えば解けるのかなどはあまり考えたことがありませんでした。
そういう勉強をしていると、解けた喜びも薄いのですが、覚えたものを忘れて解けなかったとしたら、また覚え直すだけで、モヤモヤする気持ち悪さを感じることはなかったように思います。

ですが、教室を始め、きちんと意味を理解しながら解くようになってからは、意味は分からないもののとりあえず解けるという状態ではどうにも気持ち悪さが残るようになりました。少なくとも、その状態は「理解できていない」状態なので、子ども達に向き合えないことになります。もちろん解き方だけ説明して解かせることは可能ですが、それはここですることではないと思っているからです。

そんな教室を続けていると、小さい頃から考えて解くのが当たり前になった子達の中に、学年が上がっても、説明だけ聞いてとりあえず解くということは気持ち悪くて嫌だと感じるようになる子が増えてきます。それは同時に、理解して解けたときの快感を知っているからともいえるのでしょう。

学年があがってから来てくれる子達の中には、昔の私のように、習ったことを覚え、反復し、きちんと理解はしていないけれど、とりあえず解くという状態の子がいます。そういう子達はその癖を抜かなくては、自分で考えるようになりづらいですし、解けた快感を感じることもなかなかないでしょう。
今、そういう癖がかなりしっかりついてしまっている子とレッスンをさせてもらっていますが、今は毎回のレッスンが根競べのようです。それでも今日はある問題で「あっ!」と言った瞬間がありました。少なくとも、その瞬間は、その子がはっきり気づいた瞬間です。本人の自覚があるかどうかは分かりませんが、その瞬間、何らかの快の感覚があるはずです。その経験を重ねていくことで、理解せぬまま適当に答えを出すことに気持ち悪さを感じるようになってくれることが多いので、なんとか少しでも早くその状態に辿り着いてほしいと願いつつ、まだまだ根競べが続きそうです。

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