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2021年2月28日 (日)

2月28日

今日で緊急事態宣言が解除になりますね。
そうは言っても、子ども達の生活は特に変わらぬまま、まだしばらくはマスク生活が続くのでしょうね。

ここに来て、県内の感染者数が明らかに減っていますが、それは寒さが和らいできた季節的な影響なのか、飲食店の時短が功を奏したのか、その辺りのことを知りたいなと思います。
遅くまでお酒を飲みながら会話を交わし、酔いが回ると当然感染対策にも気が回らなくなっていくだろうとは思いますので、もし飲食店の時短の影響が大きいのであれば、日常生活はそこまでピリピリしなくてもいいということになるかもしれませんし、何より、子ども達は学校生活ではマスク着用をしなくてもいいということにできるかもしれません。
なんというか…1年も経つのに、そういう検証のようなものが一切出されていないような気がするのですが、未知のウイルスだと難しいのでしょうか…。

明日から3月。今年度もあとひと月ですね。
早く、新型コロナ以前の日常が戻ることを願います。

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2021年2月27日 (土)

2月最終日

2月は28日までの上に明日が日曜なので、今日が2月の最終レッスン。
今年ももう2か月が過ぎたのかと思うと驚きますね。
コロナ禍がいっこうに収束しませんが、あとひと月で今年度も終了します。
週明けには新年度のレッスンに関するアンケートを順次お配りする予定ですので、ご回答のほどよろしくお願いいたします。

それにしても、全世界的に同じウイルスが広がり、1年経ってもまだ収束の目途が立たず、更には新型に変異を続けていて、自分が生きている間にこんなことを経験することになるとは全く想像していませんでした。
10年ほど前に新型インフルエンザが流行した際は、世界的に大きな影響はありませんでしたし、国内でも程なく収束(というか、普通のインフルエンザの仲間入りを)したので、あのとき他県のお知り合いなどにお願いして送って頂いた使い捨てマスクの大半がそのまま残ったのを覚えています。

日本だけとかアジアだけとか、限られた地域で広がったのであれば、他国からの応援なども受けられたかもしれませんが、今回に関しては地球規模のパンデミックともいえる状況ですから、考えるほど気が重くなります。

丸1年マスクでの学校生活を強いられた子達のことを思うと、本当に1日でも早く、マスクを外し、大きな声を出し、友達と思い切りおしゃべりしたり、ふざけ合ったりできる日が戻ってきてほしいと思います。

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2021年2月26日 (金)

気持ち悪さを感じてほしい

これまで何度も書いているように、私自身は子どもの頃、習ったことを覚えて解くという勉強の仕方をしていたので、公式なども教えられれば疑問を持たずに覚え、当てはめて答えを出しているものの、どうしてそれを使えば解けるのかなどはあまり考えたことがありませんでした。
そういう勉強をしていると、解けた喜びも薄いのですが、覚えたものを忘れて解けなかったとしたら、また覚え直すだけで、モヤモヤする気持ち悪さを感じることはなかったように思います。

ですが、教室を始め、きちんと意味を理解しながら解くようになってからは、意味は分からないもののとりあえず解けるという状態ではどうにも気持ち悪さが残るようになりました。少なくとも、その状態は「理解できていない」状態なので、子ども達に向き合えないことになります。もちろん解き方だけ説明して解かせることは可能ですが、それはここですることではないと思っているからです。

そんな教室を続けていると、小さい頃から考えて解くのが当たり前になった子達の中に、学年が上がっても、説明だけ聞いてとりあえず解くということは気持ち悪くて嫌だと感じるようになる子が増えてきます。それは同時に、理解して解けたときの快感を知っているからともいえるのでしょう。

学年があがってから来てくれる子達の中には、昔の私のように、習ったことを覚え、反復し、きちんと理解はしていないけれど、とりあえず解くという状態の子がいます。そういう子達はその癖を抜かなくては、自分で考えるようになりづらいですし、解けた快感を感じることもなかなかないでしょう。
今、そういう癖がかなりしっかりついてしまっている子とレッスンをさせてもらっていますが、今は毎回のレッスンが根競べのようです。それでも今日はある問題で「あっ!」と言った瞬間がありました。少なくとも、その瞬間は、その子がはっきり気づいた瞬間です。本人の自覚があるかどうかは分かりませんが、その瞬間、何らかの快の感覚があるはずです。その経験を重ねていくことで、理解せぬまま適当に答えを出すことに気持ち悪さを感じるようになってくれることが多いので、なんとか少しでも早くその状態に辿り着いてほしいと願いつつ、まだまだ根競べが続きそうです。

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2021年2月25日 (木)

向き合うこと

中1の冬から一緒にレッスンをし、先日無事に志望校に合格した中3生のおうちの方がご挨拶に来てくれました。
その子は少し発達上の困難的なものがあるということを伺ってのスタートでしたが、レッスンをしている限りでは、感情の起伏が人より大きく、少しの躓きで何もかもダメだと思い込んでしまったり、逆に少しのきっかけで全てに自信を持てたりということは感じていたので、落ち込みそうになるとそれ以上落ち込んでいかないよう声掛けをするなどは気を付けていたものの、その他は何か特別な配慮をしたというようなことは全くなく、普通にレッスンをしていました。

それにしては、おうちの方がしばしば、過剰な感謝をしてくださるように感じてはいたのですが、お話を伺うと、うちに来られるまでに塾や習い事などいくつも断られ、中には発達障害のある子を受け入れるような教室でさえ断られて、こうして2年余りトラブルもなく、本人が不満を言うこともなく通い続けられたのが奇跡のようなのだとのことでした。

あまりに意外だったので、何度も「そうだったんですか、全く気付きませんでした。」「そんな風には感じませんでしたけど、なんででしょうね?」と言ったほどなのですが、そんなご苦労があったからこその「過剰な感謝」だったのだなと感じました。

実はこれまでにも、発達上の困難を持ったお子さん達とレッスンをさせて頂く機会が何度もありました。その他にも親や先生のいうことを聞かず困っているというお子さんとのご縁を頂いたこともありました。

私自身、決していいことだとは思っていませんが、好き嫌いがはっきりしている人間で、嫌いな人に、それを表に出さず取り繕って接するというのが子どもの頃から苦手です。だからといって、陰口を言うとか、いじめるとかはしたくないという性格でもあったので、嫌いな人とは極力距離を取るというふうに過ごして、そのまま大人になりました。

そんなこともあり、学校の先生になって受け持った子の中にどうしても好きになれない子がいたら、うまくやれる自信もなければ、かといってその子を疎んじるようなことをする自分は許せないだろうという思いもあって、それが教員の道を選ぶのは辞めた理由のひとつでもあります。
教室の場合、子どもも先生を選ぶ権利がありますし、どうしても好きになれない子がいたら、よその塾や教室を選んでもらう選択肢もあると思えたこともあって、今この仕事をしていますので、どの子も好きになろうとか、みんなに好きになってもらおうとかいう考え方をしたことはありません。

子どもに好かれようとは思いませんが、困っている子はなんとか助けたいと思いますし、算数が楽しそうな子にはより楽しんでほしいという思いで日々教室を続けていますが、これまで、上述の中3の子以外にも、発達障害の診断がついている子でも私にとっては少しユニークな可愛い子としか感じられなかったり、誰もが手を焼いて困っているという子はなぜか私を母のように慕ってくれたり、算数に強烈なコンプレックスを持ってやってきた、通うには少し距離のある子も、遠くても辞めたくないと言ってがんばってくれたり、そんな縁は色々頂いています。

それはなぜなのか分かりませんが、私は子どもに対しても対人間と思って、真剣に、できるだけ誠実に向き合い、診断や事前の情報に囚われずに自分が感じるものを大事にするようにしているのを、敏感な子達は感じ取ってくれているのかもしれないなと思ったりします。

もちろん、私でも全くお役に立てないこともあるのは間違いないと思いますが、救いの手を求めている子達がいるのであれば、できる限りのことはしたいと、いつも思っています。

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2021年2月24日 (水)

モヤモヤする

小中学校の先生の中に、算数、数学でとにかく手順通り途中の式も全て書かなければ減点したり、バツにしたりする先生が時々おられます。
先日から来てくれている高学年さんの先生もどうやらそのタイプのようで、それもかなり許容範囲が狭く、自分が授業で教えた通りに解かないと片っ端から減点になっているような印象を持っています。

もちろん、途中式が必要なものもあるでしょうし、問題に出てきていない数値を使ってはいけないということなどもあるのかもしれません。ですが、例えば5%というのを見て、それを0.05や5/100(1/20)として使うのすら減点になり、5%=0.05などと書かねばならない。円錐の底面の半径と母線、中心角の関係の問題では、例えば中心角が120度と書かれているのを見て、数量感覚がある子、特に算数が好きな子などの多くは、すぐに3分の1だと気づくでしょうに、それすらも120/360=1/3ということを書かねば減点される。
こういうところに厳しくこだわる先生にあたった算数、数学が好きな子達の多くは、学校の算数、数学はキライだというようになりがちです。

学年が上がって、答えだけ書けばいいようになれば、そのストレスはある程度減るのだと思いますが、細かいところに厳しい先生にあたることで、それまでに算数、数学がキライになってしまう子もいるのではと、それが気がかりです。
途中式などをすっ飛ばして答えが出てしまうような子は、どうやって解いたのか、どう考えたのかを尋ねれば、しっかり説明できることがほとんどだろうと思います。(時には、簡単すぎて瞬時に分かったので、どうやって解いたと言われても…というように感じることもあるかもしれませんが。)そういう子達のやる気を削がないでいてもらえたらなと思ってしまいます。

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2021年2月23日 (火)

お別れが続く

今年度は中3の子が2人いたのですが、もうひとりは私立中で、現在既に数Ⅰ・数Aとも終わりかけている子なので、高校からは他教科も見てもらえる塾に行くと、以前から聞いていました。(そもそも、数Ⅱ・数Bになってくると私が見られなくなる日が近いというのはこちらからお話もしていましたので)

今日は祝日ながら、月4回のレッスンということでその子のレッスンがあったのですが、次の塾が決まったとのことで、3月から新しい塾に行かれることになり、今日が最後のレッスンになりました。
なかなかユニークでよくおしゃべりする子だったので、今日で最後かと思うと、改めて寂しさを感じます。

この仕事は本当に大好きなのですが、それでも、子ども達がずっと通い続けてくれることはあり得ず、何年かで必ずお別れが来るのが、長年やっていても慣れません。
今日で最後だった中3さんも、新しい塾でうまく力を伸ばしてくれることを願おうと思います。

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2021年2月22日 (月)

今年の受験生

うちの教室は私が算数・数学と国語しか見られないこともあり、特に中学生になると、他の教科も見てもらえる塾に移る方がいいと、私自身も思っているので、中3の受験生はいない年も少なくありません。
今年は、中1の3学期に数学が大変な状態になっているということで、他の塾に通いつつ、うちにも来てくれることになった子が受験生で、それも、公立推薦で受験することになったので、先週もう入試が私立、公立とも終わりました。

公立推薦の前に併願の私立には合格していたので、少し気持ちの余裕はあったかと思いますが、同じような成績の子が集まるであろう公立推薦で倍率が約1.5倍というのは、決して楽観はできないように思いましたし(本人にはそんなことは言いませんでしたが)、もしも残念な結果だった場合は3月に一般入試でもう一度チャンスがあるとはいえ、その子の性格的に落ち込んでしまって力を発揮できなくなる可能性も考えられたので、どうなるか心配でした。

しかし、無事合格のお知らせが。
公立志望の中3の子とは一般的には3月まで一緒にレッスンできることが多いのですが、2月をもってお別れになりそうなのは寂しいものの、本当によかったなと思います。
合格おめでとう!

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2021年2月21日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2021年2月20日 (土)

焦ってはダメだった。

普段はそれぞれの子のペースをしっかり見ながら、無理なく進めていくことを心掛けているのですが、時々、算数で苦戦していて、学校の授業のペースにも後れを取るような子とレッスンをさせてもらうときに、気をつけなくてはと思いながらも、ついつい授業が進んでしまうことへの焦りを感じてしまい、どうにかして先に進みたいという気持ちが強くなってしまうことがあります。

夏頃からレッスンさせてもらっている、成長のペースがゆっくりのお子さんは、いらしたときから学校のことは気にせず、私の思うように進めてくれたらいいと言って頂いたというのに、初めのうち、みるみる変化して、できるようになったことがたくさんあったため、このペースでいけば、なんとか授業に追いつけるようになるのではという気持ちが大きくなってしまって、知らず知らずのうちに目が曇りかけていたのではと、今回のレッスンで反省しました。

初めは4や5もぱっと見では認識できない状態だった子が、すぐに5まではわかるようになり、ほどなく10まで、更に20までと、通常より遥かに速いペースで理解が進んだもので、100までもすんなりいくのでは?と思ったのですが、ここがなかなか思うように進みません。
なんでだろう?教具も見せているのに…と思いながら、とてもとても初歩的なことに気づきました。

その子は当初、本当に基本の点つなぎもうまくできない状態から始まり、何かの絵になっているようなものの簡単なものはできるようになり、少しずつレベルを上げてきたつもりではあったのですが、少し複雑な点つなぎに今もかなり苦戦しているのに、嫌がるのを無理にそればかりさせるのは…と思ってしまっていたのです。

その昔、教室を始めるときにお世話になった先生が、計算などが苦手な子の多くは点つなぎが上手くできないことが多く、計算練習などをさせるより先に、とにかく点つなぎがきちんとできるように練習させることが大事だと言っておられて、私もそれを忘れたわけではなかったのに、5まで、10まで、20までと予想より遥かにスムーズだったもので、どこかでこのまま100まで行けるのではと思ってしまっていたのだと思います。

これまでに、点つなぎがきちんとできるようになっても、どうしても算数が苦手だったお子さんもいなかったわけではありませんが、今回の場合は、まだそれすら確かめていない段階なのに、どうにか100までを実感させようと無理強いするようになってしまっていたのかもと、大いに反省しました。

「急がば回れ。初心忘るべからず。」ですね。

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2021年2月19日 (金)

一体何が??

今日のあるレッスンでのこと。
普段は結構よくできる子で、特に計算に関する問題は得意らしい2年生さんが、なぜか来て程なくぼ~っとし始め、普段なら文字がたくさんのプリントでもしっかり読んでくれるというのに、いつまで経っても1枚のプリントの最後の問題を解くところまで辿り着きません。

声をかけると動き出す感じで、とにかくぼ~っとしており、普段なら苦もなく解くはずの問題がいつまで経ってもできないのです。
タイルの図が描かれていて、そのタイルが全部でいくつかを考えてもらうもので、2桁×2桁の筆算の導入のためのものだったのですが、100のタイルが8(800)ある部分を指して、160と言ったり、60のタイルが4つ並んでいる部分を指して72と言ったり、とにかく、全くどう考えたのか予想もつかないような答えを連発し、そのたび、何か勘違いしているのは確かなので、「絵が描いてあって、それを見ていくつか考えたらいいだけよ?」「数えたって分かるはずの問題だと思うけど?」などと声掛けをしても、いつまで経っても正解に辿り着かず、それでもあるときどうにか線が繋がったらしく、答えが出せたので、次に20×20のタイルの図を見て、19×19の答えを考える問題に進みました。

なぜか「340」というまた不思議な答えが出たので、なくなるところを鉛筆で塗るように伝えたところ、まず縦1列を塗ったので安心していたら、次に反対側の縦1列を塗りました。それだと「18×20」であって、19×19ではないということを、タイルの図を指しながら伝えても「あ!」という反応にならぬまま、モヤモヤした状態で今日のレッスンは過ぎていきました。

一体何があったんだろう…。

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2021年2月18日 (木)

さぞ辛いことだろう

うちの教室に高学年や中学生になってから来てくれる子は、算数、数学で困っていて…という状態に陥っていることが少なくないのですが、わざわざうちを探して来てくれる時点で、困っているけれど何とかしたいという気持ちは持っているので、私としても何とかお役に立ちたいと思います。

先日から来てくれ始めた中学生さんも、小学校中学年頃から算数に苦手意識を持つようになり、中学でも数学がコンプレックスになって、他教科にも影響が及んでいるように感じるとのことだったので、どの辺りからあやしいのか、おさらいをせねばということになりました。

真面目で朗らかで、書く字も読みやすく、初めて会ったときには、え?この子がそんなに数学が苦手なの?と感じましたが、悲しいかな、算数・数学の大部分が小学校で習った基礎をきちんと積み上げていかなければできないので、これまで取りこぼしてきたものが少なからずあるのだろうとも思いました。

スタートが実力テスト前だったので、少しでも試験の点数につながるようにと、図形の証明のあたりをまずやったところ、覚えるべきことは真面目に覚えているようで、その単元に関してはもう少し頑張れば平均ぐらいは取れるのでは?とも感じましたが、実力テストは範囲がこれまで習ったことだったので、返ってきた答案を見せてもらって、ああ、そうか…と、すぐには結果につながらなくて残念だったなと思いました。

そこで、テストの間違い直しがてら、きちんと理解できていないところを探っていくことにしたのですが、その子にとってこれまで、計算以外は恐らく、習った解き方を覚えてどうにかしようとがんばっていたんだろうなと感じられる状態で、習ったことの意味はよく分からないまま覚えようとしたため、数学すら暗記科目に近い状態になり、覚えたことを忘れたら解けなくなっていたところもあるのだろうなと。

グラフの問題は大嫌いだというその子に、本来グラフが与えられていれば、手掛かりが色々あるのだから、難しいと思い込みすぎないほうがいいという話をしつつ、何がどこまでわかるのか、答えられないところが見つかるたび、それをもう少し戻して、これならわかる?これも無理だったら、これは?とどこからは分かるのか確認する作業をしましたが、真面目そうなその子は、算数、数学の時間にこれまでどれだけ辛い思いで授業を受けていたんだろうと、少し切なくなりました。

小さい頃、躓き始めであれば、もっと簡単に救い出せたかもしれないだけに、もどかしくもありますが、少しでも早くコンプレックスではなくなるように、私もがんばろうと思います。

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2021年2月17日 (水)

間違えること。

ある年長さんは、間違えることに対して、かなり強い恐怖心があるようです。よくできる子だから、できないことがショックなのか、性格によるものなのかはわかりませんが、問題がすぐに解けないと、慌てて「考えてるの」と言ってきたり(私は一切急かしたりしないのですが)、計算の答えを間違おうものなら、涙をこぼさんばかりの表情になって、「違うよ、ちょっと勘違いしちゃったの」などと、「間違えた」とは決して言いません。
私も、子ども達には「間違ってるよ」という言い方は極力しないように心がけているので、「ちょっとうっかりしたんじゃない?」とか「書き間違えた?」とか、とにかく、本当はできるはずという意味を込めた声掛けをします。その私に対しても、間違えると必死で間違えたのではないのだと伝え、涙目になる姿を見ると、しんどいだろうなと気の毒な気持ちにもなります。

私も失敗を人に見られることがとても恥ずかしく、できないことはなるべく避けて通りたい性格でしたので(今もその傾向はありますが)、間違いを恐れる気持ちが全く分からないわけではありません。ただ、自分の性格を振り返っても、間違えても平気、気にしない!というおおらかな性格だったら、もっと楽しく日々を過ごせたかもしれないなと思ったりすることもあるだけに、その子が間違いを恐れるのが、性格から来ているのであれは、成長と共に少しでも和らいでいくといいのになと思います。

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2021年2月16日 (火)

なんだったんだろう?

私も好き嫌いがかなりはっきりしているほうですが、ある低学年さんはなかなかユニークな天才系で、時々、どうしてそれがそこまで嫌なの?と思うようなものでも、強烈な抵抗を示すことがあります。
最近では、普通に2桁や3桁×1桁の学習もし、割り算はあまりのあるものも済んで、その流れで割り算の筆算に進んだとき、それは起こりました。泣くぐらい激しい抵抗を示し、説明しようとしてもそれすら聞き入れようとせず、やりたくないの一点張り。おうちでも激しい抵抗を示し続け、筆算をするなら行かないとまで言ってきかなかったそうです。

割り算の筆算は学校で習うのはまだ先ですし、暗算で九九の範囲を超えた割り算もそれなりにできるようになったので、しばらく保留にしてほかのことを進め、何か月か経ちました。
教材の順からしても、そろそろこれをやりたいんだけど…と思い、今日は筆算の書き方がどうしても受け付けないようなら、暗算で答えだけ書いてもいいことにしようと、再び、以前激しい拒否反応を示された、その子にとっては「見たくもない」プリントを出したところ、まずはプリントを机に置かせてくれました。(以前は置いてもそれを押しのけてしまうほどでしたので…。)そして、2問、意味を説明しながら書いてみせたところ、今日はすんなり動き出し、嫌だとは一言も言わず、解いているうちに慣れてきたようで、予定よりたくさん進みました。

あの想定外の激しい抵抗はなんだったんだろう?と不思議な気持ちになりつつ、九九も暗記し、もう少し大きな数の掛け算や割り算の暗算もして、その子の中で「機が熟した」ということなのかもしれないなと、子どもは面白いなと思いました。

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2021年2月15日 (月)

きっかけがあれば…。

お休みのたび、今週は家であれをしようと、何かしら仕事をする予定で持ち帰るのですが、それをしなければ次の週のレッスンに支障が出るとか何か、切羽詰まったものがなければ、ほとんどの場合手つかずのまま終わるということがしばしば起こります。
1月の終わり頃から、次のお休みには確定申告の作業をしようと思っていたのに、まあまだ間に合うとダラダラを繰り返し(実際まだ十分間に合いますが…)やらなくてはという思いがずっと頭の隅に残ったまま過ごしていました。

さすがにそろそろ…と今日はある程度作業は進んだものの、もっと早く手を付けていればこの日月で十二分に余裕をもって終えられたはず…。
やらなくちゃ、やらなくちゃと思って気になっている状態は精神衛生上あまりよくはないでしょうし、やらなくちゃいけないのにやらずにダラダラ過ごしてしまったという事実が積み重なると、ああ、やっぱり私はダメだ…と自己肯定感も下がる一方…。

最大のハードルはとっかかりだとわかっているので、最初のきっかけだけあればなぁと、よく思います。
子どもの頃、宿題したの?とか勉強しなさい!とか言われると、やる気がなくなるから口出ししないでほしいと母に頼み、母はある時期以降本当に言わずに我慢してくれたのですが、それでも宿題などをきちんとやったのは、提出期限があり、怒られることがとにかくいやだという自分の性格があったからだと思っています。

でも、今は、仕事をしなくても誰にも叱られませんし、切羽詰まればなんとかする性格だということも自分で知っているので、本当になかなかエンジンがかかりません。そもそも自営業に向いた性格ではないのだろうと思いますが、こればっかりはどうしようもありません…。

子どもが宿題をなかなかしないのも、これと同じような状態なのかもしれないなと思います。
やりなさいと言われるだけではほかのことをしてしまう。かといって、じっとつきっきりで見てほしいわけではない。(見てほしい子もいると思いますが。)そういうタイプの子には、最初の5分だけとか、3問だけとか、その間だけついて見ておいてあげるなどするのも、いいかもしれません。ああ…私にもそんな存在がいてくれたら、もっと仕事も捗るんだろうに…。(苦笑)

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2021年2月14日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2021年2月13日 (土)

無理と言われたのに嬉しい

一緒にレッスンさせてもらうようになって半年ほどになる子とのレッスンでのこと。
その子は時々何を尋ねても黙り込んでしまって、一切に何も答えなくなることがあり(そういうタイプの子はこれまでにも何人かいましたが、成長と共に少しずつ程度が和らいでくることが多かった気がします)、おうちの方の話では、私の前に限らず、おうちでも学校でもそういう状態になることがあるのだと伺っていました。

そのときの状況から、こうかな?ああかな?それとも…と思い当たることを色々尋ねてみたりするのですが、そういうときはうなずいたり首をふったりすらしてくれず、お手上げになってしまうこともありました。
そういう状態になると、最終的にはおうちの方が言い聞かせて、どうにか取り組ませるか、おうちの方が何を言ってもダメなら諦めるかという感じの時期があったのですが、最近はそこまでの状態になってしまうことはほとんどなくなっていました。

それでも、不調の陥ったときに何も言ってくれないのは相変わらずで、行き詰った課題をするかしないかだけはうなずくか首を横に振るかで答えてくれるようにはなっていました。
そして、今週のレッスンのある課題でフリーズ状態になり、色々声掛けをしたものの抜け出せず、どうしようかなと思っていたところに、突然大きな声で「無理です!」と意思表示をしてくれたのです。

子ども達とレッスンをしていて、「無理」とか「できない」とかはっきり言われて嬉しかったのは、これが初めてかもしれません。
本当は無理と言われたら全く嬉しくはない状況だったのですが、それでも、その子がこんなに大きな声ではっきり自分の思いを伝えてくれた感動の方が上回りました。
その子の中でまたひとつ何かステップを上がったのかもしれません。

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2021年2月12日 (金)

「当たり前」

私は子どもの頃、物心ついて以降、親や兄弟に勉強を教わった記憶はほぼなく、学校以外での勉強の場もなかったので、先生に教わったとかでなく、学習において自分が自然としていたことは、どこかで「当たり前」と思っているところがあります。
もちろん、こういう仕事を長くしているので、自分の当たり前は子どもにとって当たり前とは限らないということは理解はしていますが、高学年、中学生になってくると、経験も増え、話もある程度対等にできるようになってくる分、つい「当たり前なのでは?」と思ってしまうことがあります。

例えば、問題文が長文で複雑なとき、見ただけでちょっとげんなりしてしまうのは私自身もそうなので、そこに関してはそう思う子の感覚は理解できるのですが、それでも問題を解かねばならないとなれば、丁寧に問題文を読み、与えられている条件をチェックしたり、図に書き込んだりするのは「当たり前」だと思うのですが、その意識が薄いままの子もいて、そういう子はきっと学校や時には家などでも、ちゃんと読むようにとか、図に書き込むようにとか指導されているのではなかろうかと思うのですが、「自分事」にはなっていないということなのでしょうね。

もちろん、興味があるかどうかや、その教科についての能力がどの程度あるかなどによって、差が出ることはわかっているのですが、元々持っている「自分の物差し」でどこまで「はかって」いいのか、なかなか判断が難しいことも少なくありません。

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2021年2月11日 (木)

恥ずかしながら…。

実はこれでも小学校と中学校国語の教員免許は取った身なのですが(ある時期以降免許の更新が必要になったので、実際に使うことがなかった私の場合、免許としては失効していますが)今日初めて知ったことが…。

教室では子ども達と向き合って反対から字を書くことがほとんどなので、子ども達からすると、私の字は決してきれいとは言えないという認識をされていそうですが、幼稚園の頃に母が習っていたお習字にくっついていって、平仮名のお手本を書いてもらったところからスタートして、小学校、中学校の間は書道などでも賞をもらったりと、文字はまあまあきれいに書ける方でした。

そして、これはマル付けをする側になってから気づいたことなのですが、整った字で書いてあると、間違っているところがあっても見落としがちな一方で、乱雑な字の場合は合っているものでも間違って見えることがあるので、もしかするとそのせいかもなと、大人になってから思いましたが、小中学校の書き取りなどでバツになった記憶が一切ないまま、間違えて漢字を覚えているものがいくつかあることに時々気づくのです。

そして、本日またそんな出来事が…。

耳へんや「聞」のように漢字の一部に「耳」が使われているとき、5画目は6画目の縦棒から右に出てはダメだということを知りませんでした!!
少なくとも、取るとか聞くとかの耳の部分を普通の耳と同じ書き方をしてバツを付けられた記憶が全くありません…。

漢字のとめはねなどは絶対のものではないとも言われていますので、もしかするとバツを付けるほどではないのかもしれませんが、漢字の問題集で間違いとしているものがあるのであれば、そこは子ども達にも伝えなくてはいけませんよね。

皆さんは当然ご存知でしたか?ほんとお恥ずかしい限り…。

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2021年2月10日 (水)

高校入試がスタートしましたね

うちの教室は一番多いのが低学年のお子さんで、おまけに見られるのが算数・数学と希望があれば国語という限られた教科なので、高校受験の子がいない年も少なくありません。
今年は中1の冬から来てくれた子がひとり、受験生になったので、いよいよ受験シーズンになりました。

今日は私立校の入試だったようですが、あまりわからないので先生にどこかいいところはないか聞いて決めたという彼の言葉を聞きながら、自分はもっと何もわかっておらず、本当に適当だったので、併願の私立校は担任の先生に決められたんだったなと思い出しました。

時代は変わって、今は公立校でも、特色科などは推薦入試という形で2月に試験があり、それでダメでも3月にもう一度一般入試でチャンスがあるというような形になり、学区制も変更になって、昔より更に選択肢が増えて大変だろうなと思います。(私が今の時代に中学生だったら、多分「普通科」ではないところを志望校にしていただろうなという気がします。)

今年の受験生は結局丸々1年、ずっとマスク生活、不自由な学校生活を強いられて、本当に気の毒ですが、それでもどうにか無事に入試が実施されていて、それはよかったなと思います。

全ての子が第1志望に合格することは無理なのだと思いますが、入ってみなければ分からないことの方が多いわけで、受験生の子達がみんな、それぞれの子に合った学校に進学できることを祈っています。
もちろん、うちに来てくれている中3くんも、第1志望の公立に合格することを祈ります。

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2021年2月 9日 (火)

考えずに覚えるから

学年が上がってから来てくれる子達を見ていると、昔の自分もそうだったよなと思うようなことに時々出くわします。
私自身、恐らく結構真面目な児童、生徒だったので、授業はきちんと聞くし板書もちゃんと写す、するように言われた課題などは基本的に(怒られたくないので)期限を守ってちゃんとする、そんな子ども時代でした。
その結果、自分で考えるより先に説明されてしまったことは、こうすれば解けるんだなという形で「理解」して、実際それでマルをもらえるので、それ以上踏み込むこともなく過ごしていました。そして、その方法は高校時代に限界を迎えたわけです。

今となっては我ながら呆れてしまいますが、例えば、1/2x+1/3xは5/6xだというのに、その後方程式で分数は分母の公倍数をかけて分数では亡くしてから計算するようにと習うと、両辺がないにも関わらず、上述の式を3x+2xで5xというような、意味を考えたらあり得ないようなことをしそうになったり、どのときは分母を払っていいのか、どのときはダメなのか、そんな判断すらきちんと「腑に落ちて」いませんでした。
そんなことぐらい、ほんの少し意味を考えていれば、どれだけおかしなことをしているかわかるはずなのに、その気づく機会のないまま過ごしていたように思います。

先日から来てくれ始めた、算数、数学に苦手意識のある中学生さんも、真面目そうなので、きっと授業は一所懸命聞いて、言われた通りにしようとしてるんだろうなというのを感じます。ただ、受け身で聞いたことは、どれだけ真面目に聞いていても、なかなか自分の血肉にはなりません。
過去に習ったところの間違える子が多いところをピックアップして、何問か解いてみてもらったところ、「こんな風に解くんだった気がする…」という様子で解いているところがあり、間違える子が多いところにきっちりはまっているようでした。

一斉指導の授業ではどうしようもないところもあるのですが、先に説明されてしまったことは、よほど興味のあることでなければ記憶に残りづらいですし、興味のないことをわざわざさらに自分で掘り下げてみようとも思いづらいでしょうから、そこは本当にジレンマですね。

説明される前に自分でちらっとでも考えてみるのが効果的なのではと思うので、個人的には習ったことを繰り返し復習するより、習う前、説明を読む前に、まず考えてみる形での予習を推しています。

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2021年2月 8日 (月)

気がかりですね…。

今日のニュースで、県内で変異種に感染した方が複数見つかったと知りました。
大阪より先になぜ兵庫で?と思ってしまいますが、きっと、まだ見つかっていないだけで、他にも広がっているのかもしれませんね。
感染者数自体は減少傾向のようですが、緊急事態宣言は延長になったようですし、変異種は感染力が強いそうですから、まだまだ気がかりですね…。

どうぞ皆さまお気を付けください。

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2021年2月 7日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2021年2月 6日 (土)

妙な1日

今日はいつもはきはきしていて、算数もよくできる子達が軒並みぼ~っとして、口数も少なく、ペースが上がらない状態に陥る、謎の現象に見舞われました。(苦笑)
最初のレッスンに来た子達2人が、それぞれ反応が緩く、挨拶しても返事が返ってこず、いつもは色々おしゃべりしてくれて、時にはそれを止めなくてはいけないぐらいなのに、2人揃ってとにかく静かで、何か尋ねて答えてもらうとき以外、声を聞かなかったのでは?というほどでした。

その次のレッスンの子達も登場時はやはりなんだかぼ~っとしていたので、どきどきしましたが、この子達はまあ普段とほぼ変わらない感じでレッスンができたので、ホッとしたのも束の間、次のレッスンの子も質問しても声を出さずに、指で数を示すとか、それすらもしてくれないとか、反応が少なく、その感じはラストのレッスンの子にも引き継がれました。

今日は急に暖かくなったからかもしれませんねとおうちの方達とお話したものの、不調だった子達の状態がみんなあまりに似通っていたので、本当に不思議でした。

それでも、発達のペースがゆっくりな子は、今日もまた成長を見せてくれましたし、いつもと変わらない感じだった子のひとりは、じわじわと安定感、安心感を感じられるようになってきていて、嬉しく思いました。

それとは別に、算数、数学にコンプレックスを持っているので、それをどうにかしたいということで来てくれ始めた中学生さんは、初回のレッスンの後、帰ってきて「楽しかった」と言ったと、お母さまからメールを頂いて、それも本当に嬉しいことでした。

個人的には、勉強は本人がしたくなければしなくてもいいのではという思いはずっと持っていて(もちろん、最低限、読み書きや簡単な計算などもできないと暮らしていく上で色々不便だと思いますが。)、嫌だという子に無理してまで勉強させたいとは思わないのですが、できないことがコンプレックスになって自信を失ってしまっているような子には、なんとかしてそこから抜け出してもらえたらという思いはずっと抱いています。
新人さんはもう中学生なので、大きく変わるかどうかはわかりませんし、好きだと思えるようになるかどうかはわかりませんが、少なくとも数学ごときで自信を失う必要はないと思うので、そこから抜け出してもらえるよう、私もがんばりたいと思います。

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2021年2月 5日 (金)

ほぼバトル(苦笑)

今月からレッスンを始めた高学年さんは、どうやらもう完全に私に慣れたらしく、それに関してはひと安心。計算スピードは速いし、恐らく頭も決して悪くないと思うのですが、習ったこと、書かれていることを覚えて、自分で深く考えるところまで行かないうちに「処理」というか「作業」というかを繰り返していたんだろうなという感じで、ぱぱっと答えを書いて、間違っていると言われたら、また書き直してということが当たり前のようになっています。

そういう癖がついてしまっている子の場合、意地悪と言われようとも、どうしてそれで解けるのか、その答えはどういうことを表しているのかなど、とにかく「なんで?」「どうして?」「それはどういうこと?」と質問を重ねていきます。
子どものタイプによっては、それを不快に思う子もいるでしょうし、意地悪されていると思って腹を立てる子もいるかもしれません。そうでなくても、質問に答えられずもじもじしてしまったり、黙り込んで何も言ってくれなかったりする子もいるのですが、新人さんは質問に対してがんがん答えてくれるので、それはとても助かります。
しかし、その答えすらも、自分の頭の中を巡らせるより先に口から出ているような感じで、とりあえず答えて違うと言われたらまた別のことを答えて…とやりとりだけを誰かが聞いていたら、バトル、もしくは激し目の漫才?のような状態なのではと思います。
適当に答えてもけろっとしている姿が、だんだんおかしくなってきて、何度も笑ってしまいましたが、全くへこたれる様子がないのがその子のいいところだなと思います。

ちょっとパワーあふれる根競べのようになってきていますが、若いパワーに負けないよう、その子が自分の頭をしっかり使って理解できたときの気持ちよさを感じてもらえるまで、がんばっていこうと思います。

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2021年2月 4日 (木)

どうして…(苦笑)

昨日のレッスンが終わった後、片付けや掃除をしていて、トイレに行って水を流したところ、なぜか水位がぐんぐん上昇。え?これ詰まってる??と焦ってみていると、普段の倍ぐらいの水位まで上がったものの、その後流れていき、何度も試してみたものの、繰り返される同じ状態。
これは何かが詰まりかけているんだろうと、正式名称はラバーカップというそうですが、「すっぽん」でポコポコしてみたものの改善せず。
時間も遅かったので、水道局に連絡するにしても、管理会社に連絡するにしても無理ということで、ひとまず昨日は帰宅。

今日は早目に出勤して連絡するつもりが、電気メーターの交換があったり、午前中配達指定の荷物が、在宅していたのになぜか不在で持ち帰られたりと色々あって、15時頃出勤。祈りを込めて再度流してみたところ、昨晩以上に水位が上がってきて、これは今日子どもがレッスンでトイレに行ったらアウトかもという状態に。

管理会社に電話をしたところ、後ほど連絡をするとのことで、とりあえず本日のレッスン開始。
途中、ひとり子どもがトイレに行くと言ったので、水を流すときに注意しておいてもらいましたが、とりあえず大丈夫だったと。

その後、連絡が入り、見に来てくださることに。そのときいた、トイレを使わなかった子も見たいというので、水を流して見せてあげようとしたところ、!!!!!ちゃんと流れました!!!!!
詰まりかけていたものが流れたのかもしれませんが、なぜそのタイミングで…。(汗)

これ、何か名前とかあるんでしょうか。例えば、機械が不調であれこれ試しても直らず、諦めて詳しい人や業者に連絡して見てもらうと、そのときにはちゃんと動くとか、割とあるんです…。
まあ、大事にならずに済みましたし、見に来てくださった方にもその旨を伝えた上で念のため見て頂けたのでいいのですが、どうもスッキリしません。(苦笑)

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2021年2月 3日 (水)

本当に式が必要なのかな。

今日のレッスンでもまた感じたことですが、少なくない小学校の先生が、算数の問題を解く際に、教えた通りの手順で式を書かないとマルをしないように思います。
式の順番については、かけ算やわり算の文章題などは順番を意識した方がいいものがあるのは私も同意見ですが、そうではなくて、例えば分数の割り算を使って解くような問題を、一旦普通のわり算をした後、かけ算をして正しい答えを出しても、その方法はダメと言われるようなことがあるように思います。

仮に、3/4m(3分の4m)の重さが6kgの棒があって、その棒1mの重さを求める場合、もちろん、6÷3/4をすれば答えは出ますが、その計算は子ども達にとって、何をしているのかイメージはしづらい。でも、図を描かせてから解いてみてというと、6÷3をして2×4をするという考え方で、自分が何をしているのかきちんと理解できる状態で解くことができます。
それでも、分数の割り算を習ったまとめテストなどであれば、後者の解き方をすればバツを付ける先生がいるように思います。

今日、割合の学習をしていた子もいたのですが、学校などで割合を習うときには大抵、もとにする量、比べる量、割合の3つを「も・く・わ」とかいって、マルを描いたものをT字に区切り、どの時は掛け算、どの時は割り算と、公式を暗記させたりします。しかし、暗記したものは往々にしてごちゃごちゃになったり、忘れたりしがちです。
今日割合をしていた子は、算数に関しては結構苦戦しているのですが、図を描くことはできて、30%はどのぐらいとか、1割5分はどのぐらいとかも線分図でまずまずのところを示せる力があるのです。その図を描いた後であれば、その子はどんな計算をすればいいかある程度考えられるのですが、学校で教わったであろう、割り算するか掛け算するというそのどちらかの考え方しかしないと、とんでもない答えを書いたりすることがあります。

図を描いて考えられる子達を認めてもらえないのは、どうにもモヤモヤしますし、正しい手順で、それもその方法がとても面倒だったりするわけでもないのであれば、その子その子の考え方を認めてもらえたらいいのになと思ってしまいます。

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2021年2月 2日 (火)

2月のレッスンスタートです。

1月末で数人の子達とお別れをし、その代わり2月から新たにレッスンをさせてもらえることになった子もいたりして、寂しさと嬉しさの入り混じる2月のスタートです。
この後、年度末でまだ数人お別れすることになると思うので、寂しさを感じる日々はまだ続きますが、中3の受験生もいますし、新型コロナの流行はなかなか収まりませんし、気を引き締めて日々を過ごしていこうと思います。

そして、今日は節分でしたね。124年ぶりとのことでしたが、そうなると、一生のうちに一度あるかないかのかなりレアな経験をしたということになりますね。節分で鬼だけでなく、コロナ禍も去ってくれるといいのですが。

豆まきはマンション住まいだとなかなか思い切り撒くこともできず(実は長年、思い切り豆まきをしたいという気持ちを持っているのですが(苦笑))、すぐ掃除できるよう袋に入れた豆を、ほんの気持ちだけ外にも内にも撒いて、豆も数えの分だけ食べました。
しかし、仕事帰りにスーパーに寄ったところ、恵方巻は見事に完売していて、その後スーパーやコンビニを数軒覗いたものの、どこも売り切れ…。まあ、22時を回っていたので、これは失敗した…と思っていたのですが。そんなわけで、今年の私の恵方巻はコンビニの納豆巻で代用されました。(汗)

みんなが健やかに過ごせますように。

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2021年2月 1日 (月)

「あ!」

数学で苦戦しているとのことで、先週体験レッスンをさせてもらった中学生さんがいます。
苦戦は小学校の中頃から始まったそうで、どこが曖昧なのか確認するため、小学校範囲からざっと、どこは自信があってどこが自信がないかを尋ねながら進んでいきました。
すると、苦手な子が多い速さや割合のところはやはりあやしい感じで、その辺りはきちんと理解していなければ中学校以降の数学でも困る場面が結構あるので、おさらいがてら少しずつ問題を解いてみてもらっていました。

しかし、例えば、重さを聞かれているのに、式の始まりが割合を表す数であったり、何倍かを考えねばならないのに、長さと長さをかけ算してしまったりと、習ったことを覚えた結果、全て曖昧という印象を受けました。

以前、小5のときに算数アレルギーが激しくなって、一緒にレッスンをするようになった子も式の順序や単位にあまり意識が向いていないようだったので、そのときにも、今回も、私にとっては「当たり前」のことを言ったところ、当時小5だった子も、今回の中学生さんも「あ!」という反応を見せました。(今回の中学生さんはマスク越しだったというのに、目の動きとマスクの下で明らかに口が動くのが分かったので、思わず笑ってしまいましたが。)

「求めたいものが重さなのに、割合を割ったら割合がバラバラになるだけよ?重さが知りたかったら、重さを分けたり集めたりしなきゃ重さにならへんよ?長さを聞かれてるんなら長さから始めなあかんし、そこは本来迷うところじゃないよ?」

もちろん、問題によってはその考え方だけでは考えられないものがあるかもしれませんが、少なくとも算数の範囲では、単位を意識し、何を求めるのかを意識すれば、式が何から始まるかは迷いようがないものがほとんどだと思います。そして、式の始めが決まれば、その数をどうすればいいのかを考えるだけです。(単位が異なるものは足したり、引いたりできないというのは今回の中学生はきちんと説明ができていたので、それが分かっている場合は、迷うのは掛け算をするか割り算をするかの判断になりますが。)
そして、仮にそこで迷ったとしても、求めたい答えがもとの数より大きくなるのか小さくなるのかを考えれば、どちらをすればよいかも判断できます。今回の子はその判断でも掛ける数や割る数が小数や分数になると迷うようでしたが、解き始める前に大きくなるか小さくなるかを考えておけば、間違って逆の計算をしてしまっても、「ああ、こっちじゃなかった」と計算し直せばいいわけです。

世の中には掛け算の式の順序は関係ないと、式の順序に関して全否定の立場の方もおられるようですが、掛け算に限らず、他の計算も全て合わせて考えた場合、普段から単位や順序を意識させることはかなり有効で大事なことのように思います。

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