初めが肝心
何かを経験したり、学んだりするとき、最初の機会はとてもとても大事なのかもしれないと感じることがあります。
今日のレッスンでも、とても利発な年中さんとレッスンをしていたときに、5までの数のひき算を初めて一緒にしてみたところ、教具などを使って一緒にレッスンした後、数式だけのプリントをしてもらうと、明らかに頭に何かを思い浮かべている様子で、苦もなく答えを出していきました。
前回5までの足し算をしたときには、やはり簡単そうではあったものの、指が出てきて、2+3なら指を2本と3本出したのを見つめて答えを出していたので、たった1週で指を出さなくても計算できるようになったんだなと思っていたところ、おさらいを兼ねて5までの足し算のプリントを出した途端、楽しそうに解いてはいるものの、再び指が登場しました。
殆どの子が引き算より足し算の方が好きだと言いますし、その子は5までの数は見ただけですぐ答えられている状態なので、どうして足し算では指が出てくるのかな、面白いなと思って口にしたところ、お母さまが「足し算は指を使って教えたからかもしれない…」とおっしゃいました。
多分その子は指を使わないでやってみてと言えば、きっとできるのだと思います。ただ、一緒にレッスンするより先に指を使って考える方法を学んでいたことで、特に意識することなく、当たり前に指を使っているのではないかと。
これはひとつの例にすぎませんが、例えば私自身を振り返っても、私は高校の修学旅行で生まれて初めてスキーをしたのですが、それまでほぼ全てのスポーツは人並み以上にはできていたのに、スキーだけはかなり不出来で、修学旅行の終盤にはそれなりに滑れるようになったものの、初日のレッスンであまりにボロボロだった記憶が抜けず、その後の人生で二度とスキーをしようとは思えませんでした。
この辺りに住んでいれば、スキーをせずに生きていくことは特に障害になりませんが、例えば、子ども達が何かを学ぶときに、学ぶタイミングが早過ぎて難しく感じてしまったら、進んで学ぼうとは思い辛くなるのではないかと思います。また、本来ならもっとよい方法があるはずなのに、最初にとにかく数えるとか、とにかく反復してやり方を覚えるとかいうような、高い能力を必要としないような方法を身につけてしまったら、その癖を抜くにのに苦労することもあります。
もちろん、好き嫌いや成長のスピードなど、全て個人差がありますので、誰にでもベストなタイミング、ベストな方法というのはないのだと思いますが、最初の機会はかなり重要だということは意識しておく方がいいのではないかと感じます。
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