教室に来てくれている子達は個性も能力もひとりひとり違うのですが、がんばる気持ちはあってもどうしても算数が苦手というような子には、見守りや手助けが少し多めに必要なのだろうと思います。
キライなことや苦手なことをするのは、誰でもなかなか気がすすみませんから、やればできるはずのものでも、誰かが励ましてくれたり、見ていてくれたり、がんばったら褒めてくれたりというような、何かモチベーションの助けになるものがあるかどうかで、できるできないが変わってくるということはあるでしょう。
とすれば、小さい子であれば尚更そうかもしれません。ただ、ずっと褒め続けるのがいいかどうかは判断が難しいところでもあると思います。
褒められるからやるという動機は人が褒めてくれないならやりたくないという気持ちにつながる可能性があるからです。
あくまでも、イヤだなぁ、やりたくないなぁと思っている段階の子に対してやる気になってもらい、その結果、自分で考えてできたという達成感を味わってもらうことで、人が褒めてくれなくても、あの気持ちよさをまた感じたいと、自発的に取り組めるようになるのが理想だろうと思います。
また一方で、能力があるのにめんどくさいとかいう理由でしっかり考えようとしない子の場合は、安易に助けるのはかえって力を奪うことになるとも思います。
これまで色々な子たちを見てきましたが、教室を始めて数年目の頃、マル付けを手伝ってもらうアシスタントのような先生に来てもらっていた時期がありました。すると、私に対しては表情を読んで答えを探るという手は使えないと知っている子達でさえ、アシスタントの先生に「これ、合ってる?」とか、まだ考えてもいないうちから「分からない」とか言って助けてもらおうとするのを何度も目の当たりにしてびっくりしました。
算数が大好きで放っておいても進んで考えるような子は別として、算数は十分できるような子でさえ、手抜きできるならしたいという気持ちを持つ子が少なくないんだなということに随分驚いたものです。
また、アシスタントの先生も、子どもが止まっていると、まだ待たなければいけないタイミングでヒントを出してしまうということもよくあり、大人が待つことの難しさも改めて感じました。
自分で考えられる子でも、待っていれば大人が助けてくれるとか、やり方を教えてくれるとかわかっていれば、ぐっと集中して考えようとはなかなか思ってくれないものです。
おうちでお子さんの学習を見る際、算数が苦手というお子さんでなければ、まずは「この子ならできるはず」という気持ちで見守り、もうこれ以上待てないと感じてから、その3倍ほどの時間待ってみてほしいと思います。見ているとつい言いたくなる、助けたくなるというのであれば、おうちの方は何か別のことをしながら、側にいるだけにしてもいいかと思います。助けているつもりが実は考える邪魔をしているとしたら、昔の私のように後悔してもしきれないのではないかと思いますので。
読めない文字があるとか、何度も読んだけど問題の意味がわからないとか、そういう場合は助けてあげていいと思いますが、まずはその子が自分の頭をフルに回転させて精一杯考え終わるまで待ってあげるということを意識して頂くことで、子どもは焦らされることなく、ゆっくりじっくり考えるようになっていく(もしくは、元々自然とそうしている)ことがほとんどです。
学習に関して助ける際、その助けがそのタイミングで本当に必要なのかどうか、もっと待った方がいいのではないか、そういう意識を持っておいて頂けたらと思います。
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