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2020年11月30日 (月)

11月もおしまい

もう明日から師走なのかと思うと、なんだかぞっとしますが、それ以上にまさかこんなに長く新型コロナが収束しないとは思ってもみなかったので、今年は年末年始もこれまでにない過ごし方になるのかもしれませんね…。
重症病床の使用率が上がっているとも聞きますし、詳しいことが分からないだけに、やはり不安になります。

いよいよ気温も下がってきましたので、今後は風邪やインフルエンザなども増えてくるのかもしれません。
どうぞ皆さまくれぐれも気をつけてお過ごしください。
12月も、自分も含め、元気にレッスンできることを祈っています。

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2020年11月29日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年11月28日 (土)

これも大好きな瞬間

今日のあるレッスンで初めてかけ算の学習をした子がいました。
元々今日はかけ算まで進む予定ではなかったのですが、ちょっと面倒な計算が続いていたので、これ以上させると嫌な気持ちでレッスンを終わることになりそうで、しかし、まだ少し時間があったので、ほんの少しだけかけ算の学習に入ることにしました。

数に対してほとんど抵抗がない子なので、かけ算の導入でする10の段は、教具を見ながらスラスラと答えてくれて、10×12なども問題なし。
その導入に際して、かけ算についての説明はせず、10が2本あったら、足し算なら10+10だけど、かけ算では10×2と書くというようなことだけ確認したのですが、レッスン後、ためしにと思い、「5×2はわかる?」と尋ねると、ほんの少し考えて「10?」と答え、「じゃあ3×3は?」と尋ねると「9?」と答えてくれました。

もちろん、その子とは初めてかけ算の学習をし、まだ九九も覚えていない状態なので、純粋に10のかけ算をしたことでかけ算というものがどういうものか理解してくれたのだと思います。こういう学びをすると、例えば23×4を尋ねても、時間はかかるかもしれませんが、答えを出すことができるはずです。
そして、そういう学びを積み重ねている子達からは「習ってないから解けない」という発言が出ることもありません。(難しくてわからないとかいうことはあっても。)

そんな、子ども自身が学び取ってくれた瞬間を見るのも大好きです。

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2020年11月27日 (金)

初めが肝心

何かを経験したり、学んだりするとき、最初の機会はとてもとても大事なのかもしれないと感じることがあります。
今日のレッスンでも、とても利発な年中さんとレッスンをしていたときに、5までの数のひき算を初めて一緒にしてみたところ、教具などを使って一緒にレッスンした後、数式だけのプリントをしてもらうと、明らかに頭に何かを思い浮かべている様子で、苦もなく答えを出していきました。

前回5までの足し算をしたときには、やはり簡単そうではあったものの、指が出てきて、2+3なら指を2本と3本出したのを見つめて答えを出していたので、たった1週で指を出さなくても計算できるようになったんだなと思っていたところ、おさらいを兼ねて5までの足し算のプリントを出した途端、楽しそうに解いてはいるものの、再び指が登場しました。

殆どの子が引き算より足し算の方が好きだと言いますし、その子は5までの数は見ただけですぐ答えられている状態なので、どうして足し算では指が出てくるのかな、面白いなと思って口にしたところ、お母さまが「足し算は指を使って教えたからかもしれない…」とおっしゃいました。

多分その子は指を使わないでやってみてと言えば、きっとできるのだと思います。ただ、一緒にレッスンするより先に指を使って考える方法を学んでいたことで、特に意識することなく、当たり前に指を使っているのではないかと。

これはひとつの例にすぎませんが、例えば私自身を振り返っても、私は高校の修学旅行で生まれて初めてスキーをしたのですが、それまでほぼ全てのスポーツは人並み以上にはできていたのに、スキーだけはかなり不出来で、修学旅行の終盤にはそれなりに滑れるようになったものの、初日のレッスンであまりにボロボロだった記憶が抜けず、その後の人生で二度とスキーをしようとは思えませんでした。

この辺りに住んでいれば、スキーをせずに生きていくことは特に障害になりませんが、例えば、子ども達が何かを学ぶときに、学ぶタイミングが早過ぎて難しく感じてしまったら、進んで学ぼうとは思い辛くなるのではないかと思います。また、本来ならもっとよい方法があるはずなのに、最初にとにかく数えるとか、とにかく反復してやり方を覚えるとかいうような、高い能力を必要としないような方法を身につけてしまったら、その癖を抜くにのに苦労することもあります。

もちろん、好き嫌いや成長のスピードなど、全て個人差がありますので、誰にでもベストなタイミング、ベストな方法というのはないのだと思いますが、最初の機会はかなり重要だということは意識しておく方がいいのではないかと感じます。

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2020年11月26日 (木)

気付き

今日は数年ぶりに先日からまた期間限定でレッスンをさせてもらうことになった子との再開後2回目のレッスンがありました。
その子はいわゆる一般的な学校で授業を受けたことがほぼない子なので、これまでにご家庭での学習や、うちの教室のようなところでの学習でその子が学んだことが限られていたり、学年配当などには全く沿っていなかったりで、以前にここに来てくれていたときには、私と初めて1からの数を学習した状態だったので、その後、何をどこまで学んだのか、知っているのかを確認しながらレッスンをしています。

足し算、引き算、掛け算の九九あたりまではわかるようでしたが、割り算は未習とのことで、前回はそれを一緒にしたのですが、今回は掛け算の筆算(掛ける数が1桁のものと2桁のもの)、小数の足し算、引き算(小数第1位までのもの)、同分母の足し算、引き算をすることができました。
小さい子達であれば、初めてのレッスンでそれだけのものを一度に学習するのはあり得ないことですし、実はその子は小数や分数の計算は初めて見たとのことで、分数の読みかたすら知らない状態でした。
それでも、教え込んだわけではなく、その子自身が考えながら、ある程度納得して進めていったにもかかわらず、2時間でそれだけのことをざっくりでも学習できたのは、やはりこれまでの経験や蓄えてきた知識などが助けになっているのだろうなと感じました。

分数はお母さんと料理などをする際に、小さじ2分の1というような感じで見聞きしたことはあったようですし、小数も少し説明をしたら、これまでの経験などから、比較的すんなりとイメージができたようで、2時間みっちり頭を使った後でも「数字ってなんか面白いですね。楽しい。」と言ってくれて、私も何だか嬉しくなりました。

教科書や参考書、問題集などを使っての勉強はもちろん必要だと思いますが、子どもの成長、ペースに馴染まない場合は、無理し過ぎず、その子の成長を待ってあげることで、案外すんなりできてしまうこともあるのかもしれないなと、その子を見ながら改めて気づかせてもらいました。

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2020年11月25日 (水)

不思議でもあり、興味深くもあり

子ども達を見ていて、自分の性格や経験から、共感できたり納得できたりすることもあれば、自分には全くそういうところがなかったため、どうしてそういう言動を取るのか、理屈ではよくわからず、不思議だったり、興味深く感じることもあります。

例えば、私は親にきつく叱られたとかいう記憶は全くないのですが、物心ついて以降、とにかく人に叱られたり怒られたりすることが嫌で、どうすれば怒られないかということをよく考えていたように思います。例えば、やりたくない宿題が出されていたとして、それをしなければ学校で先生から叱られるかもしれないと思うと、叱られる方が嫌だから宿題をするというような考え方をする子どもでした。
家でも、うっかり親に叱られるはずのことをしてしまい、その場に親が居合わせなければ、ごめんなさいの手紙を親の目につくところに置き、それを読んでもらえるまではこっそり隠れているようなこともありました。

多分、なかなか珍しいタイプの子どもなんだろうなという自覚はあるのですが、自分にとっては怒られたくない、叱られたくないという気持ちが強くて、いかにそれを避けるかを考えていたもので、教室の子たちを見ていると、特に男の子などの中に、それをすれば私やおうちの方に怒られるのはわかっているよね?と思うようなことを、私から見ると「敢えて」しているように感じる子がいて、どうしてなのか非常に不思議で興味深いのです。
そういう子達も、決して怒られるのが好きそうではなく、怒られたら怖がったり、何らかのネガティブな反応をするので、尚更、じゃあなんでするんだろう?と思ってしまいます。

これは一例ですが、自分の感覚では理解し辛かったり、推測も難しいような言動を見聞きしたとき、自分の基準で判断してしまうと、相手がおかしいことになってしまいます。でも、実際のところ、私は結構色々変わっているんだろうという自覚もあるので、できるだけ自分の基準だけで判断しないよう気を付けなくてはとも思っています。

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2020年11月24日 (火)

成長を感じる

自分は歳を重ねるごとにいろいろと衰えを感じる一方ですが、子ども達とレッスンをしていると、どの子もふとしたときに、ああ、成長しているな、この前できなかったことがもうできるようになったんだななどと、感じることがしばしばです。

前回のレッスンでは苦戦していたことを今回は苦もなくクリアしてしまったり、ひと月前には悪戦苦闘で泣きべそをかくほどだったことを、そんなことありましたっけ?とでも言わんばかりにスラスラ解いてしまったり、以前はいくら言っても考えることをサボろうとしていた子が、気づけば自然と考えるようになっていたり、そんな瞬間を見るたび、本当に嬉しくなります。

算数、数学が得意な子でも、苦手な子でも、それぞれの子に成長を感じることができるので、そのたび、子どもっていいなぁ、すごいなぁと思います。

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2020年11月23日 (月)

考えること

今日は期末試験の関係で中学生のレッスンを振り替えたため、少し出勤していました。
公立中の子なのに、数学の進度が異常に早く、既に今回の期末に三平方の定理の終わりまでが範囲になっていて、範囲自体も広いため、試験対策といっても正直なところ時間は全く足りない状態でもあります。

その子はうちのほかに、他教科も見てもらえる一斉指導の塾にも行っているのですが、数学はそちらの塾では完全に復習で、まだ三平方に辿り着いてもいないとのことで、学校の数学の先生の方針がかなり意味がわかりません…。(公立中なのに…。)

それはそうと、それだけ早いと、学校で出された課題の中に自力で解決できないものもあるようで、試験前に分からないところを持ってきていました。円周角も範囲に入っていて、プリントのC問題の最後の2問が答えを見てもどうしてそうなるのかわからないとのこと。見てみると、補助線などを何本か引かなければならない上に、気づかなければ解けないこともあって、さすがCの最後の問題だなという感じでしたが、その問題を解くにあたっては、出題者の意図を汲み取れるかどうかによっても、解けるかどうかに差が出るだろうなと感じました。

もちろん、数をこなして似たような問題をやっていれば、意味はよく分からなくても解ける場合はありますが、初見の問題の場合、こういう図が描かれているのに、ここは使っていないな?と気づくことによって、そこに補助線を引けばいいのではという発想が出たり、使わないものをわざわざ図に描き入れることはないだろうなという発想が出たりするかどうかは、やはりそれまでにあれこれ考え、試行錯誤してきたかどうかによる部分も大きいのではないかと思います。

大量に問題を解いて覚えるというのは、ほとんどの子にいつか限界が来ます。でも、自分の頭で考えることにはきっと限界はありません。(難しい問題ができるかどうかという意味ではありませんが。)
大きくなるにしたがって、より柔軟にものが考えられるようになるためにも、小さいうちからしっかり頭を使って考えてほしいと思います。

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2020年11月22日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年11月21日 (土)

今週も無事終了

新型コロナの感染者が日に日に増えているのは不安ですが、どうやらマスクを外しての会食などの場面での感染が多いようだとの話もありますので、マスクを外さない状態であれば、ある程度は安心できるのかもしれませんね。

ほとんどの子ども達もこんなに長い間、学校でもどこでもマスクをしていなければならない状態で過ごしたことはないでしょうから、気の毒ではありますが、この冬はその分、風邪やインフルエンザの心配は減るのかなと。
小さい子達にもマスクをさせるのは心苦しいものはありますが、万が一のことを考えて、何卒ご理解、ご協力のほど改めてお願い申し上げます。

今月も気づけばあっという間に下旬となりましたが、今日は概ねみんな調子がよかった気がします。ひとり、来る途中で眠くなってしまったとのことで、大泣きして現れた子がいましたが、泣き止むとその後はいつも通りに取り組んでくれていて、それはそれでびっくりしました。

別の、成長が少しゆっくりな子は、学校でもかけ算の学習をしていて、九九は暗記しているようなのですが、例えば4×6でも、「しいちがし、しにがはち…」と、必ず1から順に唱えて答えを出していて、ここに来てくれたときの数の理解度などから考えると、順に唱えてでも答えが出るのであれば、それはひとまずよしとするつもりではあったものの、ためしに「それ、1から順に言わなくても、『しろく』でぱっというのは難しい?」と尋ねてみたところ、その後、4×7や4×8はその九九だけを言って答えを書くことができたので、それもまたひとつステップアップしたのを感じて嬉しくなりました。

来週もどうぞよろしくお願い致します。

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2020年11月20日 (金)

やめるタイミング

先日から、どうやら算数が大好きらしい年中さんとのレッスンが始まりました。
年中さんとは思えない利発さのある子で、その上算数は楽しいらしく、ほぼずっとニコニコしながら問題に取り組んでくれています。
もちろん、まだ年中さんですので、プリントばかりするわけではなく、色を塗ったり、ハサミを使ったり、積み木を並べたり、色々なことをするのですが、何をしてもほとんどスラスラできてしまうことに驚かされています。

今日は8つの積み木を使って、基本の立方体の形から、積み木を1~3個動かして、別の形にするというものをしてもらったところ、初めのうちは見た瞬間どこを動かすかぱっと分かって、逆から見ている私の方が確認に時間がかかるほどでした。ただただすごいなぁと思っていたのですが、3個動かす問題の2つ目で初めてちょっと悩んだようでした。
そもそも、そんなペースで次々にやってしまうとは思っていなかったので、そこは無理をさせる必要はないなと思い、「よくできたから、続きはまたにする?」と尋ねたところ、素直にうなずいたので、それはそこまでにしました。

子ども達は楽しいともっともっとと次々にしたがりますが、スラスラできる子は特に、できない、難しいと感じることに戸惑ったり、悲しくなったりすることが少なくないので、やめるタイミング、切り上げるタイミングというのは大事だと思っています。
その子に「またにする?」と尋ねて、「ううん、今やる」と言えば、そのまま考えてもらうつもりでしたが、素直におしまいにすると意志表示をしてくれたので、なんとか、スラスラできて楽しかったという気持ちで終えてもらえたのではないかと思います。

もちろん、学年が上がってきたり、時と場合によっては、難しい、やりたくないと思ったものでも、なんとかがんばらなくてはならないことも出てくるかと思いますが、今はまだ学ぶことは楽しい、知らなかったことを知るのは楽しいという気持ちを持ち続けてもらえることの方がずっと大事なのではないかと思っています。

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2020年11月19日 (木)

試行錯誤の時間

小さい頃から来てくれている子達にとっては、算数は考えるのが当たり前という感覚でいてくれる子が多く、説明されるのを待っているような子はいないのですが、そうやって小さい頃から学んでいる、中でも算数が得意な子達であっても、問題の内容が難しくなってくると、私の予想より随分ペースが下がることがあります。

普段の様子を見ていると、このぐらいはできるのではと用意していたものがその半分も進まないようなときに、この子でもこれだけ時間がかかるのかと気づかされると同時に、どうすれば解けるか気づくまでに得意な子でもそれだけ時間がかかるものを、学校や塾などで先生が説明をして、とりあえず問題を解けるようにしたとしても、定着度はかなり低いのだろうなとも思います。

今日のレッスンでは、ある子が公約数の利用の問題で、27を割ると3余り、40を割ると4余る最も小さい数を求めようとして、初めは全く閃かない様子で1から順に試して考えようとしたので、少し待ってみたものの、「1は違う、2も違うな、3は…」と続いていき、そうかと思えば突然とちゅうが飛んで先まで行っていたりもしたため、「初めに27個用意したら3個余って、40個用意しても4個余るのだから、いくつずつ用意していれば余らないか分かる?」と尋ね、24と36という数に気づいてもらいました。

すると、それぞれの約数を考えて、公約数を見つけたものの、今度は書き出した「1、2、3、4、6、12」を1の方から順に確かめ始め、1も2も3も4もダメだったことで、公約数じゃないのかなと思ったらしく、24と36のそれぞれの約数のうち、公約数ではないものについて考え始めました。

それも少し様子を見ていたものの、当然問題に合うものはありません。困って、次は倍数を考えようとしたので、「24や36を48とかで割れる?」と声掛けをし、「ところで、さっき違うと思って消したみたいだけど、12で割ったらどうなるの?」と尋ね、確かめてもらうと「あ、いける!」と。「じゃあ6は?」というと「あ、これもいける!」そこで、「でも、4とかほかはダメだったんでしょ?」というと、「あ!そうか。あまりが3とか4とかだから、1から4はあかんのか!」とようやく気づいてくれました。

その後はその考え方を使うような問題をスイスイ解いていましたが、普通の塾などではたった1問にここまで試行錯誤はさせないでしょうし、やり方を説明されて、その場では「ああ、そうか」と思って解いて通り過ぎていくのだろうと思います。

これだけ試行錯誤をしても忘れるものは忘れますから、それすらしなければ、更に記憶には残りづらいだろうと思います。
ただ、受験塾などでバリバリ問題をこなさなければならなくなってから、そこまでじっくり問題に向き合う時間的余裕はなかなかなくなるでしょうから、尚更、低学年のうちにじっくり時間をかけること、試行錯誤することが大事になってくるように思います。

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2020年11月18日 (水)

意識が向くかどうか

今日のあるレッスンで、ある子がしてきた宿題を見ていたときに、びっくりするような答えが目に留まりました。1歩の歩幅が0.6mで、90m歩くのには何歩歩くかという問題の答えに「1.5歩」と書かれていたのです。

その子は小さい頃からがんばってくれているのですが、できるようになったことも少し時間が経つとすっかり抜けてしまうことも少なくなくて、今回は、小数の割り算で割る数を10倍したら割られる数も10倍するはずが、なぜか記憶が書き換えられて、割る数を10倍したら割られる数は10分の1になると思っていたようで、その答えが出てきたみたいでした。

もちろん、私は機械的に小数点を動かすようには教えないのですが、色々数字を変えて尋ねてみながら、思い出してくれないかなと思ったものの、「あ!」という反応はないまま、いくつか例に出した式の答えを考えながら、改めて、同じように点を動かすのだと気づき直した様子でした。

それはそうと、もう高学年なので、90mという長さはまあまあ長いことは分かっているはずで、私が「90mを2歩もかからずに歩けるって、そんな人おらんでしょ?巨人やん、巨人!」というとケラケラ笑いました。笑っているその子を見ると、言っていることは通じているようで、指摘されたら、自分の答えのおかしさには気づいたのですが、本当ならその答えを書く時点で90mを1.5歩って、そんなはずはないなと気づく必要があるはずです。

算数が本当の意味で得意な子たちを見ていると、例えば、90mという文字を見たら、体育での50m走や100m走の経験から、ああ、あのぐらいの長さだなとイメージし、自分の歩幅や60cmという長さもイメージして、1歩1mでも90歩だなとか、そういうことが自然と浮かぶ気がします。
イメージできるかどうかは持って生まれたものもあると思いますが、小さい頃から何かを空想したり、色々な経験をしたりして、イメージできるものを増やすことで広げていけるようにも思います。

90mに1.5歩と答えてしまう子は、数量感覚が乏しいか、算数に興味が薄いか、嫌々宿題をやったか、色々考えられますが、問題を解いているときにそこに意識が向くかどうかで正解率が変わることは結構あるのだろうなと思います。

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2020年11月17日 (火)

覚えるべきことかどうか

自分が学校に通っていた頃は、算数、数学という教科は、習ったことを覚え、公式なども覚えて、それを使って解く教科という認識に近かったように思います。問題が解けることと、どうしてそれを使えば解けるのかというのは別物で、特に高校数学では、授業の進度についていくのに精一杯となり、じっくり考えている余裕などなかったため、本当にほとんど丸覚えで、意味は分からないものの、答えは何とか出せるというような状態だった気がします。

そんな勉強には当然限界が来て、その限界が私にとっては今でいう数Ⅲとかだったわけですが、もし、小さい頃から意味を考えて学んでいたら、どこまで行けただろうなと思ったりすることもあります。
個人的には、自分には持って生まれた空間認知などの能力はないので、数学を極めるにはどこかで限界が来ていただろうとは思いますが、それでも、限界を感じるタイミングがもう少し先に延びていたかもしれないなとも思います。

最近、私立中の3年生とずっと数Ⅰ・数Aをしているのですが、昔、暗記したことはきれいさっぱり忘れていることがほとんどで、最近は覚えようとしてもすぐに忘れてしまうため、どんな問題もまずは何も覚えず、公式なども見ずに、解けるかどうか考えてみるようになりました。
ですが、中3の子は中学受験も経験し、中学生になってからここに来てくれたこともあって、覚えて解くという勉強からなかなか抜け出し切れずにいて、期末の範囲が方べきの定理のあたりからになりそうだけど、忘れてしまったからもう一度やりたいと言ってきました。

そう言われても、方べきの定理って、何かあったなぁというぐらいしか覚えていない私は、問題を見て、覚えていない理由に気づきました。それは、覚えなくても問題を解くことができたからで、その際使った知識は小中学校で習ったことでした。
もちろん、公式などの類は覚えられるなら覚えた方が、特に試験などの際には時間短縮ができるので便利なのは間違いありません。ただ、忘れてしまったり、うろ覚えで符号や計算の順などを間違ってしまえばどうしようもありません。

ですから、私はその子に、覚えられるなら覚えたらいいけど、忘れても解けるよという言い方をするようにしています。そして、覚えていなくても解けるということをその子にも感じてもらったところ、「ああ、こっち使うわ」とのこと。

そもそも、ほとんどの人は覚えたものは忘れてしまうものですから、忘れるかもしれないということを前提に、これは覚える必要があるかどうか(言葉の意味や計算のルールなどは覚えるしかありませんので。)考え、覚えることを極力減らしていくことも大事なのではないかと思っています。

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2020年11月16日 (月)

懐かしい再会

今日は低学年の頃の一時期一緒にレッスンをしていたお子さんとおうちの方が来てくれました。
うちの教室はほとんどが小さい頃に来てくれて、その後中学受験のために転塾されてお別れしたり、小6まで来てくれてお別れしたりという感じで、一時期一緒にレッスンしていた子がまた戻ってきてくれるという機会は滅多にありません。(中学受験を終えてから、また戻ってきてくれたという子が数えるほどいたでしょうか。)

今日来てくれた親子さんはその頃、印象に強く残るご事情があったので、お別れした後もどうされているかなと思っていたところ、ひょっこりメールを頂き、今回、イレギュラーでごく短期間、またレッスンをさせてもらえることになりました。
恐らく6年ぶりに会うその子は、もうすっかり大きくなって、面影はあるもののすっかりお姉さんになっており、その頃はあまりおしゃべりしなかったのに、色々と自分の考えや希望を話してくれて、すごいなぁ、成長してるなぁと感激しました。

 

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2020年11月15日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年11月14日 (土)

子どもにとっての難しさ

子どもの能力はみんな違っているというのはいつも書いていますが、それとは別に、一部の飛び抜けて感覚が優れている子は別として、子ども達にとって、簡単に感じる範囲は成長に伴って広がっていくものなのだろうとも感じています。

かつて教室を始めるきっかけを頂いた先生は、学校ではまず10までの足す、引くをして、終わったと思ったのに、学年が上がると100までの足す、引くが、その先にまた大きな数の足す、引くが…と、やった、できた!と思ったのに、また出てきた、また出てきたとなって、段々やる気をなくしていくので、足し算・引き算であれば一気に10000ぐらいまで(もちろん順番にですが)、掛け算も九九の範囲から一気に2桁×2桁や筆算まで、まとめて学習させるとおっしゃっていて、私も初めはそうしていたのですが、それでも十分やっていける子はごく僅かで、大半の子はまだ低学年のうちに100を超える数をイメージして操作するというのはかなり負担が大きく、時にはかえって嫌になってしまうこともあるように感じるようになって、教材の順を入れ替えたり、自作の教材になってからはそれをもっと思い切って変えたりしてきました。

九九を暗記すれば、かけ算の意味すら理解していなかったとしても、答えを出すことはできるようになります。
それを同様に、2桁×2桁のかけ算の筆算は、テクニックとして、どことどこの数をかけてそれをここに書き、次にどことどこの数をかけて…と「書き方」を教えてしまえば、九九を暗記している子であれば、それなりに答えを出すことはできるようになります。

ですが、過去にそろばんでかなり先まで学習が済んでいるという低学年の子が、2桁×2桁の筆算の、2段目の答えの書く場所を間違えて、全くあり得ない答えを書いて、「答えがそんなに少ないはずないよね?」といっても、全く通じなかったことがあり、その子以外にも、計算の仕方は覚えているのである程度できるものの、自分が何の計算をしているのか、そこに書いている数は何を表しているのかは全くわかっていないという子はいました。

つまり、ほかの塾や教室、学校では、テクニックとして教えて覚えさせ、正解できたらそれでよしとしてしまうことがあるということで、それは危険なことだと思っています。イメージできない数の計算を、前倒しして、意味も理解させずにやらせる必要はないのではないかと思うのです。
前倒しするのであれば、意味を理解させる。意味が理解できない段階では無理はさせない。それはきっと大切で、子ども達が算数を嫌いにならないためにも必要なことなのではないかと思います。

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2020年11月13日 (金)

結局はイメージできるかどうかなんだろう

算数や数学をしていると、自分自身についても、子どもたちを見ていても、問題が解けるか解けないかは、その問題が言っていることをイメージできるかどうかによるところがとても大きいんだろうなと感じています。

例えば、何度も書いていますが、私は空間認知の能力に関しては「持って生まれたもの」が乏しいので、サイコロの展開図や立体の切断など、実際に見たことがあるもの、経験したことがあるものでなければ、そもそも問題を考えることすらできないという状態になることがあります。
解答解説を読んで、解き方を理解することはできるかもしれませんが、その場合、本当の意味で自分で理解はできていないので、その後同じような問題を解くことができたとしても、解法を暗記するに近い状態で解いているだけです。それを避けるには、私の場合、実際に何かものを使って問題にかかれている立体などを作り、見て確かめる必要があります。

つまり、問題によっては、問題文がいくら読めても、イメージできないことは解くことができないということが起こる場合がありますが、逆に、初見の問題であっても書かれていることを読んで、何を言っているのかイメージできれば、問題を解くことができる可能性も高いように感じます。

算数や数学が苦手な子達は、絵や図などに表すことにも苦労することがあるので、積極的に書かせることで、段々と解ける範囲が広がっていく気がします。今日のレッスンで、多分まだ文字という抽象概念が扱いづらいんだろうなと感じる中1さんが、方程式の利用の立式で悩んでいました。問題を読んでじっと動かないので、文字ではなく比較的簡単な数字に置き換えた問題で尋ねてみると考えられました。速さが関係する問題では、向かい合って出発する状態の絵を簡単に描いて見せ、それを見て考えてもらったところ、先ほどまでは完全にストップしていた思考がゆっくりとではあるものの動き出したのが分かりました。

頭に思い描いて、頭の中だけで操作できる子もいますが、そういう子は概ね算数、数学が得意ですので、無理に描かせる必要もありませんが、苦手な子、イメージできていなさそうな子には見える状態を作り出させることが効果的だろうと思います。

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2020年11月12日 (木)

最近気になること

教室を始める前、塾講師をしていた頃は、例えば月曜の授業で説明したことを、木曜に来たらきれいさっぱり忘れている子達が結構いて、そんなことが何度も重なったことで、分かりやすく教えることに対して何か違うのではないかと違和感を頂くようになり、その結果が今につながっています。
ですので、今は説明はごく最小限にしますし、覚える必要がないものは覚えなさいとも言いません。その結果、塾にいた頃とは比べ物にならないぐらい、定着度やスピードが上がる子が増えました。

それでも、ここ最近、なんだかまた違和感を感じることがちょっと増えてきました。
教室を始めてもう18年目になるのだと思いますが、ここまで違和感を感じたことはなかったような気がするので、コロナ禍によるストレスなども影響しているのかもしれませんし、ほかにはゲーム機やスマホ、タブレットなどの長時間利用などの影響などもあるのかもしれませんが、このところ、以前にやったことがきれいさっぱり記憶から消えているような子がぽつぽつ見受けられます。中には前回のレッスンの内容を忘れているような子も…。
算数が苦手な子、嫌いな子ならともかく、よくできる子でもそんな状態になっていることがあって、これはなんなんだろうなと思っています。

寒くなり、どうやら明らかに第3波が来ているようですので、子ども達のマスク生活、大声を出して外で走り回って遊ぶ生活はまだまだ戻って来そうにありません。運動は脳の働きに欠かせない大切なものだとも言われていますし、それが育ち盛りの子どもであれば、尚更影響が大きいのかもしれません。もちろん実際のところはわかりませんが、とにかく1日でも早く、子ども達が何も気にせず思い切り遊べる日常が戻ってきてほしいと思います。

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2020年11月11日 (水)

多くの方に読んでみて頂きたい記事

SNSでお知り合いの先生がシェアしてくださっていた記事なのですが、これを読んで、これまで感じていたモヤモヤの一部を言葉にしてもらったような気になりました。
学校での評価の最も大きな部分を占めるのが、学業の成績であるのは、現状ほぼ間違いありません。図工がめちゃくちゃ得意な子、歌がとてもうまい子は、その才能を伸ばせば、将来素晴らしい活躍をする可能性を秘めているかもしれませんが、子ども達の間でも知らず知らずのうちに、テストで点数が取れる子が賢い子、賢い子がえらい子というような基準ができてしまっているような気もします。

また、現状の多くのテストでは、その子が持っているたくさんの能力のうち、主に記憶力と処理能力しか測れないようなものになっているのではないかとも思っています。
例えば、三角形の面積は、底辺×高さ÷2という公式を覚えていなくても、正方形や長方形の面積をどう求めればいいかを知っていれば(もしくは、面積というのはどう表されるものかということを知っていれば)、自分で考えて解くことができる子がいたとして、現状、多くの小学校では公式に当てはめた式を書いて答えを出している子が評価されるように思います。
また、自分なりにあれこれ考えていたら時間が足りなくなってしまうという、本来なら考える力がある子、粘り強い子は、時間制限のあるテストでは評価されにくいようにも思います。

残念ながら、日本の学校教育がすぐすぐ大きく変わることはないように思いますが、私達大人一人ひとりの意識が変わることで、少しずつでも社会が変わっていけばいいなと思います。

 ニッポンの若者が「世界最低の自己効力感」しか持てていない理由!? : 世の中にはびこる「単一の物差し」幻想とは何か?

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2020年11月10日 (火)

不思議

ある低学年さんは、なかなかに予想外の反応をする興味深い子です。
多くの子が難しいと嫌がったり面倒がったりするものを全く嫌がらずに、時には楽しそうにさえ解くことがある一方で、そんなにできるのであればこのぐらいは余裕だろうと思うものに大苦戦したり、ものすごく嫌がったりすることがあるのです。

学校ではまだかけ算の学習中のようですが、以前したかけ算の学習は全く抵抗なく、2桁×2桁の暗算ですら、嫌がらず、さほど苦労もせず解いてしまってびっくりしました。
そして、割り算の暗算は余りがあるものも含めてやはり抵抗はなかったのですが、2桁÷1桁や3桁÷1桁の筆算をし始めたところ、過去最高レベルの拒否反応が…。1回はどうにかこうにかレッスンをしたものの、それ以降何度も何度もおうちの方にも絶対嫌だと訴え、私にもあれはもうしないと訴え続けました。
割る数が一桁のものであれば、2桁×2桁や3桁×2桁の筆算をするより計算としては簡単なので、かける数が2桁の筆算は後回しにしていたのですが、そろそろそのどちらかをしなくてはいけない状態になったので、迷いつつ、かけ算の筆算をしたところ、これがまた全く抵抗することなく、書き方も一、二度説明しただけで、さあやるぞという感じで問題に取り組み始めました。

その子にとって、なぜそこまで割り算の筆算(それも1桁で割るだけのもの)に強い抵抗を示すのか、今の時点ではまだ全く謎です。(苦笑)

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2020年11月 9日 (月)

振替レッスン

今日は振替レッスンが1つあって出勤しました。
元々出不精なのですが、コロナ禍以降、用事がなければ外出しない生活が続いているので、レッスンがお休みの日はついつい家でダラダラしてしまいます。もともと、私はこの仕事が好きですし、事務や予習、教材作成など、しなくてはいけないことはたくさんあるというのに、家では全然捗らないので、レッスンがあれば出勤して、少しはそういう仕事が進むというメリットがあるもので、今のところ来週も月曜は出勤予定です。

寒さが増すとともに感染者数も増えていて心配ですが、手洗い、うがい、マスクを心がけ、気を付けていきたいですね。

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2020年11月 8日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年11月 7日 (土)

目を見ればわかる

こんな仕事をしていますが、実は私は昔から、人の目をじっと見て話すのが苦手で、それは今も基本的には変わっていません。
ただ、子ども達とレッスンをしているときには、問題に取り組んでいるときの子どもの表情、子どもの目はよく見ます。
子ども自身は何かを考えていたり、問題を見ていたりするので、目が合うわけではありませんが、目が泳いでいたり、力が感じられなかったりするときはほとんどの場合、頭が働いていません。また、問題を考えながら、何度もチラチラこちらを伺ってくるようなときも、しっかり考えていないか、自信がない場合がほとんどです。

今日のレッスンでも、難しいと感じて問題に向き合いたくないと思っているのかなという様子の子がいました。ただ、しっかり向き合えばもっと考えられるはずだし、その子ならできるはずと思うものだったので、声掛けをして、表情を見ていました。
すると、比喩ではなく、目に力がこもって、輝き始めたと感じられるようになると、静かに思考が始まったことが伝わってきて、程なく答えが出せました。
こういう表情は、算数が得意な子であろうと、苦手な子であろうと例外なく、「目力」が感じられるかどうかで、しっかり頭が働いているかどうか判断できるように思います。(問題を考えているときにぼーっとしているように見える場合があるので、それは少し判断が難しいところではありますが。)

きょろきょろ目が泳いでいるときの子どもの表情にはパワーが感じられませんが、いい表情に変わると、きちんと考え始めているのです。
今日もその変化の瞬間を見ることができて、幸せな気持ちになりました。

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2020年11月 6日 (金)

もっと寛容になりたいけれど…。

子ども達が持ってきてくれた宿題のマル付けをしているときや、レッスン中でも、見た瞬間に不機嫌になってしまうような間違いというのがあります。

例えば、足し算や引き算の答えが、繰り下がりや繰り上がりを間違えたんだろうなとか、引き算であと4引かなくてはいけないその「4」を書いてしまったんだなとか、予想のつく、子どもなりに考えたんだろうとわかるものであれば全く大丈夫なのですが、例えば、引き算をしているのにもとより大きな数の答えを書いてしまっているとか、かけ算であれば、正の整数同士のかけ算なのに、かけられる数より答えが小さくなっているとか、見た瞬間にあり得ないよね?ちゃんと考えずにやったよね?と感じられるような間違いを目にすると、つい不機嫌になってしまうのです。

もちろん、10問ぐらいあるうち1、2問、あり得ないような間違いをしているぐらいであればまだしも、1枚のプリントの大半があり得ない答えというような宿題を持ってこられると、いい加減にやるんならやらなくても一緒でしょ?と思ってしまい、自分の伝えたいことが伝わっていないということにもがっかりして、ついついむっとしてしまうのだと思います。

もちろん、そのたび子ども達には、宿題はこんないい加減にやっても全く自分のためにならないのだから、こんなものを持ってくるぐらいなら、やらなくても同じだという話もしますし、やりたくなければ、嫌々やってもほとんど身に付かないので、やらなくていいとも話します。
それは、やらせるために言っているのではなく、勉強は自分のためにするものだということをわかってほしいということと、脳科学などの研究で、実際に嫌々やったことは記憶に残りづらいと言われているようですので、だったらやらずに来た方がその子の時間も鉛筆も無駄にならず、私も不機嫌にならずに済むのだからということでもあります。

それらは本当に大事なことだと思っているので、これからも必要なときには何度でも話していくつもりですが、大事なことだからこそ、不機嫌にならずもっと寛容に受け止めて伝えられるようになりたいとも思っています。なかなか難しいのですが…。

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2020年11月 5日 (木)

必要な助け

教室に来てくれている子達は個性も能力もひとりひとり違うのですが、がんばる気持ちはあってもどうしても算数が苦手というような子には、見守りや手助けが少し多めに必要なのだろうと思います。

キライなことや苦手なことをするのは、誰でもなかなか気がすすみませんから、やればできるはずのものでも、誰かが励ましてくれたり、見ていてくれたり、がんばったら褒めてくれたりというような、何かモチベーションの助けになるものがあるかどうかで、できるできないが変わってくるということはあるでしょう。
とすれば、小さい子であれば尚更そうかもしれません。ただ、ずっと褒め続けるのがいいかどうかは判断が難しいところでもあると思います。
褒められるからやるという動機は人が褒めてくれないならやりたくないという気持ちにつながる可能性があるからです。
あくまでも、イヤだなぁ、やりたくないなぁと思っている段階の子に対してやる気になってもらい、その結果、自分で考えてできたという達成感を味わってもらうことで、人が褒めてくれなくても、あの気持ちよさをまた感じたいと、自発的に取り組めるようになるのが理想だろうと思います。

また一方で、能力があるのにめんどくさいとかいう理由でしっかり考えようとしない子の場合は、安易に助けるのはかえって力を奪うことになるとも思います。
これまで色々な子たちを見てきましたが、教室を始めて数年目の頃、マル付けを手伝ってもらうアシスタントのような先生に来てもらっていた時期がありました。すると、私に対しては表情を読んで答えを探るという手は使えないと知っている子達でさえ、アシスタントの先生に「これ、合ってる?」とか、まだ考えてもいないうちから「分からない」とか言って助けてもらおうとするのを何度も目の当たりにしてびっくりしました。

算数が大好きで放っておいても進んで考えるような子は別として、算数は十分できるような子でさえ、手抜きできるならしたいという気持ちを持つ子が少なくないんだなということに随分驚いたものです。
また、アシスタントの先生も、子どもが止まっていると、まだ待たなければいけないタイミングでヒントを出してしまうということもよくあり、大人が待つことの難しさも改めて感じました。

自分で考えられる子でも、待っていれば大人が助けてくれるとか、やり方を教えてくれるとかわかっていれば、ぐっと集中して考えようとはなかなか思ってくれないものです。

おうちでお子さんの学習を見る際、算数が苦手というお子さんでなければ、まずは「この子ならできるはず」という気持ちで見守り、もうこれ以上待てないと感じてから、その3倍ほどの時間待ってみてほしいと思います。見ているとつい言いたくなる、助けたくなるというのであれば、おうちの方は何か別のことをしながら、側にいるだけにしてもいいかと思います。助けているつもりが実は考える邪魔をしているとしたら、昔の私のように後悔してもしきれないのではないかと思いますので。

読めない文字があるとか、何度も読んだけど問題の意味がわからないとか、そういう場合は助けてあげていいと思いますが、まずはその子が自分の頭をフルに回転させて精一杯考え終わるまで待ってあげるということを意識して頂くことで、子どもは焦らされることなく、ゆっくりじっくり考えるようになっていく(もしくは、元々自然とそうしている)ことがほとんどです。

学習に関して助ける際、その助けがそのタイミングで本当に必要なのかどうか、もっと待った方がいいのではないか、そういう意識を持っておいて頂けたらと思います。

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2020年11月 4日 (水)

ある意味理想なんだけど…。

教室に来てくれている子の中に、体調の影響で学校を休みがちで、登校しても保健室登校が主になっている子がいます。
賢い子なのですが、算数、数学は苦手、興味がないという感じだったようで、来てくれたときはなかなか大変な状態でもありました。
それが、少しずつ変化して、かなり前向きに取り組んでくれるようになり、嬉しく、頼もしく思ってはいるのですが、週1回のレッスンの上に、学校も休みがちなので、その子に関しては本人に希望を聞いて、その日にすることを決めています。(基本的には学校より先にこちらで一緒にレッスンできるよう気を付けているのですが、その子に関しては、既に授業が済んでいることでも休んでいて習っていないところなどもあり、算数、数学は多くの内容が積み上げ式であるため、抜けているところは後からでもする必要があるものが多いので。)

前向きに取り組んでくれるようになったその子には、「今日は何をしますか?」と聞くことから始まり、「〇〇が全然わからないので、それをしたいです」というような答えが返ってきて、その内容からレッスンを始めることが多いのですが、学年が上がってきたら、ある意味でこれが理想の学び方なのかもしれないなぁと思ったりします。
それは、授業に後れを取っているかどうかに関わらず、自分は何が必要か、何をもっと学びたいかを自ら考え、計画し、その日のレッスン内容の希望を言えるという、正に「自ら学ぶ」という姿勢の表れなのではと感じます。

もちろん、中学生になると定期考査なども入ってくるので制約もありますが、やれそうな子には、こちらがお膳立てするのではない学びを少しずつ意識していってもらえるよう、私も意識していきたいと思います。

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2020年11月 3日 (火)

祝日でしたが

今日は年間予定で通常レッスンとなっていて、みんな、お休みや振替などではなくレッスンに来てくれました。
年長さんは幼稚園がお休みの分、普段より疲れていないせいか、表情もやわらかく、いつもに増して反応もよかったように思います。

しかし、学校もお休みだったはずの低学年さんはなぜか不調…。といっても、それを不調というのかどうか…という謎めいた状態に陥っていました。今日は重さの文章問題から始まったのですが、本来、その子の学年を考えると結構難しい、バナナ6本をお皿にのせて量った重さとお皿の重さがわかっていて、バナナ1本の重さを求めるというものがありました。助けがいるかもなと思いながら、宿題の確認などをしていたところ、ふと見ると、既に1本の重さが110g(正解)と書かれていて、(おお、すごい、ノーヒントで解いてる!)と思ったところ、式を見ると、バナナ6本の重さである660gから550gを引いて110gという式が書かれていました。

「その550gって問題に出てきてないよね?どうやって考えて110gってわかったの?」と尋ねたところ、なぜか完全にフリーズ。何度声をかけても答えてくれることはなく、どう考えたのかは分からぬまま。それでも、ノーヒントで解けたのだから、恐らくきちんと考えたのは確かだろうと、ひとまず次の問題に進んでもらったものの、そこでおかしなスイッチが入ってしまったのか、その後引き続き不調のまま浮上せず。

でも、何の手助けもなく、全体の重さからお皿の重さを引いて、更にはそれが6本分だから…と考えて110gという答えまで出せているわけですから、「不調」とも言えない気もして、私の方もなんだかモヤモヤしたレッスンになりました。

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2020年11月 2日 (月)

余裕があれば面白い

先日から数Ⅰの三角比の問題を予習しているのですが、高校時代、余弦定理や正弦定理は丸覚えして使っていた上、sinθ、cosθ、tanθの色々な置き換えも、全て「暗記するもの」という意識で意味も考えずに解いていました。
もちろん、小学校、中学校とずっと公立でのんびりしていた自分にとって、高校でじっくり考えて問題に取り組もうと気持ちを入れ替えていたとしても、あのスピードについていくためには、恐らく無理だっただろうと思いますので、やはり小さい頃からきちんと意味を考えて納得する学びを積み重ねられていたらよかったのにと思います。

予習をする際は、公式などを見ずに、まず自力で解けるかどうかということをしてみるのですが、解けた後で解答解説を見ると、ああ、こんな解き方もあるのかと思うことも少なくありません。問題によっては、確かにこの方が手間が少ないなと思うものもありますが、時には、なんでそんな解き方をしなくちゃいけないんだろう?と思うものもあります。

そして、色々考えて解くことが当たり前になった結果、丸覚えしていた(今では忘れてしまっていた)公式なども、忘れても解けるものが結構あることや、忘れても導けるものが大半だということに改めて気づきます。

三角比のあたりは高校でもどちらかといえば好きだったのですが、あの頃にもっと図を描いたり、試行錯誤をしながら考えられる余裕があったら、きっともっと数学が楽しかっただろうし、もしかしたらあの頃の夢であった中学校の数学の先生にもなれていたかもなと思ったりします。

じっくり考えるのは、余裕がなければできないことで、余裕をもってじっくり考えることは、案外楽しいことも多いように思います。
その「時間の余裕」は、小さいときにたっぷりと確保されることが、子どもにとってとても大切で幸せなことなのではないかと、改めて感じます。

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2020年11月 1日 (日)

11月スタート

早11月。今日はオフで引きこもっていましたが、今月もどうぞよろしくお願いいたします。

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