できるけど面倒なもの
教室のレッスンでは、これはできると思った問題は数を減らしたりと加減しますが、学校のドリルや宿題のプリントなどでは、やりなさいと出されたものは全てしないと「宿題をきちんと仕上げた」とは認めてもらえないのは普通だろうと思います。
それは小学校に限ったことではなく、中学生になっても、恐らく高校生になっても、多くの学校でそういう指導がされるのだろうと思うのですが、例えば、同じような問題が5問あって、解き方はしっかりわかっているものの、解くのに手間がかかるので面倒な問題があったとします。問題を見れば、その子は全問解き方をきちんと説明できる場合でも、それをきちんとノートなどに書かなければ評価してもらえないということが起こります。問題を見て、自分で解き方の方針が立ち、5問のうち1、2問は実際にきちんと解いて正解したとしても、残りをしなければ評価がマイナスされるのですが、算数、数学が得意な子ほど、できるけど面倒だと感じる問題をたくさんさせられることは苦痛だろうと思うのです。そして、それを強いているうちに、本当は好きだったはずの算数や数学がとまらなくなったり、嫌いになったりすることもあるのではないかとも思います。
実際、教室に来てくれている子で算数がよくできる子でも、学校の算数はつまらない、嫌いというような子が過去にも何人もいました。
それを思うと、本当にできるものまでも全てきちんとやり遂げなければならない理由はなんなんだろうなと思ってしまいます。
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