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2020年10月31日 (土)

10月最終日

今日は通常レッスンはお休みでしたが、振替や体験でレッスンが3つありました。
そして本日で10月もおしまい。今年も残すところあと2か月になったのですね。

連日、海外での感染者数が増加しており、国によっては第一波を上回る増加具合だったり、1日に数万人単位で感染していたりするようなニュースを耳にしますし、国内でもやはり増加傾向ではあるようで、いつまでも気が休まりません…。

ただ、昨日見たニュースで、東大がマスクの効果を検証したところ、1mの距離でもN95は別格として、布マスクや不織布マスクでもマスクなしに比べて5割前後飛沫を受けるのを減らせるというようなことを発表していて、その実験ではくしゃみぐらいの勢いで出された飛沫での検証なので、控えめな声でしゃべったり、お互いがマスクをしたりすることで、予防効果は更に高まるといえるとも言っていました。(マスクがワクチンに匹敵する効果も言えるとも言っていました。)

その実験を信じていいのであれば、これまでは相手に移さない効果は望めるものの、予防効果はあまり期待できないと言われていたのが随分違う話になってきますし、お互いがマスクをしていることで感染リスクがかなり減らせるということであれば、やみくもに不安にならずに済むのかなと。

寒さも増してきましたので、皆さまもどうぞくれぐれもご自愛ください。
11月もどうぞよろしくお願いいたします。

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2020年10月30日 (金)

考えることの大事さ

昨日のニュースで驚いたのが、最近活躍している若手俳優のひき逃げ報道でした。
咄嗟にパニックになって逃げてしまったと話していたそうで、いい悪いではなく、そうなってしまう人もいるだろうなと思いながら、被害に遭われた方達が命に関わるような事故でなかったのが不幸中の幸いだなと思っていました。
そして、その事故を目撃した70代の方が車で追いかけて、現場に戻るように諭されたという話には、咄嗟のときにそんな行動を取れるその方をとても素晴らしいとも思いました。

その俳優さんのことはテレビなどで見て知っているだけですので、事故直後に実際どんな状態だったのか、どんなことを考えたのかはわかりませんが、例えばそのときに、もし怪我をさせてしまった方達に思い及ばなかったとしても、逃げたら一層罪が重くなると考えられていたら、何より目撃者もたくさんいる状況で、逃げても逃げ切れるはずがないのだから、その場に留まるべきだと考えられていたら、逮捕されることにはならなかったのだろうと思います。被害者に思いが及ばず、自分の身を守りたいという気持ちの方が強かったとしても、その場に留まる方が得策だと、少し考えたらわかったのではと。(パニックだったというなら無理だったのでしょうけど…。)

テレビでコメンテーターの方が、咄嗟のときに人柄が出ると言っていたのですが、だとすれば尚更、普段から色々なことをしっかり考えられるようになっておくことがやはりとても大事なことなのではないかなと。

それにしても、活躍中でドラマや映画に何本も出ている俳優さんが、一瞬にして多くのものを失ってしまうという現実を見て、改めて車は怖いなとも感じました。

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2020年10月29日 (木)

教材作り

今日はレッスンはお休みでしたが、出勤して教材を作ったりしていました。
問題を作るとき、どう表現したらわかりやすいか、読み間違いをしないかなども気にしますが、そういう目で教材を見るようになってから、色々なことに気づくことが増えました。

今日も約分や通分のあたりの教材をいくつか見ていたときに、「分母の方が大きく、分子と分母の差が~で、約分すると〇/△になる分数を求めなさい」というような表現があったのですが、約分した時点で分母の方が大きいのに、問題文の中に「分母の方が大きく」と断る必要があるのかな?と気になりました。

昨日のレッスンで中3の子が持ってきていた円周角や平行線と比のプリントでは、円の直径にあたるところに線が引かれていたり、接線が描かれていたりするのに、それを使わずに考えようとして悩んでいるものがあって、問題を解くのに使う必要がないのなら、わざわざ直径に線を引いたり、接線を引いたりしないんじゃない?と声を掛けましたが、こういうことも、慣れはもちろんあると思いますが、子ども自身が問題を作る経験をしてみたら、案外色んな気づきがあるのかもしれないなと思いました。

算数パズル系の問題を作っているときに、興味がある子は問題を作ってみるのもいいんだろうなとよく思います。

勉強は習って分かったつもりになっていても、人に説明できないということもあるので、人に教えることが自分にとっていい勉強になるというような話はよく聞きますが、色々なことについて、普段自分が身を置いているのとは反対の側を経験してみることで学べること、気付くことは多いのかもしれませんね。

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2020年10月28日 (水)

期待させるわけではなく

今日の中学生のレッスンで、中3の子が以前に話していた志望校より下げた学校の名前を口にしました。
そして、元々の志望校はがんばれば無理ではないと言われているんだけどという話も付け加えたので、今の時点で志望校を下げるのはお勧めできないという話をしました。
もちろん、例外はあると思いますし、子どもの性格などにもよるかもしれませんが、少なくとも今の時点ではまだ願書を出すどころか、内申書すらまだこれからという段階なのに、今の時点でまず大丈夫だろうと言われるところを目標にしてしまうと、気持ちが緩んで、最終的にそこにさえ届かなくなる可能性が高まると考えられます。(これは一般にもよく言われていることですが。)

まだこれから内申書の関係する試験が残っていて、更には入試まで勉強できる期間も4か月前後あるわけですから、元々の志望校を目指して努力して、もしギリギリになっても不安が残るようであれば、その時点で志望校を下げることはいくらでもできるわけで、そういう話も伝えました。

すると、うちでは数学しか見ていないので、その子は別の塾にも通っているのですが、その塾の先生が、自分ではない別の生徒に対して、その子の成績では志望校は「絶対無理」で、その子が希望していないそれより偏差値の低い公立校を名指しして、「お前はそこしか無理」と言ったのだと言いました。
詳しいことはわからないものの、話を聞く限りではめちゃくちゃ高望みをしているという感じではなく、先生がそこしか無理といった学校よりは少し上の学校を希望しているようでした。
それなのに、今の時点でそこまで断言してしまうのは、その先生はその子のことや学校での評価などをどれだけ把握しておられるんだろうと思いました。(大手の塾ではなく、個人塾のようなのですが。)

もちろん、ほぼ望みがないのに大丈夫というのは無責任ですし、本当に子どものためを思っているのであれば、時には厳しいことをいう必要もあるかもしれませんが、子どものことを思っているのであれば「絶対無理」だとか、「そこしか無理」だとかいう表現にはならないのではないかとも思ってしまいます…。
私の知らない子ではありますが、その子が傷ついたり、やる気を失ったりすることがなければいいなと思います。

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2020年10月27日 (火)

親心は想像しかできないけど

私は親になる機会のないまま年を重ねてしまいましたので、親心というのは想像するしかできません。
自分のお腹をいためて生んだ子どもというのは、私が教室の子達をどれだけ大事に思ったとしても、比べ物にならないのだろうということもわかっています。
きっと、よその子だったら穏やかに見ていられることも、我が子になるとできないということもたくさんあるんだろうなということも、これまでの経験で想像してもいます。

子育ては常に何かと比較してしまいがちなものなのだろうとも思いますので、言葉を話し始めるのが人より早いとか遅いとか、歩きはじめるのが人より早いとか遅いとか、色々なことでやきもきしたり、安心したり、そういうのが親心なのだろうなと。そして、そうやって子育てをしておられる方達を本当に尊敬もしています。

ひとりひとり大切なお子さんだということはよくわかっているつもりなので、教室に来て頂くからには、私がその子にとってよいと思えることしかしないつもりで、これまでずっとやってきています。

随分以前のブログにも書いたことがあるように思いますが、勉強は何のためにするのかという問いがあるなら、それは「幸せになるため」なのではないかと思っています。もちろん、「幸せ」の定義は人それぞれ異なりますので、偏差値の高い学校に入ることが幸せだと考える人もいるかもしれませんし、お金持ちになれば幸せだと思う人もいるでしょう。(因みに、個人的には幸せかどうかは「心が満たされるかどうか」によるのではと思っていますが。)
ただ、人によっては、自分の幸せのためには学校での勉強は特に必要ないという人もいるかもしれませんし、何か夢や目標が明確にあって、そのために学校での勉強が必要ないという人は、別にしなくてもいいのではと、割と真剣に思っています。

偏差値の高い学校に入るために子どもの頃から必死で勉強して、難関大学を卒業して、人から尊敬されるような仕事に就いても、幸せではない人というのは少なからずいるのだと思いますし、勉強はあまりできなかったし、多くの人からは評価されないような仕事に就いていても、幸せな人も間違いなくいると思います。

うまく言い表せませんが、どれだけ勉強ができるかという物差しは、他者との比較になりがちで、自分を卑下したり、人を見下したりということにもなりかねません。ですが、目の前の課題をしっかり考えてクリアし、それを積み重ねていくという学びは自己完結できますし、安心感や満足感を得ることもできます。
そういう意味でも私はこれからも、後者のような学びを、子ども達をしていきたいと思っています。

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2020年10月26日 (月)

見えそうで見えない

パズル教材を作るとき、答えがひと通りに決まるかどうかは、問題を作ってから自分で解いて確認しなくてはならないのですが、計算系の問題であれば、作って、どれだけヒントを入れるかなどで調整することができるものの、道を作るとか、ナンバーリンクのような問題などの場合、答えが何通りもあっていい(もしくは、何通りもある可能性があっていい)のであれば、いくらでも簡単に作れる反面、ひと通りしかできないようにとなると、どう決めればいいのかがまだ「これだ!」というものがつかめていません。

空間認知能力が高く、バリバリの理系の方ならあっさりきまりなどがわかるのだろうなと思いつつ、この見えそうで見えないもどかしさを突き詰めるには、気合いと集中、根気など、今の自分にはなかなか難しいものが必要と思われるので、問題作成もなかなか捗らずのオフでした。

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2020年10月25日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年10月24日 (土)

早いですね…。

10月も残すところあと1週間。来週は年間予定で29日から31日までは通常レッスンがお休みになります。
元々フットワークは極めて重い方ですが、コロナ禍でなければ、カレンダー的に29日から11月2日までは5連休の予定だったので、年度末に年間予定を立てるときには、数年ぶりにどこかに行こうかなと思ったりしていました。
それがまさか、今でもまだ収束せず、欧米などでは再流行、それも、国によっては第1波より感染者の増え方が激しいところもあるようで、どこかに遠出する気にもなれず、31日には振替でレッスンを入れることにもしました。

今のところ、県内ではある程度落ち着いているようではありますが、寒くなってきましたので、まだまだ安心はできませんね…。
子ども達にもマスクの着用を継続してもらっていて気の毒ではありますが、お互いが着けていることで、万が一のときに感染を防げる可能性が高まるのは確かだと思いますので、ご理解のほどお願いいたします。

 

 

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2020年10月23日 (金)

反応の違い

教室ではできるだけ言葉での説明はせず、子ども自身に気づいてもらえるように持っていくことを心がけているため、例えば筆算などでも、どこに何を書くとか、どういう手順でするとかいうようなテクニック的なことを教えるのではなく(それに関してはいずれ学校で習うわけですし)、できるだけ、何を計算しているのかをきちんと意識してもらえるようにしています。

今日のレッスンで、ある2年生さんに掛ける数が1桁の掛け算の筆算をしました。
掛け算の筆算も導入のときには、例えば、23を4段重ねにしたり、85を7段重ねにしたような足し算の筆算を何問か解いてもらった後で、足し算の筆算を掛け算の筆算で表すという流れで考えてもらうようにしています。
足し算の筆算は、たとえ5段重ねだろうと8段重ねだろうと、きちんと繰り上がりも書いて、1問もミスなく解いていたので、その後かけ算の筆算に移ったところ、初めのうちは大丈夫だったのが、途中から掛ける数と掛けられる数を足してしまったり、十の位は掛け算しないまま足してしまったり、次々とおかしくなり始め409×7という問題では、初めは63と2800の位のズレに気づかず、63と280と思ってしまってミスをし、もとの数より小さくなっているからそんなはずないよね?と言って様子を見ていたものの、次にはどう考えたか全くわからないような答えになってしまいました。

そこで、409を7段重ねにした足し算の筆算を書いて考えるようにいうと、まだ九九を覚えていないので多少時間はかかったものの、正しい答えが出せました。
理屈ではわかっていても、目に見える状態で409が7回書かれているものと、409×7とでは、小さい子達にとってはすんなり同じようにイメージすることは難しい場合もあるのだなということを改めて感じました。

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2020年10月22日 (木)

超人??(笑)

今日のあるレッスンでのこと。
レッスンの初めにしてもらう教具を使う課題のひとつで、いくつかある難しい問題のひとつに苦戦していた子がいました。かなりあれこれ考えていたものの、なかなか完成しないので、来週のレッスンが5週目でお休みになることもあり、途中で一旦切り上げてもらうことにしました。
そのときに、「それ難しいからねぇ。私も前にやったけど、答え覚えてないからもう一回やってみるわ。」と言ったときのことでした。

覚えていなくても、答えは冊子の後ろにあるものだったので、見れば分かるのですが、基本的には答えを見てからやることはありませんし、過去にできたとしても、それを全て暗記しているなんてことはありません。(それでなくても年々記憶がボロボロになっていますし…。)

しかし、「答え覚えてないから」と言った瞬間、隣にいた子が突然「うそ、覚えてへんの?」と驚いたように言いました。
その言葉に私の方が驚いて、「え?そりゃ全部覚えてられへんやん?プリントのマル付けとかも全部その場で考えてるよ?もしかして、全部覚えてるって思ってたん?」と尋ねると、2人して「うん、思ってた!」とのこと。

もちろん、何度も見ている教材等は答えをなんとなく覚えているものもありますし、自分で作ったプリントなどは、こういう答えになるように作ったはずというように覚えているものもありますが、膨大な量の教具やプリント、ワークブックなどの答えを全て記憶し、更にはその都度的確に頭から引っ張り出せるなんて、もっと若い頃であっても、当然私には全く不可能です。

「そんなことできると思ってたん?そんなん超人やん??」というと、それでも「先生はそうなんやと思ってた」と。

……。ごめんね、全くそんな能力のない凡人で…。
ちょっと穴があったら入りたい気持ちになりました。(苦笑)

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2020年10月21日 (水)

もっとフレキシブルになればいいのに

教室に来てくれる子どもたちを見ていると、少なくとも算数、数学に関して、学校で習うことぐらいなら軽々とこなしてしまえる能力の子もいれば、一所懸命がんばっているのに、思うほどの成果につながらない子もいます。ただ、思うほど成果が出ない子でも、学校の進度などを気にせず、ペースをゆっくりにしてひとつひとつ理解していけば、それがしっかり身につくというタイプの子もいます。

現状の日本の学校制度では、何年の何月生まれからは何年生という線引きがされていて、基本的には飛び級もなければ、特別な事情がなければ入学時期などを遅らせるということもないのだと思います。

一緒にレッスンをしながら、得意だからどんどん先に進んでいくという子はいいとして、学校の進度を考えなくていいのであれば、もっとひとつひとつその子がきちんと理解して、満足しながら進んでいけるんだけど…と思う子を見るたび、それぞれの子の得意不得意、好き嫌いは異なるのだから、もっと柔軟に選択できる仕組みがあればいいのになと思ってしまいます。

日本では例えば大学卒業時にすぐ就職せず、特別な理由もなくブランクがあって就職するような場合、それだけで就職が不利になるというようなことがまだたくさんあるようですが、人生80年、100年などと言われるようになっていることを考えると、みんながみんな22歳や23歳で就職しなければ、不利になるシステムというのもかなり時代にそぐわないものになってきているのではとも思います。

もちろん、能力の高い人(勉強ができるという意味ではなく)は、学歴などに関係なく、自分で起業したり、何らかの道を見つけて進んでいきやすい時代になってきてもいるので、人によってはよい時代になっているのだと思いますが、色々変えていかなくてはいけないのではと思うことはありますね。
とにかく、ひとりでも多くの子ども達が将来に希望が持てるような社会になるといいのですが…。

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2020年10月20日 (火)

手が動く安心感

教室の子達とレッスンをしていると、私もこのぐらいの頃からしっかり考えて算数や数学をしていたら、もしかしたらもっと違った人生を歩んでいたかもしれないなと思ったりすることがありますが、私立中学に通う中3生は、随分前からとっくに高校数学の内容に入っていて、このところずっと数Ⅰや数Aをしています。

自分の高校時代には、教えられたことを覚え、当然のように公式は丸暗記し、それに当てはめて解くということしかできていなかったので、考えると言えば「これはどうやって解くんだったかな?」と記憶を呼び起こすというのがメインだったように思います。
しかし、もう十数年、まず考えるということを積み重ねてきたことで、すっかり忘れきっていた数Ⅰや数Aも、まず問題を見て考えるのが当たり前になり、その結果、ほとんど全てを忘れていても、考えれば解ける問題がかなりたくさんあることが分かりました。

一緒にレッスンするようになった当初は数学がキライで、とにかく面倒だから、マルになればそれでいいというタイプだった子が、段々と考えてくれるようになり、今週のレッスンでは二次関数をからめた二次不等式などをしていたのですが、見ていると、何も言わなくても簡単なグラフを描き、条件に当てはまるのがグラフのどの部分かを目で確かめ、それを見ながら答えを出していくので、なんとも嬉しく、頼もしく思いました。

完全に大人になって、高校数学に関しては習ったことを全て忘れ切っているような状態であっても、それまでの内容をしっかり考え、意味を理解したことで、こうすれば解けるのでは?と考えられる範囲が広がり、実際に数Ⅰ・数A程度であれば、覚えなければどうしようもない用語や、証明が面倒な定理などを除けば、大半を解くことができるとわかりましたので、子どもの頃からそうやって学んでいる子達であれば、もっと容易く高校数学も乗り切っていけるのだろうなと思います。

みんなが数学ができなければいけないわけではありませんし、高校、大学に行かなくてはいけないということでもありませんが、できることが増えると、それだけ選択肢が広がるのは確かですし、何より自分でしっかり考えられるということは、生きていく上でとても大切なことであるのも確かです。
そんな子がひとりでも多く増えていってくれるといいなと思っています。

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2020年10月19日 (月)

寒いですね…。

なんだか秋がなかったぐらい、もう暖房器具がほしい気温になりましたね。
これからまた新型コロナが再流行するのかどうか気になりますが、ヨーロッパやアメリカなどではまた感染が拡大しているようですし、不安は尽きません…。子ども達にももうマスクしなくていいよと言ってあげられる日がいつ来るのか…。

気がかりは色々ありますが、今週もどうぞよろしくお願いいたします。

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2020年10月18日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年10月17日 (土)

見えてないけど「見えて」いる

今日のレッスンでもまた嬉しいことがありました。
来てくれたときには5までの数の把握もあやしい状態だったものの、その後目覚ましい変化を見せ続けてくれている低学年さんとのレッスンで、このところ、平日のレッスンでは学校の疲れがあるせいか、思うように捗らないこともあったりして、難しいのか、単に疲れのせいなのか、判断に迷っていました。
今日は久しぶりに学校がお休みの日のレッスンだったので、どうかなと思いつつレッスンをしたところ、20までの引き算をしているときに、教具を閉じた状態でも、閉じたそれを見ながら、「3個取ったら、ここ10でしょ?そっからあと1個取るから~、答えは9!」というように、ちゃんと数が頭に浮かんでいるのが伝わってきました。

5までがあやしかった状態から、かなりの短期間で20まで来ているので、ところどころ苦手な数の組合せはあるようですが、今日の様子だと20まではちゃんと思い浮かべられる状態になっているようだということも確認でき、何より、楽しそうな姿を見ることができて、とても嬉しく思いました。

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2020年10月16日 (金)

たとえ苦手でも

教室に来てくれる子は、算数が好き、得意という子もいれば、算数が苦手、がんばっているけど思うように結果につながらないというような子もいます。
年長から来てくれている2年生さんは、小さい頃から既に数に対して身構えるようなところがあり、これまでのところ、数量感覚が身に付きづらいように感じています。足し算は嫌がらないものの、引き算になると極端に嫌がるというのも、割と一貫して変わっていないかもしれません。

それでも、小さいときから、きちんと考えて答えを出す、意味を理解するということを続けているからなのだと思いますが、少し前からかけ算の学習をしていて、ちょっと嬉しく感じることがあります。
学校であれば初めは九九の範囲(答えが100までのかけ算)に限定して学習することが多いと思うのですが、教室では敢えて、×11などの問題も織り交ぜて学習します。算数が苦手であったり、九九を暗記しただけの子などは、習ったことがない問題が出てくると、自分で考えるより先に「これ習ってない」などという反応をする子が少なくないので、何も言わずに×11の問題が混ざったプリントをその子に渡して、どんな反応がかえってくるか見ていましたが、全く当たり前に解いてしまう姿を見て、意味を理解していれば、こんなに普通に解いてしまうんだなぁと嬉しくなりました。

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2020年10月15日 (木)

苦手なこと

教室を始めて18年目になりますが、元々、自分には経営や営業のセンスは全くないとわかっていたので、自分で教室を始めるなんていうことは実は全く考えたことがありませんでした。
それが、色々な目に見えない力が働いたとでもいうのでしょうか、なぜか自分で教室を始めることになり、まずは3年やってみてダメだったら就職口を探そうと思っていました。

お蔭様でどうにかこうにか「3年以上」続いていますが、相変わらず経営や営業のセンスは皆無のままです。
テレビやインターネットの情報、本などを見ていても、例えばある教育法が取り上げられ、もてはやされるようなときには、その教育法を始めた方や広めた方などは、その方法が絶対に正しく素晴らしいものだというようなアピールをされることがほとんどのように思います。
もちろん、ご本人は心からそう思っておられるのかもしれませんが、そもそも、教育法や学習法に「絶対に正しい」というものなんてないはずです。

天邪鬼なせいもあるかもしれませんが、仮に10人中9人に合う学習法というのがあったとしても、合わない子がいるのであれば、「絶対」ではないわけですし、10人中9人にはお勧めできない学習法でも、残りの1人にはものすごくはまる方法というのもあるのではないかとも思うのです。
更にいえば、科目によっても、効果的な学習法などは違うでしょうし、さらに細かくいえば、単元によってさえ違うのかもしれません。

私自身は、少なくとも算数に関しては、「教えるのではなく子ども自身が考えて気づく」というのはほとんどの子にとって有効だと思っていますし、何より、弊害はないとも思っていますが、それですらも、算数がどうしようもなく嫌いな子、能力的に算数がどうにも苦手な子などには、場合によっては反復による暗記をさせてあげるほうがいい場合もあるのかもしれないと思っています。

ですから、例えば教室に来てくださるお子さんが、うちの教室の考え方とは真逆のような塾や教室に並行して通っておられるような場合に、どういうデメリットが考えられるかや、できれば併用しない方がいいと考える理由などをお話はしますが、その子の人生の責任を私が負えるわけではないので、どうしても断言ができません。

これまでにも、真逆のことを並行してやっていたお子さんは、がんばっているのに思うようには変化が現れず、苦しい状況を乗り越える前にお別れになってしまったことが何度もありました。
そのたび、自分の力不足を悲しく思うとともに、自分の自信のなさ、断言できなさを残念に思います。

もちろん、絶対はありません。だからこそ断言できずにいるのですが、速くたくさんやりなさいという指示と、ゆっくりでいいからじっくり考えてやりなさいという指示は絶対に両立できません。そして、相反する指示を日ごとに変えるとなると、当然どっちつかずになり、効果が出にくくなるか、全く効果が出ないかになるのは恐らく間違いないだろうとも思います。

そもそも、「じっくり考える」ということは、集中できる環境、安心できる、邪魔されない環境、黙って見守ってもらえる環境などが必要で、たくさんの問題をじっくり考えるというのは大人でもげんなりするでしょうし、速くじっくり考えるなんてことも当然できません。
じっくり考えることが身に着いた後であれば、考えるスピードが自然と速くなったりということはいくらでもありますし、脳がある程度出来上がった後でスピードを求める勉強をさせるという選択肢もあるのかもしれません。

いずれにせよ、何年やってもお子さんとのお別れは悲しいですし、そのたび反省したり、後悔したりします。
私にもう少し自信があったら、何か違っていたのかなと、考えても仕方ないことをちょっと考えてしまいました…。

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2020年10月14日 (水)

「教えるのがうまい」

今日のレッスンのある中学生は、公立中だというのに、数学の先生が異常なスピードで授業を進めていて、休校期間があったにも関わらず、一般的な公立中学の進度より遥かに早い状態が続いています。
その子はうちでは数学だけしかできないので、よその塾にも通っているのですが、その塾はいくつかの中学の子が集まっているそうで、一般的なペースの学校を基準に、その少し先を進めている結果、学校がその塾よりかなり先に進んでしまっているというのです。

その子の話によると、先生は11月頃までに中3の内容を全て終わらせて、その後は入試対策をするというようなことを言っておられるようですが、公立であることを考えると、転校その他を考慮して、そのペースはさすがにないのでは?と思いながら聞いていました。

ただ、その子が言うにはその先生は「教えるのがとてもうまい」そうです。授業で説明したら、3分の2以上の子が問題をちゃんと解けているので、特に問題はないとのこと。
でも、そもそも、説明された問題をその場で解くのであれば、解ける子のほうが多いのは当然ですし、公立中で3分の1ほどの子が解けないのであれば、それは本当に「教えるのがうまい」と言っていいのかどうかは疑問が残ります。
また、何より、そんなペースで進めるには、先生が説明をして、問題演習をさせるというような形が中心なのではとも思いますので、それが子ども達に定着するのかといえば、疑わしくもあります。

もちろん、指導力の素晴らしい先生で、きちんと定着もさせられるのかもしれませんが、「教える」のがうまいというのは、その先生ほどではないとしても、私自身、塾講師時代に中学生の子達から学校の先生よりよくわかるとか、言ってもらったことがあるのですが、どれだけわかりやすく教えても、子ども達への定着度は驚くほど低かったのは忘れようのない経験でもあります。

うちに来てくれている子はまだかろうじてこちらで学校より先に問題を考えてもらうという状態を続けているので、なんとか大丈夫とは思いますが、塾などに行かず、学校の授業だけでがんばっているような子がいたら、その子達は大丈夫なのかと、人のことながらちょっと心配になってしまいました…。

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2020年10月13日 (火)

割り算を知らなくても

大人から見ると、例えば3個で600円のケーキ1個の値段や3人で分けると1個あまるクッキーの数をいくつかの選択肢の中から選ぶとかいう問題を見ると、割り算を習っていなければできないのでは?と思ってしまうことがあるのではないかと思います。
もう少し面倒なものだと、秤の文字盤の目盛りに半周500g、1周の部分に1kgと書かれているだけで、ひと目盛りが何gになるかを求めるようなものになると、1000÷100などが分からなければ解けないのでは?と考えがちです。

しかし、実際は、その前段階できちんと考えることが身に付いている子達の多くは、3個で600円なら、1個100円だったら300円、200円だったら600円だから1個200円だと考えたり、クッキーも絵を描いて、1つずつ配ってみて、残りが1つになる数を探したりして解いてしまうことがほとんどです。

もちろん、秤の文字盤で100目盛りで500g、1kg…というようなものは、100で割ってしまうことができれば簡単ですし、少なくとも100倍の考え方ができるようになってからの方が圧倒的に簡単ではありますが、「簡単」に解いてしまう前の段階で、数を集めて答えを探したり、1つずつ絵を描いて分けてみて答えを見つけ出したりする経験が割り算の基礎になるのは間違いありません。
教えなくても、割り算というものの基礎を自らの頭で考え、実感することで、割り算の学習をした際にすんなり理解につながるということもあるでしょう。

子どもが(大人から見たら)まどろっこしい解き方をしていても、少し長い目で見たら、その経験が大きな力になるということも少なくありません。面倒そうだなと思って、親切心から解き方を教えてしまうことは、子どもの考える機会や試行錯誤の機会、気づく機会を奪っている可能性があるということを、大人が意識しておくことは大切なことではないでしょうか。

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2020年10月12日 (月)

集中力

私達はしばしば、集中力があるとかないとかいう表現を使いますが、よく考えてみると、好きなことに対して集中力がない人というのは稀なのではないかという気がします。例えば、勉強に「集中」できない子も、好きなゲームなら何時間でも、親にやめるように言われてもやり続けられるという子は多いでしょうし、大人でも気乗りしない何かをする場合には、なかなか集中できないのではと思います。

とすれば、「集中力がない」と表現される例の多くは、実はその人、その子にとって興味のないこと、好きではないことをしなければならない状況の場合だけなのかもしれません。
勉強に「集中」できない子に対して、仮にその子が何時間でもゲームをし続けられたとしても、「あなたは集中力があるわね」という大人はあまりいないような気もします。

興味がないこと、好きではないことでもがんばって取り組めることは集中力の有無というよりは、忍耐力や理性的な判断力の有無にかかっているところが多いのですね、きっと。
やりたくはないけど、やらなければ怒られる、その方がもっと嫌だからという判断や、これをやらなければ夢や目標をかなえられないから、そのために我慢しようという判断ができ、そのために気がすすまないことでも辛抱してやろうと考えられるかどうか。それは集中力には全く関係ないことだろうと思います。

もちろん、発達上の問題を抱えていて、本当に何事にも集中が続かないという人もいるかもしれませんが、少なくとも子どもに向けて使われる「集中力がない」という表現のほとんどが、どちらかといえば忍耐力がないに近いものなのでしょうね。

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2020年10月11日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年10月10日 (土)

微笑ましい

恐らく大人でもそうなのだと思いますが、小さい子達は特に、初めて出あう物事が多い分、難しいと感じたり、できないのではと不安になったりすることも多いのだろうと思います。
その後は性格や好みの差などによって大きく違ってくるのだと思いますが、不安や不快な感情にどれだけ耐えられるかによって、すぐに諦めて投げ出してしまったりする子もいれば、それでもなんとか粘ろうとする子もいます。

もちろん、不安や不快を感じないものばかりしていられたらいいのかもしれませんが、簡単なもの、安心なものばかりしていては、恐らく成長もないわけで、大事なことは、すぐに正解が出せるかどうか、答えがわかるかどうかではなく、いかに粘り強く考えられるか、試行錯誤ができるかなのではないかと思います。

あまり耐性がない子の場合、泣き出してしまったり、初めから考えようとせず適当に答えを書いては大人の反応を見てきたりというようなことがあるのですが、泣き出す子の場合は成長に伴っていつの間にか泣かなくなるものの、考えようとしない子には働きかけが必要だと感じます。

そんな中、今日のレッスンのある子も、とても賢いものの、その子にとってちょっと難しいと感じたものは粘って考えようとすることはほとんどなく、もったいないなと思っていました。ただ、賢い子なので、話をすれば何か感じてくれるかもと思い、別の子の話を例に出して、粘り強く考えることが大事であること、今のうちからそれをしないと高学年になったら苦労が大きくなるかもしれないこと、でも、それは自分が選べることなので、今したくなければそれでもいいことなどを、その子にもわかるであろう言葉で話をしました。

すると、話が終わらないうちに、用意してあった少し難しそうなパズル問題を見て「これしたい!やる!」と言い出しました。
その言葉があまりに可愛らしくて思わず口に出してしまいそうでしたが、そこは堪えて、難しいものもあると思うので、するのであれば、全部できなくてもいいし、次までに必ずやってこなくてもいいから、しっかり考えてほしいということを伝えました。

何がきっかけで変わるかはみんな違うので、今回のことだけでその子が大きく変わることはないかもしれませんが、見守りながら、必要に応じて言葉をかけていこうと思います。

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2020年10月 9日 (金)

嬉しい変化

うちの教室は、真っ白な状態で来てくれた子達にとっては、初めから自分でじっくり考えて理解するという学び方が当たり前になるので、ちゃんと考えてという必要はほとんどないのですが(つまり、教えて覚えさせて…ということをさせなければ、自分で考えることが自然ということなのだろうと思いますが)、学年が上がってからだとか、よその教室や塾などを経てから来てくれたというような子達は、習って覚えて再現する、処理するということに慣れてしまっていることも珍しくないので、私とのレッスンに慣れてくれるまでは、何度も何度も「急がなくていいから考えて」とか、「速くしようと思わなくていいから」とか「適当に答えを書くんならしなくていいよ」とかを言う必要がある子もいます。

高学年や中学生になってから来てくれた場合は、その必要がない子は滅多にいませんし、そんな子達が変わるまでは、多分お互いに苦しい時間が続くのだろうと思います。
それでも、辞めずに続けてくれる子達は、気づけばいつの間にか考えるのが当たり前になっているとか、考えてきちんと理解しなければ気持ち悪いと感じるようになっているとかいう変化が見えてきます。

最近、全く考える気がなく、数学に対してやる気もなかった女子中学生が2人、それぞれに、いつの間にか別人みたいになったなぁと感じるようになり、とても嬉しく思っていましたが、別の小学生も、以前はちょっと難しいと感じると投げやりな感じになって、適当に答えを書いてやり過ごそうとしたり、時には泣き出したりしていたのですが、随分変わったなぁと思っていたところ、難しい問題をおうちで1時間以上考え続けられるようになったと伺って、本当に嬉しくなりました。

算数、数学に限ったことでなく、自分の頭でじっくり考えられることは生きていく上でも本当に大事なことなのだろうと思います。
そして、子どものうちは教科によっては主に覚えるしかないものも少なくありませんから、論理だてて考えるというような頭の使い方が練習できる教科のひとつが算数、数学なのではないかとも思います。
その貴重な教科まで、やり方を覚えて処理するだけという勉強をさせてしまうのは、本当に勿体ないことだと、私は思っています。

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2020年10月 8日 (木)

ちょっとびっくり

この頃は物覚えが悪くなり、物忘れもひどくなって、自分のことが心配になることは多々ありますが、今日のレッスンで、こんなまだ成長著しい段階の子でもそういうことがあるんだなぁとちょっとびっくりしてしまいました。

もちろん、小さい子に意味も分からぬままに丸暗記させたものなどは時間が経ったら全て忘れていたというようなお話は聞いたことがありますし、実際目の当たりにしたこともありますが、教室のレッスンではそもそも丸暗記とか教えて覚えさせるとかいうことをしませんので、何もかも全て忘れてしまうということは少ないと思っていました。

例えば、算数の用語や図形の名前など、覚えるしかないものは一、二度見聞きしただけでは時間が経てば忘れてしまうのは全く不思議ではないのですが、例えば、教室で立方体や直方体の学習をする際には、マグネットのプレートで実際に展開図を組み立ててみたり、展開図を切りとって確めてみたりと、色々な作業をしながら進めていくので、「こういう問題を過去にやったことがある」ということは、これまでみんな覚えていたような気がしていました。

しかし、今日のレッスンで、算数のセンスがかなりいい子と、面や辺の平行や垂直の学習をする前段階として、おさらいの直方体・立方体の問題をしようとしたときに、「こんなのまだ習ってないから難しい」というので、おかしいなと思いつつ、過去の控えを確かめたところ、1年以上前に学習しているのは確かでした。
その時のプリントやマグネットのプレートを見せたら「ああ!」と思い出すのではないかと思い、「思い出したらしなくてもいいからね」といって、過去にやったものを再度用意したのですが、どのプリントも見覚えがないだけでなく、プレートを使って展開図を作って確めた記憶もないとのこと。

まだ低学年で成長も吸収も著しいその子でも、こんなことが起きるのか!と驚くとともに、もしかして、よくできる分その場でぱっと理解してどんどん進んでいくものの、あまりに速いペースで新しい内容を学習していくことで、過去の内容が引っ張り出しづらくなっているのかしら?とも思いました。

それにしても、物忘れは老化が原因とは限らないのですね。(苦笑)

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2020年10月 7日 (水)

なかなか悩ましい

今日のあるレッスンで、中学生の子が「ここではできるんですけど、学校だとできないんですよ。ここの雰囲気がいいんですよ!」というようなことを言ってくれました。
ご存知の通り、教室ではやり方をあれこれ教えるようなことはありませんし、おだててやらせるとか、やらせるために怒るとかいうこともありません。(怒ることはありますが、勉強させるために怒るということはしませんので。)

それでも、今日の子は中学生なのでそんな表現をしてくれましたが、これまでも、例えば教室でした内容の宿題をおうちでしようとしたら全くできなくて、もう一度見て頂けますか?とおうちの方からお知らせを頂き、そんなはずないけど、どこがわからなかったのかなぁと、それを見極めるため、「まずやってみてくれる?わからんかったら助けるから」などと声をかけて見ていると、当たり前にスラスラ解いてしまうというようなことは、これまで何度も経験したことがあります。

家だと色々誘惑があって気が散るからというのはあるだろうと思っていましたが、今日の中学生は家でも学校でもできないことが、ここに来るとできるということがあるのだと言います。さすがに私が魔法を使えるわけでもありませんので、その原因、理由が何なのかは分からず、更には、ここではできるのによそではできないのであれば、それはあまり役に立たないとも言えるので、なんとかその謎を究明したいとも思うのですが、一体何なのでしょう…。

ひとつ可能性があるとすれば、私が子ども達に「やってみて」という問題は基本的に、この子ならできるはずと思えるものであり、ある程度私とのレッスンに慣れている子達は、私がそういうのであればできるはずというような気持ちになるのかもしれません。
そして、もし分からなければ助けてもらえるという安心感のようなものも、プラスに働いているのかもしれません。

その自信や安心感をより大きなものにしてもらえるよう努めていきたいと思います。

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2020年10月 6日 (火)

できるけど面倒なもの

教室のレッスンでは、これはできると思った問題は数を減らしたりと加減しますが、学校のドリルや宿題のプリントなどでは、やりなさいと出されたものは全てしないと「宿題をきちんと仕上げた」とは認めてもらえないのは普通だろうと思います。
それは小学校に限ったことではなく、中学生になっても、恐らく高校生になっても、多くの学校でそういう指導がされるのだろうと思うのですが、例えば、同じような問題が5問あって、解き方はしっかりわかっているものの、解くのに手間がかかるので面倒な問題があったとします。問題を見れば、その子は全問解き方をきちんと説明できる場合でも、それをきちんとノートなどに書かなければ評価してもらえないということが起こります。問題を見て、自分で解き方の方針が立ち、5問のうち1、2問は実際にきちんと解いて正解したとしても、残りをしなければ評価がマイナスされるのですが、算数、数学が得意な子ほど、できるけど面倒だと感じる問題をたくさんさせられることは苦痛だろうと思うのです。そして、それを強いているうちに、本当は好きだったはずの算数や数学がとまらなくなったり、嫌いになったりすることもあるのではないかとも思います。

実際、教室に来てくれている子で算数がよくできる子でも、学校の算数はつまらない、嫌いというような子が過去にも何人もいました。
それを思うと、本当にできるものまでも全てきちんとやり遂げなければならない理由はなんなんだろうなと思ってしまいます。

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2020年10月 5日 (月)

色々な見方

子ども達に解いてもらう問題は、自作のものは別として、ワークブックなども事前に目を通しておくのですが、問題を解きながら、特に中学校の数学などでは、色々な発想ができるとか、色々な視点から見られるとかいうことで、問題が簡単になったり、難しくなったり、その差が結構大きくなるように感じることがあります。

ですが、その「色々な発想」や「色々な視点」というのは、習って身に着けるのはなかなか難しいもので、そういうことができるようになるためには、やはり小さい頃から自分の頭で考え、試行錯誤するということが大事なのではないかと感じます。
例えば、最近中学生の子と比例式を使った一次方程式の問題をしていたときにも感じたことがあります。中学校では比例式を学習すると、恐らく解き方として内項の積=外項の積(a:b=c:d であれば ad=bc)を教えるのだろうと思います。
もちろん、それは知っていた方がいいのは間違いありませんが、その解き方を習った子達の多くは、問題を見たら、それがどんな数でも機械的に内項同士、外項同士をかけて解こうとするように思います。

ですが、例えば x:0.6=1.2:0.8 という問題であれば、0.6×1.2=0.8×xという式になり、うっかりミスしそうな要素があちこちに出てきます。ですが、まずはこの問題全体を見て、左辺の関係が3:2になることに気づけばx=0.9だとすぐにわかります。
他にも、左右の関係を眺めるだけですぐ気付くような問題でも、内項の積と外項の積を求めて計算すると思い込んでいる子は、いちいち面倒な計算をし、問題が複雑になるほどミスをする確率も上がります。

また、方程式の利用の問題でも、例えば3つの連続した数の和が165と言われたら、頭が柔らかい子は3で割って真ん中、後はその前後と方程式を作るまでもなく解けますが、方程式の利用でxを使って…と思い込んでいる子は、こんな問題も(x-1)+x+(x+1)=165と式を作って解くわけです。

もちろん、持って生まれた能力の差や興味の差などはありますが、小さい頃から解き方を習い、覚えてその通りに解くことに慣れている子達には、習った以外の方法で解こうという発想はなかなか出てこないものだろうと思います。
ですが、問題が難しくなるほど、覚えた知識だけでは太刀打ちできなくなっていきますし、自分の頭で考え、試行錯誤する必要がどんどん高まっていきます。
ですので、小さいうちから、たっぷり時間をかけてもいいので自分で考えるという学びをさせてあげてほしいと思います。

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2020年10月 4日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年10月 3日 (土)

申し訳ないことをしてしまった…(汗)

今日のあるレッスンでのこと。
その時間はご兄妹でのレッスンだったのですが、車酔いしたというお兄ちゃんに、お母さまがお茶と飴を渡しました。
事情が事情なのでもちろん私もOKしたのですが、まだ小さな妹さんは、それを見たら、私も飴がほしいと言うのではないかしら、体調が悪いわけではないのにレッスン中に飴をなめていいと言っていいかどうか、う~ん、どうしようと考えを巡らせかけていたのですが、妹さんは何も言わず、がんばって問題に取り組み続けていました。

ただ、何か元気がないようで、眠いのか、何かあったのか、気になって声をかけたところ、近くにいたお母さまがふと「あ、〇〇ちゃんも飴ほしかったんでしょ。我慢した?それで元気ないの?」というような声をかけられました。
お母さまの思ってもみない言葉に、ああ、そうなのか!!と思うと同時に、ほしかったのに我慢したんだなと、本当に感心したので「すごいね!さっき、私もほしいっていうんじゃないかって思ってたのに、言わなかったから、えらいなぁと思ってたの。」と言い、お母さまも一緒になって褒められたのですが、とうとうこらえきれなくなったようでぽろぽろと涙が…。

ああ…その子は必死になって我慢していたのに、私が迂闊に声をかけてしまったばっかりに泣かせてしまった…。
もちろん謝りましたが、それでも、小さい子の思ってもみなかったがんばりがたまらなく可愛くて、申し訳ない気持ちと共にとてもとても癒されました。

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2020年10月 2日 (金)

気を付けないと

今日のレッスンで、ある低学年さんが、普段ならできるはずのことで突然ストップしてしまい、難しいのか、やりたくないのか、疲れているのか、あれこれ尋ねてみたものの、全く何も答えてくれず、分かるのは表情が完全に曇っていて、全く頭が働いていなさそうだということだけという状態になりました。

かなりあれこれ話しかけてみたものの、全く何も返してくれないので、怒ったりはしていなかったとはいえ、コワイといわれることも少なくない身なので、私には言えなくてもお母さんには言えるかな?とお母さまにもお声をかけて、尋ねてみてもらいました。

それでも全くというほどダメで、ほぼ誘導尋問的にやりたくないという結論に辿り着きそうになりました。
これは強制しても仕方ないし、今日は無理かなと思ったのですが、お母さまがとにかく今やりかけの問題だけはがんばるように声掛けをしてくれて、ゆるゆるとそれをし始めると、3問目で少し表情が変わりました。

その後、これはいけるのでは?と感じたので、そのまま次の課題に進んでいったところ、やればやるほど表情が生き生きしてきて、徐々に声も出るようになり、終盤には笑顔まで出て、楽しくレッスンを終え、その後も元気におしゃべりしながら、本を見たりしていました。

ああ、これはきっと…と思って、「〇〇ちゃん、眠かったんやね?」というと元気にうなずきました。
年中さんや年長さんだと、眠いだけで泣き出してしまったり、全く頭が働かず、何も言えなくなってしまうということがありますが、小学生ではあまり記憶になかったことや、少なくとも瞼が重そうだったり、舟を漕いだりということは全くなかったことで、思い及びませんでした。

そもそも、小さい子達の多くは、明らかに眠いんだろうなと分かるときでも、眠いのか尋ねると頑なに否定するのです。それはもう、眠いと認めたら魔法で眠らされてしまうとか思っているのかな?というぐらいに認めてくれないことが多いので、興味深く思っているのですが、自分の状況をうまく説明できない段階の子達は、疲れたり眠かったりで思うように頭が働かなくなっても、その状況をうまく説明することができず、黙っていると大人(私)から質問攻めにあって、でもどう答えていいのかわからないというようなことが起きているのかもしれません。

私ももっと気を付けなくてはと反省しました。

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2020年10月 1日 (木)

10月初日は

10月がスタートしましたが、今日は最初のレッスンの子の一人が来たときからなんだかテンションが低いなと思ったら、予想通りかなりの不調。もうひとりはハイテンションなものの、おかしなミスを多発したりして、やはりどうも調子が今ひとつ。
更にはその後のレッスンの子も調子が上がらない子がいたりで、涼しくなって、調子が出てくるのではと思っていたのが、予想を裏切る結果になりました。

今月は中学生達は中間考査があったり、小学生は修学旅行や自然学校があったりと、ちょこちょこイレギュラーがありそうですが、みんな元気に過ごしてくれるといいなと思っています。
今月もどうぞよろしくお願いいたします。

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