見えている世界
連休中にふと感じたことがあります。
高校の同級生の男子で、こういう人を本当に賢い人というのだろうなと感じる人がいるのですが、どうしてそう感じるかというと、進学、卒業した大学はもちろんなのですが、そういうことではなく、例えば、何かわからなくて質問すると、その子は私が理解できるレベルに合わせて、しかし必要なことだけをコンパクトに答えてくれるのです。
学歴その他ではその子よりも賢いと判断されるかもしれない子は、一所懸命説明してくれるものの、私には難しすぎて、どれだけ説明を重ねてくれても理解できないこともあるので、勉強ができるとか、成績がいいとかいうことだけでなく、それ以上の「賢さ」を普段から感じているのですが、その人はパズル問題なども好きらしく、SNSで時々シェアしてくれて、この連休中にもとある新発売の飲料のキャンペーンの謎解き問題を100%正解したということでシェアしてくれていました。
出題者は最近テレビなどでも人気のクイズ王などで、問題の難易度もかなりのもの。ヒントも見られるのですが、普通に出題される問題を全て解いても99%。残り1%はどこに問題が潜んでいるかを見つけ出し、更にその問題に正解せねばなりません。
私はあれこれずっと考えたもののいつまで経っても辿り着けず、その謎解きが公開されて数日が経った頃、本当はルール違反なのだと思いますが、ネット上に残り1%の問題について解法などを公開した匿名の方がいて、その手順に沿って100%に到達できたものの、自力では絶対に思いつかないなと感じるものでした。
でも、検索しているときに、匿名の方が公開するまでに100%に辿り着いたという方達が複数見つかり、そもそも、同級生の男子もどうやらノーヒントで最後まで辿り着いたようです。
そのときに、IQが高いとか、頭がいいとか言われる人たちは、「使える頭の範囲」が広く、私には持てない視点や発想力を持っているのだなと感じると同時に、見えている世界自体が違うのかもしれないなとも感じました。
最近、テレビでしゃべっている政治家などを見ていると、こんなことを本気で信じてもらえると思って言ってるんだろうか?と感じることも少なくないのですが、もしかすると、その人たちに見えている世界と私に見えている世界が違うということなのかもしれないなと。そして、教室に来てくれている子達も、それぞれの得意不得意や興味の差などで、同じものを見ているつもりでも、見えているものが違うのかもしれないなと、改めてそんなことを意識させられました。
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