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2020年9月16日 (水)

丸暗記の弊害

教室の子たちの多くとは、学校やよそで習ってしまうより先にレッスンをさせてもらえるのですが、時々、よそから移ってこられたとか、ほかに塾などに通っておられるとか、そうでなくてもよかれと思って先に覚えさせたとかいうようなことで、子ども達が自ら考えるより先に解き方などを覚えてしまっていることがあります。

今日のレッスンで、学校より先にかけ算の学習をすることになった子は、おうちの方のお話では既に九九を覚えてしまったとのことでした。
その子がここに来てくれるようになる前に覚えてしまったものはどうすることもできませんので、ひとまずそれは気にせず、積み木の教具などを使いながら一緒にレッスンを始めました。
しかし、どうも教具を見ている気配がなく、更には、目の前で見せているにも関わらず、5×6(5の積み木が6本)の答えをどうやら九九でぶつぶつ唱えて30と書いた後、そこにもう1本5を置いて、5×7の答えを書いてもらう問題を、再び5の段を最初から唱え直しているのがわかりました。

暗記していない子達は、5を6本置いたものを30と答えれば、そこにもう1本5を置いたものは35だとすぐわかります。そこに九九の暗唱は必要ありません。
しかし、その子はその後他の問題でも同様にひたすらに九九を唱え、更には九九に「×10」がないからなのでしょう。×10になった途端、全く訳の分からない答えを書くということを繰り返しました。

何度も声をかけて、教具を見るように促し、意味を考えてくれるようにも言いましたが、覚えたものを唱えればすぐ答えが分かると思ってしまっているその子にはなかなか響きませんでした。

もちろん、先に覚えてしまっても、数に興味がある子などは新たに「ああ、そういうことなのか!」というような反応をしてくれることもありますが、先に覚えたものを使うなというのは、なかなかに難しいことです。

九九の暗記はほんの一例ではありますが、意味もよく分からぬまま、算数の解き方などを丸暗記をさせてしまうことは、時に子どもの考える機会を奪うことになりかねないということは知っておいて頂けたらと思います。

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