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2020年9月30日 (水)

9月最終日

今日は年間予定でレッスンはお休みでした。
今年度も半分が過ぎましたが、まさか半年間ずっとこんな状況のままだとは想像もしていませんでした…。
10年ぐらい前に新型インフルエンザが流行したときには、一時的にマスクなどが品薄になった記憶はありますが、一過性のものだったように思いますので、このような長期にわたる自粛生活の経験は生まれて初めてなのではないかと思います。
日々どんどん成長していく子ども達にとっては本当に大きな影響があるのではと、心配にもなりますね…。

年度後半は新型コロナの対応に目鼻がついて、子ども達がマスクなしに自由に遊べる日々が戻るといいなと思います。
1日でも早くその日が訪れますように。

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2020年9月29日 (火)

成長?

小さい子達は疲れ具合や心の状態などが学習に大きく影響することがあります。
例えば眠かったり、何か嫌なことがあったりすると、全くレッスンにならないというようなこともありますし、何か嬉しいことがあってテンションが高いと、普段以上にできるということもあります。

今日の年長さんのレッスンでは、これまではまだ幼さが前面に出ている感じの子が、あれ?今日はなんだかお兄さんになった??と感じることがありました。
小さい子達は「~ください」とか「~です」とかいうような改まった言い方をすることが恥ずかしくて抵抗を示す子が少なくありません。例えば何かを忘れて貸してほしいときでも「筆箱忘れた」とか「消しゴム」とかいうだけで察してもらおうとする子が多いのですが、言う前に気づいて貸してしまうこともあるものの、できれば「消しゴム貸して」ぐらいは言ってくれるよう促すこともあります。

今日の子は、これまでの様子だと、何かを忘れて貸してほしいときももじもじしながら「消しゴム…」と言って止まるか、がんばって「消しゴム貸して…」というかだったのが、はきはきと「消しゴム貸してください!」と言ったので、ちょっとびっくりしました。
すると、それだけでなく、積み木の数の13個や17個など、個数が多いものもノーミスでスラスラ解き、聞き取る問題も読み終わらないうちから正解を答えてしまうほどだったりと、他にも様々なことがこれまでより速く正確にできていて、小さく驚き続けました。

子どもの成長はなだらかな坂上になるのではなく、あるときぴょこんと伸びることが少なくないとも聞きますので(子どもに限ったことではないかもしれませんが。)もしかするとひとつ「階段を上がった」のかもしれないなと感じました。

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2020年9月28日 (月)

9月もあと僅か

すっかり秋らしくなり、日が落ちると寒いぐらいの日が続いていますね。
9月も残り数日となり、30日は5週目でお休みになるため、9月のレッスンは明日でおしまいです。

新年度も半分が終わろうとしており、新型コロナとの共存状態は半年以上になっているのですね…。
マスクが暑くて辛い時期は何とか過ぎましたが、早くマスクなしでも安心できる日が来てほしいものです…。

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2020年9月27日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年9月26日 (土)

モチベーション

個人的にはがんばって勉強したら何かご褒美がもらえるということをモチベーションにしてがんばらせるのは好きではありませんが、これはいいかもと思ったエピソードがありました。

最近は年長さんぐらいでも、おうちの方が教えられたりして時計が読める子もいますが、お子さんがやる気にならなかったり、なかなか理解してもらえなかったりということもあるようです。
で、ちょっと教えてもらったけど難しかったとか、なんか難しそうとか思っている子は、教室で学習する際、既にちょっと身構えたりすることもあります。

先日から時計や時刻、時間の学習を始めた1年生さんは、まだほとんど時計が読めない状態だったようですが、学習を始めるときにお兄ちゃんが、「〇〇ちゃん、(時刻を)読めるようになったら(時計を)買ってもらえるやん」というと、教室におられたお母さまも「〇〇ちゃん、ほんまやん」と続けられました。

どうやら、ほしい時計があるものの、時計を読めないことで買ってもらえていない状況だったようです。
「読めるようになったら時計買ってもらえるって!」というと、もじもじしながらも、がんばって取り組むぞ!という気持ちが伝わってきました。
実際に時刻を読めるようになったら、ほしい時計を買ってもらえるというのは、テストでいい点を取ったらゲームを買ってあげるとかいうようなご褒美とはちょっと違って、理にかなっているというか、いいモチベーションアップの方法のように感じました。

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2020年9月25日 (金)

イメージできるかどうか

今日のレッスンで、中1さんと方程式の利用の学習をしていたときのこと。
方程式の利用に関しては、式が作れれば大抵その後は解けるので、まずは立式だけをしてもらうことが多いのですが、小さい頃から通ってくれていて、きちんきちんと考えながら問題を解く子が、宿題にしてあったある問題ができなかったとのこと。

それは、池の周りを兄と弟が同じ方向へ向かって進んだときに、兄が弟を追い抜かすのは何分後かというもので、その問題の前にあった反対方向へ進むときに出会うのはいつかというものは問題なく立式できていたものの、こちらはわからなかったとのことでした。

そこで、速さが速い方の兄が弟を追い抜くときには、2人の関係はどうなっているのか尋ねたところ、やはりそこがイメージできていない様子です。2人が反対方向に歩く場合は、方程式が作れなくても、1分で60mと80m、2分で120mと160m…というように考えていけば、どこで出会うか気づくこともできますが、追い抜く問題に関しては2人の関係がどうなったときを求めればいいのか分からなければ、当然式のつくりようもわかりませんし、そもそも何をどう考えたら解けるのかもわかりません。

そこで、まずは弟が止まっていた場合はいつ追い抜くのか尋ねたところ、それはすぐにわかったようで、そこで気づいてくれるかなと思いましたが、まだ難しい様子。しかし、例えば、反対方向に進む場合は速さの和で割り、同じ方向に進む場合は速さの差で割ればいいのだというような教え方をしてしまったら、自分が何をしているのかきちんと理解できていないまま、とりあえず解くことはできる状態になってしまいます。

ですので、その後もグラウンドを走っていて、遅い子が速い子に追いつかれるのはどういうときかなど何度かやりとりをし、その子が気づくまで待っていたところ、ある段階で動きが止まり、何かじっと考え始め、式を作り、答えも出すことができました。
解き終わった後で、2人の関係が1周差になったときだということを確認しましたが、その段階ではもう気づいていたので、こくりと頷いただけでした。

もちろん、全ての問題をきちんと理解して進むのは時間的制約などで無理な場合も出てくるかもしれませんが、小さいうちにできる限りそういう学びをしておくことで、その先に必ず役に立つのではないかと思います。

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2020年9月24日 (木)

気づいてくれると嬉しい

あまり算数が得意ではないながらも、その子なりにがんばって取り組んでくれている低学年さんと、先日からかけ算の学習を始めました。
引き算はとにかくキライなようですが、足し算にはあまり抵抗がないようで、同じ数を足していくことに関しては予想よりずっとスムーズにできていました。

初めは10の段、5の段、1の段、2の段と比較的簡単なものだったので、何も言う必要はありませんでしたが、3の段、4の段になってくると、ひとつずつ地道に足していくだけだと少し大変になって来るので、違う考え方にも気付いてもらえたらと、教具を見せながら、何も言わなくても気づくかどうか試してみました。

例えば、3×3は9だと見てすぐわかっている状態で、3×6の積み木を見せるときに、3本と3本の間に少し隙間を空けて、9と9だということに気づいてもらえるかどうか試したところ、言わなくてもすぐ気付いてくれました。
その他にも教具の見せ方を少し工夫するだけで、言葉にしなくても、次々と気づいてくれて、言わなくてもそういう考え方を使えるようになりつつあるのがわかりました。

その姿を見る限り、数の感覚が身についていないという感じではないのだなということが感じられ、それもまた嬉しく思いましたが、何より、算数が好きとはいえない子が、説明せずに自ら気づいて理解していく姿を見られるのは本当に嬉しく思いました。

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2020年9月23日 (水)

間違えさせる

子ども達とレッスンをするとき、意識していることのひとつに、意識的に「間違えさせる」というものがあります。
もちろん、間違うことを狙っているわけではなく、子どもによっては間違えずにクリアしてくれることもあるのですが、どういうことかというと、多くの子が間違えやすいところを、前もって説明するのではなく、その子が引っかかるかどうか、まずは見守るということです。

今日のレッスンでも、一次方程式の問題で、係数が小数のものを解いてもらうことになったのですが、多くの場合は、小数は10倍や100倍などして、係数が全て整数になるように直してから解くよう先に指導するのではないかと思います。

ですが、そのように指導すると、例えば、「0.2x+0.7=1.6x-2.1」のような式であれば、ほとんどの子が間違えずに「2x+7=16x-21」と直すのですが、これが「0.2(3x+8)=2.2x」のような式になると、「2(30x+80)=22x」というように、左辺は100倍、右辺は10倍というようなことをしてしまう子が少なからず出てきます。(かつて個別指導塾や一斉指導の塾で見ていた子達の中にたくさんいました。)

もちろん、この間違いは意味を考えていれば絶対しないはずですが、習ったことをなんとなくの理解でやろうとすると、そういうことをしてしまう子が珍しくないのです。
だた、ここは間違いやすいからねと先に説明を加えても、その子自身が自分の頭を使って納得しなければ、ミスする可能性はそのまま残るのではないかという気がするのです。

ですから、そういう問題をまずは小数を整数に直しなさいということも言わずに1、2問解いてもらいます。すると、大抵は小数のまま解いて正解するので、そのまま解いてもいいけれど、項が多くなるとミスしやすくなるので、普通は係数が整数になるように直してから解くのだと伝え、更にそのまま上述の( )があるような式も解いてもらうようにします。
そこで気づく子は何も言う必要はありませんし、言うのであれば、「そこでミスする子多いのにさすがやね」というような声掛けをするぐらいで済ませますが、そこでしっかり引っかかる子には、まずはそのまま解いてもらい、その後、小数のままで解き直してもらうなどして、何かが違うことに気づいてもらうよう促します。

そして、( )があるような場合にはどういうところに気を付けなくてはいけないかや、そもそも与えられた式はどういうことを表しているのかなどに意識を向けてもらうようにするのです。
もちろん、人間ですから、それをしても忘れることはあると思いますが、それすらしなければ、頭に残るものは更に少なくなるだろうと思うのです。

問題や子どものタイプなどによっては、間違うのではないかというところに先回りせず見守ることも、印象に残すために有効なのではないかと考えています。

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2020年9月22日 (火)

見えている世界

連休中にふと感じたことがあります。
高校の同級生の男子で、こういう人を本当に賢い人というのだろうなと感じる人がいるのですが、どうしてそう感じるかというと、進学、卒業した大学はもちろんなのですが、そういうことではなく、例えば、何かわからなくて質問すると、その子は私が理解できるレベルに合わせて、しかし必要なことだけをコンパクトに答えてくれるのです。
学歴その他ではその子よりも賢いと判断されるかもしれない子は、一所懸命説明してくれるものの、私には難しすぎて、どれだけ説明を重ねてくれても理解できないこともあるので、勉強ができるとか、成績がいいとかいうことだけでなく、それ以上の「賢さ」を普段から感じているのですが、その人はパズル問題なども好きらしく、SNSで時々シェアしてくれて、この連休中にもとある新発売の飲料のキャンペーンの謎解き問題を100%正解したということでシェアしてくれていました。

出題者は最近テレビなどでも人気のクイズ王などで、問題の難易度もかなりのもの。ヒントも見られるのですが、普通に出題される問題を全て解いても99%。残り1%はどこに問題が潜んでいるかを見つけ出し、更にその問題に正解せねばなりません。

私はあれこれずっと考えたもののいつまで経っても辿り着けず、その謎解きが公開されて数日が経った頃、本当はルール違反なのだと思いますが、ネット上に残り1%の問題について解法などを公開した匿名の方がいて、その手順に沿って100%に到達できたものの、自力では絶対に思いつかないなと感じるものでした。

でも、検索しているときに、匿名の方が公開するまでに100%に辿り着いたという方達が複数見つかり、そもそも、同級生の男子もどうやらノーヒントで最後まで辿り着いたようです。

そのときに、IQが高いとか、頭がいいとか言われる人たちは、「使える頭の範囲」が広く、私には持てない視点や発想力を持っているのだなと感じると同時に、見えている世界自体が違うのかもしれないなとも感じました。

最近、テレビでしゃべっている政治家などを見ていると、こんなことを本気で信じてもらえると思って言ってるんだろうか?と感じることも少なくないのですが、もしかすると、その人たちに見えている世界と私に見えている世界が違うということなのかもしれないなと。そして、教室に来てくれている子達も、それぞれの得意不得意や興味の差などで、同じものを見ているつもりでも、見えているものが違うのかもしれないなと、改めてそんなことを意識させられました。

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2020年9月21日 (月)

心配ですね…。

続報が出て、西区の小学校だとわかったものの、まだ40人ほどは検査結果が出ていない段階で30人近い陽性者が出ていて、更には感染対策もしていたとのこと。
何がどうなって、そこまで広がってしまったのか、わからないと余計に不安が増します…。

感染された方達の早い快復を祈りますが、急に涼しくなり、修学旅行などにも行く学校もある中で、学校関係者の皆さんの負担が一層大きくなるのではと…。
心配は尽きませんが、できることを粛々と続けていくしかないですね…。

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2020年9月20日 (日)

3連休初日

昨日は通常レッスンでしたので、私にとっては3連休ですが、おとなしく引きこもって過ごすことになる予定です。
神戸市の小学校で教員の方2人と児童が2人感染したとの発表がありましたね。学校名は非公開だそうですが、クラスの児童や他の教職員はこれから検査だそうですから、気になります…。

この時期、学校によって判断が分かれているようですが、自然学校や修学旅行に行ったり、体育大会などがあったりと、移動や接触が増える子ども達もいるようですから、まだまだ心配は続きますね。
手洗い、マスクでどの程度まで予防できるのかわかりませんが、気を緩めないようにしなくてはと思っています。

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2020年9月19日 (土)

笑っちゃいけないけど

今日のあるレッスンでのこと。
眠いのかなんなのか、どうも今ひとつ調子が出ていない様子の低学年さんが、鉛筆を落としました。
私の近ければ拾うのですが、その子の足元だったので、その子に拾ってもらうことにして待っていると、鉛筆を拾った後、なぜかおもむろにタイルカーペットの毛並みに沿って5センチばかり、がりっと鉛筆で線を書きました。

毛並みの谷の部分だったので、鉛筆の跡が目立つということはなかったのですが、普段そんなことは絶対しそうにない子のあまりに想定外の行動に私もびっくりしてしまい、咄嗟に「何してるの!?」とちょっと大きな声を出してしまいました。

すると、それまでなんだかのらりくらりと調子が出なかったその子がびくっとしたかと思うと、突然目に力が宿り、集中して問題に取り組み始めました。
まだ小さい子でもあり、普段は叱らなくてはいけないようなことをする子ではないこともあり、私に初めて怒られたと感じたであろうその子は、もしかすると自分でもなんでそんなことをしてしまったのかわからないのではないかと思いましたので、そんなことをしたらダメでしょと言った後はもう何も言わなかったのですが、まるでショック療法のようにスイッチが入った姿がおかしくて、思わず笑ってしまいました。

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2020年9月18日 (金)

段階を経ることの重要性

このところ何度か書いていますが、発達のペースがゆっくりなお子さんとレッスンをさせてもらうようになってから、目を見張るようなスピードで次々と理解できる数の範囲が広がっていっているのですが、学校でそろそろかけ算の学習をすることになるはずなので、今の様子なら、100までの数が何とか理解できれば、九九の範囲のかけ算も先にできるかもと思い、本来ならまだ20までの数のひき算などを一緒にする段階でしたが、前回の終わりにためしに100までの数の学習をしてみたところ、結構すんなりいけたので、今回は様子を見ながらかけ算をしてみることにしました。

すると、100までの数は私とは前回僅かな時間一緒にしただけにもかかわらず、10×〇のかけ算はすんなりクリアしてくれて、1×〇も問題なし。しかし、2×〇に進んだところ、その子は「2、4、6、8…」の数え方を知らないとのことで、ちょっと手間取り、5×〇に行こうとしたところ、前回までに5と5と5と3で18のように、20までの数は5がいくつ分と残りいくつという考え方で、きちんと答えられるようになっていたというのに、教具の5が4段を見て40と混同してしまうような状態になりました。

かけ算を先にしたのは、かけ算というのもがどういうものなのか、先に知っておいてもらえたらという思いがあったからなので、10や1のかけ算がすんなりできたことで、ひとまず目的は達成できました。

ただ、ほんの2か月ほど前には4や5も一目では把握できなかった子に、いきなり100までの数のたし算は、さすがに飛ばし過ぎなのだと思います。
もし年長さんであれば、個人差はありますが、5までの数の把握やそのたす、ひくをするだけで1~2ヶ月、10までの数になるとそれよりもう少し時間をかけて取り組んでもらった後に20までの数に進みますので、やはりそれぞれの段階がしっかり身についてから次に進むというのが、算数を楽しく感じられるためにもとても大事なのだと思います。

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2020年9月17日 (木)

「当たり前」の基準

大人にとっての常識は子どもには当てはまらないことはわかっているつもりですが、自分の子どもの頃を思い返して、このぐらいは当たり前では?と思うことも、子どもによってはやはり当たり前ではないのだなと思わされることがあります。

私は怒られるのが嫌で、こう見えて小心者、やや神経質な子どもだったので(気づいている子は少なかったと思いますが…)失敗しないように、できるだけの注意を払っていたように思います。
ですので、例えば表とグラフの学習などで、調べた資料の表が1番から30番までであれば、それを表に移した合計が30人にならなければおかしいと、それは私にとっては「当たり前」だった気がするのですが、そういう、ほんの少し気を付けるだけでできるところを間違っている子を見ると、面倒でいい加減にやっただけなのか、そういう視点を持っていないのか(合計の数が合わなければどこか間違っているはずだという)、どっちなのだろうと思います。

やり直せばきちんとできるのであれば、いい加減にやったということなのだとは思いますが、表を作るのが面倒でも間違えたらまたやり直さなくてはいけない方がもっと面倒なはずで、だったら、面倒でも1回目にちょっとがんばろうとはならないものなのかなと、それも不思議に思ってしまいます。
ですが、私は中学生の頃に「可愛げがない」と言われていた子どもなので、世の多くの子どもは小学生、中学生の頃からどちらが合理的かとかいうことまで考えたりしない子が多いのかなぁという気もします。

もちろん、普段から一人ひとりの子を見て、その子の状態から、このぐらいはできるはずと判断していますが、一人ひとりの子の「当たり前」はきっと子どもの頃の私とは違うこともあるのだろうことをよりしっかり意識して、子どもが気づいていないのかもしれないことは、言葉にして働きかけていく必要もあるのかなと思いました。

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2020年9月16日 (水)

丸暗記の弊害

教室の子たちの多くとは、学校やよそで習ってしまうより先にレッスンをさせてもらえるのですが、時々、よそから移ってこられたとか、ほかに塾などに通っておられるとか、そうでなくてもよかれと思って先に覚えさせたとかいうようなことで、子ども達が自ら考えるより先に解き方などを覚えてしまっていることがあります。

今日のレッスンで、学校より先にかけ算の学習をすることになった子は、おうちの方のお話では既に九九を覚えてしまったとのことでした。
その子がここに来てくれるようになる前に覚えてしまったものはどうすることもできませんので、ひとまずそれは気にせず、積み木の教具などを使いながら一緒にレッスンを始めました。
しかし、どうも教具を見ている気配がなく、更には、目の前で見せているにも関わらず、5×6(5の積み木が6本)の答えをどうやら九九でぶつぶつ唱えて30と書いた後、そこにもう1本5を置いて、5×7の答えを書いてもらう問題を、再び5の段を最初から唱え直しているのがわかりました。

暗記していない子達は、5を6本置いたものを30と答えれば、そこにもう1本5を置いたものは35だとすぐわかります。そこに九九の暗唱は必要ありません。
しかし、その子はその後他の問題でも同様にひたすらに九九を唱え、更には九九に「×10」がないからなのでしょう。×10になった途端、全く訳の分からない答えを書くということを繰り返しました。

何度も声をかけて、教具を見るように促し、意味を考えてくれるようにも言いましたが、覚えたものを唱えればすぐ答えが分かると思ってしまっているその子にはなかなか響きませんでした。

もちろん、先に覚えてしまっても、数に興味がある子などは新たに「ああ、そういうことなのか!」というような反応をしてくれることもありますが、先に覚えたものを使うなというのは、なかなかに難しいことです。

九九の暗記はほんの一例ではありますが、意味もよく分からぬまま、算数の解き方などを丸暗記をさせてしまうことは、時に子どもの考える機会を奪うことになりかねないということは知っておいて頂けたらと思います。

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2020年9月15日 (火)

見えていなかったんだな

今日の年長さんとのレッスンでのこと。
2色の積み木をお手本に合わせて置く課題をしてもらったところ、目がうつろで、簡単なのではと思うのの、なぜか全く違うものを組み合わせ続けていました。
表情を見る限り眠そうだったので、立ち上がってもらってお水も飲んでもらったりしたのですが、なかなか目に力が宿りません。
そういえば、この子は積み木などの課題をするときに、あまり楽しそうではない気がするな、現時点ではちょっと苦手なのかもしれないなと思ったので、あれこれ声かけしたものの気づいてくれず、まだ全く違うことをし続けていました。

そんなにも難しいのか、それとも話を聞いていないのか、判断が付かず、6つのうち、どの3つを使うのかを選んだ上で再度促し、そこまですれば簡単だろうと思って見ていたのですが、それでもまだダメ。
大人である私から見ると、どの3つかまで決めてくれれば、それ以外に起きようがないよね??と思うほど簡単に思える問題だったので、これは嫌々やっているから気づかないのか、眠くて気付かないのか、そのどちらかなのだろうと思ってしまっていました。

結構時間を費やしたのに完成しなかったというのは嫌な記憶を残してしまうといけないと思い、ここまでしたらもうほとんど答えになってしまうんだけど…というところまで助け舟を出したところ、突然ハッとした表情でお手本を見つめ、それまで何度言っても気づいてくれなかったことに気づいたようで、ようやくきちんと置くことができました。

私が何より驚いたのは、そのハッとした表情でした。眠かったわけでも、やりたくなかったわけでもなく、本当に気づいていなかった、見えていなかったのだと、私が気づかされました。
子ども達にとっての簡単かどうかは大人の基準では測れないことはよくよく知っているつもりでしたが、まだまだ力不足だなと思い知らされた瞬間でもありました。

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2020年9月14日 (月)

計算パズル

子ども達にしてもらう算数系のパズルの大半は自作しているのですが、計算パズルは問題を解くより作る方が遥かに大変です。
問題を作る側になって初めて気づくことも多いのですが、ルールは簡単な計算パズルでも(わかりやすい例でいえば数独などでも)答えが必ず一つに決まるかどうか、理詰めで考えていって正解できるかどうかというところを意識するとなかなかに大変です。

答えが何通りもあっていいのであれば、適当に数字を並べればすぐに完成しますが、例えば数独でいえば、ある2列に2と3、3と2が並んでいる場所があり、片方に2、3と入れても、3、2と入れても成り立つというようなもののように、入る数字が1つに決まらないようなところができないようにとなると、問題を作った後実際に解いてみて、理詰めで正解に辿り着けるか、答えがひと通りしかないか確かめなければなりません。

更には、ヒントになるものを増やせば簡単に解けますし、ヒントになるところがなさ過ぎると楽しめませんので、その辺りの加減も問題のレベルが上がるにつれて難しくしていくようにしたいとなると、こんな問題を次々と作れる方は本当にすごいなぁと思います。

今日はレッスンはお休みだったので、問題を数問作りましたが、こんなに時間がかかっているとは子ども達はきっと思わないんだろうなぁ。

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2020年9月13日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年9月12日 (土)

秋の気配ですね。

あんなにも厳しい暑さが続いていたというのに、空を見ればもう秋の空になっていて、日中も少し過ごしやすくなりました。
新型コロナが少し落ち着いてきていることに、猛暑の影響があるのかどうかも気になるところです…。

今日のレッスンでは、算数の得意な低学年の子達が問題文をきちんと読んでいなかったりする場面に出くわしましたが、これに関してはこれまで見てきた算数が得意、算数が好きという子達によく見られる傾向のようにも感じています。

時には声に出して読んでいるにも関わらず、何か違うことを思い込んでいたり、適当に読み流して、雰囲気?で解釈していたりします。
それでも、学校の算数ぐらいだと大抵何とかなってしまうので、尚更設問を正確に読むことの必要性を実感しづらいのかもしれません。

ですが、問題が複雑になればなるほど、設問をきちんと読み取れなければ、全く頓珍漢な答えを出してしまう、もしくは全く解けないということも増えてくるように思いますので、問題が比較的簡単なうちから、設問を読むときには正しく読むことを意識させることが大切になってくるのだと思います。

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2020年9月11日 (金)

驚かされる

発達のスピードが一般的なお子さんより2年ほどゆっくりな状態のお子さんと少し前から一緒にレッスンをさせてもらうようになり、初めは4や5さえもぱっと見では判断できなかったその子が、あれよあれよという間に、4つのサイコロの目をぱっと見て「5と5と2と3」のように答えられるようになり、更には5と5で10、2と3で5だから合わせたら15」と、きちんと言葉で説明できるようにもなり、これまでがんばってきたものが繋がり始めているのかなと、目覚ましい変化に驚かされ続けています。

今回のレッスンでは、教具に蓋をしたままの状態でも、それが頭に浮かんで、見えていないけれど想像して答えてくれているのがはっきりと分かる瞬間があり、更に1歩大きく前進したのを感じました。

普通であれば、3までの数、5までの数、10までの数、20までの数と、それぞれそれなりに時間が必要なことが多いのですが、この子の場合はきっと、これまでにおうちの方やその子に関わる大人の方達が色々な働きかけをしてこられたものが頭の中にあるから、こんなに速いペースで意味を理解できているのかもと思っています。

無理をさせるつもりはもちろんないのですが、もしかするとそう遠くないうちに、少なくとも算数に関してはある程度学齢に追いつけるかもと思えるほどの変化とがんばりに、毎回驚かされています。
少しでも算数が楽しいと思ってもらえるよう、私も一層がんばっていきたいと思います。

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2020年9月10日 (木)

わかりやすい反応

年長さんの途中から来てくれたその子は、数に関してちょっと苦労している感じで、おうちの方も無理に先に進まなくていいと言ってくださっていたので、その子のペースに合わせつつ、宿題もできなかったものはそのまま持ってきてもらうということで、様子を見てきています。

その後、少しずつできることの範囲、考えられることの範囲が広がってきて、問題によっては、多少面倒でもがんばって取り組んでくれるようにもなってきました。
ゆっくりながらも前進を感じられ、このまま、少なくとも算数に対して拒否反応を持たずに進んでいってくれたらいいなと思っていますが、今日持ってきてくれた宿題を見ると、足し算パズルや、以前は多分とても嫌いだった点つなぎなどは、かなりがんばって取り組んでくれているのが伝わってきました。やってきたプリントとできなかったプリントを分けつつ見ていると、単位を交換するものや足し算の問題は少々面倒なものもがんばって取り組んでくれていたのですが、7L-4Lのような、数字としてはかなり簡単な数のひき算のプリントは1問も手つかずで残されていました。

レッスンをしていても、足し算は結構すんなり考えてくれるのですが、引き算になると明らかに抵抗感が現れます。
以前にも書いていますが、ほぼ全ての子達が引き算より足し算が好きで、引き算は苦手、嫌いという子が多いのですが、ここまではっきり態度に出ると見ていてなんだかおかしくなってしまいました。

もちろん、そうはいっても学校などで必要に迫られたら解かなくてはいけなくなるでしょうから、嫌いだけどやればできるというぐらいにはなっていてもらいたいですが、元々は数全般に抵抗があったことを思えば、足し算にはほぼ抵抗がなくなった感じなのはやはり進歩なのでしょうね。
このまま、少しずつでも進んでいってもらえるといいなと思います。

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2020年9月 9日 (水)

それか…。

今日のレッスンで、小さい頃から来てくれている高学年さんが、出していた宿題の全てが中途半端な状態でやってきました。
わからなかったものはもちろん仕方ないのですが、どう見てもサボったとしか思えない状態のものが多く、なぜそんな状態なのか、もしかしたら体調を崩していたとか、学校の宿題がいつもより多かったとか、何か理由があるのであればお説教するのも変ですし、まずは本人に尋ねてみました。

決めつけてはいけないと思っていましたので、できるだけ普通の口調で、どうしてこの状態なのか何か理由があるのなら教えてほしいと伝えたのですが、ずっと黙ったまま何も言ってくれません。学年が上がっていることと、その子は算数があまり得意ではないことで、出した宿題をいい加減にしかしてくれないと、先に進むこともできず、学校に追いつかれてしまうことも気になり、これまでにも何度かそういう話をしているのですが、何も理由を言えないということは、正当な理由がないということなのだろうなと。

ただ、いよいよ学校が同じところまで進んでしまって、このままではおうちの方にも申し訳ないですし、状況のお知らせとご相談をさせてもらったところ、恐らく…という原因が判明しました。

それはiPad…。
ご両親がお仕事をされていて、その子はひとりっ子さんで、更には休校期間は外でお友達と遊ぶなども難しかったことで、iPadを使う時間が増えていったようです。そして、おうちの方は時間制限をしておられたようですが、お仕事に出ておられる間など、厳重に管理していたわけではないそうで、気づいたら触っていることが結構ありましたと。

それを聞いて、ああ、間違いなくそれだろうなと思いました。
スマートフォンやタブレットは、大人でさえ気づけば長い時間触っていたということも少なくないのではないかと思います。(私は家にいるときはちょっとだけと思ってあっという間にかなりの時間が経っていることがよくあります…。)それを、まだ小学生が、自分で管理して時間制限をするなんてことは、ほぼ無理だろうと思うのです。(それができる子であれば、持たせても学業に影響しないのではとさえ思います。)

今の時代、全く使わせないというのはなかなか難しいでしょうし、今後ますます学校にさえもパソコンやタブレットが導入されていくようですので、避けては通れませんが、だからこそ尚更、きちんとした管理をする必要があるのではないかと思います。

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2020年9月 8日 (火)

理系の頭

私は理系崩れの文系と思っていますが、多分本当の理系の方の頭は、生まれつき「見える」頭なのだろうと思います。
そうでなければ、空間図形などの問題を頭の中だけでイメージし、考えることはできそうにないからですが、自分が理系ではないなと感じるもうひとつが、数学の用語や定義その他の説明の文章を読むと、拒否反応を起こしてしまうということです。

なんでそんなに小難しく説明するんだろう?もっとわかりやすく書いたらダメなんだろうか?としばしば思うのですが、そう感じることなくすんなり文字や式だけで言いたいことを理解し、説明できるのが、理系に必要な能力なのかなと。

今日も私立中の3年生の子と数Ⅰ・数Aをしていたのですが、確率でも集合でも関数でも、何でもかんでもPとかCとかfとかアルファベットで置いて、様々な記号、符号で表されるので、私はそれを一旦「日本語に翻訳」しなければ考えづらいのです。
そして、それは多くの女の子もそうであることが多く、記号や符号を私が「翻訳」して伝えると「な~んや、最初っからそう言ってくれたらいいのに!」というような反応が返ってくることも少なくありません。

もしかすると、このあたりも、物語などを読んで心情を読み取るのが得意な子と、そういうのは苦手だけど数学や物理などが得意な子などの脳の仕組みとかに関係しているのかもしれないなぁと思います。

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2020年9月 7日 (月)

先に覚えると…。

意味を考えずに先に覚えてしまうと、考える機会を失ってしまうということを、自分でも改めて感じることがあります。
特に、私にとって高校数学は、意味を考える余裕などないままに、とにかく習ったことを覚え、問題演習を繰り返し、かなりのスピードで進む授業に必死でついていっていましたので、大人になってから改めて数Ⅰや数Aの問題などを見て、ああ、これはこういうことだったのか!と理解することが多々あります。

そして、記憶力の衰えが著しい今日この頃なので、高校数学は必要になったときにその都度予習しては忘れてしまうのですが(中3の子で進度が速い場合ぐらいしか必要がないので、しばらくしないと、覚える必要があるものはやはり忘れてしまいます…。)、それでも、解き方だけはなんとなく覚えているようなものがあります。

今日予習していた二進法や五進法などの問題で、十進法の数を二進法に直すとどうなるかという問題は、どうすれば解けるかは覚えているので、答えを出すことはできました。ただ、どうしてそうすれば答えが出せるのかはもやっとした理解のままで、まだ完全に理解するところまでは詰めたことがありません。おおよそこういうことだろうなと思っていて、多分それで合っている気がするのですが、その「詰める」作業は多少集中力が必要なので、「さあ、やるぞ!」という気持ちになるか、必要に迫られなければ、面倒だなぁと思って後回しにしてしまうのです…。

これはきっと私に限ったことではなく、先に解き方を教えてもらったら、それ以上考えなくても問題は解けますので、よほど算数や数学が好きだとか、絶対にきちんと理解しないと気が済まないとか、説明できなければできたと見なされないので考えざるを得ないとか、そういう何かがなければ、考えずにやり過ごしてしまうのが普通なのだと思います。

ですが、例えば、私が高校時代、二進法を習ったときに、十進数を二進数に表す方法やその逆について、どうすれば計算できるか考えなさいというような問題を最初に与えられていたら、もしかすると何か違ったかもしれません。そうでなくても、解法を教えると共に、なぜその計算をすれば解けるのか説明しなさいという問題があれば、やはり何か違ったのではないかと思います。

ただ単に解法を覚えてしまうより先に、まず考えることは、一見非効率に見えるかもしれませんが、定着させるという面からも結局は効率がいいのではないかと思います。

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2020年9月 6日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。
台風の被害が最小限で済みますように…。

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2020年9月 5日 (土)

サイコロキャラメル

生まれつき「見える」頭を持っていないので、私も決して得意ではありませんが、子ども達とレッスンをしていると、サイコロの展開図に関する問題で、さすがにそれはないでしょう?と思うような答えを出す子達がいます。
そういう子達は恐らく、私と同様に生まれつきは「見えない」頭の子なのだと思いますので、小さいうちから積極的に「見せる」ことが大事なのだろうと思います。

そんな中、ふと思い出したのが、自分が子どもの頃にはサイコロキャラメルというのが売られていて、しばしば家にあったなということです。
転がして遊ぶこともできますし、紙箱なので開いてたたむこともできました。子どもの頃は4つか5つパックになっていたので、一度にいくつものサイコロで遊ぶこともできました。

身近に遊びとしてあるものは、勉強しているという意識ではなく、楽しく経験することができるのではないかと思います。
残念ながらサイコロキャラメルは製造終了(今も北海道でだけ売られているのかもしれませんが)してしまったので、おうちで子ども達が気軽に大きめのサイコロを転がして遊ぶ機会というのはそうそうないのだろうと思うと、それはちょっともったいないような、残念なような気もします。

自分自身は意識したことはありませんでしたが、今思えばサイコロキャラメルの箱で遊んだ経験も「見えない」私にとっては何らかの助けになっていたのかもしれません。

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2020年9月 4日 (金)

経験する場

今日のレッスンで、「~より…多い」という言葉の意味がまだ理解できていない低学年さんがいました。

年長さんや1年生の頃から一緒にレッスンさせてもらえる子とは、その理解ができているかどうか確認する場があるのですが、それより先の学習内容に進んでいる子達とは、直接確認させてもらう機会がないままに、それはもうわかっているだろうということで進んでいく場合もあり、後から、実はきちんと分かっていなかったのだと気づかされることもあります。

今日の子とは、新型コロナの休校時期にレッスンをお休みされていたこともあり、その間に学校のおさらいの内容でおうちで取り組んでもらった内容だったこともあり、私もはっきり気づいていないままでした。

問題では6個より7個多いというように、後者の数の方が大きかったこともあり、「7個」と答えてしまう状態だったので、「〇〇ちゃんは飴を2個持ってて、私はそれより1個多い飴を持ってるんだけど、私はいくつ持ってるか分かる?」と、私としては、数も最低限まで減らしましたし、後者の数の方が少ないので、そう尋ねれば「ああ!」という反応で「3個」と答えてくれるものだと思っていたのですが、首をかしげているのです。
ということは、目の前のその子はこれまでの日々の中で、誰かと何かを比べていくつ多いとか少ないとかいうことを、もしかしたらずっと意識せずに来たのだろうかという疑問を持ちました。

もちろん、物事を理解するペースや覚えていられる期間、その他色々個人差がありますので、これまでにもそういう機会があったものの、頭に残らずに来てしまったのかもしれませんが、普段の生活の中で、兄弟や親御さん、お友達などと何かを比べて、自分の方が多いとか、少ないとか、いくつ違うとかいうことを経験していれば、「算数の勉強」ということではなく、理解できていた可能性は少なくありません。

教室に来てくれる子達で、これまでも、賢いのに思いがけない言葉を知らないとかいう子にもしばしば出会いました。
たくさんの言葉を知っているほど、理解できる範囲も表現できる範囲も、そもそも自分の世界自体も広がるのだろうと思います。

テストでいい点を取るためとか、いい成績を収めるためとかいう狭い範囲のことではなく、人生を豊かにするためにも、色々な経験をし、色々な言葉を知ることはきっと大切なことなのだと思います。

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2020年9月 3日 (木)

感覚があるかどうか

レッスンで使っている教材の大半は自作のものになりましたが、問題を作る際、少しでも楽しく感じてもらえるようにとか、数に興味を持ってもらえるようにとかを意識して作ったり、何かに気づけばぱっと答えが出せるようなものを入れたりするようにしています。

今日のレッスンで体積、容積の学習をしていた子に、容積が2.4L、深さ20cmの容器に1.2Lの水を入れると深さは何㎝になるかという問題が出てきました。手順通りだと、1.2L を1200㎤に直し、底面積である120㎠で割ることで10cmという答えを出すわけですが、感覚がある子は1.2L を見て、2.4Lの半分だと気づき、だったら20cmの半分で10cmだとすぐに解けるようにしています。

その問題に対しては、そういう問題は初めてだったこともあったのか、すぐには気づかなかったようですが、「1.2L ってどのぐらいまで入りそう?」と尋ねると気づいたようで、「あ、半分だから10cmか!」と答えたかと思えば、それに気づいた途端、1.8L なら15cmとあっという間に解いてしまいました。

その子がいうには、1.8は1.2とあと0.6だから、10とその半分の5で15と考えたそうですが、そういう感覚がある子は一瞬で解ける問題も、解き方を覚えて当てはめようとする子であれば、これもまた底面積を求め、1.8Lを1800㎤に直し、1800÷120を、感覚がない子であればきっと割り算の筆算を書いてようやく15という答えに辿り着くのかもしれません。

学年が上がるほど、算数の力の差が開くというのは、きっとこういうことも理由なのだろうと思います。
長い目で見て(といっても、小学校の高学年からはっきりと差ができはじめるとすれば、さほど「長い目」ではない気もしますが)、小さいうちにしっかり実感させ、理解、納得させることがどれほど大事なのかを、多くの指導者、保護者の方に知ってもらいたいと感じます。

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2020年9月 2日 (水)

「当たり前」の思い込み

子ども達とレッスンをしていると、自分にとっての「当たり前」が当たり前ではないことがたくさんあることに日々気づかされているのですが、今日もまた思いがけない気付きをもらったことがありました。

私達にとっては、例えばmとcmとkmとmmの単位が混在していれば、km、m、cm、mmの順で書くというのは「当たり前」のことであるように、その他の単位でも大きな単位から順に書き並べるということは当たり前の約束事になっているのではないかと思います。

それは単位に限らず、数の位についても、100が3個、10が5個、1000が2個、1が8個というような順で書かれていても、その数は2358と大きな位から書くということが「当たり前」なので、その感覚があれば、単位についても大きな単位から書くものだというのは、自分が子どもの頃にも、誰かに念押しをされたわけではなく、なんとなくそうしていたような気がしないではありません。(忘れている可能性は否定できませんが、km、m、cmの順に書きなさいとか、その順でなければダメですとかいう指導をされた記憶がありません。)

今日のレッスンで、ある子がdL、mL、Lの順で答えを書き、嵩としては合っているものの、大きな入れ物から順に書くんだよと説明したのですが、長年この仕事をしていて、その説明をしたことがあったかどうか記憶になく、その子の間違いは私にとってかなり新鮮なものだったのです。
そして、同時に、そうか、これまで自分も含めてみんな、何となくそういうものだと理解していたのかもしれないなと気づかされました。

新しい気付きをもらうことで、そういうところに引っかかったり躓いたりする子がいるということを知れるので、それは本当にありがたいことです。そして、自分の「当たり前」は誰にとっても当たり前なのかどうか、これからも意識していきたいと思います。

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2020年9月 1日 (火)

9月になりました。

早いもので、新型コロナの流行で落ち着かない日々が始まってからもう半年ほど経ったのですね。
3か月もの長期の休校の後、感染の再拡大などもあり、いつまで経っても気が休まらない日々が続いていますが、流行は若干収まりつつあるように感じられる今日この頃。このままなんとか下火になって、その間にワクチンや治療薬の目途が立ってくれることを願うばかりです。

暑さもまだまだ厳しい上に、連日のようにゲリラ豪雨のような雨も降り、近々台風もやってきそうですが、大きな被害がなく過ごせることを祈らずにはいられません。

あっという間に今年度も下半期になりましたが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

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