「分からない」というけれど
教室に来てくれるようになって以降、かなりよくがんばっている中学生がいるのですが、教室では数学を一緒にしていて、来てくれた頃のことを思うと別人のように、よく考え、よくできるようになったものの、国語に関してはずっと文法に苦手意識があるようです。
以前にもそんなことを言って、学校の文法の問題集を持ってきたことがあったのですが、今日も久しぶりにそれを持ってきて、「連体詞とか連用形とか、なんか全然わからん」と言い出しました。
しかし、連体詞と連用形を同列に並べている時点で、本当に何もわかっていないようだということは十分わかりましたので、まずは品詞を全部挙げてみてと言ってみました。
因みにその子はもう中3なのですが、名詞、動詞、助動詞、形容詞…と、てんでバラバラに、その上全部は出てこず、それだけでなく、連用詞だとか連用動詞とか、存在しないものまで出てくる始末です。
そこで、数学でいう「定義」は誰かが決めたものだから覚えるしかないもの(例えば、平行四辺形はなぜ2組の対辺が平行なのかは「平行四辺形はそういうものだと決められているから」としか答えられず、証明できないというようなもの)であるのと同じように、品詞の種類と、どういうものをその品詞だと決めているのかは覚えなくてはどうしようもないものなのだと話をしました。
更に、そこからもう少し踏み込んで説明をしましたが、その子なりに随分腑に落ちたものがあったようで、ほんの10分足らずの説明で「なんかかなりすっきりした!」と嬉しそうでした。更には、分からないところを教えてもらうためには品詞の種類とどういうものがその品詞なのかの一覧は絶対覚える!と宣言もしてくれました。
これはひとつの例ですが、国語に限らず数学でもほかの科目でも、覚えるしかないものと覚えなくても考えればよいものとの区別をせず、なんでもかんでも覚えよう、覚えさせようとしている場合もあるのではないかという気がしています。
授業で先生が説明をし、覚えるように言えば、公式でも何でも覚えなくてはいけないもの、忘れたら解けなくなるものと思い込んでしまう子が少なからずいますが、そもそも、小中学校で習うような公式は丸暗記などしなくても導き出すことができるものです。(恐らく高等数学でも「公式」というものはそういうものなのだと思います。)
ただ、算数、数学でも、例えば図形の名称などは覚えなければなりませんし、計算記号や計算の順序なども決められたルールですから、それらも覚えなくてはなりません。
必ず覚えなくてはならないものを覚えていない状態で「分からない」というのは、まずは覚えなさいと言うしかありませんし、他方では、覚えなくても解くことができるようなものまで、意味を考えずに丸暗記するようなことも「学び」という意味ではほぼ何の意味もないでしょう。
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