ふりがなの是非
教室を始めて間もない頃、ある漢字教育に関する本を読んだことがあります。
それを読んで目からうろこだったのが、小さい子達には難しい感じより抽象的な漢字やひらがなの方が難しいと書かれていたことでした。
例えば、鳩といえば鳩を見たことがある子はイメージと結び付けられる一方、鳥というと特定のイメージとは結び付かなくなるので、小さい子どもにとっては鳥より鳩の方が覚えやすいというようなことが書かれていたように思います。
なるほどなぁと思いながら読みましたが、それと共に、漢字にふりがなをつけると、ふりがなしか見ていない子どもが少なからずいるので、新しい漢字を覚えさせるには、絵のそばにその漢字を書いて、絵と結びつけることで読ませるという学習法にも、なるほどと思いました。
もちろん、もともと漢字に興味がある子などは、ふりがなを見ながら漢字も見るのかもしれませんが、そういう子は大人が働きかけなくても、自ら学んでいく子もいるでしょうから、親や先生などが漢字を覚えてほしいと思う子の場合、ふりがなが書かれていればそちらを読んでやり過ごしてしまうということはあるかもなと、そのときには思いました。
その後、レッスンをしていても、読むのが嫌いな子などはやはりふりがながあればそれを読んでいるだけのようだと感じることが時々ありますが、今日のレッスンでも、算数はかなりできるものの、読むことがキライらしい子が、どうにかがんばって文章問題を読んでいたときのことでした。
同じ行の5文字前に「勉強」という感じにふりがながつけられていて、声に出して問題を読んでいたので、「べんきょう」と読むのを聞いていたのですが、「せんせー、これなんて読むの?」と聞いてきたその子の指が差していたのは、ふりがながつけられていない「勉強」でした。
同じ行の5文字前に全く同じ漢字が出ているだけにちょっと面食らってしまい「ここに出てきてるけど?」と言ってしまったのですが、読むことや漢字に興味がないと、やはりふりがなしか見ていないんだなと、久しぶりに痛感しました。
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