うちの教室に来てくれている子達の中には、受験を意識して、まだ低学年のうちからほかの塾にも通っているとか、何らかの教材で先取りの家庭学習を進めているとかいう子もいます。
そういう子のひとりとの今日のレッスンでの出来事。
私と一緒にするのは初めての、多角形の内角の和の問題で、課題に取り組むより前になぜか知っているような反応だなとは思ったのですが、実際に角度を測って確めながら、三角形の角の和は180度と答えた後、まだプリントを読んでもいない段階で「四角形は360度。俺知ってるねん。」と言いました。
何かで読んで知っているとか、兄弟がいて知っているというような子もいますので、「何で知ってるの?」と尋ねたところ、塾で習ったと。ああ、そうなのか…と思いつつも、習ったのならまあいいかと「なんで四角形は360度なの?」と尋ねたところ、「え?知らん。」と。
塾でどんな風に指導されたのかわかりませんし、もしかしたら塾ではきちんと説明されたのに、それは忘れて四角形は360度というのだけ覚えていたのかもしれません。
ただ、その子の「360度」と言ったときの口ぶりは、ちょっと自慢気で、俺そんなの知ってるもんというように聞こえました。もちろん、小さい子達は本来その年齢では知らないはずのことを知っているだけで、大人から褒めてもらえることが少なくないと思います。褒められるのは嬉しいことでしょうから、自然と友達とかはまだ知らないであろう何かを知っていると自慢気に話す子は珍しくありません。
ですが、これからの時代、ただの知識はほとんど役に立たなくなっていくはずです。もし四角形の内角の和が何度か覚えていなくても、「四角形の内角の和」と検索すればあっという間に答えは分かります。その他にも単なる暗記の知識は、暗記していることですごいと言ってもらえることはあったとしても、それが身を助けるかといえば、そういう場面はどんどん少なくなっていくだろうと思います。(もちろん、何か特殊な分野などで知識として覚えておく必要があることなどはあるでしょうけれど、あくまでも誰でも調べればすぐわかるようなことをどれだけ覚えても…という意味です。)
四角形の内角の和が360度だと言ったその子は五角形の内角の和も360度、六角形も360度と書きました。つまり、彼の記憶は全く生かされていないわけです。三角形の内角の和が180度というのは覚えておく必要がありますが、その他の多角形は全て三角形に分解できますから、180度がいくつ分かというだけの話です。四角形の内角の和が360度になるのは、四角形をできるだけ少ない線で三角形に分けるとすれば2つ分になるから。そのことをきちんと理解していれば、五角形でもそのほかの多角形にでも応用ができるわけですから、それが本来学ぶべきことです。
私も、小さい子などが難しいことを知っていたりするとついつい褒めてしまいますが、何を褒めるか、どういうことに対して褒めるかということはしっかり意識していかなくてはと思いました。
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