最高の褒め言葉
多分、教室を始めて数年、多分隣のビルから今の教室に引っ越した最初の年に来てくれて、年長から3年の冬に大手受験塾に移るまでの間来てくれていた、算数がとてもとても大好きだった子がいるのですが、よくできるということのほかに色々ユニークだったこともあり、ずっと印象に残っている子でした。
中学受験が終わった後におうちの方と一緒にご挨拶に来てくれて、それだけでもとても嬉しかったのですが、一昨日の晩突然その子本人から電話がかかってきました。何事か?と思ったら、大学の合格報告の電話でした。
そんな電話をもらえただけでも嬉しすぎて、その日の晩、Facebookで友人たちに報告してしまったのですが、わざわざ直接ご挨拶にまで来てくれるとのこと。感激しまくって舞い上がりそうでしたが、それが今日でした。
うちに来てくれていた頃は多分学年の中でも小さい方だったはずで、おまけにどれだけ通っていても教室に入ってくるときにはもじもじして、挨拶してもなかなか目も合わせてくれず、でも、レッスンをした後には元気に挨拶をして帰ってくれるような子だったのですが、電話で話しているとはきはきしていて言葉遣いもすっかりお兄さんになっていて、聞けば身長も173cmぐらいになっていると。
楽しみにしていると、約束の時間にお母様と一緒に来てくれたのですが、街中で会っても私は気づかないだろうなというぐらい、すっかり大きくなっていました。ですが、なかなか目を合わせてくれない感じはまだ名残りがあって、なんだか微笑ましい気持ちになりました。
でも、中学受験にも(中高一貫だったので高校受験はなかったようですが)大学受験にも一切かかわっていないのに、どうしてわざわざ来てくれたんだろうと思っていると、お母様に促されつつ、その子が言ってくれた言葉が「小さい頃に考えることの基礎みたいなのを作ってもらったので」というものでした。
もちろん、私が作ったわけではなく、算数大好きっ子だったその子の邪魔をしないよう、大好きなままでいてもらえるよう、ほんの少しお手伝いができたかどうかでしかないのですが、私にとっては「小さい頃に勉強を教えてもらったので」でもなく(まあ、「教えて」ないですし…)「先生のお蔭で算数が得意になったので」でもなく、「考えることの基礎」という表現をしてもらえたことが、この上なく嬉しく、ありがたいことでした。
確かに私は子ども達と算数や国語の学習をしていますが、点数が取れるようになるとか、成績が上がるとか、そこは私にとって目指すところではなく、あくまでも自分の頭で物事をしっかり考えられる人になってもらうこと、もしくは、考える人のままいてもらうことを目指しています。どんな学校に進もうと、どんな学校を卒業しようと、社会に出て大事になるのは自分でしっかり物事を考えられることなのではないかと思いますし、しっかり考えられる人は、仮に学校の勉強の成績が芳しくなくても、自分の道をしっかり歩んで行けるのではないかという気がするからです。
考えることが好きなまま、子どもの頃から目指していた道に進まれることになったという報告を聞けて、とてもとても幸せです。
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