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2020年1月31日 (金)

1月最終日

コロナウイルスによる肺炎の流行が日々取り上げられていますね。
早く収束してくれることを祈るばかりです。

1月は今日でおしまい。不思議と、11月12月あたりと比べるとゆっくり過ぎたような気もしますが、1年の12分の1はもう終わったということですね。そう思うとやはり早いなぁ。

今日のレッスンでは、ある1年生さんと3桁同士の繰り下がりがある引き算の暗算をお金を使いながら学習したのですが、初めは100円玉を両替するのに10円1枚とか10円2枚と交換してと言ったりしていたというのに、ニ、三度実際にお金を使い、両替のやり取りをしながら引き算をしてもらった後、プリントで問題を解いてもらったところ、初めの数問は表情もやや自信なげで、十の位や一の位で繰り下げ忘れたり、取るべき数をそのまま答えに書いてしまったりというミスをしたりしたのですが、その後すっと表情が穏やかになったかと思えば、正解連発。
繰り下がりが2回あるものも、すぐに理解して解いてしまいました。

何より感動するのは、本人の中に「ストンと落ちた」瞬間に、どの子も表情が穏やかになったり、引きしまったりと、明らかに変化するのです。
もちろん、あっという間に理解してしまうような子の場合、変化の瞬間を見られないこともありますが、難しそうにしていた子が理解した瞬間はほぼ例外なくいい表情に変わるのです。

その表情を見られることは本当に本当に幸せに思っています。

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2020年1月30日 (木)

楽しそうな顔

私と一緒にレッスンをする以前に、よその教室で分数のたし算やひき算は習ったことがあるという低学年さんと、先日から分数の学習をし始めました。
初めは折り紙や紙テープなどを使って色々な分数を折って、切り取ってもらったり、その後は図に色を塗ってもらったり、図を見ながら分数に表してもらったりということをした後、真分数・帯分数・仮分数の学習をすることになりました。

その中で、15/5のように、約分すると整数になるようなものを混ぜておいたのですが、ちょうど1になるものは比較的すぐ気付いたものの、2以上になるものは初めは気づいていない様子でした。

そこで、「色を塗ったところがちょうど2枚分とか3枚分とかになりそうなのない?」と尋ねてみたところ、少し頭に何か思い浮かべるような仕草をした後、ぱぁっと表情が明るくなって「あ!これ2枚分や!」「あ、これ5枚や!」などと何とも楽しそうに整数になるものを見つけていってくれました。

約分を知らなくても、大きさや量のイメージがあれば、こういうことも十分できるのだなと思うとともに、そうやって思い浮かべられるときはほとんどの子がニコニコ楽しそうにしてくれることをとても嬉しく思います。

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2020年1月29日 (水)

少し不安に思うこと

教室に来てくれている子達の中にはがんばっているのに算数で苦労している子もいます。
もちろん、算数では苦戦しているものの、他に得意なことがあったり、それぞれの子に素敵なところ、優れているところがあるので、あくまでも算数という教科について見たらという話ですが、教室では一所懸命考えてくれているのになともどかしい気持ちになるような子でも、学校の算数では困っていないとか、学校の算数ではいい点数を取っているとかいう話を伺うことが珍しくありません。

恐らくその最大の理由は、多くの小学校では「テスト」というのは大半が習った単元のまとめテストであるため、掛け算を習えば掛け算を使って解く問題しか出てこないというようなことが少なくないからではないかと思います。
出てきた数を使って習った計算をすれば大半は正解になるのであれば、問題の内容を理解しているかどうかは正解できるかどうかに関係ないわけです。

特に、真面目に先生の話を聞いてコツコツ取り組むような子であれば、習ったことをきちんと覚え、その通りにできれば、学校のテストではそれなりに点数が取れるはずです。
でも、そんなテストは小学校の間だけで、中学の数学になった途端、計算といっても、掛け算だけというように何か特定の計算だけすればいいというようなテストはありませんし(あるとすれば小テストのようなものぐらいでしょうか。)、定期テストはまだ範囲がありますが、実力テストなどになれば習ったこと全てが範囲になったりもしますので、全く手が出ないというようなことにもなりかねません。

教室に来てくれている子達やおうちの方には、必要であればそういう話もしますが、世の中にはそういう事実をご存知ない保護者の方も少なからずおられるのだろうなと。そして、それぞれのおうちの方が小学校のテストの点数だけを見て安心しておられるような場合、高学年や中学生になって、お子さんが突然全く算数、数学ができなくなったと慌てるようなことが起こり得るのではないかと不安に思っています。

私は元々中学校の教員志望でしたし、塾講師時代には小学校高学年や中学生をメインで受け持っていましたが、その頃から感じているのは、小学校と中学校のつながりがもっとあってもいいのではということです。
例えば、小学校では小数の計算を結構しっかりさせようとしますが、中学になれば小数で答えを出すことはほとんどありません。また、分数も小学校の間は帯分数に直すように指導されることが多いようですが、中学校では帯分数をほぼ使いません。
小数の計算が必要ないとは思いませんが、基本ができていれば、むしろ分数計算に重きを置くべきなのではと思いますし、帯分数に直せないのは困るかもしれませんが、必ず直させる必要があるのかどうかも疑問です。

小学校の先生が中学校やその先のことを意識して指導してくれれば、おのずと小学校のテストの内容も変わってくるのではとも思うのですが、きっとなかなか難しいことなのでしょう。
であれば、おうちの方がその辺りのことを知っておいて頂けたらなと(といっても、教室に来てくれている子達の話ではないので、ここに書いても仕方ないのかもしれませんが…)思います。

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2020年1月28日 (火)

さすが、変わるの速いなぁ。

11月の半ば頃から一緒にレッスンをしている年中さん。
よその教室から移ってこられたのですが、来てくれたときには既に算数嫌いの気配が漂っていました。
問題をするにも嫌そうな雰囲気が全身から出ている感じで、まだ小さいのに可哀想に…と思いました。

それでも、その子が自信を持って答えられるところからもう一度やり直したところ、比較的すぐに笑顔が見られるようになり、ひと月ほどでニコニコとレッスンに来てくれるようになりました。

11月の時点では3までは自信を持ってすぐ答えられるものの、4や5になると途端にあやしくなる状態だったのですが、ふた月ほど経った今日のレッスンでは、2つのサイコロを転がして、片方が5であれば、2つ合わせていくつになるかもすぐ答えられるようになり、それだけでなく、答えるときに「なに、そんな簡単な問題?」と言わんばかりの余裕の表情まで見せるようになりました。(笑)

「アレルギー反応」が出ても、その対処が早ければ、抜け出すのも比較的早いことが多いですし、何より、小さい子達の変化は本当に速いなと感じることがよくあります。
それだけに、小さいうちに「いやだな」「やりたくないな」と思わせてしまうことは本当に勿体ないことだとも思います。(もちろん、個々の好き嫌いなどはありますから、本来その子にとって難しくないはずのものでも嫌がる場合はあると思いますが。)

そもそも、その子が「アレルギー」を発症したのは、まだ4や5もはっきり見分けられないのに、カリキュラム重視で10までの数へと進んでいたからだろうと思います。
大人にとっては5も10も大して変わらないように思いがちですが、子どもの成長段階で、3までの数が把握できても4、5になるとあやしい段階があり、次に5までがきちんと把握できるようになっても、6,7と5を超えた数があやしい段階があって、それを経て10までの数の把握ができるようになる場合がほとんどのようです。

その子に関しては、おうちの方が早目に気づいて教室を変えてくださったので、算数嫌いにならなくて本当によかったなと思います。

 

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2020年1月27日 (月)

見つかりました!!!

先日来行方不明だった教具、無事見つかりました!!
なぜここに??という子のファイルに紛れ込んでいました…。

お騒がせいたしました。

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2020年1月26日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年1月25日 (土)

気づきをもらう

子ども達とレッスンをしていると、子どもの思いがけない反応に新たな気づきやヒントをもらうことがあります。
これもまた、こちらが説明し、教えるスタイルを取っていたら、なかなか得られないことだろうとも思います。

今日のレッスンで折り紙を使って分数の学習をしていた子が、そう難しくないはずのことなのに、えらく考え込んでいたり、おかしな答えを書いたりしていました。
来るときに車酔いしたと言ってぼーっとしていたので、その影響もあるのかな?と思ったりもしたのですが、おかしな答えを書いていた中のひとつを後から考えると、「元の折り紙」にとっては「8分の1」で、答えるのはそれなのですが、その子が「5分の1」と答えたのは、既に8分の3を切り取った残りの折り紙にとって「5分の1」だったのだなと気づきました。

問題には「元の折り紙の」と断ってあるので、5分の1は間違いですし、そのときは元の紙を5つに折っていないのに、どこから5分の…が出てくるの?と思ってしまい、気づけなかったのは申し訳なかったなと思います。

そして、その子がそんな間違いをしてくれたことで、よくある文章問題の、全体の6分の1を使い、次に残りの5分4のを使うと、残りが…というような問題や、その手の割合の問題なども、折り紙や紙テープなどで導入できるのではと気づかせてもらいました。
もちろん、これまでも図を描いてもらったりはしていましたが、実際にそんな文章問題を解くようになる前の段階で、そういう問題の基礎となるものを実感してもらうこともできるなと。

子どもの間違いや難しく感じるところは、多くの気づきをもらえる大事なものなのだろうと思います。

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2020年1月24日 (金)

教具が行方不明…。

前回のレッスンで使い、今日のレッスンでも必要かもしれないタイルが印刷された教具を昨日の晩に用意しようと、いつも置いてある場所を見たところなぜかそこにはなく、下に落ちたのかな?違う段に差し込んだかな?と思い当たるところはひと通り探し、先週金曜のレッスンだった子達のファイルの中も確認し、それでも見つからず、クリアファイルに入れていたので、もしかしたらプリントと一緒に持って帰ってしまってたりしないかしらと、その子と、一緒にレッスンしていた子それぞれのおうちにご連絡も差し上げたものの、見当たらないとのお返事が…。

今日も引き続き捜索したのですが、やはり見つからず、今日のレッスンでは使わなくても大丈夫だったので助かりましたが、一体どこに行ったのやら…。
思い当たるところがないのですが、何かの手違いで別のお子さんに渡してしまっているとか、何かに挟んでしまっているとか(さすがにあれを捨てることはないと思うので…)、思いがけないところから出てくるのかもしれません。

もしもおうちに見慣れない100のタイルが印刷されたものが十数枚入ったクリアフォルダがありましたら、レッスンのときにお持ち頂けましたら幸いです。

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2020年1月23日 (木)

楽しそうで嬉しい

レッスンでは、実際に何かを使って実感してもらうことがよくありますが、今日のレッスンではひとりは折り紙などを折って切り、色々な分数の学習をしました。
元々工作などが大好きな子なので、とても楽しそうに紙を折り、8分の1や16分の1だと、「どう折ったらいいかなぁ?」と考えながらも終始笑顔。そうやって楽しく学んだことは恐らく記憶にも残りやすく、仮に忘れたと思っても、あのとき色々折り紙折ったよね?などと言えば、思い出しやすくもなりますので、見ていて私も嬉しくなります。

また別のレッスンでは、平行と垂直を学習し、三角定規を2つ使って平行や垂直を描いてもらうところで、教材ではまずはノーヒントで考えてもらうところから始め、それが無理ならヒント1、それでも無理ならヒント2…とヒントをいくつか書いてあるので、ヒント部分は隠してプリントを渡しました。
しばらく考えていましたが、時間の都合上、ヒント1とヒント2を見てもらったところ、思いつきました。
そして、三角定規をスライドさせる動きに対して、「面白い!エレベーターみたい!」とニコニコして、何回でも喜んで描いてくれました。

もちろん、これに関しては、描き方を説明して描かせても、動きとしては「エレベーターみたい」になりますので、その子はどちらにしても楽しいと感じてくれたかもしれませんが、最初から教えられると、大抵の場合忘れるのも速いので、まず自分で試行錯誤した上で楽しいと感じてもらえたのはある意味「最強」の学び方だったかもしれません。

こんな風に、実際にものを使って手を動かし、楽しいと感じてもらえる機会を少しでも多く作れたらいいなと思います。

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2020年1月22日 (水)

意識したことなかったけど

私は多分生まれつきかなり強い乱視だったのですが、生まれたときからその目で何でもしてきたからか(途中で急に悪くなったとかではないので)針に糸を通すなどの細かい作業もさほど不自由を感じませんでした。

ですが、最近は歳を重ね、また、パソコンやスマホを見る時間が延び、明らかに視力が低下しているのを感じるようになり、初めて細かいものが見づらい感覚を意識するようになりました。

すると、定規のミリメートルの目盛りもかなり細かいことに改めて気づき、これは目の悪い子どもには結構辛いのかもしれないなと思うようになりました。

ただ、算数では目盛りを読む機会は他にも時計や秤、嵩など色々ありますので、テストなどでは使わせてもらえないのだろうと思いますが、教室に虫眼鏡を用意しておこうかなと思いました。

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2020年1月21日 (火)

ほっとしました。

少し事情がある子なので普段あまり強く言わないようにしている子と、中学生になって、通学に時間がかかる上、運動部にも入って、常に眠さと戦っている子に、たまたま先週、恐らくその子たちにとっては初めて、私にかなりきついことを言われたと感じたであろう状況になりました。

もちろん、そもそも怒って勉強をさせようという気はないので、今回もそういう意図できつく言ったわけではありませんでしたが、それぞれの子が帰るとき、普段と違って、怒っているのか、不機嫌なのか、落ち込んでいるのか、判断がつかない様子で帰っていったので、気になっていました。

私としてはお月謝を頂くからには、来てもらっても時間の無駄になるようなことはできません。ですから、やる気がない子にはやりたくなければやらなくていいと話しますし、子どもにとって言うべきことだと思えば、仮にそれで子どもが辞めると言い出そうとも言います。(もちろん、辞められるのは物心両面で辛いですが、それでも一番大事なのは子ども達ですので…。)

2人のうち、特に1人はやめると言い出すかもしれないなと思っていましたので、今週のレッスンに来てくれるかどうかも心配ではありました。
まずはいつも眠さと戦っているほうの子のレッスンがあり、その子はこのところほとんど見られなかったぐらい集中し、話も聞き、更には前回私がきつく言った後、習ったことを復習したとか、スマホ使ってると勉強できませんねとか、自分から「可愛らしく」話してくれて、ホッとしました。

その後辞めるというかもと思っていた子は、不機嫌でもなく、ご機嫌でもない感じで登場し、さて、どうなるかなと思いましたが、この子も普段より明らかに真剣に取り組み、どうやらおうちでもそれなりに勉強したようでした。

少しは何か感じてくれたのかな、そうであれば嬉しいなと思いつつ、何はともあれ、ほっとしました。

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2020年1月20日 (月)

嬉しいお知らせ

今から3年半ほど前、ある発達障害の診断がついている子が通ってくれることになり、色々なことを経て、お困りごとがあまり気にならないぐらいになって、その子とのレッスンはとても楽しいものになっていきました。
お困りごとが軽減されたことで、突然降ってわいた中学受験のお話。
難関校を目指すとかではなく、軽減されたとはいえお困りごとがあるので、手厚く見てもらえそうなところに行かせたいというお話で、それは納得がいったものの、そのお話を伺ったのが5年生の冬頃で、さすがにびっくり!!
当初はうちに通い続けて受験をしたいとのご希望だったものの、西宮から通ってくれていたことや、理科も必要ということなどから、6年の夏にお別れすることになりました。

とても印象深い子だった上、算数の能力は結構高いながらも、言語に弱さがあるため、問題文の意味が理解できなければ解くことができないというところもあって、それに加えて受験のために準備を始めたのが入試の1年ほど前でしたので、かなり心配していました。

ですが、土曜に試験を受け、その日のうちに合格発表があったとのことで、その日のうちにわざわざご挨拶に来てくれました。
お礼を言ってもらった上に、6年生の男の子に「またお会いできたら嬉しいです」と言ってもらって、感激しました。
春からの中学校生活がその子にとって充実したものになることを祈っています。

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2020年1月19日 (日)

オフ

き今日は更新お休みします。

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2020年1月18日 (土)

読んでみて頂きたいブログ

友人がシェアしてくれていた植松努さんのブログ記事。

教育の「評価」は、ナチスがやったことに近いと思う。 

植松さんのことを知ったのは、何年か前にたまたまtedでされた講演の動画を見たのがきっかけでした。

もしかすると時代が時代であれば、この方も小学生の頃に何らかの発達障害の診断がついていたのかもしれないなと思いながら講演の動画を見たり、神戸に来られた際には講演を聞きに行ったりもしました。

ものの考え方、価値観は人それぞれであることはよくわかっていますが、このブログで書かれている、ナチスドイツのしたことや、漫画のストーリーは、仮にそうやって「優れたもの」を選び、残していったとしても、「選んで」いるうちは、その残った「優れている」とされたものたちの中にまた「劣ったもの」が出てきて、極論すれば、最後のひとりになるまで「優劣」を付け続けることができるのではないかと。
さすがに一人になるまでは極端だとしても、選ぶ側、評価する側の基準で「優れている」と評価したものだけを残した集団、社会は、恐らく決して「優れた」集団、社会にはならないような気がします。

完璧な人間がいないように(そもそも、何をもって「完璧」とするかの基準も普遍的なものなど何もありませんし)、人はみんなそれぞれ違っているからこそ、素晴らしいのではないかと、このブログを読みながら改めて感じました。

 

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2020年1月17日 (金)

1.17 あれから25年

毎年1.17が近づくとテレビなどでも震災を振り返る番組などを目にしますが、今年は震災から25年と聞いて、もうそんなにも経ったのかと改めて驚きます。
私は元々中学校の教員志望でしたが、まず3年社会勉強をしようと一般企業に就職し、その後、学校というところでは自分の能力では納得のいく指導をしきれないのではないかと思うようになり(一度に30人、40人の子をきちんと見るのは不可能だと思い…)、さて、どうしたものかなと思いながら会社員を続けていました。
そんなときにあの震災に遭い、人生一度きりだしな、やりたいと思っていることをやってみてもいいんじゃないかなと思うようになり、子ども達と共に学ぶという道に進路を変えました。

あの震災がなければ、今の自分はいないのかもしれないなと思います。
そういう意味では私にとっては大切な意味を持つ、大きな経験だったと思っています。
だからといって、あんな悲しい出来事はもう起こってほしくないとも思います。

近年、世界のあちこちで異常気象による天災が起きており、日本でも昨年だけでも大きな台風が何度もひどい爪痕を残して行きました。
温暖化が進み、このままでは10年後に地球はもう手の施しようがない状態になるかもしれないという研究結果なども目にします。
一人ひとりにできることは限られているかもしれませんが、他人事だと思わず、今の子ども達のためにも、できることを少しずつでもしていかなくてはと思います。

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2020年1月16日 (木)

子どもって面白い

私は「コワイ先生」であることは否定しませんが、怒ったからではなく、問題が難しかったり、何らかの気持ちの葛藤があったりして、子ども達に泣かれることは少なくありません。
特に小さい男の子たちは、レッスンをしていて泣かれたことがない子の方が数えるぐらいなのではないかというぐらい、思いがけないタイミングで泣きだされることもしばしばです。

未だにその泣き出す理由を正確に説明してくれた子はおらず、おまけに、年齢が上がるといつの間にか泣くことはなくなり、自分が泣いていたことすら忘れてしまう子もいるので、いつまでも本当のところはわからずにいます。
ただ、自分にとって未知の、難しそうな問題を前にすると、不安に襲われるのかなとか、できないということが悲しいのかなと、そんな感じだろうなとは思います。(幼児さんとかであれば、眠くて泣いてしまう場合もありますが。)

泣き出した場合、声をかけると一層激しく泣かれることもありますし、かといって、泣かれるのが嫌でやり方を教えてしまうというようなことはしたくないので、無理そうであればその問題を保留にしたりします。

ただ、それとは別に子どもは面白いなと思うのが、一緒にレッスンをしている子が泣き出した場合、それに気づいても、不思議なぐらい「何で泣いてるん?」とか「泣かなくてもいいやん」とか、何かしら声をかけるような子はあまりおらず(その子がお友達や兄弟だったとしても)、かといって、気にしていないわけではなく、泣いていない子が妙に明るく振舞い出したり、いつも以上にレッスンをがんばったりすることがあるのです。

子どもながらに、泣いているときにはそっとしておく方がいいと気づいているのでしょうか。
そして、直接励ますでも慰めるでもなく、かといって迷惑がったりすることもなく、何らかの気遣いを見せるのが本当に可愛いなと思います。

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2020年1月15日 (水)

それでもいいのだろう。

教室の子達とレッスンをするとき、できる限りまだ習っていないことをここで初めて一緒にできるよう心掛けています。
もちろん、学校の授業の進度や個々の能力差、その他の事情によってはこちらでおさらいをすることもありますが、習ってしまったことをやるのは子どもも私も楽しくありませんし、「あ!」という気付きや発見をしてもらい辛いので、やはり可能な限り学校などより先にさせてもらえたらと思っています。

ですので、まず子どもに考えてみてもらうことで、自分になかった発想を目の当たりにすることもあれば、子どもなりに考えた方法なので、大人が見れば非常にまどろっこしい解法を見ることもあります。

今日のレッスンでは、平行四辺形や三角形、台形などの面積を学習していた4年生さんが、三角形の面積を出す際、何度も何度も一旦底辺と高さをかけた式を書いてから、その答えを2で割る式を書いていました。
計算も得意な子なので、もちろんそれできちんと答えは出ていましたし、問題ないのですが、ひとつの式(底辺×高さ÷2)で書いてしまうことで、先に2で割って計算が簡単になる場合があるということには気づいてもらいたいと思いました。

ですので、その子が気づいた解き方は正しいし、その解き方で問題ないと前置きをした上で、学校で習うときには一つの式に書くよう言われると思うということを伝え、例えば9×12÷2なら、108÷2をするより、12を先に2で割ってしまえば簡単になるというようなことを、その子が書いている式を指しながら気づいてもらうよう声掛けもしました。

それでも、黙って見ていると式を2つ書いたりもしていましたが、今の段階では無理にそれを直させなくてもいいのだろうと思います。もちろん、「一つの式に書けるんだったら書いてね」などと声掛けはしますが、その子が2つに式を分けているのは、きちんと図が頭に浮かんでいて、長方形や平行四辺形の面積を出してから半分にしているのだと思いますので、そのうち一つの式に移行していくのではないかなとも思います。

公式や解く方法を教えるわけではありませんし、それを覚えさせるわけでもありませんので、いずれ学校で教えられるまでは、子どもが気づいた解き方を支障がない限り尊重したいと思っています。

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2020年1月14日 (火)

覚えることと覚えなくてもいいこと

私自身は子どもの頃、今のように「教えられる前に考える」という学び方をする機会がほとんどなかったので、特に算数や数学などでは、先生の説明を聞き、覚えるように言われた公式は特に何も考えずに覚え、それに当てはめて答えを出すという作業をしていることがほとんどでした。
その頃には「これは覚えなくてもいいよ」というようなことを言ってくれる大人が身近にいませんでしたので、気づくことなく大人になってしまいましたが、問題の意味を考える、公式と言われているものの意味を考えるということをするようになってから、覚えるようにいわれた公式の大半は覚えなくても導き出せる、もしくは、公式と呼ぶほどのものでもない(特に算数では)ものだと気づきました。

覚えなくてもいいものは覚える余裕があるか、覚えるのが好きであれば覚えた方が時短にはなるでしょうから、子ども達にも「覚えなくても解けるけど、覚えられたら覚えてもいいよ」などということもあります。

ただ、用語その他、覚えなければ始まらないものもありますので、それに関しては「私は滅多に覚えてって言わないけど、これは覚えるしかないから」などと言っています。
普段私が「覚えなさい」ということが滅多にないことを実感している子達は素直に聞いてくれますが(覚えられるかどうかは人それぞれですが)、昔の私のように、習ったことを覚えて当てはめて解くことが癖になっている子の場合、何でも覚えようとするため、結局絶対覚えなくてはならないことと忘れても大丈夫なことの判断が付きにくいということがあるのかもしれません。

今日のレッスンで、体調不良で学校を休みがちな子が、先週も一緒に復習をしたはずの「比例・反比例」の問題を「これはわからないから先生と一緒にやった方がいいと思って」といって持ってきました。
先週もやったところですし、それ以前にももちろんやっているのですが、まだあっけらかんとそんなことを言うので、「比例ってどんな式で反比例はどんな式だった?」と尋ねるとどちらも答えられませんでした。(もちろん、これまでに何度も出てきているのですが。)そこで、「小学校でも習ったはずだけど、xと決まった数をどうしたらyになるのか説明して」と言っても答えられません。

それが出てこないのに、問題が解けないのは当たり前です。
本人ができなくていいと思っているのであれば、それもひとつの選択ですから、何が何でも覚えなければならないというつもりはありませんが、英単語を覚えていないのに書けないのは当然、知らない漢字を書けないのも当然で、比例・反比例がどういうものなのかは覚えなければできるはずがない。それは絶対に覚えなくてはどうしようもないことだと話して聞かせました。

仮に、y=axやy=a/xの式が思い出せなかったとしても、比例はxを2倍、3倍…とするとyも2倍、3倍…となる関係だということを知っていれば、x=2のときy=5という値を与えられれば、x=4ならy=10になりますし、x=1ならy=5/2になるということは考えられます。2のとき5で4のとき10、8のときには20になるというように考えられれば、y=5/2xという関係を導き出すことはできなくはないでしょう。
ただ、比例がどういうものなのかを知らなければ解きようがないわけです。

その辺りのことを、ただ覚えるのが当たり前の状態になってから来てくれた子達にしっかり伝えていかねばと、改めて思いました。

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2020年1月13日 (月)

オフ

今日も更新お休みします。

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2020年1月12日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2020年1月11日 (土)

長い1週間

年末にレッスンを振り替えて頂いたり、冬休みにイレギュラーのレッスンをお受けしたりした加減で、年明けのレッスンは日曜から土曜まで7日連続になりました。

今週はお正月ボケかしら?という子も少なくありませんでしたが、なんとか無事1週間が終わりました。

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2020年1月10日 (金)

「できると思うから」

子ども達とレッスンをしているとき、その子にとって簡単そうなものは当然ですが、まだ一緒にやったことがないものでも、これまで学んだことを元にすれば、その子ならできるのではないかなと思うようなものは、「(あなたなら)多分できると思うから、ちょっとやってみて」と言って差し出しつつ、「もしわからなかったら助けるから」と言葉を添えます。

もちろん、やったことのない問題に挑戦することが楽しくて仕方ない子などにはひとこと添えずに差し出して、表情を見ているだけということもありますし、そこはケースバイケースですが、やったことのないものを前にすると身構えるとか、不安を感じるとかいう子には、ちゃんと見ているし、困ったら手助けするからという安心感ごと差し出すことで、先生がそういうならちょっと、ちょっと考えてみようかなと思ってもらいやすくなるのではないかと思っています。

ただ、当然ですが、「できると思うから」と言って差し出した問題が難しすぎて、その子には手も足も出ないようなものであれば、私の「できると思う」の言葉を子どもは疑うようになるでしょうし、逆に、簡単すぎる問題であれば、そんなのできて当然なのに自分のことをわかってくれていないのかなと思われるかもしれません。

傍から見ていると、何でもかんでもとりあえず「できると思うから」と子どもに丸投げしているように見えるかもしれませんが、そこは私なりにひとりひとりの子を見て判断していますし、できるはずのものでもその日のコンディションなどによって予想以上に苦戦しそうな場合は、当然無理はさせません。

そもそも、初めてする問題ですから、子どもがひとりで解けなくても「まだ教わっていない」のですから、「教わったのにできない」というのとは全く違います。教わらなくてもできれば、自信につながりますし、できなければ、どうすれば解けるのだろうとモヤモヤした状態でヒントや説明を聞くことになりますから、初めから説明されるのとは吸収の度合いが変わってくるのではないかと思います。

今日のレッスンでも、ある1年生さんに、まだ一緒にはやっていない3桁同士の足し算を、初めは100+300のような簡単なものから、最後は一の位も十の位も繰り上がるものまで順に取り組んでもらうことになったのですが、最初の何百+何百のプリントは「多分これは簡単やと思うんやけどやってみて」と言って渡し、スラスラできたのを見た後で、「それがスラスラできるんだったら、多分これもできると思うからやってみて」と、ひとつひとつ段階を経て、繰り上がりが出てきても迷わず解けたら「すごいね!ばっちりやね!」などと声をかけつつ、最後の二度繰り上がるプリントに到達したときには「すごいね!これ今までの中で一番難しいかもしれないけど、そんなにできるんだったら多分できると思うから、ちょっとやってみて。もし無理だったら助けるから」と差し出したところ、すっと問題に向き合って、繰り上がりに気づいては消しゴムが登場するというのを繰り返しながらも、私の助けなど必要なく、きちんと正しい答えを出してくれました。
全て終わった後は「すごいねぇ!今日の中で一番難しいのもばっちりやね!」というと、満足そうな表情を見せました。

そんな風に、一人ひとりの子に自分の頭をしっかり使って、達成感、満足感を感じてもらいながら、本物の自信をつけて行ってもらえたらなと思います。

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2020年1月 9日 (木)

嬉しい経験

教室を始めてから、それまでにはほとんど経験することがなかった場面にたびたび出合うようになりました。
元々教員志望で教育学部出身。教育実習にも行きましたし、学生時代から家庭教師のバイトなどもし、教室を始める前は塾講師などもしていましたが、自分自身が「先生から教わる」ことが当たり前だったので、常に、いかにわかりやすく教えるかということを意識していました。

そうすると、結局は多くの学校や塾で行われている、先生が説明して子ども達が同じようにやってみるという形からは抜け出せず、せいぜい、「学校の先生よりわかりやすい」というような比較での評価しかしてもらえませんでした。

ですが、教室を始めてからは、プリントをする前に教具などで子ども自身に意味を理解してもらったり、問題を見て、これなら何も言わなくても考えられるのではないかと思うものは、いきなり考えてみてもらったりするようになったため、自分の予想を超える解法に出合ったり、教えなくってもこんな問題まで考えられるんだなと感心したりということがたびたび起こるようになったのです。

今日のレッスンでも、まだ小数のかけ算は学習していない子が、5×3.14のような式を書いた後、黙って見ていると、5×3と5×14をそれぞれ計算して、きちんと答えを出していました。整数の部分と小数点以下の部分を切り分け、小数点以下はいくつになるのかを考えたようですが、普通であれば、5×314の答えを100で割る(小数点の位置を後ろから2つ動かす)という形で答えを出しますので、今日の子が使った解き方は、私が教えてしまえば出てくることのない解き方です。

ですが、小数点を境に別々に計算をすれば、小数の意味がわかっている子であれば、例えば仮に8×3.14で14×8が112になった場合、きっとそれは1.12のことだと気づくような気がするのです。(もちろんそれは個々の能力差などもありますので一概には言えませんが。)

やり方を教えないことで子ども自身が工夫し、そのことで私もこれまでになかった気付きをもらえて、更には「すごいね!」と褒めることもできる。これらは、指導者側が教えてしまえば全て得られないものではないかと思うのです。
教室で子ども達と学べることは、本当に幸せなことだなと思っています。

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2020年1月 8日 (水)

私がいないとダメな子にはしたくない

うちの教室では、基本的に自分で考えてわかるということを重視していますので、私は本当にごく僅かなことしか説明しませんし、レッスンの大半は子どもが考えているかどうか表情を見て、考えられていないようなら必要な手助けをすることに費やします。
しかし、過去に何人か、どうしても自分で考えようとせず、やり方を教えてほしがる子がいて、その子達には何度も何度も自分で考えることの大切さを伝えたものの、私の力不足で伝え切れず、お別れすることになった子もいます。

教室をして暮らしている身としては、矛盾するかもしれませんが、私の理想とするところは、子ども達がそれぞれ自分の頭でしっかり物事を考え、私の助けなど必要なくなること、自ら学べるようになることでもありますので、私のことを好きになってくれなくても、きちんと考えられる子になってくれればそれでいいとも思っています。ですから、私から教えてもらわないとダメというような子にはしたくないとの思いは常にあります。

今通ってくれている子の中に、かなり躓いてしまってからここに来てくれた男の子がいるのですが、その子が私でなければダメというようなことを言ってくれるのは嬉しくないわけではないものの、結構心配もしています。
勉強は本来自分でするもので、それが一番力にもなるのではないかと思います。もちろん、自分だけでは理解できないところなどは誰かに助けを借りなければなりませんが、まずは自分で考えるところから始めてほしいと思っていますので、少しずつひとりで考えられる子になっていってもらえるよう働きかけていきたいと思います。

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2020年1月 7日 (火)

嬉しい言葉2

今日、ある保護者の方から頂いたメールに、なんとも嬉しいことが書かれていました。

5年生の秋頃、算数に強いコンプレックスを持った状態で来てくれた子がいました。確かに、問題に向き合うときも自信なさげで、全く楽しそうではなく、見ている方も辛くなるほどでした。

ただ、真面目な子なので、計算などはほぼきちんとできていましたし、指示も素直に聞いてくれたので、その子が考えられる範囲で精一杯考えてもらう、時間がかかっても待つということを続けていくうち、とりあえずコンプレックスは和らいでいきました。

そして、小学校の算数のテストは大抵ならったたんげんのまとめテストなので、落ち着いて問題に向き合えるようになったからなのか、6年になってからは常に高得点を取れるようになり、評価も上がったそうです。

その子がおうちの方に「先生は殆ど教えへんのになぁ」と言って不思議がっていたと教えてくださいました。

「教えない」は教室を始めたときから最も大事にしていることで、そうは言っても全く何も教えないわけではなく、加減やタイミングがなかなか難しいのですが、「教えられていないのにできるようになった」と感じてもらえたことは私にとってこの上ない褒め言葉でもあります。

まだまだ力不足ではありますが、今年もしっかりがんばっていきたいと思います。

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2020年1月 6日 (月)

嬉しい言葉

12月いっぱいでお別れの予定だった、既に進路が決まった中3さんに、年末最後のレッスンを変更してもらわねばならなくなり、始業式前の今日に振替となっていました。
少し寂しい気持ちになりつつも、無事最後のレッスンを終え、がんばってねとお別れした後、彼女がくれた手紙を読みました。

その手紙には、ここに来てしっかり考えられるようになった、だから考えることを大事にしている高校に進むことにしたということと、一人前になって会いにきてくれるとの言葉がありました。
お別れの寂しさはもちろんあるものの、嬉しくて思わず涙がこぼれそうになりました。

人の考え、価値観はそれぞれだと思いますので、自分の考えを強制するつもりは全くありませんが、私は個人的に、成績がいいことよりも、自分でしっかり考えられることの方が(もちろん、自分でしっかり考えられる子が結果的に成績もよいということは大いにあり得ますが)生きていく上では絶対に大切だと思っています。
ですから、「しっかり考えられるようになった」と感じてもらえること、そして、実際に本当に色々なことをしっかり考えているのが伝わってきたことは、私にとってこれ以上ないぐらい幸せなことです。

彼女のこれからの人生が素晴らしいものになることを心から祈っています。

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2020年1月 5日 (日)

ギフテッド

冬休みだけ何度かレッスンをさせてもらうことになった3年生さんは恐らく「ギフテッド」といわれる子なのだろうなと思いながら見ています。
うまく説明できませんが、数字を見るとその瞬間に何かが頭に浮かび、あっという間に答えに辿り着くような、すごいものを目の当たりにしているなと、驚かされっぱなしです。

これまでにも何人かそんな風に感じる子がいましたが、そういう子達は例外なく、算数を勉強ととらえていなくて、ゲームか何かで遊んでいるような、とにかく「楽しいからもっとやりたい」という気持ちに突き動かされている印象があります。
過去にいた何人かのうちの一人は、親が教えていないのに、自分でキッズ用の算数問題にインターネットで取り組み始め、学年より遥か先までどんどん進んでいたとか、小さい頃好きだった「おもちゃ」が電卓だったとか、そういう話も聞きましたし、別の子は、国語などほかの教科は間違ってもわからなくても全く気にしない様子なのに、算数だけは解けない問題があると泣き出すこともあったり、とにかく絶対解かないと気持ちがおさまらないというような子もいました。

誰かに強制されているわけではありませんから、どんどん吸収していくような印象で、元々高い能力が備わっている上に磨きをかけていくので、一体将来はどんな大人になるのかなぁと楽しみに思っていました。

今回一緒にレッスンさせてもらった3年生さんは、入試問題が集められた算数の問題集を見て目を輝かせ、お母様に「これ買って!」とお願いしていましたが、まるでマンガの本や興味があるものの図鑑でも欲しがるような感じで、その子にとっては算数はそんなにも楽しくて魅力的なものなのだなぁと感心しました。

過去、抜群に算数ができたお子さんはみんな中学受験をされましたが、能力的に突き抜けている子達は受験をして、難関校と言われるような学校に進学した方が中学校生活がきっと楽しいだろうなとも思います。

それにしても、私には全く想像のつかない世界なので、そういう子に出会うたび、羨ましいなぁ、ちょっとの時間でいいから、その脳の動きを体感してみたいなぁと思います。

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2020年1月 4日 (土)

連休最終日

レッスンのお休みは今日まで。
今日は明日からの準備などのため少しだけ出勤しましたが、実際に子どもと接していないので、明日からきちんと頭が回るかどうかは些か不安です。
年末年始は多くの子達にとって楽しいことがたくさんのお休みだと思いますので、明日以降またみんなの元気な姿を見られることを楽しみにしています。

全くの余談ですが、昨日たまたま見ていたバラエティー番組で、50日間、普段は身なりに構っている余裕のないような生活をしているシングルマザーは有名ファッション誌の編集部でお仕事、自分に自信がないという長野県に住む女性にはエルメスのバーキンを常に使う、高校時代に鼻毛が出ていると指摘されて以来、マスクを外せなくなったという女性はイタリア人からイタリア語を学びながら、常に褒め続けられるというようなことを続けると、見た目などに変化が現れるのかということをしていたのですが、全員が変化したものの、一番響いたのが、マスクが外せなかった女性がずっと褒められ続けていることでだんだんと表情が変わり、笑顔が増え、メガネを変えたり、髪型を変えたり、少しずつ変わっていき、マスクも外すことができ、最後には、え?こんなに可愛い女の子だったっけ?というほどになっていました。
メイクなども変わったのですが、それ以上に表情や内から湧いてくる何かが変わったと感じました。
コンプレックスがあっても、ずっとずっと褒められ続けていると、少しずつ自信が持てるようになり、その結果、こんなにも変化するのか!と驚くとともに、うぬぼれという意味ではなく、自分に自信を持てる、自分のことが好きだと思えるということが、人にとってどれだけ大きな影響を与えるのかということを改めてしみじみ考えさせられました。

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2020年1月 3日 (金)

三が日

今年は新年のご挨拶は控えておりますが、その分、家族でゆっくりのんびりと過ごしました。
お休みも明日までとなりましたが、のんびりし過ぎて頭が働くかどうか心配です…。
明日は少し出勤して、ウオーミングアップしておかなくては。

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2020年1月 2日 (木)

頭の体操

新年2日目ですが、実家に行ったり、幼馴染達と少し出かけたり、のんびりしています。

Facebookでとっても賢い同級生がシェアしていた頭の体操系の問題をやってみたところ、今年の運を使い果たしたような結果になったのですが(苦笑)京大卒のその子より好結果で、ただ、説明も何もなく決まりを見つけるだけなので、こんな感じの問題は算数大好きっ子達もかなりできるのでは?と思いましたので、リンクをシェアしておきます。

https://www.arealme.com/iq-2020/ja/

診断のボタンがちょっと紛らわしくて、広告のボタンではなく、それより下の青い「測定スタート」をクリックしたら6択の問題が18問出てきます。

あくまでもお遊びで、これでIQが測れるとは思っていませんが、これによると私はIQ150(2回目には168!!)でした。(ご存知の通り、そんなわけぜーーーったいないので、自慢でもなんでもなく、算数パズル系で楽しかったというお話です。)

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2020年1月 1日 (水)

2020年

新しい年が始まりました。
皆様本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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