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2019年6月30日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2019年6月29日 (土)

はや半年

今日で6月のレッスンはおしまい。
気づけばもう1年の半分が終わります。

例年は年明けに受験塾に転塾するということでお別れになる3年生さんや4年生さんがいたり、3月には6年生さんが卒業と共に教室からも巣立って行ったりということが少なくないのですが、そういえば今年度は珍しく、6年生とのお別れがなく(市外の子ひとりとは一旦お別れしたものの1学期のうちに戻ってきてくれましたし)、新年度はお困りごとのあるお子さん達と新たにご縁を頂いたり、中学受験塾に通わずに受験をする予定のお子さんがいたりと、バタバタのうちにあっという間に過ぎたような気がします。

そうはいっても、家では時間を全く有効に使えておらず、反省の日々ですので、1年の折り返しになる7月からはまた新たな気持ちでがんばれたらなと思います。

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2019年6月28日 (金)

悩ましい…。

5月から一緒にレッスンをさせてもらうようになった低学年さん。教室や私に慣れないうちはそういう子は少なからずいるのですが、問題を解くたび私の方を見てきて、合っているかどうか、マルがもらえるかどうか動きを止めます。
性格的なものもありますが、その状態が癖づいている子を見ると、どうしてもなんだか悲しい気持ちになってしまいます。

テストなどの場合、誰かの反応を見て答えを決めるということはできませんし、勉強に限らず、自ら考え、集中しているときは、周囲のことは気にならないことも多いのではないかと思います。
問題を解くごとに大人の反応を見る子は、大抵の場合、じっくり考えて自分で納得した答えを書いたという状態ではないように思います。自信がないけど、これが答えかなぁ、とりあえず書いてみようというような状態のことも多く、その証拠に、そういう子の多くが、私が表情を変えずにいると書いた答えを消し、違う答えを書いてまた私の方を見てくるのです。それでも表情を変えないと、更に違う答えに書き換える子も珍しくありません。最初の答えが合っていてもです。

私はこの教室で「人の表情が読める子」を育てたいわけではありません。もちろん、時と場合によっては人の表情が読めるというのは大切な能力にもなると思いますが、少なくとも学習の場においてはあまり役に立つとは思いません。
人の表情や反応を見なくても、自信を持って自分の答えを書ける、そのためにはしっかり自分で考えられる、そういう子になってほしいと思っています。

今日のレッスンでも、点つなぎをしては途中で何度も何度もこちらを伺ってきて、それに対してどこが抜けているとか教えては意味がありませんので、自分でできたと思ったら言ってねと言ってじっと待っていると、いつまでも「できた」の言葉は聞けず。想定の3倍ぐらいの時間をかけての点つなぎになりました。
続けての学習でも、ひとつ答えを書いてはマルされるまで止まり、またひとつ書いてはマルを求めるという状態で、1つずつマル付けはしないので、止まらずどんどんやっていってねと、今週も伝えました。

不安で仕方ない子達はそういうことを言われると、悲しい顔をします。
でも、低学年のうちに来てくれた子でそこを乗り越えてくれなかった子は記憶にないので、その悲しい顔にも心を鬼にしつつ、早く越えてくれますようにと願いながらレッスンをしています。

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2019年6月27日 (木)

低気圧のせい?

記録的な遅い梅雨入りとのことですが、いきなり今日はかなりの雨。
このところ結構暑い日が続いていたところに、一気にじめじめで低気圧などの影響もあるのか、今日は頭が回っていない感じの子が続出。
これまで眠ったことのない1年生さんまで目の前で眠りに落ちてしまいかけたほどでした。

眠いと当然思うように頭も働きませんし、明日期末試験で数学があるということで日にちを振り替えた中3さんは、これまでやったことの大半が思い出せない恐ろしい状態になっていたりもしました。まあ、ひと通りおさらいをして、ある程度大丈夫ではないかという状態にはなりましたが、明日の試験がやや不安です。

明日は多少お天気が回復するようですが、その後数日間は連日の雨予報。
不調の子が多発しそうで少し不安です。

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2019年6月26日 (水)

気になること

自分の子どもの頃のことを思い返すと、今の子たちを見ていて、自分と同じだなと思うところや全く違うなと思うところなど、ひとりひとり色々ですが、国語を取っている子達の中に少なからず、なぜそれでOKにしてしまうんだろう?と少し不思議に思う子がいます。

自分にとってはその状態では話にならないと思っていることでも、言われなければそれに気づかないということもあるのだと思いますので、子ども自身が言っていることを自分のこととして受け止めてくれるまでは何度でも言おうとは思いますが、その気になることのひとつが「言葉の意味」に対する向き合い方です。

もちろん、最大の問題は国語が好きかどうか、興味が持てるかどうかにあるのはわかりますので、嫌々やる宿題などで手を抜くのはわからないでもないのですが、例えば、教室で私が見ている場でも平気な子は平気なので驚くことなのですが、例えば空欄に当てはまる言葉を選びなさいというような問題の選択肢の中に、自分が意味を知らない言葉が混じっていても、意味を調べることなく(尋ねてくることもなく)答えを書く子がいます。

また、ある言葉の意味を調べるようにとなっていて、辞書を使って目の前で調べてもらっているようなときでも、きっとその単語は意味を知らないのではないかなと思うような単語をそのまま書き写し、知らない単語、知らない言葉について更に調べるでもなく、私に尋ねるでもないという子も結構います。それが宿題であれば更にその割合は高まる印象です。

国語の選択肢の中に意味がわからない言葉があれば、正しい答えを選べる可能性が下がります。もちろん、知っている言葉の中に絶対の自信がある答えがあれば大丈夫かもしれませんが、選択問題の場合、大抵は紛らわしいものを混ぜてありますので、分からない言葉があるまま問題を解くというのは正しい取り組み方ではありません。

知らない言葉を調べるようにという意味調べなのに、その意味の中に知らない言葉があれば、結局は意味がきちんと分からないままの状態であるのに、それでも平気だというのはやはり問題です。

ただ、教室で一緒に学べる時間はごく限られていますので、やはりおうちで、子どもが知らないのではないかなと思うような言葉に出合ったときに意味を尋ねてみたり、答えられなければ一緒に調べたり、調べるように言ったりということを日頃から習慣づけて頂けたらなと思います。

そういう場面に出くわすたび、そんな仕方で自分の力になる?と尋ねます。知らない言葉があるのに調べもせず、私に尋ねもせず、どうして考えることができるの?などとも言います。
知らないことが問題なのではなく、知らないままで平気でいること、わからないまま適当に答えを書くことが問題なのだということを、たとえ相手が小学生でも何度でも伝えます。

 

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2019年6月25日 (火)

推測不能

小さい子達とレッスンをしていると、多くの子が苦労するところのひとつに、10を10より多い数集めるといくつになるかというものがあります。

10の棒を使いながら、1本なら10、3本なら30、9本なら90という具合に、10本なら100というところまではほぼみんなすんなりいくのですが、10が23本とか10が50本とかになると、数の感覚に優れた子などは別として、23本なのにそのまま「23」と答えたり、20本のところは20、3本は30で合わせて「50」と答えてしまったりというようなことが起こりがちです。

そこがすんなりいかない子には、理解できるように実際に棒を数えてもらって確かめたりしながら進めるのですが、今日、そのあたりを初めて一緒に学習した1年生さんに推測不能な現象が起きました。
なかなか不思議なことはいくつか続いたのですが、最も推測不能だったのが、10の棒を35本数えてねと伝えて数えてもらっていたときのこと。
その前にも苦労していたので、私が1本ずつ出しながら数えてもらい、10本数えたらひとまとめにするようにして数えたので、35本を数えてもらったときには、私が何も言わなくても、自分で10本ずつ固めて置いているのを見て、何も言わなかったのにえらいなぁと思っていました。

そして、10のまとまりが3つ出来、あと5本というところになったので、手元を見ていると、5本を過ぎてもまだ数え続けているので、え?と思い「何本数えてるの?」というと、無言のまま、また1から数え直し始めました。しかし、再び10のまとまりが3つできた後、5本で止まらずに進んでいきます。

そのやり取りを3度繰り返し、「35本よ?」と念押しをし、それでもダメで、まとまりを1つ指さして、「これは何本なの?」と尋ねると「10本」と。続けて3つ分確認し、それで30本だとも答えられたので、「そうよね。で、35本になるように数えてね」と言ってほかの子を見ていると、数え終わったのか、答えを書き始めました。

しかし、そこに書かれた答えは「370」。数えてみると、確かに37本ありました……。

その後何度かやり取りをして、7本から2本取って5本にしてもらい、答えには辿り着いたものの、何をどう勘違いしたのか今回は全くの推測不能で、なかなかにモヤモヤしました。(苦笑)

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2019年6月24日 (月)

またひとつ。

今日はレッスンはお休みでした。
そして、今日でまたひとつ歳をとりました。
年々歳をとるのがイヤだなぁと思うようになりますが、そのくせ、気持ちではいつまでも若いような気でいて、相変わらずの未熟者で…。

開業届を出したのが7月1日付けでしたので、今月末でまる16年。16年といえば、小学校入学から大学卒業までの期間と同じだなぁと、少し感慨深いものもあります。

明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2019年6月23日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2019年6月22日 (土)

切実に思う

私は残念ながら図形の問題などで脳内でイメージを動かさねばならないようなものは、経験したことがないものについては考えられないときがあります。
この能力に関しては、子ども達を見ていても、持って生まれた能力に左右される面が大きい印象を受けるのですが、その能力に恵まれなかった場合、経験は本当に大事です。

この歳になっても、中学入試などの問題で実際に何かを使って確かめてみないと、どういう状態なのかイメージできないものがあり、予習などをしておかなければ、恐らく子どもがわからないというときに対応できないだろうと思うこともあります。
これはかなり切実な問題でもありますが、イメージできないものでも、実際に何かを使って確かめることで「ああ、こうなるのか」などと納得できれば、以降はそれに類する問題はある程度イメージして考えられるようにもなります。

私の場合、元々その能力は持って生まれていないのだと思うのですが、幼い頃にそれを補う働きかけをしてもらわなかったので(父親の趣味や、兄がいたことなどで、レゴで遊んだり、プラモデルを作ったり、折り紙をしたりしていたので、多少はマシなのだと思いますが)中学生のときに立方体の切断の問題がイメージできず、解けないと困るので、消しゴムや発泡スチロールなどを実際に切って確かめた記憶があります。

今のような仕事をするようになってからも、イメージできない問題に出合うたび、物を使って確かめることを繰り返してきた結果、昔よりイメージできる範囲が広がったように思いますので、そういうことを小さいうちから意識的にしていればもう少しすんなり解ける問題が増えていたのではないかとも思います。

図形の問題がイメージできない子にとっては問題をたくさん解いたところで、解いたことがある問題でなければお手上げになることも考えられますので、小さいうちから計算練習などをさせるより、図形の学習につながりそうな経験を積極的に色々させてあげる方が後々その子の助けになるのではないかなと思います。

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2019年6月21日 (金)

教えないからこそ

子ども達とレッスンをしていると、時々驚かされたり、感心させられたりすることがあります。
というのも、多くの場合、「まず考えてみてね」ということで問題を提示するので、これまで自分にはなかった発想をする子がいて、その発想に驚いたり、感心したりするのです。

今日のレッスンでは、立方体の展開図に4か所だけ頂点が書き込まれていて、後の頂点がどこにあたるのかを考える問題をしてもらった子がいました。展開図の問題は苦手な子もいますが、得意な子は特に説明しなくても解いてしまうこともあるので、まずは問題の説明だけをして考えてもらうことにしました。
様子を見ていると、おもむろに見取図のある面に鉛筆で斜線をし、それにあたる展開図の面にも同じように斜線を、別の面に今度は縦線をかいたかと思えば、それにあたる展開図の面にも縦線をし始め、次にごそごそしだしたので、これはきっと…と思い、色鉛筆のセットを渡したところ、やはりどの面がどの面にあたるのか全ての面を色分けしました。

ある意味、それができるのであれば、位置関係を理解しているということですから、本当ならそれをしなくても解ける能力があるような気もしますが、声掛けしても反応が悪かったので、自分で思いついた方法で最後まで解いてもらいました。

その解き方がいいかどうかは別として、これまで私にはなかった発想でしたし、展開図が苦手な子でも、面の位置関係(どこか底面を決めたら、その面に対して上左右前後)は大抵ある程度までできる子が多いので、面を色分けすることで問題のハードルを下げられるかもしれないなと感じました。

自分が既に当たり前に解いてしまっているものに関してはなかなか新しい発想というものは出てきませんが、教えないことで子どもが私の引き出しを増やしてくれるのは、ありがたいことだなと思います。

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2019年6月20日 (木)

なんだか不思議な感覚

小学校に上がる少し前から来てくれていて、中学生になって一旦数ヶ月ブランクができたものの、また戻ってきてくれた子がいます。
真面目に問題に取り組んでくれるのですが、ただの計算などでケアレスミスをすることが少なくなく、テストなどでもそういうところで点数を落としてしまうことがあるのではと気になっています。ただ、恐らく単純な計算問題というのの割合が少ないのか、テストのときは集中できているのか、これまでテストはまずまずの結果が出ているようなので、とりあえずはホッとしています。

今回の定期テストも結構いい結果だったようで、よかったねと言いながらレッスンをしていると、また結構な確率で符号をつけ忘れたり、簡単な足し算を間違えたりといった計算ミスが続発。
また不安になりかけていたところ、これまで一緒にしたことはなく、学校でもまだ習っていない、その子にとって恐らく初見の少し応用の必要な問題が出てきました。

ベテランなので「とりあえず考えてみてくれる?わからんかったら助けるわ」とだけ言ったところ、1問目、全く普通にクリアし、それより更に複雑になった2問目も何の助けも必要とせずにクリア。更にいえば、その問題を解くにも単純計算が必要なところが何か所もあったのですが、一度もミスせず正解。

それを見て、不思議な感覚に襲われながら、もしかするとこの子は、しっかり考える必要があるものだと「ケアレスミス」が出ないのかな?と思ったりしました。
応用問題に強い、考えることが苦にならないというのは、とても素晴らしいことですので、その点は見ていてとても安心しました。

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2019年6月19日 (水)

好奇心

教室ではレッスンの終わりにほしい子は飴を2個選べることになっているのですが、これまで何人かの子に「今日だけ3個あかん?」とか「選べへんから3個ほしい」とか言われても、一度例外をOKすると、もっとほしいと思っている子はほかにもいるでしょうし、一度例外を認めると、あのときは3個でもいいって言ったんだから今日も…という気持ちが出てきても不思議ではないので、基本的にいつでも2個までというのは譲らないようにしています。

しかし、なぜか今日のあるレッスンの終わりに、これまで3個ほしいと言ってきたことは記憶にない子が「今度1個でいいから、今日3個あかん?」と聞いてきました。見ると、1年ぶりぐらいに入れたかもしれないソーダ系の飴3種類(味違い)を机に出して迷っているようでした。
そこで、「それ、多分来週もあると思うよ?もしなかったらまた買ってくるし。」と言ったのですが、なぜかすんなり納得しません。

どうしたのかな?珍しいなと思っていると、少しためらいがちに「これ、いっぺんに3つ食べてみたいねん。」と。(笑)
味違いといっても全てサイダーの飴で「しゅわしゅわ」とか「ひやしゅわ」とかそんなネーミングの違いだったので、3つ一緒に食べてもただのサイダー味になりそうな気はしましたが、普段そんなことを頼まない聞き分けのいい子が「やってみたい」と思い、きちんと来週は1個でいいと言っているわけで、これは仮にがっかりする結果だったとしても試させてあげるべきだろうと思い、「じゃあ、来週1個って紙に書いとくよ?」というと「うん、いいで!」と言ったので、その子の希望に沿いました。

それにしても、3つ一度に食べてみたいと思ったその子は、一体どんなことが起きることを期待していたのだろうと、それが気になるところですが、子どもの好奇心はなんだか素敵ですね。

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2019年6月18日 (火)

あともう一歩

学年が上がった子達とレッスンをしているときにしばしば感じることなのですが、そして、それは恐らく昔の自分自身の姿でもあるのですが、覚えるようにいわれた公式のここの符号はプラスだったかマイナスだったかなど、習ったことがどうだったかとその子なりに「考えて」いるのですが、実はそれは「考えている」とは言えないということに気づかせてもらう機会がなかったということです。

今日のレッスンでもある子に話したのですが、私自身、中学、高校の頃は、先生が説明したものや教科書や参考書に書かれている公式などをただ覚えて、それを使って問題を解いていたということが多々ありました。
そうしたかったというよりは、学校以外に勉強を習ったことがなかったもので、勉強というのは先生が説明したことを覚えて問題を解くことなのだと思っていたというか、それすら考える機会がなかったというか、とにかく、先に説明されてしまうので自分でまず考えてみるというチャンスにはあまり恵まれませんでした。

今でも覚えているのが、数学の累乗の問題で、例えばx(エックス)の2乗を3乗した場合、xの2×3で6乗になるのか、2×2×2で8乗になるのか、記憶にある限りでは高校になっても迷っていた気がします。迷っては参考書などで確認し、ある段階で「覚えた」のですが、意味を考えずに覚えたものはしばらくするとまたあやしくなり、そんなことを繰り返していました。

しかし、xの2乗は「×」の符号を使って表せば「x×x」ですから、その3乗は、(x×x)×(x×x)×(x×x)という意味で、どこにもxは8個ありませんので、迷わずxの6乗だとわかります。
最初の段階でほんの少し立ち止まって意味を考えていたら、恐らくその後何度も不安になり、教科書や参考書を見るという作業は必要なかっただろうと思うのです。
でも、それができなかったのは、教科書や参考書に四角囲みなどされて、指数のところには色が使われていたりもして、この場合は指数の掛け算になるということが表されていたりするだけだったため、そうするもんなんだなとしか思えなかったような気がします。

もちろん、興味がある子であれば、仮にそう書かれていても更につっこんでなんでだろう?と考えるのだろうと思いますし、だからますます楽しくなったり、得意になったりするのだろうと思うのですが、元々そんなに興味がない子であれば、大半は昔の私と同じような状態になるのだと思います。

何かをただ覚えるのではなく、覚える際に「なんでかな?」「どうしてこれで解けるのかな?」などとあともう一歩つっこんで考える習慣を身に着けることで、同じ時間をかけた学習でも、身につく度合いが確実に変わってくるのではないかと思います。

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2019年6月17日 (月)

オフ

今日は更新お休みします。

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2019年6月16日 (日)

体験レッスン

今日は日曜でしたが、少し遠方の方の体験レッスンで出勤しました。
わざわざ遠くから通って頂くだけの価値があるのかどうか自信がなく、ご無理なさらないようにと何度もお伝えしたにもかかわらずいらしてくださり、1年生のお嬢さんと1時間の体験レッスンの後、おうちの方ともお話をさせて頂きました。

小さいうちから教室や塾などに通わせておられるご家庭はほぼ皆さん中学受験を念頭に置いておられるのだろうと思っていましたが、ここ何年かはそうではないご家庭とのご縁も頂いていて、自分の思いを理解して頂けているのかなとありがたく思います。

少し前に保護者の方とお話をしていて、私が教室の子ども達やこれまで関わってきた子ども達の話をしている姿に対して「先生、ほんとに楽しそうに話されますね」と言われたのですが、そんな風に言われたのは初めてだったので少し驚いたものの、確かに私は子ども達とレッスンをしているのがとても好きですし、楽しいですから、それが伝わるのはやはり嬉しいことだなと思いました。

まだまだ力不足を感じることも多いですし、脳の衰えを感じる今日この頃ですが、できるだけ長くこの仕事を続けられたらいいなと思います。

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2019年6月15日 (土)

子どもの成長

4月から一緒にレッスンをしている年長さん。初めは3までの数はぱっと見て答えられるものの、4や5になると一度見ただけでは判断できなかったり、自信なげに「4?」などと聞いてきたりしていたのですが、5までの数をぱっと見てある程度答えられるようになったので、10までの数に進んだのですが、ほんの少し前には4か5かで不安そうにしていた子が、4、5はほぼ迷わず判断できるようになっていて、たった週1回のレッスンなのに、子どもはこんなにすぐに成長するんだなぁとまた改めて思いました。

ただ、恐らくそういう働きかけをするかしないかで、その成長スピードが違ったり、場合によってはもっと長い間1個1個数えなければいくつか答えられない状態になってしまうこともあるので、とても大事な時期に一緒にレッスンさせてもらえることをありがたく思います。

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2019年6月14日 (金)

今日もまた。

昨日はネタのようなホントの話で笑ってしまいましたが、今日もまた日本語って難しいという出来事が。(笑)

5月から来てくれ始めた1年生さんとレッスンをしていたときのこと。今のところ算数は好きだそうで、実際結構よくできているのですが、こちらに来てくれるまでにおうちで少し取り組んでくださった内容なども、まだ1年生なのでおさらいを兼ねてレッスンさせてもらっています。
今はまだ既にやったことがある内容が多いので、ほとんどの場合特に困ることなく答えられるのですが、突然「事件」は起こりました。(笑)

タイルを使いながら、10を取る、5を取る、9を取ると順に学習をして、8を取る引き算に進んだときのこと。タイルのうち8個をカードで隠して答えを確かめてもらっていたのですが、16-8や12-8などの場合は10のタイルのうち8個隠すようにして考えればいいと理解したようでした。
しかし、10のうち8を隠すということにとらわれすぎ、18ー8を尋ねても、10のうち8を隠し、8と2で10という考え方で答えたのを見て、「答えは合ってるからそれでもいいんやけど、18から8取るんだったら、そこを隠すより違うところ隠した方が簡単じゃない?」と声掛けしてみたものの、なぜか8を隠せばいいと全く気付いてくれない様子。

そこで、一旦隠すためのカードを置いてもらって、18のタイルを指し、「ここから8のけてくれる?」と声をかけました。
これまでにも、5をのけたり、3をのけたりと、実際にタイルをのけることはしてきているので、実際にのけるのであれば、上にある8をのけるのが簡単だと気づいてくれるはずだと思ったのです。

しかし、なぜか全く動かず固まったまま。小さい子達は突然どこかに迷い込んでしまうことがあるので、疲れて何かおかしくなったかな?とも思ったのですが、とりあえずもう一度「ここから8個のけてみて?」と「個」の単位をつけて言ってみました。しかし反応は同じ。
う~ん、どうしたのかな…と思いつつ、何か勘違いしているのかもと思い、「のけるってわかる?」と尋ねると「うん、わかる」と。だったらなんでのけてくれないんだろう?と、「じゃあ、この筆箱を机からのけてくれる?」と言ってみました。

すると、おもむろに筆箱を手に取ったので(お、それなら通じるのか?)と思いつつ見ていると、手に取った筆箱を机の上にあるタイルの上にのせたのです。

!!!

それ、多分「のっける」や!(笑)

何を勘違いしていたのか理解できたので、「のける」の意味を説明し(取るなどに言いかえるのは簡単ですが、のけるという言葉は知っているほうがいいと思いましたので)、もう一度「8のけてくれる?」というと、ようやくすんなりと通じました。

一度なら聞き違いもあるかもしれませんが、さすがにこれまで「のけて」と言って「のっけた」子はいなかったので、多分私の発音の問題ではないと思うのですが、日本語ってやはり難しいですね。(苦笑)

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2019年6月13日 (木)

ネタのようなホントの話

今日の1コマ目は1年生2人とのレッスンでした。
レッスンの途中でひとりの子が「トイレ行ってくる」といって席を立ち、トイレのドアを開けようとしたのですが、うちの教室のトイレのドアは小さい子達には少し開けづらいらしく、その子も少し苦労している気配が伝わってきたので、もうひとりの子のプリントに丸を付けつつ(顔はもうひとりのこの方を向いたまま)「(ドア)開かない?」と尋ねたところ、目の前にいる子が急いで筆箱を開けたかと思えば「赤あるよ!」と赤鉛筆を差し出してくれました。

理解するのに1秒ぐらいはかかったかもしれませんが、思わず大笑いしてしまいました。

「ごめんごめん、赤がないですか?じゃなくって、○○ちゃんにドア開かない?って言ったの。」

そう答えたものの、その場にいらしたお母様も一緒に大笑い。
相手が小さい子でなければ、「開かへん?」と尋ねていたかもしれないので、それなら間違えることはなかったと思いますが、日本語って難しいですね。(笑)

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2019年6月12日 (水)

中学校でも…。

ある中2の子が学校のプリントを一緒にしてほしいと持ってきたので見てみると、連立方程式の利用の問題で、苦手な子が多い食塩水の濃度の問題と速さに関する問題がありました。

恐らく数学の先生が作られたのだと思われるそのプリントを見ていると、速さの問題のプリントに円を横半分に区切り、下の半分は更に半分にした、きっと少なくない子ども達が小学校のときに教えられたであろう「みはじ(もしくははじき)」を書き入れるための図が添えられていました。

個人的に、その「みはじ(道のり・速さ・時間)」の図や公式を3つ覚えさせることが、この単元を苦手に感じる子が増える大きな原因のように思っているので、私はそれを使ってレッスンをすることはありませんが、自分が子どもの頃に習った記憶もなく、いつ頃から広まったんだろうと気になります。
更にはまさかそれが中学校の数学にまで出てくるとは…。

それこそ、数学なら覚えさせるなら公式ひとつだけにして後は変形させればいいわけですし、更にいえば、小学校では「時速〇km」などのように書くように習いますが、中学では「km/時」のような書き方をするようになりますから、この単位の書き方さえ覚えれば、速さは「道のり÷時間」だとわかるはずです。

中2の子のプリントで「みはじ」の円を見せられるとは思ってもみなかったので、なんともモヤモヤした気持ちになりました。

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2019年6月11日 (火)

天才系

今日のレッスンのある1年生さんもなかなかユニークで、能力的にはいいものを秘めていそうな感じを受けるものの、まだ幼いせいなのか、突如理解不能な状態に陥ったりという波の大きなタイプです。
普通に解いていた問題が突然プリントの途中で何が起きたのか予想不能な答えを書き、声掛けをしても抜け出せなくなるようなこともあるのですが、前回は時計のレッスンで何時何分を学習したところ、その前に学習した何時、何時半の読み方までおかしくなり、長針と短針もごちゃごちゃになり、56時とかいう謎の時刻まで生まれ、なかなか線が繋がってくれませんでした。

今回はその続きをすることになっていたので、内心不安もあったのですが、おうちの宿題はきちんとやってきてくれていたので、きっとおうちで取り組んでくださったんだなとホッとしてレッスンを始めました。
しかし、なぜなのかまた何時何分の問題で頓珍漢な答えが。では、時計の教具を使って、実際に針を合わせてもらおうと、一旦4時ちょうどに合わせた状態で渡し、4時36分にしてみてもらったところ、ぐるぐる回ってなかなか見せてくれず、ようやく見せてくれたらなぜか3時55分ぐらい。
なんで??と思いつつも、何度かやりとりしたものの、すんなりつながらないようで、どうにかこうにかようやく1問正解し、もう1問、もう1問と慎重に進めたところ、途中から突然スイッチが入り、その後はそれよりもっと難しい問題も難なくクリア。

その姿があまりにも不思議で、少し笑ってしまいながら、「不思議やわ~。ま、天才やもんね。」と言ってしまいました。
でも、実際、これで安定感が出て来たらかなりできるんじゃなかろうかという気はしているので、今後の成長が楽しみです。

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2019年6月10日 (月)

振替レッスン

月曜はほぼお休みですが、今日はなぜかもう今週「期末」テストがある中学生の振替レッスンがあったので出勤しました。
市外の公立中の子なのですが、その子の中学は1学期は中間考査がなく(中1だけでなく全学年)それだけでも珍しいと思っているのですが、6月半ばに「期末考査」というのは、もう驚きを通り越して呆れるほどの思いです。どのあたりが期末なのか?(苦笑)

少なくない中学生は定期試験が終わったら勉強は手抜きモードになりがちだというのに、6月半ばに終わって、夏休みまでに1か月以上あるというのは、塾などに行っていない子は自己管理が不可欠でしょうし、その間に勉強したこと手を抜いた子の差はかなり大きくなりそうにも思います。

更にこの中学校では3学期末も早いので、中2の子の今回の試験範囲に中1の教科書の単元ほぼ2つが入っている有様で、さすがにもうちょっとどうにかならんのか?と思ってしまいます。
今日のレッスンでは主に中1の範囲を確認したのですが、確認してよかったとしみじみ思ったぐらい、さすがにほかの単元とほぼ関連がない学習で覚える必要のある言葉が結構あるものは、3ヶ月ぐらい全くやらないとかなり忘れているものですね。

この中学はかなり珍しいものの、公立中は概ねどこも期末試験の時期が昔よりかなり早まっていて、個人的に(そのタイミングは期末とは言わんやろ?)といつも心でつぶやいています。

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2019年6月 9日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2019年6月 8日 (土)

答えてもらえなかった…(苦笑)

今日6年生の子達とレッスンをしていたとき、勉強に関する自分の子どもの頃の話をしたときだったか、子ども達には歳を明かしていないのでいつ頃の話と思うかなとふと思いました。

そこで女の子の方にいくつぐらいだと思っているか尋ねたところ、「え~」と言いながら、気を遣っているのか答えません。もう一人は発達上の困難で、言葉に関して弱さがあると伺っている男の子なのでその子ならいくつぐらいというのかなと(小学生ぐらいの頃は大人の年齢はよくわかっていなかった気もするので)尋ねたところ、「え~、(歳の話は)失礼やから、考えないようにしてる」と。

「考えないようにしてる」って!!(苦笑)
小学生の、それも言葉に弱さのある男子からのまさかの答えに驚きつつ、内心大笑いしてしまいました。

むしろ、言ってくれないとかえって不安になるわ…と思いましたが、せめて自分のお母さんより上とか同じぐらいとか、何か聞きたかったなという気持ちになりました。

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2019年6月 7日 (金)

中学生

うちの教室はメインが小学校低学年ということもあり、中学受験を考えておられるご家庭が多く、その場合3年生頃でお別れすることも少なくありませんし、6年生まで通ってくれた子達も、中学は私が数学しか見られないこともあり、他教科もみてもらえるところをお勧めすることが多いので、中学生の割合は毎年かなり少ないのですが、なぜか今年は受験をした中学生の子が継続して通ってくれたり、市外なので小学校卒業時点で一旦お別れした子が返り咲いてくれたり、ご紹介で中学生のお子さんが来てくれたりと、記憶にある限りもしかすると教室を始めて以来中学生が一番多いのではないかと(といっても、もともとの全体の数が少ないのですが)いう状況になっています。

しかし、ほぼ全員違う中学で、同じ教科書を使っている子でも進度がかなり違ったりもして、学校ごとの差をかなり感じます。
自分が中学生の頃には全くわかっていませんでしたが、同じ中1でも、学んでいることにかなり差がある場合があるというのは、知らないのは怖いなとも思います。

もちろん、大学入試で必要になることは公立の進学校などではきちんと対応してくれるわけですが、中高一貫の子達は中学内容を2年足らずで終わらせ、後の4年かけて高校の内容や大学受験の対策をするようなイメージなのに対して、公立の学校では中学校と高校の学習内容の線引きがはっきりあるので、中学の3年間に比べ高校の3年間に要求される学習量、レベルがかなり多いのではないかと思います。(実際、私は公立中、公立校だったので、中学の授業の進度と高校の授業の進度と難度の差に入学当初全くついていけず、学校を辞めようかと真剣に考えたほどでしたので…。)公立中の子達には早い段階でそういう話もしてあげなくてはいけないなと思いました。

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2019年6月 6日 (木)

性格なのか?

中学の数学を一緒にしていると、やたらと符合を忘れる子というのがいます。
そういう子は計算力がないわけではなく、むしろ計算力やスピードはそれなりにあるにもかかわらず、符号を書き忘れる印象を受けることが多いのですが、個人的には不思議でなりません。

もちろん、一緒にレッスンをしているので、正負の数の計算などでは、計算を始める前にまず符号を決めて、もしマイナスになるのであればそれを書いてしまってから計算するように話しますし、符号を間違えたらどれだけ計算ができてもバツになるのだから気を付けなくてはというような話もします。
でも、やたらと忘れる子達にはあまり効果がないのです。

冷静に考えると、いくら面倒な計算をしっかりできたとしても、プラスマイナスが逆であればバツになってしまうのであれば、符号がとても重要なことがわかるはずですし、純粋に間違えたわけではなく、単に符号の書き忘れで自分が計算したものが無駄になる(点数が0になる)のはもったいない、馬鹿らしいなどと思うのではないかと思うのですが、響かない子には響かないのです。

そういう子が数学が苦手だったり、嫌いだったりするならまだ、嫌々やっているんだからしょうがない…と思えなくもないのですが、大抵、そうではない子達なのです。
これは性格的なものだったりするのでしょうか?個人的に不思議に思っています。

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2019年6月 5日 (水)

根競べ

幼少の頃に負った障害の影響で学習がかなりゆっくりの中学生さんと数か月前からレッスンをさせてもらっています。
初めは点つなぎも全くと言っていいほどできず、積み木の数を求める問題も、5個前後の簡単なものでも隠れているところがあると積み木がなければ答えられない状態でしたが、それらについては教室だけでなくご家庭でも取り組んでくださったので、随分できるようになりました。

たし算、ひき算は筆算を習ったようで、答えは何とか出せるものの、量の感覚はない印象で、とにかく、自分の頭で考えて「わかった!」という反応を見られずにいました。
色々試みたものの、なまじ筆算で答えが出せるので、きちんと理解していないのに答えが合うことがあるような状態から抜け出してくれません。習ってしまったものは使うなと言っても難しいのは理解していますので、思い切って全く違うアプローチをしてみることにしました。

それでも、私がほかの子を見ているときは、私が気づいていないと思っているようでよそ見をしたりぼーっとしており、私が自分の方を見そうになるとぱっと問題を考えているように見せるとか、まだ全然顔が真剣になってもいないのに「あ~、難しいなぁ、どうしたらいいんかなぁ」などと大きな声でぶつぶつ。恐らくその子はこれまでそうすれば誰かが助けてくれたのでしょう。障害があると知っていれば、周りの人は助けるのも無理はありません。

でも、それではこの子はずっと自分で考えようとしないのではないかと、そして、自分で考えなければこの子が大きく変わることもないのではないかとも思えるので、何度でも話をし続けています。
そして今日、またろくに考えずに適当に答えを書いては書き直しを繰り返しているその子に「これまでに自分で考えて、やった!できた!って思ったことある?」と尋ねたところ、「ない」と即答されてしまいました。その答えが本当なのかどうかはわかりませんが、もし本当なのであれば、十数年の間、適当に答えを書いては誰かに助けられ、やり過ごしてきたということなのかもしれません。であれば、そこから抜け出すにはそれなりの時間と、見守る側の覚悟が必要なのだろうと思います。

この根競べで私が「粘り勝ち」するまで、その子がここをやめたいと言わないでいてくれることを祈る思いです。
この子にも、自分で考えて問題が解けたときの快感を何としても味わってほしい、そう願っています。

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2019年6月 4日 (火)

信じられない言葉

今日は私立中学に通う中1と中2の子とのレッスンがありました。
中学受験をした子達は、公立中学に進学した場合には中2や中3で学習するようなことまで、受験算数で習ってしまっていることもあるほどなので、授業の進度は公立よりかなり速いことが多いようですが、ある意味、中1で学習する内容の半分ぐらいは説明されなくても解けるかもしれないので、当然なのかもしれません。

中1の子と、学校の授業の進度を確認した後、まだ習っていないというところを一緒にする際、受験のときに既に習っていそうな内容だったので、「こんなの、(もう塾で)やったよね?」と尋ねると、「はい、やりました」と言った後、「でも、塾の先生が受験が終わったらやったこと全部忘れていいぞって言ったから、どうやったのかは忘れました」と言ったかと思えば、その子とは別の受験塾に通っていた中2さんまで「私も塾の先生忘れていいって言ってたから忘れた~!」と言ったのです。

違う受験塾の算数の講師が、それまで何年も一所懸命やってきた子達に、やったことは忘れていいというのは、それらの勉強は受験後は役に立たない、使わないと宣言しているようなものではないのでしょうか?
その方たちはそんな勉強を子ども達に強いているとわかっているということでしょうか?

本来、意味のない学びなどないはずです。教室で子ども達と共に学びながら、教え込むわけでも覚えさせるわけでもない私は「忘れてもいいよ」とわざわざ言うことはあるだろうかと考えてみましたが、強いて言えば、小学校で習う「dL」はその先出合うことはまずありませんから、忘れても困らないと言えるかもしれません。速さや割合その他の公式なども、意味を理解せずただ覚えるだけなら覚えなくてもいいと思いますし、公式を覚えなくても解ける場合は、学校で覚えるように言われても、考えたら解けるから忘れても大丈夫よということは言うことはあります。

でも、一所懸命、かなりの時間を費やし、色々なものを我慢して取り組んできた子ども達に、受験が済んだら忘れてもいいいと言ってしまえる勉強を強いているのかと思うと、到底理解できませんし、腹立たしさと虚しさを感じました。

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2019年6月 3日 (月)

オフ

今日は更新お休みします。

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2019年6月 2日 (日)

日曜ですが。

今日は体験レッスンと振替レッスンがあって、午後から出勤していました。
今週から新たなお子さんとレッスンさせてもらえることになり、嬉しい限りです。

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2019年6月 1日 (土)

なんでや?(笑)

今日のレッスンは運動会の子や用事があるとのことでお休みの子が重なって、普段土曜に2コマレッスンを取っている6年生の子が、まるまる2時間マンツーマンのレッスンになってしまいました。
男の子で決しておしゃべりではないので、レッスン中にあれこれおしゃべりすることはまずないのですが、今日は他に誰もいないからか、休憩のときに子どもの頃何になりたかったのかを尋ねられました。

4歳の頃はおもちゃ屋さんになりたかった。小3の頃はお習字の先生になりたかった。中学を卒業する頃には中学校の先生かスタイリストとかデザイナーとかになりたかった。そんな話をして、今これはとてもしたい仕事だと言ったところ、「何年ぐらいやってるん?」と聞かれたので、16年ぐらいというと、「え?そんなにやってるん?なんか怖くなってきた。」と。

なんでや?(笑)

更には、先日修学旅行に行ってきたと、思いがけずお土産にもみじ饅頭を買ってきてくれた別の6年生さんのお母様にお礼を伝えたところ(本人にはそのときに目いっぱいお礼は言いましたが)お母さまが教えてくれたのが「先生はチョコとかクリームの饅頭は食べなそうなのであんこにしたそうです」と。

またまたなんでや?(笑)
チョコとかクリームとか食べなそうでも、甘いものは食べそうに見られたというのは、私の顔が能面系だからでしょうか?(汗)

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