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2019年5月27日 (月)

葛藤するけど

ご縁を頂いた子ども達にはここに来ることを楽しいと思ってほしいという気持ちはもちろんあります。
そして、できることならいつもニコニコ笑顔でレッスンができたらいいのにとも強く思っています。

ただ、これまでに何人かの子どもや保護者の方に、満足して頂けずに辞めて行かれたんだろうなと感じたことがあります。
そういうときはほとんどが角が立たないような理由を言ってくださり、私の指導に不満があるとはおっしゃらないので、確信があるわけではないものの、恐らくそうだろうなと。

ここ数年は幸いそういう感覚を抱くことなく来られていたのではないかと思うのですが、つい最近、多分この子が辞めるのは私の指導が思っていたのと違ったからなんだろうなと感じることがありました。

私が怖いというのは多くの子や保護者の方が知っているので、そこを取り繕うつもりはありませんし。ただ、中には私が怖くならなければならない「段階」を感じる子というのがいて、それを感じる子に対しては、私はまだ怖くなる(プレッシャーをかける)以外にその段階を越えてもらう方法を見つけられずにいます。

要は私の力不足なのだろうと思うのですが、子ども達の中にはよく考えもせず適当に答えを書いて、こちらの顔をチラチラと伺って、その答えが合っているかどうか探るという状態にある子がいます。そういう子達に対して、私にその手は通用しないということを身をもって知ってもらうには厳しく接する必要があります。

というのも、以前、マル付けのお手伝いをお願いしていた時期があるのですが、私以外の先生が子どもの傍につくと、その先生方は子どもが困っているのではと思うとすぐヒントを出そうとしたり、子どもが答えが合っているかどうか尋ねると合っているかどうか答えてしまうということがありました。曜日ごとに何人かお願いしていたのですが、どの先生のときでも子ども達は私には絶対合っているかどうか聞いてこないのに、お手伝いの先生方にはすぐ聞こうとしたり、反応を見ようとしたりするという場面を何度も目にしたのです。

つまり、子ども達は算数がよほど好き、楽しいと感じている子でなければ、面倒なら適当に答えて済ませたいという気持ちがあるのだろうと思うのです。そして、子ども達は大人が思うよりずっと賢い面があるので、この人は聞いたら答えてくれそうかどうかを見極めて、私にはそれが通用しないとわかると、諦めてしぶしぶ考え始めるという子がこれまで何人もいたのです。

自分で本気で考えて問題を解くことができると、そのこと自体が快感になりますので、褒めたりおだてたり、何かご褒美を与えたりしなくても、その快感を味わうこと自体がご褒美になります。ですが、その快感を味わうためには本気で考えなくてはいけない。自分で考えて、本当の意味で理解できて初めてスッキリするのだと思うのです。

私が厳しくするときにはただ怒るわけではなく、理由をきちんと伝えますが、それでも教えてほしいと言い続けた子もいました。
子どもや保護者の方の希望に沿えば、ご縁が切れずに済むのかもしれないと思うことももちろんありますが、やり方を教えてほしいという子はここに来なくてもいくらでも塾や教室はあるのだということを自分にも言い聞かせつつ、やはり少し落ち込んだりもします。

でも、教室を始めたとき、一般的な塾や教室とは違う、この辺りにはほぼないような学びの場の選択肢になりたいと思ったことを忘れてはいけないと思っています。

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