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2019年2月28日 (木)

2月最終日

早いもので、今日で2月もおしまいです。
今日は事前にご連絡を頂いていたお子さん以外、みんな元気に来てくれて、レッスンもまずまず順調だったように思います。

今日もまた、可愛らしい反応に笑ってしまいそうになりましたが、ある年長さんはとてもよくできるのですが、何でもよくできるからなのか、少しでも難しいと感じると途端に拒否反応を示すのです。
ただ、多くの子は難しいと感じると泣き出してしまったり、突然本当に眠くなってしまったり(これはこれでびっくりしますが)、トイレに行くと言ってとりあえず問題から強制的に離れようとしたりなどの「子どもらしい」反応を見せるのですが、今日の年長さんは、絶好調でスラスラ解いていたのが、たった1問、これまでの考え方だと解けないと感じた瞬間、「あ~、つかれた~」と。(笑)

ですが、ああ、これ間違いそうだから嫌なんだなとわかったので、すぐに教具を出して並べて見せたところ、楽しそうに教具を一緒に並べ始め、意味がわかった途端またバリバリ解き進み始めました。
やっぱり疲れていたわけではないよねと内心笑ってしまいながらも、教具を見たらすぐに理解してしまう理解の速さにもまた驚かされました。

明日から3月。
来月もどうぞよろしくお願いいたします。

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2019年2月27日 (水)

面白い現象

子ども達とレッスンをしていたり、してきてくれた宿題のマル付けをしていたりすると、時々不思議な現象を目にします。
例えば、宿題のマル付けをしていて、同じような計算問題がずらっと並んだプリントを順にみていると全部合っているな、さて、大きなマルをしようかなと思うと最後1問だけ間違っていて、おおっと手が止まり、次のプリントを同じように見ていると、なぜかまた最後の1問だけが間違っているというような、私が全部きちんと見ているか試しているんだろうか?と思えるようなことになることが時々起こります。

また、教室で目の前で問題を解いている子が、スイスイ問題を解いているのに、なぜかその中の1問だけ、すっぽりどこかにはまり込んで答えが出なくなったり、全く違う答えを書いたりしてしまうということもしばしば起こります。

今日のレッスンでも、2桁+1桁の繰り上がりの問題をしていた年長さんが、ほかの問題はスラスラ解いているのに、なぜか「45+6」の答えを「60」と書きました。
何か見間違えたのかなと思って声掛けをしたものの、答えが直らず、にもかかわらず、その問題以外は全てできました。
色々尋ねたものの話がかみ合わないので、教具を並べてみてもらうことにしたところ、その子が「45」として並べたものが「54」でした。
それを見て、ああ!!それなら確かに60になるわ!と納得しましたし、その子にも勘違いに気づいてもらえたので、正しい答えを出すことはできたのですが、なぜその1問だけ位を逆に見てしまったのかというのは謎のままです。

ただ、子ども達とレッスンをしていると、こんな風に予想不能なことがしばしば起きますので、どう勘違いしているのかを突き止めることも、レッスンをする上で大事なポイントのひとつなのではないかなと思っています。

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2019年2月26日 (火)

力不足を感じる

子ども達とレッスンをしていると、しばしば力不足を感じ、もっと私に能力があれば…と申し訳なく思ったり、悲しく思ったりすることがあります。

算数ができるかどうかは別として、算数が好き、楽しいと感じてくれる子とのレッスンは、その子なりにがんばろうと思ってくれるので、どうすればその子が気づいてくれるか、わかってくれるかに集中すればいいのですが、算数が好きではない子、楽しいと感じていなさそうな子とのレッスンでは、無力感に襲われることがあるのです。

今日のレッスンでも、学年を考えると確かに難しいということはわかるのですが、先日から時間計算の問題をしている1年生さんが持ってきた宿題を見て、複雑な気持ちになりました。
単に書かれた時刻を見て計算で答えを出すのではなく、時間の帯や分の帯に色を塗ってから、色を塗ったのが全部で何時間と何分かを、それを見ながら考えてもらうという問題を教室でもして、おうちの宿題にも出していたのですが、持ってきた宿題のプリントでは、きちんと時間の帯にも分の帯にも色が塗られているのですが、なぜか答えが違うのです。
間違って答えている数字を見ると、単に分の数字を、本来とは逆に引き算しているだけだということに気づきました。(午前9時48分から午後2時15分のようなものであれば、48分から15分を引いて33分と書いているような状態です。)

きちんと色を塗ってあるにも関わらず、それを見ず、与えられた数字をただ計算しただけだということはわかったので、その子に「これ、ちゃんと色塗れてるけど、なんで○○分なの?」と尋ねたところ、案の定、左の分数から右の分数を引いたと答えました。
「なんでそれを引いたら答えが出るの?」と尋ねるとだんまり。
「ちゃんと色が塗れてるのに、この色が塗ってあるところが○○分なの?」と再度尋ねても、まだ何か計算で出そうとするのです。

「何をしているか分からないのに答えだけマルになればいいんだったら、これ、2年生とかのお勉強だから今やらなくていいよ。」などと声掛けをし、少し様子を見ていると、ようやく自分が色を塗ったものを数え始め、答えを直すことはできました。

ただ、見ていても、できても別に嬉しくないんだろうな、楽しいと思っていないんだろうなというのが伝わってきます。興味がないこと、好きではないことを「一所懸命考える」というのは、大人でもなかなか難しいことだろうと思います。
もちろん、年齢を重ねるごとに、嫌だけど必要に迫られてやるということも出てくると思いますが、まだ1年生のその子にとって、楽しいと感じられないことを「どうしてきちんと考えないの?」と言われても、それは「いやだから」、「楽しくないから」ということなのだろうとも思います。

どうすれば少しでも楽しいと感じてもらえるんだろうと思いますが、好き嫌いや興味関心は簡単に変わるものではないと思いますし、なかなか難しいところです。
自分にもっと力があれば、そういう子にも楽しいと感じてもらえるのかもしれないのになと思うと申し訳ない気持ちになります。

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2019年2月25日 (月)

Twitterで目に留まった記事のご紹介

Twitterを覗いたら、たまたま目にした投稿でとても印象深かったのでご紹介させて頂きます。

1つは東京のとある公立中学校の校長先生の記事で、もし自分にその年代の子どもがいて、通えるところに住んでいるのなら、通わせたいなと思える、こういう校長先生や学校が増えたらいいなと思える記事でした。

中学校生活を自由で楽しいものに


もう1つは随分前の知恵袋の質問に対する回答の紹介なのですが、辞書は電子辞書より紙の辞書の方がいいという人がいるけれど、それは本当かという趣旨の質問に対し、英単語暗記のプロとも言える方が書かれた回答が素晴らしく、今後、小学校高学年以上ぐらいの子に辞書についての質問をされたら、読ませたいと思った内容でした。

紙の辞書の方が単語などを覚えやすいというのは本当なのですか?

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2019年2月24日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2019年2月23日 (土)

光るもの

子ども達はみんなそれぞれに違うので、同じことをやっても反応はそれぞれですが、算数が好きな子、センスがある子などは、ふとした瞬間に「おっ」と思わせてくれることがあります。

今日のレッスンでも、計算を楽しそうにする1年生さんと掛け算の学習を始めたのですが、まずは10の棒を1本置いて「10×1は10」と言い、もう1本置いて「10×2は20」と言ったところで、3本目を置いた途端、嬉しそうに「10×3は30!」と言い始め、「10×3って10が3個ってこと?」と。

次に5の掛け算をし始め、5×7で少し考えていたので、「時計の7のところって何分?」と一度尋ねただけで、その後はかける数が少し多いものは時計をちらっと見てすぐ答えを出していました。(なぜ時計の文字盤で考えられるのかを説明しかけたのですが、するまでもなく理解したようでした。)

更には2の掛け算で2×8を2ずつ足していこうとしていたので、「(教具を縦向きに示して)8+8…」と言いかけたところ、その後はまた何も言わなくてもスラスラ。

続いて3の掛け算をし始めたところ、もう何も言わなくても、3×8のときに「8+8は16、16+8は24」とぶつぶつ言いながらどんどん解いていきました。

それだけでなく、「×9」のときには1つ分のける考え方でも簡単だということを言ったところ、聞いている風がなかったので、まあいいかと思ったのですが、しっかり聞いていて、「×8」なら2回分のけたらいいと、これまたスイスイ。

この子は数、計算が好きだなとは感じていましたが、まだ幼いのでコンディションによってはイマイチな日もあったり、文字が多いと読みたがらなかったりというようなことがあるので、ここまで力を秘めていることには気づいていませんでした。
今後がますます楽しみになりました。

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2019年2月22日 (金)

今日の出来事

算数のセンスは結構あるように感じるものの、好不調の波が激しく、どこかにはまり込むとどうにもならなくなるタイプの子がいます。今日はその子のレッスンもあったのですが、来たときの表情などからは今日は調子よさそうだなと感じ、実際にレッスンが始まっても結構いい感じで進んでいました。

今日のレッスンでは1㎡や1㎢などの学習をすることになっていたのですが、その導入で1㎡は何㎠と同じかを、1㎡大の模造紙と1辺10cm(100㎠)の方眼紙を使って考えてもらっていました。
様子を見ていると、方眼紙を模造紙にあてがって、1回、2回と、1辺に何回並ぶかを確かめているようだったので、大丈夫そうだなとほかの子を見ていました。

すると、おもむろに席に戻ってきたので、「何㎠?」と尋ねたところ、「60」という謎の答えが。

「手に持ってるそれだけで100㎠やのに、その紙は60㎠なん?」と言っても、完全におかしいスイッチが入った表情に切り替わっていて、話が通じません。
仮に「100」と答えたら、手に持っている方眼紙が100枚分という可能性があるので、100㎠が100枚だから…と声掛けすることは可能ですが、60という答えは想定外です。(それも、適当に考えたわけではなく、紙をあてがいながら確かめていたわけですから。)

どう考えたのか全く予想がつかなかったので、「60枚で正方形できないよ?」と言っても表情はうつろなまま。
何なんだろう?と思いつつ、1辺が1m、つまり100cmなのだから、勘違いしていると気づかせるため、「1mは何cm?」と尋ねたところ

「60cm」

「時計か!」(あまりに予想外で、実際につっこんでしまいました。(苦笑))

よくわかりませんが、紙をあてがったところ、1辺には10枚並んだけど、1mは60cmだから、もう1辺には6枚並ぶな…というような思考を(まあ、極めて謎めいていますが。そもそも1辺が60cmなら、36枚分と答えねばなりませんし…。)したのかもしれません。

「1mが60cmやったら、○○くんの背は2m以上あるね!」

そうつっこんでもまだ線が繋がらず、巻き尺を取り出し、1mの長さを確認してもらう必要がありました。(当然教室でも学校でも学習済み。)
なかなかに不思議な出来事でした。(苦笑)

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2019年2月21日 (木)

分数の割り算

子ども達と分数の割り算を学習すると、改めて感じることがあります。

特に「分数÷整数」のときにそれを感じることが多いのですが、教室の子達と分数÷整数をする場合、やり方を教えるわけではなく、図を描いたりしながら、子どもなりに考えて答えを出してもらうところから始まります。

すると、「8/9÷4」のようなものであれば、こちらが何も言わなくても、1/9が8個あって、それを4で割るのだからという感じで、ほとんどの子が当たり前に「2/9」の答えを出します。
それは何も難しいことではなく、8個あるのだから2個ずつになるという感覚です。

しかし、学校などで先に分数の割り算を「習った」子は、たとえそのまま分けられる問題であっても、上の問題であれば、わざわざ一旦分子に8、分母に9×4を書き、8と4を約分して、結果的に「2/9」の答えを出すことがほとんどです。
そういう子に「9分の1が8個あるんやから、2個ずつになるんじゃない?」などを声掛けをしても、ぴんとこない子もいるのです。

つまり、そういう子にとっては分数は量ではなく、ただの数字で、それを習った通りの方法で計算しているだけで、実際のところは自分が何をしているのかわかっていないとも言えます。
それは自分で意味を考える以前にやり方を習ってしまうからというところが大きいのだろうとも思います。

分数の割り算は一例ですが、習ってしまうと、意味を考えれば簡単なことでも面倒な解き方をしたり、そもそも自分が何をしているのか理解していなかったりということが起こる場合があります。
ですから、教える前にまず子ども自身に考えさせるということがとても大事なのだと思います。

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2019年2月20日 (水)

面白い発見

これまで子ども達と一緒にしてきた問題の中で、いくつか多くの子が苦戦するものがあるのですが、そのうちのひとつは、大人からすると一体どこが難しいのかわからないものがあります。

先日書いたかもしれませんが、ある子が絵本を5冊持っていて、お兄ちゃんはその子より13冊多く持っているとすれば、お兄ちゃんが何冊の絵本を持っているか考える問題です。
そして、答えは当然18冊なのですが、年長さんや1年生さんにこの問題をしてもらうと、「13冊」と答えたり、それが違うと言われると、なぜか「8冊」や時には「5冊」など、どんどん正解から遠ざかっていく子がいるのです。
それも、あくまでも私の体感ですが、2~3割ぐらいはすんなり「18冊」と答えられなかったのではないかと思います。

ですから、私の中でもその問題は引っかかる子、できない子が少なからずいるという心づもりをしていますので、まず考えてみてもらってから、できなかった場合は色々やりとりをすることになります。

つい先日その問題を一緒にやった年長さんはやはり13冊、8冊…というような具合に、あれこれ数字をいう割に、18冊という答えは出てきませんでした。
ですので、比べてどれだけ多いという意味がまだはっきり分かっていないのかなと思い、鉛筆などを用意して、2人で比べっこをし、私より3本多く持ってもらったり、比べたら何本多いか答えてもらったりということがスラスラできるようになった後で問題に戻ってもらったのですが、まだダメ。鉛筆と絵本は別物だから、そこが繋がらないのかなと、実際に本棚のところに行って絵本を出してもらいながら考えてもらったものの、どうにもこうにも答えに辿り着きませんでした。

どこで引っかかるのか突き止めきれず、成長段階にまだ合っていないということだろうと(1年生2年生になってそれが解けないままとは思えないので)、ひとまず保留にすることにしました。
しかし、翌週、お家でそんな問題に取り組んでくださったと聞いたので、今回もう一度考えてみてもらうことにしました。

しかし、「忘れた」といって考えることに難色を示し、また違う答えを次々というので、何が理解できていないのか突き止めてみようと思い、その子に、「(問題文に登場している)けんくんは5冊持っているんだけど、○○くん(その子)はけんくんより1冊多く持ってるんだったら、何冊持ってる?」というと、あっさり「6冊」と答えます。
「じゃあ、私はけんくんより6冊多く持ってるんだったら、私は何冊持ってる?」
というと、少し考えて「11冊」と答えます。

あれれ?わかってるよね?と内心思いつつ、「じゃあ、□□くん(その子のお兄ちゃん)はけんくんより10冊多く持ってるんだったら、□□くんは何冊持ってる?」というと、少し考えて「15冊」と答えます。

更に、え?どういうこと??と思いつつも、「じゃあ、お母さんも絵本持ってて、けんくんより11冊多く持ってるんだけど、お母さんは何冊持ってる?」と尋ねたとき、思いがけないことが起こりました。
「11冊?」

私だけでなく、側でやり取りを見ておられたお母さまも思わずびっくり。

「□□くんはけんくんより10冊多く持ってるのよね?お母さんはけんくんより11冊多く持ってるんだったら、□□くんとお母さんはどっちが多く持ってるかわかる?」と尋ねると、「え?お母さん」とこれまたあっさり答えるのですが、「うん、そうよね。なのに、□□くんは15冊で、お母さんは11冊なの?」というと、途端に顔が「むずかしい、いやだ~」という顔になりました。(苦笑)

とりあえず、少なくともこの子は、今の段階では多い数が10までか10を超えるかで何か全く別物になるようだということはわかりました。それは恐らくまだ、10を超えた数に慣れ親しんでいるわけではないということなども関係しているのだろうと思いますが、10冊が11冊になった途端ここまで突然わからなくなることを発見し、興味深く思いました。

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2019年2月19日 (火)

難しい。

教室では、一般的な学年配当はある程度参考にはしますが、必ずしも順番通りにするわけではありませんし、普通は別々に分けられている単元でも一緒に学習したり、先に学習する予定の内容に前もって少し触れてみたりというようなこともします。

時計と時刻、時間については、一般的な進度では1年生では時計が読める、2年生では簡単な時間計算ができる…というように段階を経ていくと思いますが、教室ではそれぞれの子の理解度を見ながら、できそうであれば一気に少し難しい時間計算までしてしまうこともあります。

もちろん、せっかく前倒しで学習するのですから、やり方を説明するのではなく、実際に時計を使って確かめたり、時間のおびに色を塗ったりしながら、子ども自身が気づくことを期待するのですが、例えば「午前8時41分から午後3時15分まで」というような、大人でも少し面倒なものになると、それまで順調だった子でも途端に拒否反応を示したり、適当に計算し始めたり、ボロボロに間違えたりということが起こることがあります。

その場合、時計を使うか時間の帯を使うかして一緒に考えてみますが、それでも抵抗が大きい場合は保留にして時期を見て改めて進めることにしたりもします。

今日のレッスンで、これまで割とすんなり問題をクリアしてきていた子と、まずは「午前7時20分から午前11時20分」のように分が同じ場合の問題をし、次に「午後2時15分から午後9時38分」のように分が増えている場合の問題をしました。
そこまではこれまで通り割とすんなりできたのですが、一番面倒な分の数が減る場合の問題になったとき、途端におかしくなりました。

その問題を計算で考えるまでに、帯に何本も色を塗ったりして問題は解いたのですが、その子の中でそれら諸々がまだ全くつながっていなかったのでしょう。問題をする前にやりとりをしながら確認もしたのですが、それも恐らく耳に入っていなかったのだと思います。
時間は右から左を引き、分は左から右を引いて答えを書いたので、引ける方から引けばいいの?と尋ねたものの、一旦消して今度はどう考えたのかわからない答えになり、意味も分からず適当に計算するのなら今無理にしなくていいからと言ったものの、既に全く何も聞こえない状態だったようで、なぜか再び最初の間違えた答えに戻りました。

「どうして20分になったの?」と尋ねると(これは本当に怒っていたわけではなく、極めて普通の口調で尋ねたのですが)、突如として半分キレながら、「40から20引いた」と言ったかと思えば泣きべそ。
突然のことだったので私もびっくりしたのですが、それまでスラスラできていたのに、突然意味がわからなくなって、軽いパニックになっていたのかもしれないなと、後で思いました。

それでも、もう一度落ち着いてプリントに書いてあることを自分できちんと見てもらい、しばらく待っていると、意味がわかったらしく、表情が穏やかになったかと思えば、きちんと連続正解してくれました。

そこまで十分にスイスイ来ていたもので、見極められなかったのは申し訳なかったなと思いますが、子どもにとってどこまではOKでどこから急に難しく感じるようになるのかは、本当に個人差やその日のコンディションさなどが大きいので、いつまで経っても難しく感じています。

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2019年2月18日 (月)

よく考えないと損をする

今日はレッスンはお休みで、事務仕事などをぼちぼち自宅でしていました。
在宅中、郵便局の方が手続き関係のことで来られたのですが、帰られた後改めて考えさせられました。

お子さんがおられる方などは恐らく皆さん将来のこと、お子さんのことなどをかんがえて、色々な保険に入っておられるだろうと思いますが、悲しいかな、私は子どももおりませんし、家族は両親と兄ですから、もしものときに誰かにお金を残さなければということもありません。

ですから、死亡保障なるものは必要ないと言えば必要ありませんし、保険の勧誘の際にはしばしば、この先大きな病気をしたら医療費が…というような説明を受けますが、それも実際のところは自分のこれまでの健康状態や家族の疾病歴などを考慮して、入っておく方が得か、その分貯金などで蓄えておく方が得かを判断するということになるのだろうと思います。

保険の勧誘を受けたので保険の例を挙げましたが、携帯電話の契約その他、営業する側は大抵「おいしい話」しかしてくれません。
定期購入などでも初回だけ極端に安く設定してあって、その後数回は解約できないような契約になっていたり、よくあるスポーツクラブなどで1か月は格安で入会金も免除するけど、その後半年は既定の料金で継続しなくてはならないというような契約になっていたりということはよくあります。

スポーツクラブの例だと、そこに通う意志が強い場合は普通に半年分払うより、1か月分と入会金が無料になれば、単純にその分お得になりますが、続ける自信がないのに契約してしまって、3か月で通わなくなったら、後の3か月分は無駄になりますから、結局かなり高くつきます。

もちろん、それら全ては確率論、可能性の話で、人間誰しも明日のことすら確実ではありませんから、絶対に得をする契約や絶対に損をする(詐欺とかでなければ)契約というのはないのだろうと思いますが、こういう日常の契約に関しても、結局は論理的に考えらるかどうか、知らないことを学ぼうとするかどうかなどによって、損をする可能性を減らすことはできるのだろうなとも思います。

私は苦手ですが、数学で確率などの計算に長けている方は、きっと色々な契約でしっかり計算できるんだろうなと。そういう意味でも、算数や数学はきちんと役に立つと言えるのかもしれません。

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2019年2月17日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2019年2月16日 (土)

乗り切れました。

ドキドキしながらの目覚めでしたが、今日も体調に特に変化なく、無事にレッスンできました。

最近何人か新しい子達とレッスンをさせてもらい始めたのですが、中には現時点で算数が少し苦手そうな子がいます。そして、その子たちはほぼ例外なく、1つずつ数えるということをします。
例えば、図を見て積み木の数がいくつか答える問題などでも、たとえ簡単な形であっても迷わずひとつずつ数えるという感じです。
そういう子達でも、図の一部を指して、「これいくつ?」と尋ねると「4個」とか、数えなくても答えられたりするのです。

教室を始めるときにお世話になった先生が、数えることは能力を低くとどめてしまうから数えさせたらダメだとおっしゃっていたのですが、確かに、算数ができるようになるには、数える段階を超える必要があるのは感じます。
中には、大人が働きかけなくても早い段階から数えずにひょいひょい進んでいく子もいますが、数える子達も段階を経て数えなくてもできるようになっていく場合もあります。
ただ、算数が苦手な子の場合、意識的に働きかけてあげないと、数え続ける期間が長かったり、ずっと数え続けたりするような印象があります。

ただ、苦手な子にとっては数えることで安心感を得ているようなところもあるように感じますので、新人さん達にも、それぞれのペースを見ながら、徐々に数えることから卒業して行ってもらいたいなと思います。

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2019年2月15日 (金)

子どもの頃を思い出す

今日はある子と体積・容積の学習をしていました。
その子とは少し前からその単元をしているので、もうほぼ終わりの段階だったのですが、自分が子どもの頃どうもぴんと来なかったことをきちんと理解できているかどうか確かめておく必要があるなと思い、ある問題を用意していました。

お父さんが一杯までお湯を入れたお風呂にもぐると70Lのお湯が溢れ、同じぐらいの大きさの空気を入れたビニールの人形を同じようにお風呂にしずめても70Lのお湯が溢れたとすると、お父さんと人形の体重は同じといえるかどうかというものと、全く同じ体重の2人が同じように一杯までお湯を入れたお風呂にもぐったのに、溢れたお湯の量が違うということはあるかというもの。
あとひとつは、同じ直径の木の球と鉄の球を同じ条件で容器にしずめると、水面の高さが同じになるかどうかというものでした。

自分が子どもの頃は、体重と体積とは別に考えなくてはならないものという感覚が持てず、どうもモヤモヤした記憶が残っていたので、それらの問題を考えてもらったところ、やはりお父さんとビニールの人形の体重は同じだと思うと答え、鉄の球と木の球は大きさが同じでも鉄の球の方が重いから、鉄の球の方が水面が高くなると。
そして、その考え方でいくと、全く体重が同じ2人は同じようにお湯が溢れるはずということになります。

そこで、別の例を話して、その場合それが木でできている場合と鉄でできている場合とではどうなるか考えてもらったところ、同じように空っぽになると考えることができたので、「ということは、重さは関係ないってことよね?大きさが同じかどうかで比べればいいんやんね?」と確認して、先ほど全問間違えた問題を直してもらいました。

子どもの頃モヤモヤしたところ、難しく感じたところなど、自分の記憶に残っていると、子どもが困っているときに役に立つことも少なくありません。
この仕事をしていると、自分ができなかったこと、苦手だったことも案外役に立つこともあるなぁと感じます。

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2019年2月14日 (木)

戦々恐々

今日は振替や変更があったので、少しバタバタしたものの、レッスン自体は比較的平穏に終了しました。
ただ、昨日のレッスンでくしゃみ鼻水が激しかった子がいて、教室ではまだ元気そうだったのですが、帰宅後38.8度の熱が出たとのお知らせがありました。
かなり至近距離でレッスンをしていたので、もしその子がインフルエンザであれば、さすがに今回はちょっと危険かも…という感じです。

少しでも怪しければすぐ病院に行って、場合によってはレッスンを数日お休みさせて頂くことになるかもしれませんが、その際はレッスンに影響がある皆様に個別にご連絡差し上げますので、どうぞよろしくお願いいたします。
とりあえずは土曜の朝を何事もなく迎えられれば大丈夫かなぁと思っていますが、こればかりは祈るしかありません。(現在は完全に元気です。)

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2019年2月13日 (水)

今日の出来事

教室に来てくれている子の大半は私が怒るとかなりコワイと知っているのですが、全く怒る必要がない子や、性格的に怒ることがマイナスになりそうな子などに対してはその姿を見せることがないということもあります。

もちろん、怒るのがいいとは全く思っていませんし、できることなら一切怒らず、いつも楽しくレッスンできることが理想ですが、例えば、じっくり考えようともせず、適当な答えを書くことに終始するような子に対して、やんわり促しても全く効果がない場合、感情的に怒るというわけではなく、そういう勉強の仕方は全く意味がないので、やりたくなければやらなくていいと(怒ってやらせるというつもりは一切なく)、恐らく子どもからすると「怖い表情」でいうというようなことは少なからずあります。

そうすることで「観念して」考え始め、その結果、自分で考えてわかる楽しさ、気持よさを感じてもらうことでしか、変わっていかないと思うからです。
(もちろん、いうことを全く無視し続けられたりすると、つい大きな声を出してしまって、後で反省することもないとは言えず、まだまだ未熟者ですが…。)

で、今日のあるレッスンで、予定の時間より随分遅れてきた子がいたため、普段なら終わっているはずのレッスンが終わっていない状態で次のレッスンの子がやってきました。
ひとりは私が怒ると怖いことは既に知っている子だったのですが、もうひとりは新人さんで、まだ私が怒っているところを見たことがありませんでした。

しかし、まだレッスン中だった子が、絶対ぐっと集中して考えればその子にとって難しくないことであるにも関わらず、考えずにのらりくらりと適当な答えを書いたりしていたため、「やりたくないんだったらやらなくていいよ。嫌々やっても仕方ないから。」とびしっと言った次の瞬間、背後からとあるつぶやきが聞こえてきました。

「こっわぁ…。」

思いがけないその声は新人さんの声で、思わず笑ってしまいました。

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2019年2月12日 (火)

感心

個人的には中学受験に関しては手放しで賛成はしませんし、勉強への取り組み方やお子さんの成長度合いや性格によっては、やめたほうがいい場合もあるだろうと思っているのですが、今月に入って、しみじみ感じていることがあります。

今年度は珍しく、中学受験をする6年生さん2人と受験直前まで、受験塾と併用という形で一緒にレッスンをさせてもらっていました。
無事進学先が決まり、2月から2人とも復帰してくれているのですが、その子たちを見ていてしみじみ感心することがあるのです。
受験まではそこまで感じなかったのですが(もしかしたら、掛け持ちだったり、受験塾の授業の負担や宿題の量の多さなどで常に疲れていたとかかもしれませんが)、2人が2人共、これまで以上に算数がよくできるなと感じるのです。

2人とも中学の数学をし始めたのですが、その理解が速い。その上、こんなに速かったっけ?というぐらい2人共計算が速い。それも暗算で結構スイスイ解いてしまう姿に、これまでのがんばりがしっかり実を結んでいるんだなと感じました。

私立中学の多くは数学の進度が公立に比べて相当速いので、初めは驚いていましたが、そりゃあ、これだけスイスイ解く子たちが集まれば、ゆっくり進めるほうが難しいということかもしれないなと、改めて感じました。
そして、そうなってくると、ちょっとの躓きで一気に置いていかれる危険もあるということだなとも思いました。(うちに来てくれている子達は心配していませんが。)

若い子達の伸びしろは羨ましいものがありますね。

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2019年2月11日 (月)

事務仕事

今日もレッスンはお休みですが、また予定をズルズルと先延ばしにしていた確定申告に向けての作業に手を付けました。
集中してやれば今日だけでほぼ終えられたと思うのですが、家ではどうにもエンジンがかからず、9割がた終わったところで残りは明日以降に…。
それでもどうにか例年よりは少しだけ早い気はしますが。

明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2019年2月10日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2019年2月 9日 (土)

悲しい気持ち

今週のレッスンでまたも不安になることが…。
恐らく素質的にはかなりいいものを持っているのだろうと思われる低学年のお子さんがいるのですが、そのお子さんは教室に来てくれる以前からご家庭で算数を先に進めておられたようです。
そのため、来てくれた段階で、計算などは随分先のことまで知っていて、その他のことも教室でするより先に知っていることが多いのです。

そのご家庭はここの教室の趣旨をご理解くださっているはずなのですが、中学受験をさせることは間違いないようですので、早くから先に進んでおいたほうがいいとお考えなのだろうと思います。
ただ、算数を先取りして学習をする場合、ほぼ例外なく、問題集などでやり方を説明してあるものを読んで、それを真似て解くことになりますから、意味を考えなくても、書かれていることを真似れば答えは合うということがしばしば起こります。そして、そんな形の勉強は子どもにとってほとんど力になりませんし、時間が経てばやり方も忘れがちです。

先週のレッスンでその、本来賢いはずのその子はどちらが長いかを比較する問題で、不等号を右に開いたかと思えばこちらを見て、左に開き直すというようなことをしていました。それでは意味がないということを真剣に話したのですが、今週もまだそんなことをしようとしました。
何度でも言うしかないのだろうと思いながらも、先取り学習をするにしても、考えて意味を理解しながら進めていればこんなことを言う必要もないのになと悲しくもなりました。

例えば、そういう子は珍しくはありませんが(うちの教室ではほぼいませんが。)1mは何cmかというような単位換算の問題で、「10cm?100cm?」などのように答えを聞いてくるということがあります。聞いて教えられれば、そこから比較することはできるとしても、聞かなければわからないのであれば、テストなどの際には役に立ちません。

定規でmmやcmを測ったり、線を引いたりして体感し、その後巻き尺などでmについても体感し、そういう学習をした後であれば、自分の身長は1mより長いとかいうことも理解できるようになるはずです。
そうやって、段階を経た後であっても、速く答えを出すことを習慣づけてしまうと、じっくり考える前に適当に答えを書こうとしてしまう子は珍しくありません。その子の頭には長さのイメージが全く浮かんでいないのです。

今週のレッスンで、1001mmと1mの比較や、8765mmと87mの比較の問題で、もちろん難しいのですが、またも左にしたり右にしたりと、答えを何度も変えようとして、1mが1000mmだと分かった後でも、8765mmは87mだと答えるような状態でした。
それらは何度かやり取りをしてどうにかきちんと説明してもらうことはできましたが、なんと、4m8cmと49cm3mmの長さの比較に、49cm…の方が長いとしたのです。

結局、その子の頭には全く長さのイメージがされぬまま、単に数字の変換として、1mは100cmで1000mmだったな…という風に覚えているだけなのだろうと思います。
何度やり取りしてもぐっと考える表情に切り替わらず、悲しい気持ちになりながら、これで無理なら今日もこれは保留だなと思ってこう尋ねてみました。

「4m8cmって、○○くんの身長より長い?短い?」

1mの長さをイメージできている子(教室では巻き尺などで実際に見てもらっていますし、その子にも20mの巻き尺を1m、3m、…と20mまで全部出して見てもらったのですが。)なら、すぐに身長より遥かに長いというでしょう。
その子はようやくそこで少し立ち止まって考える様子を見せ、「長い」と言ったので、「どのぐらい長い?ちょっと長いぐらい?ずっと長いぐらい?」と尋ねると、「ずっと長い」と言いました。

そこで続けて、「じゃあ、49cm3mmって、○○くんの身長より長い?短い?」と尋ねました。
その子の答えはこちらの方が長いことになっているわけですから、その答え通りだと「長い」と答えて、それも先ほどより更にもっと長いと答えなければならないはずです。

しかし、ようやくそこでまた少し立ち止まって考えた後、「短い」と答え、「ちょっと短いぐらい?だいぶ短いぐらい?」と聞くと、また少し考えてから「だいぶ短い」と答えました。

つまり、その子は考えられないわけではないのだと思います。ただ、普段考えずに答えを出すことが癖になっていて、簡単には切り替わらないのだろうと思うのです。
どうすればいいのか、少し悲しい気持ちになっています。

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2019年2月 8日 (金)

今日も慌ただしい1日でした。

今日は普段ならレッスンが2つだけなのですが、振替などで15時過ぎから代わる代わる20時前までレッスンが続きました。

今日のレッスンでは、普段かなり安定感を見せながら問題に向き合ってくれる4年生さんがこれまでにない新しい姿を見せていて笑ってしまいました。
その子は普段、とてもよくできるのですが、コンディションが悪いとこちらが何を言っても耳を貸さず、自分であれこれやってみるもののどんどん煮詰まって、最後には泣き出してしまうこともあるという感じの子です。
それが、今日はなぜかその子にしては全く切れがなく、頭の回転という意味ではかなり不調。普段はその状態だとどんどん不機嫌になり、煮詰まって、どうにもならなくなるのですが、なぜか今日はハイテンション。時には笑顔を見せたり、声を出して笑ったりするのに、切れは戻らぬままという、極めて珍しい姿を見せてくれました。(苦笑)

また、振替で来ていた中1さんと図形の問題をしていたときに、中心角90度のおうぎ形を回転させたときに中心が描く線を作図するという問題がありました。こういう問題は見える子は何も言わなくても頭の中で見えるようですが、そうではない私のような人間は、実際にものを使って見てみないとよくわからない段階があります。
その子も見ないとぴんと来ない様子だったので、教室にあるものをつかって見せてみて、納得してもらった上で考えてもらいましたが、学校などで先生が実際に見せてくれない場合、見えない子は解けないままになるのかもなぁと思ったりもしました。

別の時間の新人さんの4年生は、多分これまで真面目に授業を聞いて、真面目に問題に取り組んできたんだろうなということは感じられる子で、その真面目さゆえに、どうしてそうすれば解けるのかなどを考える機会がないまま今に至ったのだろうなと感じました。
そういう子達はしばしば「合ってる?」と尋ねてきたり、答えをいくつか言って反応を確かめようとしたりするのですが、その子もその傾向があり、例によって「意地悪な私」を発動させて、「なんでそれが答えなの?」「(迷っていた間違えている方の答えを指して)え?それが答えじゃないの?」などと尋ねていくと、ようやくなぜかを考え始め、ある問題できまりに気づいたときには「あ!」と明るい表情になる瞬間も見ることができました。

6400÷8をわざわざ筆算を書いて考え始め、百の位に8を書いた後、またこちらを見て、「ここに0書く?」と十の位と一の位に0を書くのか確認してきたので、「さあ、どうやろう?」というと、「え、書かへんの?」とまた尋ねてきました。「さぁ~。」というと、「あ!わかった、書く!」と言ったので、「なんで?」と尋ねると、「だって、この8は百の位やから、書かへんかったらおかしい。」と説明は拙いものの、納得がいった様子でした。

考えることが当たり前になっていない子達には、こうして「考えてわかる」というのがどういう感覚なのかを体感し、それを積み重ねていってもらうしかありません。
でも、この新人さんは、その変化が案外早く現れそうな気もしていて楽しみでもあります。

今日も慌ただしい1日でしたが、明日ももう1日がんばります。

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2019年2月 7日 (木)

2月はいきなり猛ダッシュ

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」などと言いますが、何が起こったのか、2月はいきなり猛ダッシュ状態です。
とは言っても、新人さんは2人だけですので、本来ならそこまでバタバタすることもないはずなのですが、欠席振替やもう少し先で欠席される分の振替を前倒しでご希望頂いたりとかで、特に今週は連日バタバタしています。

火曜、水曜と22時を大きく回っての退勤でしたが、今日は21時前には退勤するつもりだったのに、結局今日も22時半を回り…。
明日も既に15時過ぎから20時前までレッスンという予定で、事務仕事や、じわじわ迫りくる確定申告の作業その他、手が回っていないことだらけです。(汗)

それでも、子どもたちを見ていると、新たな発見があったり、思わず笑ってしまうようなことがあったり、先週不調だった子が今週は元気に登場してくれたりと、楽しくレッスンができて、幸せだなぁと思います。

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2019年2月 6日 (水)

色々考えさせられる

今月から縁あって、幼い頃に脳の一部にダメージを受けたというお子さんとレッスンをさせてもらうことになりました。
ダメージを受けた部分が運動機能などには影響がなかったのか、事前に聞いていなければ全く気付かないほど、動作やおしゃべりなどは普通にできるのですが、学習面ではかなりスローペースで進んでいるとのことで、算数に関しては、その子の学年からすると5年ぐらい遅れている内容を今学習しているとのこと。
果たして私にどれだけのことができるかわからないものの、本人が通いたいと言ってくれたので、一緒にレッスンが始まりました。

とても穏やかで可愛らしい子で、一緒にレッスンをする3年生さんがしていることを見て、「難しそうなこと教えてもらってるなぁ」と感心したりもしていました。
その姿を見ながら、日本の学校制度についてまた少し考えてしまいました。

現在の日本ではほとんどすべての子どもが決められた歳になったら小学校に入学し、1年生で習うことは何で2年生では何、3年生では…と学年配当が決まっており、公立の中学校に行けば更に中1では何、中2では…と決まっていますし、私立の中学であれば、そのペースが更に速かったりするわけです。

ですが、子どもの成長ペースや得意不得意は本当にバラバラですし、例えば、ある子が1年生で算数を始めて大苦戦したとしても、それはたまたま成長段階的にタイミングが合っていなくて、例えば半年ずらしてスタートすれば、あっという間に理解できるというようなこともあり得るだろうと思うのです。

海外などでは、例えば小学生の間に学ばなければいけないことが決まっていて、それをどんな順に学んでもいいというような仕組みがあるところもあるようです。
そんな仕組みがあれば、先に得意な教科をどんどん進めながら、苦手な教科は少しずつ…とか、苦手なものを先に終わらせて、後は好きなものを思う存分とか、子どもの個性に合わせて長期スパンで計画することもできるでしょうし、少なくとも、一方的に決められたカリキュラムで学ぶよりは遥かに能動的な学びができるのではないかと思います。

今回ご縁を頂いたその子は、今ゆっくりながらも前進していて、まだまだ力を秘めていそうにも感じますので、長い人生で考えれば、社会に出る頃にはもっともっと可能性が広がっているかもしれません。
その子は障がいを持ったことで、スローペースでも周囲がそのまま受け止めているわけですが、それって、障がいを持っていなくても、それぞれの子のペースを受け止めてくれる仕組み(学校制度)があれば、学びはもっともっと楽しくなるんじゃないかなぁと、そんなことを考えてしまいました。

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2019年2月 5日 (火)

新たなスタート

今日は中学受験のため1月をお休みしていた6年生さんが2人、時間は別々でしたが、レッスン人復帰してくれました。
もう中学に行くのは決まっているし、それも私立中学ですので、恐らく進度も公立の比ではないはずで、今日から早速中学校の数学を一緒に始めましたが、さすがに中学受験であの受験算数の問題を向き合ってきた子達だけあって、正負の数をし始めたものの、とにかく理解が速い。
その姿を見ていると、私立中学の進度が速いのも当然なんだなと思います。(もちろん、学校によって差はあると思いますが。)

それぞれの子が志望校に合格したので、受験が終わったらお別れかなと思っていたのですが、こうして引き続き来てくれたこともとても嬉しいです。
中学受験生とはあまりご縁がないのですが(私が受験指導を十分に担えないことや、受験塾と掛け持ちは負担が大きいことなどで)、この2人とは、いずれも算数の成績が伸び悩んでいる、きちんと理解しているように思えないというようなことでご縁を頂いて1年ほどで、随分しっかり考えて解けるようになったなと、そのことも嬉しく思っています。

この子たちにとっては学校より一足早い新たなスタートですが、またしっかりがんばっていきたいと思います。

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2019年2月 4日 (月)

しっかりしなくては。

今日はレッスンはお休みだったので、家で事務仕事や家の片付けなどをする予定でしたが、例によって思ったほどには捗らず…。
ただ、最近、どこかを片付けたり、何か整理したりしていると、郵便物などの日付や保存食などの賞味期限などを見て、え??もうそんなに日が経ったの??と驚くことがよくあります。
それだけ、ぼーっとしている間に時が過ぎ去っているということなのだろうと思います。

年を取るほど1年が短く感じられるようになるとはよく聞きますが、それを痛感する今日この頃。
子ども達にとっての1年は、信じられないぐらいの成長を見せてくれたりもする大事な大事な1年なので、1回1回のレッスンを大事に向き合っているつもりではありますが、それ以外の部分での時間の過ごし方をもう少し見直す必要があるなぁとしみじみ感じています。

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2019年2月 3日 (日)

節分

日曜が節分なのは多分久しぶりで、今日は実家で家族揃って恵方巻まるかぶりでした。
何を思ったか、食べ始めた途端、母が父に身振りでテレビを消すよう伝えたため、家族4人でし~んと沈黙の中食べ続けることに…。さすがにテレビの音は欲しかったです。(苦笑)

数えで豆を食べるのもかなりつらい量になってきましたが、これで今年も1年健康でいられますように。

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2019年2月 2日 (土)

違いに気づいてほしい

子ども達とレッスンをしていると、時々、教室で一緒に学習するより先にご家庭などで問題集などを進めておられるということがあります。

学年が上がってから来た子や他塾との掛け持ちなどであれば、はじめに解き方を説明されてしまうのが当たり前になっていて、算数などで自分で考えてわかるという経験が乏しい(もしくはない)ことも珍しくはないので、そういう子達には考えてわかる気持ち良さを実感してもらえるように働きかけていくのですが、そうではなく、勿体無いなぁと感じるのは、幼児の間や1年生になりたての時期に、既に先取りでやり方を真似て問題を解く習慣を身につけさせてしまうことです。

今日のレッスンでも、配当学年を考えると既に1年分ぐらいは先に進んでいる賢い子が、m、cmの長さの学習をしていたときに、「10mになったらキロにするの?」と聞いてきました。
教室ではmをし始めたところで、kmについてはまだ全く触れていませんし、そもそも10mは1kmではありません。
でもその子は、自分はもうkmも知っているんだということを言いたかったのだろうと思います。
「10mが1kmなんだったらしてもいいよ」とだけ答えると、違うの?という表情でこちらを見てきます。
それは、先取りしてもその子の身にはなっていないということでしょう。

ですが、まだ小さい子達にはその勉強では自分の本当の力にはならないよと話しても、先取りし続ける限りなかなか伝わらないという経験を過去に何度もしたことがあります。

まだ小さい子達については、本来、そういう「考えない先取り」さえしなければ、私がいう必要のないことです。
個人的には、本人が楽しくて先に進んでいく、きちんと理解して進んでいくという分には、構わないと思っていますが、そうでないのであれば、なぜそうすれば解けるのかをきちんと理解しながら進めていく方が子どものためだと思うのです。

私にとっては全く違うことなのに、伝わりにくいこともあります。
例えば、1年生の子が2桁×2桁の筆算ができるとします。
ある子は、はじめにこの数字同士をかけて、その答えをここに書き、次にこの数字同士をかけてここに書き…と手順を覚え、それを何度も練習して、掛け算の筆算をスラスラ解けるようになったとします。
別の子は、はじめにこの数字同士をかけるのは何をしているのかを考え、次にこの数字同士をかけるのは一の位の0を省略しているんだななどと気づき、その結果これで答えが出るんだなと理解した上で解けるようになったとします。
解けるようになったというところは同じですし、書いてあるものを見ても同じかもしれません。時には考えずに処理している子の方が速いということもあるでしょう。
でも、前者と後者は全然違うのです。

そして、特にまだ幼いうちは後者のような学びをした方が、後々大きな力になる場合がほとんどです。
考えずにどんどん先取りしている子は学年が上がると頭打ちになることも決して珍しくありません。

大事な子ども達のためにも、本当にその子の力になる学びをしてもらいたいなと思います。

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2019年2月 1日 (金)

作ると気づく

自分で問題を作るようになるまでには気づかなかったこと、全く気にならなかったことが、教材を作っていく中で色々見つかります。
それと同時に、多くの子や大人にとっては暗黙の了解のような状態で理解されているものであっても、そこでひっかかってわからなくなる子というのがきっといるんだろうなという発見もします。

例えば、最近気になったものでは、体積や容積の問題のところで、これまで長く使ってきているワークブックなどに当たり前のように、「図のような水槽があります」などと直方体の図が描かれていて、その図の外側にそれぞれの辺の長さが書かれているのです。
容積を学習する際には「内のり」という言葉が出てきて、容器の内寸だということを理解させる段階があります。
だとすれば、図に描かれた水槽は図の内側に長さが書かれているか、「書かれている長さは内のりです」などの断り書きがあるか、「水槽の板の厚みは考えないものとします」などと書かれているかでなければ、問題を解くことができない子もいるのではないかと思ったのです。

ただ、まだ小学生の段階で「板の厚みがない」という仮定は理解しづらい子もいると思いますので、内側に長さを書くか、内法だと断るかがいいのだろうとは思います。
しかし、多くの問題にはその断り書きがないにも関わらず、ほとんどみんな、疑問を持つことなく、それぞれの長さを掛けて問題を解くのです。

もちろん、中には与えられた数値をただ掛けているだけで、意味を考えていないという子も一定割合いるだろうと思います。(やり方を覚えて解くという勉強をしている子には少なからずいるだろうと思います。)
ですが、意味を理解している子であっても、「先生、これは内側の長さですか?」などの質問を受けたことは一度もなく、私自身もこれまで疑問を持ったことすらありませんでした。

これはあくまでも一例ですが、そういう、「書かないけどわかるでしょ?」的な問題文や図が結構あることに気づくたび、少数ながら、ある意味賢すぎてそこで先に進めなくなる子もいるんだろうなと感じます。

しかし、これがまた難しく、説明のために文章を長くすると、今度はそれで問題を理解できなくなる子も恐らく一定割合いるでしょうから、何をどこまで書き、何を省くのかは本当に難しいなと思います。

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