11月最終日
今日で11月もおしまい。
明日から師走ですね。
今日のレッスンでは、ここ数回なぜか不調だった子が復調したかと思えば、ここ数回ようやく調子を取り戻したので安心していた子が再び絶不調に陥ったりと、なんだか不思議な日でした。
そして、なぜか12月は土曜がイレギュラー多発中で、早速明日も普段と違う子達が来るので、うっかりしないよう気をつけなくてはと思います。
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今日で11月もおしまい。
明日から師走ですね。
今日のレッスンでは、ここ数回なぜか不調だった子が復調したかと思えば、ここ数回ようやく調子を取り戻したので安心していた子が再び絶不調に陥ったりと、なんだか不思議な日でした。
そして、なぜか12月は土曜がイレギュラー多発中で、早速明日も普段と違う子達が来るので、うっかりしないよう気をつけなくてはと思います。
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今日は今月5回目のレッスンだったのでお休みでした。
明日で11月もおしまいですね、ほんと早いなぁ。
先日少し驚いたことがありました。
今のところ、算数はかなり得意だと感じる1年生さんに計算パズルを年長の頃からしてもらっているのですが、初めは3×3の9マスの簡単なものから始まり、段階を経て、6×6の36マスにまで進みました。
その子ならできるはずと思っていたのですが、初めに3×3、4×4とマスの少ないものから始めたこともあり、どういう考え方をしたらよいかなどは特に言わず、その子が試行錯誤をしながら気づいてくれるといいなという感じでこれまで来ていました。
マスが少なければ、とりあえず書いてみて、合わないところを入れ替えるというようなやり方でもなんとかなりますが、マスが増えてくると、確実に決められるところを探し、そこから決めていくというような方法を取らないと、いつまで経っても完成しないようなことにもなり得ます。
算数が得意なこともあり、これまでは力技でもなんとかなっていたということなのか、6×6マスになった途端、やるのを渋るようになりました。1年生さんには普通はそのサイズのものはしてもらうことはないのですが、順調に進んできたからそれをしてもらうことになったのだということを本人に伝え、すぐにできなくてもいいので、できたら持ってきてねと言いました。
しかし、その後完成したと持ってきてくれることはないまま数週間。どうなったかと尋ねたところ、どこかに行ってしまったとのこと。そこで、改めてやってみてもらうと、やはり絶対ではないところにとりあえず書いてみて、合わなければ消してとやっているうちにだんだん顔が曇ってきました。
そこで、何か所かまず決められるところを指して「ここは何が入る?」と尋ね、答えられたら「じゃあ、ここは何?」と目の付け所をいくつか指してやり進めたところ、途中からは「もうわかった!」といってやり始めました。
そして、新たに宿題に出したプリントはほとんど消しゴムの後もないぐらいの状態で翌週持ってきてくれました。
その後はそのプリントを見ても嫌そうな反応を見せることはなくなり、その子なりにどういう風に考えればいいのかわかったのだろうなと感じました。
やり方を教えたのではなく、いくつか目の付け所をこちらが指して考えてもらっただけなのですが、その子にとってはその助けで十分だったようです。ですが、そのわずかな助けがなければ、かなり苦戦して、完成させられずに投げ出してしまっていたのですから、何をどこまで助けるかのさじ加減は本当に難しいものだなと思います。
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中学受験の算数の問題を見ていると、ああ、面白いな、こういう問題を出す学校はしっかり考えられる子どもを選ぼうとしているんだろうなと感じるような問題に出合うこともあり、そんな問題に出合えるとなんとなく嬉しくなったりもするのですが、中には、面白い問題ではあるものの、この問題を応用力、思考力だけで解ける小学生は一体どのぐらいいるんだろうなと思える問題もあります。
例えば、頂角が30度の二等辺三角形があり、等辺の長さがわかっている場合、面積を求めることができるのですが、この手の問題を初めて見たとき、中学受験をしたことがない私は、三平方の定理など、それ以降に習ったことを使えば解くことはできるけど、こんなものを一体どうやって小学生が解くのだろうと思いました。
しかし、頂角が30度ということを活かして、30度・60度・90度の直角三角形をイメージし、高さを求めることで解くという方法を知り、はぁ~、確かに小学生でも解けるわ!と感心しました。
そして、確かにこの問題は小学生であっても図形の感覚に優れている子などは受験のための対策をしていなくても解けるかもしれません。そういう意味でもいい問題なのだろうと思いますが、初見でそれに気づくことができる子どもは本当にごく僅かだろうとも思います。
この問題はひとつの例ですが、立体図形などになると更に、類題を解いたことがない状態で解ける子はどのぐらいいるのだろうと思うものは更に増えます。
せっかく思考力や想像力などを測ることができる良問であっても、結局は大量に類題などを解き、解き方を覚え込んだという、結果的には思考力を必要としない勉強をした子が点を取っているということも少なくないのだろうなと。
そういう意味でも、入試問題を作るというのは本当に難しいのだろうと思います。
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小学校高学年の頃に来てくれていて、先日から復帰した中2さんがいるのですが、テストで結果が出ないということでまた一緒にレッスンをさせてもらうようになり、今回が2回目の定期テスト前。
しかし、戻ってきてくれてから一緒にレッスンをしているものの、恐らく公立中学の数学ということで考えると、理解の度合いは充分平均以上で、解き方を覚えているというよりは、きちんと理解して解いているように感じることも多く、更にはとても丁寧に途中の式なども書き、間違えたところやわからなかったところは答えを書きつつ、ポイントになることを更に書きこんだりと、本当に丁寧な取り組み方をしています。
なんでこれだけ理解できているのに点数につながらないのだろうと疑問を感じたものの、ひとつ思い当たったのは、これだけじっくり丁寧に取り組んでいると、問題数がある程度多いテストだと、明らかに時間切れになるだろうということでした。
思ったまま本人にも伝えましたが、やはり時間が足りないとのこと。
もちろん、速く解くことができるというのはより理解ができているという場合もあるとは思いますが、中には公式などを丸覚えして処理しているだけの場合もあります。
要領よくしなさいということだと言われれば、要領よくできないから評価が低いということなのかもしれませんが、この、「決められた時間内に速く処理できる能力」というのは、今の時代、さほど大事なことではなくなってきているように思います。
学校というのがそもそも、工場などで同じ作業を決められた通りに速くこなす人間をたくさん作るという目的で作られたというような話を本で読んだことがありますが、実際そういう面はあったのだろうと思います。
しかし、それは高度成長の時代のように、労働力がそれなりにたくさんあり、ものを作れば売れるような時代だったから必要とされていたとも言えるわけで、これからの時代、単純労働を速くするのであれば、機械やロボットなどにどんどん置き換えられていくだろうと思います。
それを思えば、スピードはあまりなくても、きちんと理解し、自分で考えて問題を解くことができるこの子が評価されないテストというのは、もう時代に合っていないのではないかとも思えます。
なんとももどかしい思いです。
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気づけば11月も残すところあと僅かとなりました。
今週末にはもう12月が始まるのですね。
今週はイレギュラーで、5週目の29日木曜はレッスンがお休みですが30日金曜は通常通りのレッスンになります。
どうぞよろしくお願いいたします。
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今日のあるレッスンで、先日から掛け算を一緒に学習している1年生さんを見ていて、また感じました。
教室では九九から教えるわけではなく、また、答えが100までの範囲のものに限定して教えるわけでもないため、例えば、10×1、10×5などの意味がわかっている子であれば、10×12や10×35などの問題を出されても答えを出すことができます。
あまりにも大きな答えになる者はまた別の機会に学習するので、100を超える答えになるものは少しするだけではありますが、掛け算というのはどういう計算なのかを理解していれば、いきなり28×3の答えを考えてといっても、ほとんどの子が足し算をして答えを出すことができるだろうと思います。
今日のレッスンでは、それとは少し違う、答えが同じになる掛け算の式を考えてもらうということをしたのですが、例えば答えが12になる掛け算は1×12、2×6、3×4、4×3、6×2、12×1の6通りを答えてもらうというような問題でした。
何も言わずに考えてもらったところ、当たり前のように1×12や1×16、1×25なども答え、順に考えて、最後の12×1や16×1などもすんなり答える姿を見て、九九の範囲に限定して提示しなければ、当たり前にこうして解くんだなと、少し感動しました。
このことひとつとってみても、初めに何をどのように提示するかで応用が利くかどうかの範囲が相当変わってくる場合も少なからずあるのだと思います。
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今日は年間予定ではレッスンの日だったのですが、皆さんお休みをご希望されたもので、思いがけずお休みになりました。
このお仕事を続けさせてもらえることに感謝しつつ、明日からまた頑張ろうと思います。
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今日の年長さんとのレッスンでのこと。
よくできる子で、うちに来てくれるまでにもうかなり先のことまで学習したとのことだったので、おさらいを兼ねて今は100までの足す引くをしています。
よくできるのですが、いい意味で子どもらしさもちゃんとあって、疲れたときやあまり好きではない問題などだと途端に反応が悪くなったりもします。
今日のレッスンでは、スタートから快調に進んでいたのですが、途中で急にブレーキがかかり、眠くなったのかな?、疲れたのかな?と少し立ち上がってもらったり、課題を楽しそうなものに変えてみたりもしたのですが、今ひとつ復活せず、まだ少し難しいのかな?と思ったりしていました。
ただ、まだ時間があったので、計算問題ではなく、文章問題のプリントを出してみたところ、突然表情が明るくなり、声に出して問題を読み始めたかと思うと、2桁同士のたし算やひき算、3つの数を足すものなどもあったにも関わらず、楽しそうに取り組んで、次々解いてしまいました。
それを見て、そういえばそうだったなと思い出したことがあります。
この子は読むことも好きなようなので尚更顕著に反応に現れたところもあるかと思いますが、幼児や低学年の子は少なくない割合で、単純計算より文章問題の方が好きで、楽しそうに解くんだったなということです。
小さい子達にとっては数式はイメージがわきづらく、その分難しく感じる反面、文章問題であれば、チョコレートやカード、お花など、実際にイメージできるものが出てくるので、読んでいて意味がわかるのだろうと思います。
塾講師だった頃、計算はできても文章題になると途端にできなくなる子が少なからずいて、計算はできるのになんでかな?と思っていましたし、教室を始めるときにお世話になった先生が、きちんと数の感覚が身についていれば、文章問題は解けて当然だとおっしゃるのを聞いて、この先生はできるお子さんしか見ておられないからわかっておられないんだなとまで思っていたのを思い出します。
しかし、実際に教室を始めてみて感じたのは、その先生がおっしゃった通り、きちんと考えて自分で理解するということを積み上げた子達は文章題だけが苦手という子はひとりもないということでした。
そして、小さい子達はただの計算式より文章題の方が簡単だと感じる子も少なくないのも事実です。
つまり、計算だけはできるけれど文章題になると途端にできなくなるという状態は、実際のところは計算もやり方を覚えて答えが出せているだけで、本当の意味では理解していない可能性が少なからずあるのだろうと、今は思います。
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まだ年長さんですが、ここに来てくれるまでに既に算数のお勉強を始めていた子と、少し前からレッスンをさせてもらっています。
うちは年長さんは基本的にはマンツーマンでレッスンをさせてもらっているので、その子の表情や反応を見ながらレッスンできますから、既に習っているはずのことでも、その理解がどの程度なのか、子ども自身がきちんと消化できているのかを、できるだけ見ながら進めていきます。
もちろん。年齢があがってもそれぞれの子の表情や反応は見ていますが、幼い子ほど初めにどう感じるか、初めにどんな風に身に着けるかの影響が大きい場合が多いので、そこはより慎重にと心がけています。
上述の年長さんは、ここに来てくれるまでに20までの数のたす・ひくを学習したことがあるとのことだったのですが、時々考えていることを口に出して(15とあと4個やから…などというように。)くれることがあるので、それを聞いていると、難しい考え方をしていることがわかりました。
そこで、既に学習したものであっても、本来もっと簡単なはずのものを難しく考えていると感じられるものについては、別の考え方を提示して、切り替えてもらえるよう試みているのですが、さすがにまだ小さい子だけあって、あっという間に変化が見えることも多く、そのたび驚きと羨ましさのようなものを感じます。
例えば、12+6などの足し算の場合、繰り上がりがないにも関わらず、一桁同士の足し算と比べると意外に難しく感じる子が多いのですが、その子も12に更に3を足して15、15に更に3を足して…というように積み上げていくような考え方をしていたので、12を指して、「この2こをこっち(6のほう)に動かしたらいくつになる?」というような感じで尋ね、10と8になると答えられたので、「うん、10と8やからいくつ?」と尋ねると、少し考えて「18」と答えました。
そんなやりとりを3回ほどしたら、自分で「えっと、これをこっちにやったら7、こっちは10やから、17」というように、ぶつぶつ言いながら、明らかにそれまでより早く確実に正解できるようになりました。
同じ問題でも、すんなりわかる考え方と面倒な考え方があることもあるので、答えが合えば何でもいいよとばかりも言えません。
特に幼いうちはその辺りもしっかり見てあげられたらと思います。
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今日あるレッスンの途中、割合が苦手な子が多いことの理由を新たに感じました。
塾に勤めていた頃から、速さや割合の単元は苦手な子が多く、それはなぜだろうと考えたところ、学校などでは公式と称してそれぞれ3つの式を覚えるように指導されることが多く、どうしてそう計算するのかなどを深く考えることなく公式を暗記した子の多くは、どのときが割り算でどの時が掛け算だったか、割り算のときはどちらをどちらで割るのだったかが混乱してしまうのだろうと思い当たりました。/
それとは別に、割合の中でも定価、売値、利益などに関わる問題はやはり苦手とする子が多く、それは何かものを仕入れてきていくらかの利益が出るように売値をつけるという感覚が理解できなかったり、買い物をすること自体にまだあまり馴染みがなかったりということが原因のひとつなのだろうと思ってきました。
もちろんそれらも理由であるとは思うのですが、今日のレッスン中、そうか、そもそも「割合」という考え方自体がぴんと来ていないということがあるのかも!と感じた出来事がありました。
3兄弟それぞれの貯金額が兄2700円、私1800円、弟1500円で、その後、みんなが500円ずつ使ったら、兄の貯金額の割合は使う前に比べて大きくなるか、小さくなるかという問題があったのですが、使う前の兄は全体の9/20(45%)で、500円使った後は22/45になるので、多くなります。
大人であれば全体に占める割合と言われればすぐに意味は分かるかと思いますが、その子はしばらく考えた後、少なくなると答えたので、どう考えたか尋ねたところ説明ができません。
恐らく、2700円だったのが2200円になったのだから、多くなったという感覚がぴんと来ないのではないかと、その子の反応から感じたので、ちょっと大袈裟なたとえ話をしてみました。
「私らにとっては1万円って言ったら結構大きなお金やん?1万円お買い物したら、色々買えそうでしょ?でも、アラブの石油王とか、自家用ジェット機とか持っているようなものすごいお金持ちの人いるやん?そういう人にとったら、1万円ぐらいは私らにとったら1円使ったぐらいとか、使ったうちに入らないぐらいの感じなの、なんとなくわかる?そういう人にとったら、私らの1万円は1億円ぐらいとかと同じぐらいの感じかもしれへん。私らにとっての1万円と億万長者にとっての1億円は同じぐらいの割合かもってことなんやけど、なんとなくわかる?」
そんな話をしたところ、先ほどの問題をもう一度見直し、正しい答えを書いた後も、何か少し意味がわかったというか、もやもやが晴れたというか、そんな感じでその後の問題も考えられるようになったようでした。
想像できないことは考えられないのは大人でも同じですから、まだ経験の少ない子どもにとっては、大人は忘れてしまった難しさが色々あるのだろうと思います。
その時々にちょうどいいサポートや手助けができるといいなと思います。
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中学受験の算数の問題を解きながら今日もまた感じたのですが、頭に問題の内容が思い浮ぶ、思い描けるということが、問題によってはとても大きなアドバンテージになるのだろうと思います。
例えば、今日解いていた問題だと「ある本を1日目に30ページ読み、2日目は残りの2/5を読んだところ、その本の1/2を読み終えていました。この本は全部で何ページですか。」というような類の問題ですが、この問題であれば、「残りの2/5」というところを見て、読んでいないのは残りの3/5で、それが全体の1/2だと気づけば簡単な線分図を描くだけでほぼ暗算で(もしくは見ただけで)解けると思います。
しかし、相当算などという「パターン学習」として解き方を教わった子などであれば、「1」から30ページを引いたものに2/5を掛けて、それを「1」から引くと「1/2」になるというような解き方をするのかもしれませんが、そう書きながらもなんだか小難しく感じます。
例に挙げた問題は少し応用問題ですが、もっと簡単なものだと「初めに所持金の3分の1使い、次に残りの5分の3使ったら、残金が400円になりました。」というようなものであれば、「400÷2×5÷2×3=1500」で解けます(式を書けばこうなりますが、400円は残りの5分の2にあたるので、3分の1使ったときに残っていたのは1000円で、それは最初の所持金の3分の2だから最初は1500円と、線分図などのイメージを思い浮かべれば、式すら書かずに解けるのではないかと思います。)が、このような基本的な問題だと、残りの5分の3は元のどれだけにあたるかを考えて、下のような手順で解くように習う場合が多いのではないかと思います。
2/3×3/5=2/5
1-(1/3+2/5)=1-11/15=4/15
400÷4/15=1500
このように解けば、小学生が解くにはそこそこ難しい問題のように見えますが、実際は線分図をまず3等分し、2つ分にあたるところを更に5等分して、その2つ分が400円と描ければ、算数が好きな子であれば低学年でも十分解けるレベルの問題ではないかと思います。
この類の問題1つとってみても、思い浮かべられる、図に表せるということが大きなアドバンテージになることは少なくないと思います。
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久しぶりに、書き上げた記事が全部消えました…。(泣)
春頃から一緒にレッスンをしている1年生さん。どうやら図形全般にかなり苦手な様子で、展開図はもちろん、色板や積み木をお手本に合うように置くような課題でも、それは絶対そこには合わないと一目でわかるようなものを合わせてみたり、一度ダメだったのに、また同じものを同じところに二度、三度置いてみたりということも珍しくありませんでした。
これは早目に積極的に形に慣れ親しんでもらう方が、先々の苦労が少なくて済むだろうと思い、ご家庭でもサイコロの展開図を作って組み立ててもらったり、形合わせの課題を数多く取り組んでもらったりなど、ご家庭でできそうなことを色々してもらいました。
すると、少し前から変化は見え始めていたのですが、今回のレッスンでは、積み木をランダムに詰んだ形の絵を色々な方向から見て、どのように見えるか図に表すという課題に取り組んでもらったところ、突然の変化が起こりました。
初めは実際に積み木で絵と同じ形を作り、それを見ながら描いてもらっていたのですが、1問目の問題の上から見た図、前から見た図のときには、1個1個積み木をバラバラに描いていたのが、右から見た図になった途端、長方形をかいてからそれを6つに分け、それにあと1つ付け足すような描き方に変わった上、線がぴしっとした図になりました。
あれ?と思いながら見ていると、それ以降はいくつかはまとまりとして描いてから区切り、必要なところをつけたす描き方に切り替わりました。
表情が穏やかだったので、もしかしたらいけるのではと思い、2問目は試しに積み木を使わず、絵だけを見て考えてみてもらったところ、特に困る様子もなく、穏やかな表情のまま順々に正しい図を描いていき、結局積み木なしで完答できました。
問題の途中で突然図の描き方が変わったかと思えば、一気に積み木なしでも問題が考えられるようになったという驚きの変化を目の当たりにして、子どもの力はすごいなぁ、変化はいきなり訪れるんだなぁと、改めて思いました。
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ある年長さんとのレッスンでのこと。
いつもとてもよくできる子なのですが、今回のレッスンでは少し疲れていたのか、普段に比べると集中が続かなかったりする場面が何度かあり、そのたび、課題をほかにものに変えたりして頭をリフレッシュしてもらいました。
その際、今の状態からするとやってくれるかな、どうかな…と思うプリントを見せて、「できそう?今度にする?」と尋ねたところ、じっとプリントを見つめて黙っているので、嫌なのかな?と更に質問しようとしたものの、目がなんだか真剣だったので、もしかして…と声を掛けずに黙ってプリントを机に置いてみました。
すると、黙ったまま鉛筆を握り、問題を考えて試行錯誤し始めました。
やはり問題を見せた時点で私の声は聞いておらず、既に問題を考え始めていたのだなと、声をかけて思考の邪魔をせずに済んでよかったと思いました。
そのレッスンではマンツーマンで表情を見ていたので気づけたのですが、複数の子がいる場などでは、気づかずに「やりたくない?」などと何度か尋ね、それでも返事がなければ「ねえ、話を聞いてちょうだい」などと更に思考を遮ってしまう可能性もあるなと、今回のことで感じました。
子どもが考える邪魔は絶対にしたくないと思っているので、「黙っている、返事をしない」=「聞いていない」だと早合点しないよう(確かに話は耳に入っていないとも言えますが、既に問題に向けて集中しているということと、ただ話を聞いていないこととは全く違いますので。)より一層気をつけていかねばと思います。
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一緒にレッスンをするようになって2ヶ月目になる3年生さん。
本人の話だと理科、中でも特に化学に興味があるそうで、前回のレッスンでは物質名や性質などについて少し話を聞かせてくれたりして、興味があるってすごいなぁと、話を聞きながら思いました。
今回のレッスンでは重さの学習をし始めたのですが、重さの単位を何か知っているか尋ねたところ、「グラム、あと、トンとキログラム。」と、小学校で習う単位全てを知っていました。
おまけに、トンは1000キログラムということも知っていて、「すごいね、よく知ってるね。」と言って、レッスンを進めました。
うちの教室の場合は、その子が何を知っているか確認し、知っていることは説明しませんので、学校などで習うより先に知っていれば、よく知っているねと褒めたり、何で知っているのと尋ねて教えてもらったりできますが、これが学校だと、先生によっては子ども自身が興味を持って学んだことでさえ、なんで先に知っているのだとそれに対して腹を立てたりする先生もいると聞きます。
塾講師をしていたことがあるので、どういう段取りで授業をするか考えているところに、自分が説明するつもりだったことを、知っている子が先走って言ってしまうと、段取りを狂わされたという気持ちになったり、まだ知らなくてこれからの説明を待っていた子達の妨げになることに腹立たしさを感じたりする感情は理解できます。
ですから、学校の先生は本当に大変だと思うのですが、それでもやはり、子どもが自ら興味を持って学んだことは認めて、褒めてあげてほしいなと思います。
もしも学校で習ってないことを授業で言ったり、使ったりしたことでお子さんが注意を受けたりした場合は、ご家庭で可能な範囲で先生の立場をフォローして頂きつつ、お子さんが進んで学んだことは大いに褒めてあげてほしいなとも思います。
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私自身、中学、高校の頃、確率の学習は苦手で、いわゆる場合の数や順列・組合せなど、たとえ解けても、それが本当に合っているのかモヤモヤした状態になるのが嫌いでしたので、その単元を苦手とする子達の気持ちはある程度理解できるのですが、教室を始めてから、ただ公式を覚えて解くのではなく、問題の意味を考える、どうすれば解けるか考えるということを積み重ねているうちに、順列・組合せなどの問題も、昔に比べると随分意味が理解でき、これはこの答えで間違いないだろうと思えるものも増えました。
ただ、そうやって色々な問題を見ていると、ある意味で中学ぐらいまでで最も考える力が必要な単元のひとつなのではないかとも感じます。
条件を整理し、必要であれば場合分けをし、どう考えれば答えが出しやすいかなど考えた上で問題を解き始めるというようなことになるものが多いので、それができなければ解けない、もしくは一か八かで解いて当たれば儲けものというような解き方になってしまうだろうと思います。
公立の子であれば主に中学以降で学習する内容ではありますが、中学受験をする子達は、それを小学生のうちに解かねばなりません。しかし、中学受験レベルだと、樹形図をかいて数えるとか、全ての組合せを書き出してみるとかいう解き方では時間がかかり過ぎたり、とてもではありませんが書き切れなかったりというものも少なくありませんので、考える力がない子は諦めたほうがいい単元かもしれません。
今週のあるレッスンで、中学受験をする予定の6年生さんと過去に中学受験をした中学生さんがいたとき、受験算数の問題の中に、受験算数としては大サービス問題と言っていいであろう、次のような問題がありました。
「白い碁石99個と黒い碁石1個を一列に並べる場合、並べ方は何通りあるか。」
6年生さんはその問題の前にそれよりずっと難しい問題を解いた後だったので、すぐに答えが出るだろうと思って見ていると、なぜか何か図を描いて考えようとしています。何を書いているのだろうと不思議に思いつつ、「それ、絵描かなくちゃわからない?ちゃんと思い浮かべられたらめっちゃ簡単じゃない?」と言っても「え?」と言って少し考えた後、「101通り?」「99通り?」などと違う答えを何度か答えたので、正直びっくりして、中学生さんに「さすがにすぐわかるよね?」と問題を説明して尋ねると、「え?99通り?」というのです。
中学生さんは結構数学のセンスがあるように感じる子だったので、尚更驚いたのですが、受験のためにたくさんの量をこなしてきた子達は、じっくり考える時間はなかなか取れないでしょうから、なんとなくで乗り切って、できたら儲けものという扱いの単元だったのかもしれません。
「これ、ちゃんと思い浮かべられたら、1年生とかでも答えられるかもしれないよ?」といってもまだぴんと来ない様子で、「100個マル描いて、1個だけ色を塗る方法が何通りあるかと同じじゃないの?」というと、ようやく何か思い浮かべているような表情になった後、「100通り?」と答えました。
こういう姿を目にすると、尚更、小さいうちにたっぷり時間をかけて問題を考える習慣を身に着けることの重要性を痛感します。
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子ども達とはレッスン中に長い時間おしゃべりをすることはほぼありませんが、レッスンが終わった後などに時々子どもが学校であった話や、何か面白かったことなどを話して聞かせてくれることがあります。
今日のレッスンでは、ある子がレッスンの途中に出てきた問題に関連した話をし始め、そんなに長くはならないだろうと思いながら聞き始めたところ、その子が言いたいことが何なのかなかなかわからず、予想の倍以上話の終わりに辿り着きませんでした。
しかし、話の内容を考えれば、その子がしゃべった時間の3分の1以下の時間で話を済ませることは十分可能だっただろうなとも思いました。
もちろん、子どもの成長段階などにもよると思いますが、その子はもう高学年なので、今の時点でせめて半分の時間でうまく話をまとめられるようになっておく方がいいのではないかなと思ったものの、それは小学生の子どもが自分ひとりで努力してなんとかするには難しいようにも思い、その子には伝えませんでした。
以前読んだ本に書かれていた気がしますが、子どもが親に話をするときに、親が忙しいと子どものいうことを先回りして「~~ってことでしょ?」と言ってしまったり、なかなか言いたいことが伝わらないので話を途中で終わらせてしまったりということをしてしまうことがあるかもしれないけれど、できるだけ辛抱強く待ち、どういえばいいか困っているようなときには「~~って言いたいのかな?」などと少しだけ助け船を出し、日々、そういうことを積み重ねていくことが(いつもするのは難しくても、できる範囲で心に留めておくことが)大事なのだろうと思います。
小さい子だと話をうまくまとめるというのは初めはできないだろうと思いますので、まずはどれだけ回りくどく、わかりにくい話であっても、根気強く話を聞き、聞き終えた後で「~~~ってことがあったのね。」とか「~~~っていう話ね。」と、大人の側でうまくまとめてあげるなどすれば、そういえばよかったのかと気づくかもしれませんし、少しずつうまく話せるようになっていくのではないかと思います。
だらだら説明するのではなく、大事なポイントをおさえて手短に説明するというのは、やはりある程度考える力がなければできませんし、苦手な子であれば練習しなければなかなかうまくできるようにならない場合もあるでしょう。
しかし、そういう能力が国語の力、作文や感想文を書く力などにも直結しているのではないかとも思いますし、大人になっても大事な力なのは間違いありません。
普段から時々意識的に、子どもに何かを説明してもらう時間を取ることは大事なことかもしれませんね。
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スマートフォンが普及する前と後とでは、なんだか隔世の感があるぐらいに、「調べる」ということに対しての手間が激減したのではないかと思います。
ただ、今日たまたまTwitterで見かけたのですが、何でも簡単に調べられるようになったからこそ、「検索力」や「判断力」などがより大事になったとも言えるように思います。
今日見かけたのは、何か病気になったときにインターネットで情報を探す場合、インターネットの情報は玉石混交なので、検索の際、病名のほかに「site.ac.jp」という検索ワードを一緒に入れると、大学など信用できる情報だけを検索できるというようなものだったのですが、確かに、何かの病気についてただ病名だけを入れて検索した場合、民間療法や、時にはそれを実践したら命にかかわるような情報などを得てしまう場合もあるだろうと思います。
今のように簡単になんでも検索できるようになる前は、辞書や何かの文献を調べたり、その情報が得られそうな人や機関に問合せをしたりしなければなりませんでしたが、その分、そこから得られる情報はある程度信用できたとも言えるように思います。(もちろん、「トンデモ本」と言われるような、でたらめが書かれているような本もないわけではありませんが。)
ですは、今はわからないと思ったらすぐに調べられるようになった分、何かのキーワードについて調べたいと思っても、キーワードが少ないと膨大な情報があがってきて、その中からどういう情報を選び出すのかは、検索している人の能力にかかっているとも言えるでしょう。
もちろん、どの情報が信じられるものなのかなどの判断も、とても大事になるでしょう。
調べるのが手間だった頃には、たくさんのことを覚えている人は尊敬されたでしょうし、もちろん今でも尊敬はされるかもしれませんが、例えば、歴史の年号を膨大に覚えていても、どの出来事がいつあったか、それはどんな出来事だったかなどは、検索すればあっという間にわかるものがほとんどでしょうから、表面的な知識はどれだけたくさん覚えていても、あまり価値がなくなるでしょう。
その分、ますますしっかり自分で考えて判断する力がより重要になってくるように思います。
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先日10年ぶりぐらいにご連絡を頂いた方や、市外から中学生になるまで通ってくれていてこの春お別れしたお子さんのお母様、その少し前にも色々お話をさせて頂いた保護者の方に、偶然にも同じようなお話をすることになりました。
学校での算数や数学の授業についてのご不満、上のお子さんが中学時代に通った塾に関する感想などを伺ったり、お子さんが私が学校の先生だったらいいのにと言っていると話してくださったりしたのですが、保護者の方やお子さんのご不満は理解できる一方で、私が教室でしていることを学校や多くの塾でするのはほぼ不可能だということもわかっているので、それについてのお話をしました。
元々は教員志望だった身ですし、小学校にも中学校にも教育実習にも行きました。教員をしている友人や先輩もいます。
だからこそ、学校のように大人数の、特に公立であれば能力のばらつきも大きい子達を一斉に指導するとなると、全ての子がそれなりに満足する授業というのは少なくとも私には不可能だと思い、結局教員の道には進みませんでした。
ひとりひとりの子の顔を見て、理解できていそうかどうか判断し、必要であれば手助けをし、不必要な説明はしない。そういう対応は私は子どもが5人でも無理だろうと思っています。
ですから、学校の授業がわかりにくいとか、よその塾や教室での指導に不満があるとかいうお話を伺っても、基本的に学校や塾を批判はしないようにしています。
今回も、私が学校の先生だったらいいのにと言ってくださったというお話に対して、学校の授業だと、みんなにちょうどいい授業は私にはできないし、学校の先生はとても難しい状況で授業をしておられるのだということをお伝えしたところ、「はぁ~、そうなんですね。」と。
もちろん、それを子どもに我慢しろというのは何か違うのだとはわかるのですが、現状の学校制度ではやむを得ない面もあり、他の先生も私みたいな教え方をしてくれたらいいのにと、担任や担当講師に不満や不信感を持ってしまわれるのはプラスになることは何もないように思います。
ここ数日で何度もそんなお話をすることになったのは、単なる偶然なのか、何かに気づきなさいと言われているのか、どういうことなのかなぁと感じています。
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もう高学年なので普段はお母様は送り届けてくださったら帰りはひとりで帰るという形でレッスンをしている子がいるのですが、先日、たまたまその後のご予定がないとのことで、お母様がレッスンの様子を見てもいいですか?とおっしゃいました。
私は普段もご希望があれば保護者の方に教室にいて頂くのも、お子さんの様子を見て頂くのも断りませんので、私は構いませんよとお伝えしたものの、子どもは了解しているのか気になり、ちらっと尋ねたところ、本人がはっきり嫌だとは言わなかったので、見て頂くことになりました。
しかし、そんな日に限って普段と打って変わってなんだか斜に構えた態度。(汗)
新人さんの頃、私に慣れてくれるまでの間や、眠くてしょうがないときなど、たまに見せるやたらと不機嫌な状態を久しぶりに見たなぁ、よりによってお母様が見ているときじゃなくてもいいのに…と思いつつとりあえずレッスンを続けました。
ただ、その日は表情や頭の回転具合などを見ても、眠いということはなさそうで、学校も早く終わったとのことでしたので、一体なんでだろうと思ったのですが、レッスンを続けているうちに、あ、もしかして…と思い当たったことが。
その場では何も言いませんでしたが、レッスンを40分ほどご覧になってお母様が帰られたところ、予想通り、いつもの素直な子に戻りました。
本人が意識していたかどうかはわかりませんが、親がいる前で素直で可愛い姿を見せることに何か抵抗があったのではないかと思います。
その後、お母様に本人が何か言っていたかお尋ねしたところ、なぜかあんな態度になってしまったと言っていたとのことでしたが、やはり、自覚があるかどうかは別として、見られるのが恥ずかしかったとかなんだろうなと。
ある意味、正しい成長をしている証なのかもしれないなと、なんだか少し微笑ましく感じました。
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つい先日から一緒にレッスンをさせてもらっている3年生さんとのレッスンでのことでした。
これまで特に勉強の習い事はしたことがなく、学校では算数で困ってはいないというお話だったのですが、私自身そうだったように、学校の授業で先生の説明を聞いて、言われた通りにやれば解けるものの、それ以上はつっこんで考えないという状態でこれまで過ごしてきたのだろうという印象で、算数のセンスはありそうなだけに、これまで勿体ないことをしていたのではと思っていました。
ただ、教わってその通りに解くというのが身についてしまうと、そこから更に踏み込んで、自分でわかるまで考えるというのはこちらが何度もそれを求めていかなければ、一朝一夕には変わらないのだろうとも思います。
実際、前回のレッスンで2桁の数や3桁の数を10倍するとどうなるかというのを、単に位がひとつ上がる、後ろに0がひとつつくというような教え方ではなく、まずは同じ数を10段重ねにした足し算の筆算を何問か解いてもらい、その答えを見て、10回足すともとの数の後ろに0がつくということを子ども自身が見つけ、プリントにもそう答えた後、本人も「10回集めたら0がつくんか!」などと言っていたというのに、宿題に出していた「×10」のプリントの答えを全問間違えて持ってきていました。
見ると、例えば53×10=153のように、全て最初の数字が1でその後に掛けられる数が書かれているような答えになっていました。
それを見ただけで、何も考えず、「たしか1をつけたらいいんだったよな」というような感じで(もしくは面倒だったので適当に)答えを書いたということがわかります。
悲しい気持ちになりつつ、その子に「ねえ、なんで10倍したらこの答えになるのか説明してくれる?」と尋ねたところ、「え?10倍だから、ここ(一番上の位)に1をつけました。」と答えました。そこで更に、「いや、そういうことじゃなくて、じゃあ、なんで10倍だとここに1をつけるの?どう考えたのか教えて。」というとだんまり。
簡単な問題は全部やらなくてもいいと伝えて宿題を出していますので、仮に2、3問、ちゃんと考えて10倍すると位がひとつ上がるのだとわかれば、全問正解が当たり前ですし、それがわかれば2、3問でやめてもいいわけです。
それを全問を適当にして全問間違い。手を動かして鉛筆と少しの時間を使ったものの、そのプリントをすることでその子は何も学んでいないわけです。
「自分が何をしているのかもわからないし、なぜ最初に1を書くのかもわからないのに、そんな勉強しても何の役にも立たないよ?時間と鉛筆の芯が無駄になるだけじゃない?それならやらないほうがマシなぐらいじゃない?」
そんな話をして、またひとしきり、やりたくなければ無理にしなくていいし、考える気がないならやっても意味がないというようなことを真剣に伝えましたが、本人が考えてわかる気持ちよさを積み重ねてくれるまでは、まだしばらくこういうことが続くのかもしれないなと思ってもいます。
何か大事なことが伝わるまで、何度でも根気よく話をしていこうと思います。
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私は、子ども達はそれぞれみんな違っているので、むやみに競争させたり、できる子と比べてもっと頑張らないとと言ったりするようなことはしたくないと思っているのですが、子どもの性格によっては、こちらが競争させる気はなくても勝手に競争してがんばるような子もいますし、多少の競争があるほうが燃えるという子もいます。
一般的には男の子にそういう傾向が見られる子が多いようには思いますが、競争して焦って考えられなくなるようでは意味がありませんので、どの程度であれば競争もよしとするかは、これもまた難しいところかなと思います。
ただ、例えば、本来もっとがんばれるはずの子がのらりくらりとしていたり、ふざけてなかなか取り組もうとしなかったりするような場合に、怒ってやらせることはしたくない一方で、ほかの子ががんばっていることや、そのままの状態を続けていると学校の算数が先に進んでしまうかもしれないことなどは、情報として伝えた方がいいのではと思うこともあります。
今日のレッスンでも、やる気になればかなりできるような気がするものの、ついついふざけて集中が途切れることがある新人さんに、言うべきかどうか迷いつつ言ったことがあります。
その子には、レッスンに慣れてきたらいずれ一緒にレッスンをしたいと思っているお友達がいて、そのお友達はここに来てくれる以前から算数の学習を始めておられたため、今やっていることはお友達の方が進んでいる状態です。更に、お友達は算数の学習自体が楽しいようで、どんどん取り組んでくれるので、1回のレッスンで取り組んでくれる量も多いため、今のままだと進度の差が開いて行ってしまうだろうと思われます。
お友達が自分よりずっと先の内容を学習しているというのを突然知らされたら、子どもによってはショックを受けるかもしれませんし、劣等感を持ってしまうかもしれません。
ですので、お友達ががんばっているからあなたももっとがんばってということではなく、ひとつの事実として、お友達の方が先に算数を始めていたから、随分先のことまでもう勉強していることや、算数が楽しいみたいでいつもたくさんの課題に取り組んでくれることを話し、いつか一緒にレッスンをすることになったときに、お友達の方がずっと先のことをしているかもしれないけど、気にしないならそれでいいけど、もしそれはイヤだと思うのなら、できることはさっさとした方がいいんじゃないかと思うよというような話をしました。
その子なら、「別にいいもん」とか「気にしないもん」というかなと思ったのですが(そして、伝えた上で本人がそういうのならそれでいいと思っていたのですが。)、どうやらそれはちょっと嫌だったようで、その後はその子なりに一所懸命取り組んでくれていました。
駆け引きのようなことはしたくないので、その加減は難しいところですが、「早く言ってくれてたらよかったのに!」と思われることのないようにはしたいなと思い、日々迷いつつそんな話をすることもあります。
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自分で教室を始めてからは、来てくれる子達はみんな、算数が得意であろうと苦手であろうと、それぞれの子がそれぞれに一所懸命考え、持っている力を伸ばしていってくれることがとても嬉しく、そのために自分ができることが何かを考えながら日々のレッスンをしていますが、その昔、会社員だった頃に、元々の目標であった教員採用試験を受けるかどうか考えたとき、自分が一番したいのはがんばっていて、できるようになりたいのに思うように成果が出ず、辛い思いをしている子達と一緒に学ぶことなのだと思っていました。
実際、会社員を辞めた後に勤めていた個人塾では、面接のときにその希望を伝え、2クラスのうちどちらかを受け持つのであれば、成績が伸び悩んでいる子達の方を受け持たせてもらってもいました。
ですから、今も子どもができなくて困っているとか、悲しい思い、辛い思いをしているというお話を聞くと、うちに通ってくださるかどうかは関係なしで、何かお助けできることはないだろうかと思ってしまうことも少なくありません。
そして、先日、10年ぶりぐらいにご連絡をくださった方のお嬢さんが算数で苦戦していて、時には涙を流したり、ご兄弟と比べて劣等感を感じたりしていると伺って、胸が痛くなりました。
たかが小学校の算数で、自信を失ったり、劣等感を抱いて、学校の授業が辛くなったりするのは悲しいことです。
もちろん、どれだけがんばっても思うように結果が出ない場合もあるとは思いますが、とにかく一度様子を見せて頂けたらと思い、ご連絡を頂いた数日後には教室に来て頂きました。
ほんの1時間ほどのレッスンでしたので、どこまでお役に立てたかわかりませんでしたが、帰り道でお子さんがとてもよくわかったと言ってくださったそうで、今習っていることだけの付け焼き刃になるかもしれなくても(といっても、もちろん、公式などを教えて解き方を覚えさせたわけではありませんが。)自信を失っていた子が少しでも喜んでくれたのなら私も嬉しいなと思っていました。
その後、少し距離があるのですが、通いたいと言ってくれて、今日レッスンに来てくれたのですが、送ってきてくださったお母さまから、「あの日以来何かちょっと開眼したみたいです。」というような言葉を聞かせて頂き、初回は自信なげで表情も沈みがちに見えたその子が、2回目にして既に少し穏やかな表情になっているように感じました。
とにかく少しでも早く、少しでもたくさん自信を取り戻してくれるよう、できるだけのお手伝いをさせてもらおうと思います。
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中学受験の算数の問題の予習をしているときなどに時々感じるのですが、恐らく、算数のセンスがいい子達は誰かに言われなくてもそういうことに気づいたり、自然と見えたりしているんだろうなということがあります。
例えば、今日予習していた問題の中に、円柱を4等分した後、更に30度ずつ区切り、1つ目はそのまま、2つ目は高さの3分の1にあたるところまで取り除き、3つ目は高さの3分の2にあたるところまで取り除いた、螺旋階段の一部分のような形の体積や表面積を求めるというものがありました。
この形を見て、形の説明をした通り、円柱を4等分したものから12等分したものをそれぞれ取り除くという方法で解く子もいるかもしれませんが、その形を見てすぐに、全部12等分にしてしまって積み重ねると考えて一気に体積を求める子もいるのだろうと思います。
そして、当然ながら後者の方が圧倒的に簡単で早く答えを求めることができます。
また、立方体を10×10×10積み上げた後、一番下の段はそのまま、下から2段目は角の1個を取り除き、下から3段目は角の4個を取り除き…と階段状になった立体の体積を求めるというような問題も、私自身立体があまり得意ではないこともあり、ぱっと見たときにはどういう方針で解けばいいのか少し考えてしまいました。
苦手な子であれば、一番手前の階段状に見えるところは1から10までの和、その次は…と分けて考えようとするかもしれません。(私も一瞬そう考えかけたもののそれでは面倒過ぎるからもっと他の方法があるはずと考えました。)
もしくは、1番下は100個、次はそこから1個除けてある、その次は4個除けてある…とそれぞれの段の数を出してから合計する子もいるだろうと思います。
ですが、恐らく計算として一番間違いにくいのは、10×10×10の状態から9×9、8×8、7×7・・・・・1×1の合計を取り除くという方法だろうと思います。
もちろん、塾などでやったことがある子なら、それを思い出して解くかもしれませんが、初見でそのような問題を見たときに、どう考えたら簡単かな、間違いにくいかなと、まず考え、方針を立てられるかどうかというのは、とても大事なことのように思います。
そして、そういう力は、元々算数が得意な子は別として、平均的な子であれば尚更、小さいうちからしっかり考え、なぜかな?どう考えたらいいかな?という頭の使い方をしている子でなければ、すぐすぐ発揮できるようにはならないのだろうなと思います。
中学受験を考えておられるご家庭では尚のこと、小さいうちは急がせずじっくりということを心がけた方が、受験算数をするときに子ども自身が楽になる可能性が広がるように思います。
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祝日でしたが、今日はレッスンでした。
お休みした子もいましたが、来てくれた子達とはいい感じでレッスンできました。
プリンタも復活したので、必要なプリント類も印刷でき、レッスン後来週の準備などもしていたのですが、プリンタが使えるようになったら、なぜか今度は普通に使えていたコピー機能がおかしくなりました。
何度コピーしても同じ位置で紙詰まりを起こして、どうしても、1枚たりともうまくコピーできません。
ドライバーの件は電話サポートで解決してもらえましたが、今度はいよいよ修理依頼をしなくてはいけないのだろうかと思いつつ、今日は祝日、明日は日曜なので、連絡できるのは早くて月曜…。ああ、気が重い…と思ったときにふとコピーの用紙サイズの表示が目に入りました。
元々買った時にはメーカーさんが直接設置、設定をしてくださったので、自分では何も設定をしなかった上に、もう7年目。しかし、これまではB5設定だったところがなぜかA4に変わっているのは間違いなかったので、設定を確認してみたところ、B5に変えられそうだったので、試しに変更して祈る思いでコピーしてみたところ、無事できました!!
用紙設定でサイズが違う紙が入っているだけでコピー途中で紙詰まりを起こすとは!それも、設定より小さい紙なのに、4分の1ぐらい出てきたところで詰まるとは!!
本当に機械に疎い私にはわからないことだらけですが、修理依頼はせずに済んだのでとりあえずよかったです。
来週もどうぞよろしくお願いいたします。
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昨日の晩、数時間悪戦苦闘したものの、結局解決できなかった複合機の件で、とにかく少しでも早く直ってもらわないと、たちまち仕事に影響が出るので、最悪の場合、修理や買い替えになるとしても、メーカーさんに連絡するしかないと電話をしました。
すると、サポート担当の女性が本当に素晴らしかった!
電話であれこれ指示をしてくださり、簡単にできる方法から順に試してみたもののいっこうに直らず、電話はどんどん長くなるというのに、とても親切、丁寧で、その上本当に謙虚で、こちらがお待たせしていて謝っても、あちらが更に謝ってくださるぐらいで、本当に恐縮しまくりましたが、「普通はここまでして頂くと直るんですが…」という方法でも直らなかったものの、更に対処法を提案してくださって、その結果、無事復旧!
40分近くのやり取りだったのですが、最後まで親切丁寧、更に謙虚で、本当に本当に素敵な方でした。
そして、私にはちんぷんかんぷんの機械のことを次々とアドバイスしてくださることにも、もちろんそれがお仕事だとはいえ、心から尊敬しました。
ただ、なぜ突然おかしくなったのかという原因は不明のままなので、ちょっと怖いんですが…。
というわけで、お困りごと、なんとか無事解決しました。
それにしても、サポートの方の対応って本当に影響大きいなと。腹の立つ対応をされたら、二度とそのメーカーのものは使いたくない!というぐらいの気持ちになりますし、丁寧な対応をしてくださったら、それだけでそのメーカーのファンになったりということもあります。
私はひとりで教室をしているので、電話応対でもメール応対でも、失礼がないよう一層心がけていかねばと思いました。
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今日から11月。連休も明けて気持ちも新たにレッスンをと思って、レッスン自体は子ども達もみんながんばってくれたのですが、レッスン後、明日の準備をしようとパソコンで作った教材をプリンターで印刷しようとしたのですが、いつまで経ってもプリンターが動き出しません。
おかしいな?押したつもりが押してなかったのかな?と再度印刷をクリックしたものの、やはりダメ。
でも、コピーは取れるので機械自体が壊れたわけではなさそう。
線が抜けているのかと確認しても繋がっていて、あれこれ調べたところ、全く何も触っていないし、パソコンのOSのアップデートなども最近あった記憶がないというのに、「ドライバーが使用できません」「トラブルシューティングが必要です」という表示を発見。
機械にも弱いというのに、ここに来てまたこんなことが…と思いつつ、メーカーのサイトを調べたり、色々検索したりして、自分で試せそうなことは色々やってみたものの全くダメ。
気づけばかなりの時間も経っており、今日のところは諦めて、明日サポートに問合せをすることに。
しかし、もしこれで複合機まで買い替えなんて話になったら…と思うと、なかなかの憂鬱。
明日には無事解決することを祈るばかりです。
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