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2018年8月31日 (金)

8月最終日

暑かった夏もようやく少し落ち着いてきましたね。
しかし、また台風が近づいてきているようで、おまけに現時点ではこれまで見たこともないような勢力の台風になりそうだとか…。
この夏は観測史上初のハイペースだとか、これまで経験したことのない豪雨とか、そういう言葉を何度も何度も聞きましたが、本来ならこれからが台風シーズンですし、まだまだ心配ですね…。

今の予報だと始業式のあたりも無事に学校に行けるのかどうか微妙かもしれませんが、みんな元気に2学期を迎えられますように。

私は結局この2日はほぼ家に引きこもってスポーツ観戦三昧、合間にペンシルパズルを解いたりと、極めて非生産的に過ごしてしまいましたが、明日からまた気持ちを新たにがんばりたいと思います。

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2018年8月30日 (木)

レッスンお休み

夏休みも残すところ僅かとなりましたが、今日明日は5週目でレッスンがお休みです。
9月1日は通常通りのレッスンになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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2018年8月29日 (水)

見通す力

昨日、広い視野のことを書きましたが、それと似た大事なことは「先を見通す力」というようなものがあるのではないかと思います。
子ども達とレッスンをしていると、今、目の前の問題を解けたらいいというような感覚でいるんだろうなと感じることが時々あります。

今日のレッスンでも、中学受験をする予定の高学年の子が受験算数の立体図形の問題に取り組んでいたとき、立方体の8つの角を切り落とした立体について、辺、面、頂点の数を求める問題を、図を見ながらコツコツ数えているようでした。

ある程度簡単な図形であるとか、どうしても図形の問題が苦手で数えるしか無理であるとかならまだしも、その方法だともっと複雑な立体になったときや、図を与えてもらえないときなどには手が出なくなるかもしれません。
少なくともその子は、自らの希望もあって受験をするようですから、受験の際使える力を身に着けるべきであるはずです。
となれば、それは図を見ながら1つ1つ数えるという方法以外に何か考え方がないだろうかと考えるべきなのではないかと思います。

その子に限らず、その問題はとりあえず解けたとしても、その方法は全く応用が利かない解き方(とにかくただひたすら数えるとか、工夫するなど一切考えず、同じ数を何度も何度もただコツコツと足していくとか…。)ではと思うような解き方をする子がいますが、そういう子には必要に応じて、「その解き方は何か工夫ができない?」とか、「もしもっと数が多くなったらどうする?それでもずっとそうやって1つずつ数える?」とか、声掛けをすることもあります。

もちろん、小さい子であれば時間がかかっても待ちますし、どうしても算数が苦手という子などには数えても、ひたすらに足したり引いたりし続けても、自分で意味を理解して解けることをまずは優先しますので、個々の子やその子がどんな問題を解いているかなどによっても対応は変わりますが、少なくともこの先何年も、算数や数学を学んでいくのだとすれば、その場限り、その問題はとりあえず解けるというところで満足してもらいたくはないのです。

ただ、まだ小さい子達はそんな先のことまで想像できないとしても不思議はありませんので、そういう意味でも必要に応じて声掛けをしていくのは大事かなと思っています。

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2018年8月28日 (火)

広い視野

教室を始めるときにお世話になった先生が教えてくださったことは色々ありますが、そのうちのひとつに「広い視野を持つことが大切だ」ということがあります。
「広い視野」というのは比喩的に使われることもありますが、先生が言っておられたのは、子ども達に実際にものを広く見られるように働きかけるということでした。

例えば、3つから5つぐらいの絵の中から同じものや異なるものを選ぶであるとか、数が一番多いもの、大きさが一番大きいものを選ぶとか、そういうような問題を考える際、絵を1つずつじっと見つめても比較するのは難しいため、なかなか答えが選べないというようなことが起こります。
しかし、そこに描かれている絵を一度に全部視野に入れてしまえば、問題によっては一目瞭然で判断できたり、そうでなくても5つのうち2つか3つに絞り込むことができて、それを改めて比較すればいいと判断できたりもします。

数独やカックロなどのペンシルパズルでも、一部分だけを見ていてはいつまで経っても解けないようなものも少なくありません。解きながら周囲にも目を配り、ここにこの数があるならここにはこの数は使えないなどの判断を色々な方向を見つつ詰めていかねばなりません。

私は教室で主に算数・数学を一緒にさせてもらっているので、話題が算数・数学中心になってしまいますが、勉強に限らず、そういうものの見方、捉え方はとても大事なものなのではないかと思います。

問題に向き合うときには、まず全体を眺める。全体像がつかめてから、必要に応じて細部に目をやって詰めていく。そういうことは日々の生活の中でも、他教科においても大事になる場面がたくさんあるのではないでしょうか。

その練習として、子ども達にも、「広く見る」「俯瞰で見る」ということを意識的に働きかけていけたらと思っています。

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2018年8月27日 (月)

切実な問題

これまでにも何度も書いていますが、レッスンの準備のために自分で予習などをする際、空間図形の類ではこれまで経験したことのないような図形や操作が出てくると、本当にどう考えていいかわからないということがあります。
それは、算数の問題であってもです。(算数といっても受験算数なので、実質は中学の数学内容だったりしますが。)

私の場合はもうこの先、算数や数学で試験を受けることはないでしょうし、事前に予習をしているので、ものを使って再現してみるなどして確かめ、ああ、こうなるのか!とか、こういう意味なのか!とか、納得して問題を解き進めるようにしているため、最終的には何らかの解決ができるのですが、世の子ども達の中には私と同等か、私よりも空間のイメージが苦手な子というのが恐らく半数ぐらいはいるのではないかと思います。

もし中学受験を考えておられる場合、その力が劣る子にテクニックを覚えさせて何とか乗り切らせようとしても、図形に関しては見たことがある問題、解いたことがある問題が出るとも限りませんし、全くイメージができない状態で問題を解くのはただただ苦しい作業でもあると思うのです。

先日、図形が弱いと感じた子にご家庭で積極的に積み木や色板などをしてもらったところ、短期間で変化が見え始めたのですが、その力が弱い子でも、小さいうちから積極的に具体物を使ってものを作ったり、のこぎりなどで一部を切りとったり、色々な立体を使った経験をさせてあげることで、「見たことがあるもの」が増やせますから、考えられる範囲が広がるのではないかと思います。

見たこともないものを想像することは難しくても、見たことがあるものに似たものであれば、ある程度想像できる場合もあるでしょう。ですから、実際の経験として色々な蓄積があるかどうかが、受験算数に向かう際に差になってくることがあるのではないかと思います。

計算などは反復練習である程度乗り切れるところもあると思いますが、図形問題などになると量をこなすのもなかなか大変ですし、同じような問題を反復しても別の問題に活かせるとは限りません。
そういう意味でも、図形に関して持って生まれたものがありそうかどうか様子を見て、苦手そうだと思われる場合は小さいうちから積極的に具体物を使った色々な経験をさせてあげてほしいと思います。

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2018年8月26日 (日)

オフ

今日は更新お休みします。

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2018年8月25日 (土)

考えられることは嫌がらない

1年生の段階で激しい「算数アレルギー」を発症して、1年生の終わりごろから一緒にレッスンをさせてもらっている子がいます。
当初は、助けようと思って声をかけても、その子の中でシャッターが下りてしまうと全く耳を貸してくれず、怒り出したり泣き出したりすることも珍しくありませんでした。
それでも少しずつ状態は改善し、2年生になって以降は少なくとも学校で強い拒否反応が出ることはなくなったようでした。

それでもやはり算数は好きではないようで、今でも難しそうだったり、面倒そうだったりするものは、なんとか避けたい、やらずに済ませたいという気持ちが伝わってきます。
ですので、どの程度学校より先に進めるか、学校で習う内容よりどの程度難しいものまでさせるかは、様子を見つつの状態が3年になった今も続いています。

2桁×1桁は以前にもしたことがあるのですが、3桁×1桁はまだこれからで、2桁×1桁も忘れているかもしれないと、少しおさらいのプリントをやってもらうことにしたところ、10円玉と1円玉の絵が描かれたプリントを見ながら、10円玉がいくつ、1円玉がいくつ、合わせて何円かというところはスラスラと書いていたのですが、その図で表した13×4の答えを(既にすぐ上で52円と答えているのに)、なかなか書いてくれません。

どうしてかなぁ、やりたくないのかなぁと少しの間見ていたのですが、「なんでこんなのしなくちゃいけないの?」とイヤイヤモードにスイッチが入りかけた発言が出ました。なんでだろうと思いつつ、「なんで?もうその問題解いてるよね?」というと、「どういうこと?」というので、その子の中で、図と式が繋がっていなかったのだとわかりました。
もうひと声かけると、「あ~あ!!」と言って式と答えを書き、そこからは次々と問題をクリアし始めました。

ただ、まだ筆算での解き方は説明もしていないので、図がなくなったらまた抵抗を示すかもしれないなと思いながら、式だけが書かれたプリントを渡したところ、やはり1問目でぶつぶつ言い始めました。
そこで、「ひとつだけでいいから、式の下に10円玉と1円玉を式に合うように描いてみて。」というと、絵を描いて考え初め、その後は1回分だけ図を描いては数える、図を描いては数えるを繰り返して、問題を解いていきました。
本当は1つずつ数えるのはお勧めできる方法ではないのですが、強い拒否反応が出る子でも意味を理解して時分で考えられるなら、イライラしたり、泣きそうになったりしないものなのだなと感じました。

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2018年8月24日 (金)

短期間での変化

5月から一緒にレッスンさせてもらっている1年生さんは、どうやら空間認知はちょっと弱そうでした。

空間認知の能力に関しては持って生まれたものがある子達が一定割合いるようだということを実感している一方で、私も含め、その能力を持って生まれなかった場合やあまり恵まれなかった場合は、早くから働きかけることである程度まで伸ばせるようだということも感じています。

その1年生さんは、積み木や色板などをお手本に合うように置くという課題などでも、さすがにそれは絶対に合わないだろうと思うものでも置いてみることもしばしばで、感覚が乏しいことはすぐにわかりました。この状態のまま学年が上がっていくと、立体図形の問題などでかなり苦労する可能性があるので、ちょうど夏休みで普段よりは時間の余裕もあるのではと思い、おうちで積極的に形合わせなどの課題に取り組んでもらうようお願いしていました。

サイコロの展開図でも、絶対そことそこはくっつかないよ?というようなところを選ぶ子だったので、おうちで実際に色々展開図を切って組み立ててもらうなどもしてくださいとお伝えしていたのですが、それらに取り組んでくださったからなのか、ほんのひと月足らずでもう変化が見え始めた気がします。

今日のレッスンで、色板をお手本に合うように置くものがあったのですが、間違える場合でも似た形を選べるようになり、以前より明らかに合いそうなものを選んで置いているのがわかりました。
サイコロの展開図の問題でも、1問だけためしに、ある頂点がどの頂点にくっつくか、絵を見ただけで考えてみてもらったところ、1発正解とはいかなかったものの、1回目の答えも惜しいところを選んでおり、2度目で正しい頂点を選ぶことができました。

何より、それらを考えているときに、その子の頭の中に何らかのイメージが浮かんでいそうな表情をしていたのが、これまでと一番大きく変わったところではないかと思います。

経験が少なくてイメージできないのであれば、経験をさせてあげればいい。
その場合、ペーパーの問題を大量にさせるのではなく、実際に積み木や色板、紙などを使いながら体感させてあげることがとても大事なのではないかと思います。

それにしても、こんなに短期間で変化が見え始めるのは、やはりまだ1年生だからなのかなと。
この調子で力をつけていってくれるといいなと思います。

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2018年8月23日 (木)

台風

今日はたまたま夕方のレッスンの方が事前にお休みというご連絡を頂いていたので、お昼早い時間のレッスンをさせてもらって、夕方にはレッスンを終え、電車が止まらないうちに私も帰宅させてもらいました。
子ども達も、送迎して頂いた保護者の方も恐らく雨に降られずに帰られたのではないかと思いますので、それはよかったのですが、夜遅くから明け方にかけ、それはもうものすごい雨でしたね…。

例年の倍ぐらいのペースで台風が発生しているそうですし、その上、勢力の強い台風、かつて経験したことがない台風というようなことが前回に続き、今回もまた言われ、色々心配になりますね…。
明日の朝には台風は通過するようですが、くれぐれも大きな被害が出ないことを祈るばかりです。

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2018年8月22日 (水)

歯痛

日曜の晩から右上の奥歯あたりが痛み始め、昨日は痛み止めを飲んでレッスンをしていたのですが、痛み止めが切れたら鈍痛がぶり返し、物をかむと強い痛みが…。
というわけで、今日は急遽かかりつけの歯医者さんへ。

子どもの頃から、痛みが出るほどの虫歯になったことがなく、これが虫歯の痛みなのか全く別のものなのかわからぬままだったのですが、診てもらった結果は虫歯ではないと。しかし、先生が「なんでかなぁ、不思議やなぁ」と言われる謎の現象が起こっているとのことで、今日のところは奥歯の高さを少し削ってもらい、炎症が治まるまで様子を見るということになりました。

しかし、痛みというのはほんの少しのことであっても気になって、集中力を削がれますね…。
今日はたまたまほかの日に振替などが重なって、レッスンがお休みだったので(その分昨日がかなりがっつりでしたが(^-^;)助かりました。

気付けば夏休みもあと10日ほどになりましたが、明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2018年8月21日 (火)

興味がないこと

学校に上がる前や小1の初めから一緒にレッスンをさせてもらっているような子の場合は、教えられるよりまず考えるということが当たり前と思ってくれることが多いのですが、ある程度学年が上がってから来てくれた子や、他所の教室や塾などに通ったことがある子などの中には、勉強は教わってそれを覚え、その通りに再現することと思ってしまっている子がいます。

そういう子の場合、ちょっと面倒に感じる問題や興味が持てない問題だと、教わったやり方自体もしっかりとは頭に入っていないことも少なくない上に、その曖昧な記憶をもとに、多分こんな感じにするんだったよな~という感じで適当に解いてしまうということが起こりがちです。

今日のレッスンでも、私とはまだ一緒にしたことがないものの、学校などで既に学習済みであるはずの内容を、新しいことを学習する前におさらいとしてやってもらうことにしたところ、「あ~、これ(できなくて)怒られたやつや~。」と言って解き始めました。
恐らく習った方法というのが、基準になるものから引き算をし、出た数ともう一方の数を足すというものだったのだと思うのですが、その子はその単元を難しいと感じており、苦手意識も持っていて、その上恐らく興味もないのでちゃんと考えてみようという気持ちもない。その結果、基準になるものから引き算をし、出た数を本来足すべきもう一方の数から更に引いて答えを出していました。

苦手な子が少なくない単元でもあったので、スラスラできないのはともかく、算数というより、日常生活を送る上でも必要な知識のひとつなので、わからないと困ることも出てくるだろうと思うのですが、まだ小さい子達にはそんなことは想像できないでしょう。

興味がないことをしっかり身に着けるのは大人でもなかなか難しいことですから、嫌だと思ってしまっているものを楽しく学んでもらうのはやはりかなり難しいことではあります。
それでも、その子には「考えずにするんならしなくていいけど、もし〇〇ちゃんが大人になって、子どもに聞かれたときに『え~、わからんわ~。』って言わなあかんかもしれんよ?」と言ってみたところ、「え~。」と言って、顔つきがそれまでより少し真剣になり、自分が何を計算しているのかを考え始めました。

考えることが当たり前になっていない子達には、なんとかして少しずつでも自分の頭で考えてわかったという経験を積み重ねてもらえるよう、これからも私自身もっとしっかり考えていかないとなと思います。

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2018年8月20日 (月)

オフ

昨日の晩あたりから、なんでこの時期に?という感じですが、風邪っぽく、今日は1日引きこもって、ほとんど何もせずに過ごしてしまいました。

悪化はせずに済んだような気がしますので、明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2018年8月19日 (日)

オフでしたので。

今日は更新お休みします。

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2018年8月18日 (土)

ちょっとびっくり!

算数はよくできるものの、言葉に対して少し弱さがあり、問題を読み取ることが苦手な子がいるのですが、来てくれるようになった初めのころと比べると、かなり国語の力も伸びてきたようには感じていました。
ただ、自力でどこまで長文が読めるのか、算数でも応用問題などになると設問の意味がわからなくてできないことがある子なので、測りかねていました。

しかし、おうちの方がその子のことを色々と考えた結果、受験をさせようと思うというお話になり、そうなると、学校の国語のテストで点が取れるぐらいでは受験国語には手が出ないかもしれず、現時点でのその子が受験国語の読解問題をどの程度読んで考えることができるのか、先日来何問か説明文の問題に取り組んでもらっていました。

基本問題だったとはいえ、言葉に弱さがあるその子にとっては学校の国語の文章より遥かに難しいであろう文章に抵抗を示すかなと思ったのですが、読むことを嫌がるでもなく、問題を解くことも特に抵抗を示すこともなく、それはまずちょっと意外な発見でした。

更に、解いてもらったものを確認していったところ、やはり、「2つ答えなさい」となっているのに1つしか答えていないとか、設問を勘違いして答えがおかしいというものはあったものの、記述でも、4択でも突拍子もない答えを書いているものはありませんでした。

そして、何より驚いたのが、2週ほど前に一度読んで解いただけの問題を、間違い直しをしてもらおうと見せたところ、本文を全く読み直していないのに、「ああ、えっと、灰。」と、いきなり正解を口にしたのです。
びっくりして、「え?読み直さなくても覚えてるの?」と尋ねると、「うん、覚えてる。」と当たり前のようにこたえました。

この子は、先日も理科の参考書を数ページ読んだと言って、書かれていたことをとても細かく説明してくれたので、そのときにも驚いたのですが、覚えることは得意なのか、興味があることならしっかり入るのか、そのあたりをもう少しじっくり見ていきたいと思いました。

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2018年8月17日 (金)

難しい問題

今日、レッスンの後である保護者の方とお話をしたのですが、今の時代は親子ともども本当に大変だろうなと思います。というのも、私が子どもの頃はまだビデオすら広まっておらず、ゲーム機も持っている子の方が少数、当然スマホなどない時代でしたから、テレビはそのときに見なければ再放送でもない限り見られない、見たい番組や映画のビデオなども簡単に借りたりできない、ゲーム機はなくても普通で、携帯電話すらなかったわけです。
今の時代と比べれば、誘惑も比較的少なく、親が小中学生の子どもの生活を管理するのも恐らく遥かにしやすかったのではないかと思います。

特に、ゲーム機やスマホは大人であってもついつい長時間使ってしまってというような人も少なくありませんから、小さい子達に対しての刺激はそれより遥かに大きいものだろうと思いますし、そうなると時間を決めてもそれを守れる子どもはなかなかいないだろうとも思います。
そんな時代に子育てをされるお父様、お母様は、本当にご苦労が多いのではないかと。

どの子にも有効な、こうすればいいという方法でもあればいいのでしょうけど、そんなものはあるはずもなく、それぞれの親子さんが約束事を作ったり、時にはケンカをしたりしながら、日々を過ごしておられるのかもしれません。

話の中で、以前別の保護者の方とお話したときのことを思い出してお伝えしたのですが、ご家庭で宿題などを済ませた後ならゲームをしてもいいというような約束事を作っておられる場合があるかもしれません。
宿題など、すべきことをした後ならゲームなどしたいことをしてもいいという約束は一見効果的にも思えますし、お子さんによっては有効かもしれません。

しかし、その約束の仕方であれば、恐らく少なくない割合の子が宿題を「とりあえず片付ける」というような終わらせ方をしてしまう可能性があるはずです。
子どもだからということでなく、大人であってもしたくないこと(それも、しなかったから自分にすぐに不利益があるとは想像しづらいこと)を終えたら、大好きなことに時間を使えるとなったら、したくないことを丁寧にやろうと思う人はまずいないのではないかと思います。

ですから、「宿題などを終えたら」という条件の場合は、やり終えたという宿題をその時点で保護者の方がざっと確認するなどして、本当にきちんと終わらせているかを見て、雑にしていたり、答えが間違いだらけだったりする場合は、すぐにやり直しをさせるなどするのもひとつの方法かもしれません。
これをすれば、いい加減に終わらせても無駄で、やり直しをさせられたらより多くの時間がかかってしまうと気づく場合が多いのではないかと思いますので、次からはもう少しきちんとするようになるかもしれません。

もしくは、勉強をした時間の半分の時間はゲームなどをしてもいいという約束事を作れば、1時間ゲームをしたければ2時間勉強や読書などをしなくてはなりませんし、勉強などを長くすればゲームも長くできると思って、もしかするとちょっとがんばる子も出てくるかもしれません。(勉強した時間と同じ時間だけゲームをというのは、特にまだ脳が強い刺激の影響を受けやすいとされる小さい子達にはあまり望ましくないように思いますので半分と例をあげていますが、その辺りはそれぞれのご家庭やお子さんの様子でお考え頂くのがいいかなと思います。)

もちろん、なかなか思うようにはいかないのが子育てなのだろうとも思いますので、あくまでもひとつの案ですが、何かご参考になれば幸いです。

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2018年8月16日 (木)

休みボケ

恐れていた通り、今日の最初のレッスンでは、普段ならすんなりわかることが「あれ?どうだったっけ?」と戸惑ってしまい、かなり焦ったりもしましたが、時間の経過とともにどうにか通常モードに戻れたのではないかと。

しかし、子ども達も中にはお盆休み期間はほぼ全く宿題などをしなかったという子もいて、あれ?一体どうしたの?という様子の子もちらほら。
この状態はあと数日続くかもしれませんね。

異常な猛暑は少しひと段落したのかなと思いますが、次々と台風が発生しているようで、それも心配です。
夏の疲れも出てくる頃かもと思いますが、8月後半も元気にみんなが来てくれますように。

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2018年8月15日 (水)

連休最終日

結局例年通り、お盆休みはレジャーでどこかに出かけることもないまま、毎年恒例の家族での(形だけの)精霊流しに行って、連休が終わります。
連休中、ほとんど頭を使わなかったので、今日はほんの少しだけ出勤して、明日の準備や事務仕事などをしたものの、明日からちゃんと頭が働くかちょっと不安も…。

もう8月も後半になりますが、明日からまたどうぞよろしくお願いいたします。

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2018年8月14日 (火)

連休4日目

今日も更新お休みします。

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2018年8月13日 (月)

連休3日目

今日は引き続き家の掃除と片付けをして、随分スッキリしました。
お休みもあと2日。あっという間に過ぎていきそうです。

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2018年8月12日 (日)

連休2日目

今日は未明にサッカーの試合をテレビ観戦し、のろのろと少しだけ家の掃除や片付けをして、あっという間に夜。
そんな連休2日目でした。(^-^;

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2018年8月11日 (土)

連休初日

今日は高校野球に地元兵庫の学校が2校と、10年連続予選1回戦敗退だったのに奇跡の甲子園出場を果たした白川の試合があったので、日中は珍しく高校野球をながら観戦し、晩にはイニエスタとポドルスキの初共演ということで、これまた普段はあまり見ないJリーグの試合を見、それに平行して水泳のパンパシを見…と、テレビ観戦三昧のオフでしたので、今日は更新お休みします。

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2018年8月10日 (金)

夏休み前半終了

7月後半からずっと異常な猛暑が続いていて、みんな大丈夫かな、元気に来てくれるかな?と心配していましたが、夏休み前半は体調不良でのお休みの連絡はほぼなく、ほっとしています。

教室も明日から夏季のお休みになります。
帰省される方やご旅行にお出かけになる方も多いかと思いますが、ばっちり暑さ対策をされて、楽しい休日を過ごされますように。

お休み明けにまた、元気な子ども達に会えるのを楽しみにしています。


 教室の夏季休業     11日(土・祝)から15日(水)の5日間

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2018年8月 9日 (木)

目盛りの読み方

今日レッスンをしていてふと思ったことがあります。

もう随分前になりますが、真面目で大人しい高学年に差し掛かった女の子とレッスンをさせてもらっていたときのこと。算数に少し苦戦をしているということで通ってくれることになったように記憶していますが、話はきちんと聞き、言われたことはその通りにしようとする子でしたので、こういうタイプの子であれば、学校の算数ではさほど困らないのでは?と、少し不思議に思いながらレッスンをさせてもらっていたところ、どうやら数量感覚がなかなか身につきづらいのかなと感じるようになりました。

ですが、コツコツ努力できる真面目な子だったので、学校の算数ではほぼ困ることはないのではというぐらいにまで変わってきた一方で、その子が極端に苦手としていたのが目盛りを読むということでした。
目盛りを読むといえば、子ども達にとって身近なところでは時計の文字盤の目盛りを読んだり、定規で長さを測ったりということや、リットルますなどの目盛り、数直線の目盛り、秤の文字盤の目盛りを読んだりなどがあるかと思います。
そういう基本的なものについても、その子は数えることにとても苦労していました。これまでそういう子を見たことがなかったので(ほかにできることと比較して、目盛りを読むことだけが極端に苦手という状態)、効果的な対処の仕方が見つけられず、申し訳なく思ったことを覚えています。(幸い、その後中学受験をして、行きたい学校に行けたようですので、目盛りを読む以外の部分でしっかり補ったのだろうと思いますが。)

そのことを今日のレッスンで思い出したのは、今日のレッスンの1年生さんが時計の学習をしているときに、半端な分の目盛りを読むようなものを(例えば38分から60分ちょうどまでの読み方だと、60分の位置から5、10、15、20とあと2分と数えるか、38分の位置からそのまま、1分ずつ数えるか、39、40の2分を後回しにして、40分から、5、10、15、20と除けておいた2分と数えるかなど、どう読むかでスムーズに読めたり、面倒になったりします。)一度ちらっと60の方から数えたほうが数えやすいかもと言っただけで、さっさと5、10、15…と読み始め、見ていると、時には「ここで10」といきなり10ずつ数えていたり、分の帯が2本に分かれても、その子なりに工夫をしてスイスイ読んでいく姿を見たからでした。

そして、そういえば、算数が得意、数量感覚が優れていると感じるような子達はほとんど、目盛りを読む際にも何らかの工夫をしたり、自然と読みやすい方法を選んだりしている印象があります。
他方で、算数が苦手であったり、数量感覚が身についていないように感じる子は、とにかく1目盛りずつ「1、2、3、…」と数えていく場合が多いように思います。

算数に限らず、大人が教えなくても何かが上手にできるというようなことがそれぞれの子にあるのではないかと思いますが、目盛りを読むということに限ってみても、それで算数の現時点でのその子の能力がある程度わかるのかもしれないなと感じました。

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2018年8月 8日 (水)

違いに気づいていないのかもしれない。

遡ること高校時代、入学直後からしばらくの間、高校の数学で大苦戦をし、その後なんとか抜け出して、文系の数学は得意科目にまでなったのですが、友達がしばしば、数学の公式を眺めながら、「なんでこれで解けるの?」と尋ねてきました。
進学校で、日々の授業と予習や課題をこなすだけでもアップアップの状態でしたから、その頃の私には1問1問じっくり考えて解く余裕など、公式を覚えて当てはめて解くということをしており、公式が出てくるたびに「なんで?」という友達を見ながら、そんなことにこだわっていたら先に進めないんだから、そのまま使えばいいのにとさえ思っていました。

授業ではもしかすると多少の説明はしてくれていたのかもしれませんし、参考書などを読みこめば、どうしてその公式が導き出されたかを書いてあるものもあっただろうと思いますが、そこまでの余裕はありませんでしたので、結局「なぜ?」という部分は目をつぶって、どうにか高校の授業や大学入試を乗り切ったという感じだったように思います。

その勉強の仕方に違和感を抱かなかったのは、私自身、塾などに通ったことがなく、教科の勉強といえば学校で先生から教わるもの、教わったものを覚えて使いこなせるようにするものというような意識だったからだと思います。
自分で意味を考えるより先に、先生が説明をしてくださったり、教科書を読めば説明が書いてあったりするので、話を聞いたり、教科書などを読んで理解した気になるわけです。そして、それなりに覚えて問題が解ければ、本当の意味で理解しているかどうかなどは問われることはありませんから、自分でもできているからわかっているという気でいたように思います。

そして、今なお多くの指導者が、問題が解けることと本質を理解していることはイコールではないということに気づいていない、もしくは気づかないふりをしているのかもしれないと、教室を始めて以来しばしば感じています。

知識偏重、受け身の学習ではいけないということで、アクティブラーニングという言葉を頻繁に目にするようになりましたが、本当の意味で、問題を解けることと本質を理解していることとは全くイコールではないということを理解している指導者がいなければ、結局子ども達は振り回され、形だけの学び合い、教え合いに終わってしまう可能性もあるのではないかと思います。

高校時代の友人が「なんで?」と疑問を感じたそれを、しっかり解決して、公式に当てはめれば速く処理できるけど、公式を覚えなくても解けると思える状態になって初めて、その学習内容を理解したと言っても許されるのではないかと思います。(もちろん、それではまだ不十分な場合もあると思いますが。)

少なくとも、なぜその公式に当てはめれば答えが出るのかを理解していないものの、答えを出すことはできるという状態は、テストでは得点できるとしても、本当の意味では理解してはいないということだと思います。
そういう意味では、高校時代の私は数学のほぼ全てを「理解」はしていなかったものの、まずまずの成績をつけてもらっていたので、進学校であろうと、重視されるのは得点できるかどうかだったのだと思います。

もしこの先、本当に大学入試が変わり、それに伴って中学、高校の入試も変わっていくことがあるのであれば、本質を理解していない状態では点が取れなくなっていくだろうと思います。
しかし、指導者がその本当の違いに気づいていなければ、どんな指導をすればいいのかわからないというようなことも起こるかもしれません。

例えば、問題が解けずに先生に質問に行けば、解き方、考え方を教えてくださる場合がほとんどでしょう。
どうしてそうやって解くのか、なぜそう考えればよいのかまでしっかり教えてくださる先生であればいいのですが、仮にそうしてあげたい気持ちはあっても、時間的制約や人数の多さなどでそれができないという先生もおられるかもしれません。

算数の段階からきちんと理解せずに、やり方を覚えて解くということを繰り返し続ければ、中学高校でそれ以外の方法に切り替えるのには相当な苦労を伴うだろうと思います。
定期試験や入試などの期限があり、時間的に諦めざるを得ない場合も出てくるかもしれません。

ですが、小学校の算数の段階できちんと考えて本質を理解するということを積み上げておけば、それがその子にとっての当たり前になりますから、中学、高校に進んでもそれまで通り、自分で考え、理解するということを重ねていけばよく、覚えなさいといわれる公式の大半は覚えなくても解けることも理解できるだろうと思います。

ですから、小学校の算数は本当に大事に考えてほしいと思います。
やり方を教え込むのではなく、子ども自身に理解させることを意識して頂けたら、その先必ず大きな力になるはずです。

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2018年8月 7日 (火)

考えやすくなるかどうか

子ども達とレッスンをする中で、やり方を教える代わりに、色々な考え方や置き換え方を伝えることがあります。
もちろん、考え方や置き換え方も子ども自身がつかみ取ってくれるのが一番なので、待てるものは待ちますが、どうも分かっていなさそうだと感じたり、どうにか考えてはいるもののイメージできていなさそうだと感じたりするようなときには、助け舟を出します。

今日のレッスンでも色々な場面でそんなことがありました。

ひとりは算数が好きではない3年生さん。大きな数の学習に入って数回目のレッスンなのですが、数量感覚が身に付きづらいようで、数が大きくなると尚更苦戦することがあります。
それでもどうにかコツコツがんばってくれていたのですが、数直線の問題で一番左が0、10目盛り目に5000億、20目盛り目に1兆となっているものの1目盛り目が、その子には全く見当がつかない様子でした。

5000億ではなく、5000だったら1目盛りがいくつになるか考えてもらったのですが、どうも拒否反応が出ているようでした。ただ、その子は小さい頃から自分でお買い物をしたりする経験をしているようで、500円玉や1000円札も使ったことがあるようです。
そこで10個で5000円だったら1個いくらになるのかと言って考えてもらったところ、少し時間はかかりましたが、○を10個描き、その横に5000と書いて、しばらく試行錯誤した後、○を2個ずつ囲んで(2つで1000になると気づいたようで)、1個500だとわかってくれました。

別の5年生さんは、ある数に10を掛けるところを間違えて100掛けてしまったので、答えが正しい答えより2070大きくなってしまった場合の正しい答えは何かという問題で、あれこれ声掛けをしても、2070を10で割って207という答えからなかなか抜け出してもらえなかったため、「何かを10個買うつもりが、間違って100個買ったら金額が2070円高くなったんやけど、2070円は何個分のお金なの?」というと、やっと自分の勘違いに気づき、「ああ、90個分か!」と言って、正しい答えを出し直してくれました。

更に、ある6年生さんは受験算数の問題に取り組んでいて、今日は時計の短針と長針の成す角度と時間に関する問題などをしたところ、1分に5.5度ということが分かっても、その先どう解けばいいのかなかなかつながらない様子でした。
9時(短針が長針より270度先にある状態)から時計が動いて、長針が短針より10度先になる時刻を求めるものが出てきたのですが、それ以前の問題で1分に5.5度、分を求めるときには割り切れず、分母が11になるということなどはおおよそ分かったようだったにも関わらず、考え方がまとまらない様子でした。
そこで、「270m先にいる子を追いかけて、後ろの子は1分に5.5mずつ差を縮めるとして、追いついた後更に10m先に行くまでに何分かかるの?」と時計の針ではなく、人間2人が走る問題に変えたところ、急に手が動き出し、あっさり答えを出すことができました。

時計の針の問題はある意味、2人が追いついたり追い越したりする問題と同じですから、イメージしやすいものに置き換えただけで問題の難しさが変わったようでした。

このように、全くイメージできていなさそうな場合は、数値を簡単なものに置き換えるというだけでなく、時には子どもがイメージしやすそうな物事に置き換えてあげるということも有効ではないかと思います。

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2018年8月 6日 (月)

この頃漠然と感じること

うまくまとまらないままに書き始めているので、何が言いたいの?とお感じになるかもしれませんがお許しください。

最近、SNSなどを見ていると、漠然と感じることがあります。
Twitterなど匿名のSNSだと、本当なら言えないようなことでも言えて、知らない人に向かってひどい言葉をぶつけたりする人がいるというのはありがちですが、それとは全く別で、怖いなと感じることがあります。

例えば、多くの人が読めば、これは皮肉で言っているのだなと判断できるであろうツイートに対して、そんなひどいことを言うなと恐らく真剣に怒ってコメントをしていたり、前後の流れからしても冗談だとしか受け取れない(ご本人も冗談だと認めているような)コメントに怒りのコメントを返したりというようなことを少なからず目にします。

もちろん、怒ったふりをしているとかそういう人も混じっているかもしれませんが、どうやら本気で不快感をあらわにしているようだなと感じることも珍しくありません。
それはSNSなどのように、不特定多数とつながることができる環境だから起こりうるのだろうと思いますが、だから余計怖さを感じるのです。

一般的に多くの人は価値観や知識レベルが近い人同士のつながりが多いのではないかと思います。(もちろんそうではない方もおられるとは思いますが。)
例えば、高校や大学はほとんどの場合成績などによって振り分けられますし、学部や学科など、興味の対象が近いもの同士が集まってくる場合は多いでしょう。部活動やサークル活動、趣味の活動などでの繋がりも、興味の対象が似ていると言えるでしょう。
そうすると、自然と「話が通じる」相手、自分の価値観と似た価値観を持つ相手とつながることが多くなるのだろうと思うのです。

そして、そういう繋がりは居心地がよかったり、安心できたりすることが多いので、わざわざそこを離れて、全く異なる価値観の持ち主と仲良くしようとする人は多くないだろうと。

で、例えばですが、それなりに努力を重ね、知識なども蓄えた人達にとっての常識と、そういうことをできるだけ避けて通ってきた人達にとっての常識とは大きく異なる場合も少なくないのではないかと思うのです。

すると、先の例のように、普段自分が身を置く環境では当たり前に通じることが、SNSなどでは全く通じない相手がいて、その相手が意味を取り違えて怒ってしまう。それがトラブルになって、時には悲惨な事件にまで発展する。そんなことも起きているのではないかと。

今の子ども達は私達の比ではないぐらい、SNSなどに容易に触れられる環境があります。だからこそ、子どもの頃からしっかりと、危険な面についても教えていく必要があるのではないかなと思うのです。
仲間内では当たり前に通じることが通じない場合があることや、全くそんなつもりではない言葉を誤解され、それがトラブルに発展する場合も十分考えられるということ。顔の見えない、知らない相手とやり取りすることには子どもが想像できないリスクもあるということ。そういうことを、大事な子ども達を守るという意味でも、しっかり伝えていくべきではないかと思います。

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2018年8月 5日 (日)

オフでしたので。

今日は更新お休みします。

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2018年8月 4日 (土)

待つ時間

今日は通常のレッスンのほかにひと組の親子さんがご相談にいらっしゃいました。
お子さんの学習について色々お話させて頂きながら、その間、お子さんには思考力系の問題に取り組んでみてもらったりしていたのですが、その際、久しぶりに思い出したことがありました。

私自身、教室を始めた頃に、その頃大変お世話になった先生に「教えてはいけない」と言われていたこともあり、子どもが考えている間は黙って待つことを心掛けていたものの、じっと黙っている子を見ていると、何もわからず困っているのではないかと思えて、手助けしなくてはいけないのではないか、どこまで待つべきなんだろうと、とてもとても葛藤した時期がありました。

自分が想像している限界まで待って、いよいよ何か声をかけるべきか、いや、でもまだもう少し待つべきか…そんなことをひとりでぐるぐる考えていると、何事もなかったかのように子どもが答えを言い、「え?考えてたの!?」と驚く私に、何驚いているんだろう?という顔で「うん。」と答えるということが、何度となく起こりました。

そのとき私が待った時間は、自分が想像していたより3倍か5倍ぐらい長い時間でした。
もちろん、どの問題でも時間がかかるというわけではありませんでしたし、待ち時間も子どもによって違いましたが、少なくとも穏やかな表情で自分の世界に入っているようなときは、子どもは何か考えているのだなということを学びましたし、小さい子達が考えるには、大人が想像している数倍長い時間が必要なのだなということも痛感しました。

それに気づいて以降は、何か助けがいるときは言ってね、考えている間は待つからねなどと声をかけて、子どもの表情を見るようにしました。
すると、何か考えていそうだなという表情があることにも気づきましたし、そういうときの子どもはほぼ例外なく穏やかで落ち着いているものなのだとも知りました。
集中して自分の世界に入っている状態と、何も考えずぼーっとしている状態の表情の差が分かり辛い子も中にはいて、そういう子にはある程度待った後で(考えている可能性があれば、声をかけると思考を遮断してしまうことになるので)「考えてる?」などと声をかけることもありますが、本当はそれも極力したくないと思っています。

私自身は子ども達に気付かせてもらえたので、恐らく考えている途中の子どもを遮って邪魔をしていることはかなり少ないはずだと思っていますが、教育学部出身であり、塾講師もしていた身でも、教室を始めるまで全く知らなかったことですから、世の多くの大人がまだ知らないとしても不思議はないと思っています。

実際、これまで体験などに来てくださった親子さんで、時々、私がお子さんとレッスンをさせて頂くときに、お子さんの横についてお子さんに声をかけるお父様やお母様がおられましたが、私の目から見ると、まだやっと考え始めたところであったり、いいところまで考えていそうであったりするタイミングで「これはこうしたらいいのよ」とか「こうやった方が簡単よ」などと助け船を出してしまわれるのです。
もちろんそれはお子さんが困っていそうだ、わかっていなさそうだと思って、良かれと思ってされていることなのはわかりましたが、そのタイミングでの声掛けは子どもにとっては迷惑になっている場合がありそうだと感じたときには、できるだけ自分が想像している3倍か5倍ぐらい時間待ってあげてくださいとお伝えしたりもしました。

昔の私も、知らなかったばっかりに悪気なく、子ども達が考えることを邪魔していたんだろうなと、教室を始めるより前に一緒に学んだ子達に申し訳ない気持ちになりましたが、この話は最近はお伝えしていない保護者の方もおられるかもしれないと思い、改めて書かせて頂きました。

おうちではお子さんがなかなか宿題をやろうとしないとか、親子さんだとバトルになりがちだとか、そういうお話をしばしばお聞きしますが、もしかするとまだ考えている途中なのに、わかっていないと思われて、やり方を教えられたり、早くしなさいと言われたりして、それでやる気がそがれている可能性も0ではないかもしれないと思いましたので、おうちの方が側について宿題などを見てくださっている場合、ぼーっとしているように見えても念のため、ご自分が想像しているより遥かに長い時間、黙って待ってあげて頂けたら、もしかすると家庭学習の状況がよい方に向くお子さんもいるかもしれません。(もちろん、それだけが原因ではない場合も少なくないと思いますが。)

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2018年8月 3日 (金)

今日も不思議なことが。

子ども達とレッスンをしていると、それまで調子よく解いていたのに突如ある問題で詰まってしまってにっちもさっちもいかなくなるということがあります。
疲れてきて突然そうなる場合もありますし、同じような問題を繰り返していて突然そうなる場合もありますが、そのどちらとも少し違って、例えばプリント1枚に似たような問題がまとめられていて、スラスラ順調に解いているのに、ある1問だけ何か勘違いしておかしな答えを書き、声掛けしても抜け出せず、その問題をとばしてやり進めてもらうと、それらも普通に解けるのに、おかしくなった1問だけはいつまでもなかなか抜け出せないなどというようなことが起こることがあります。

今日のレッスンでも、ある子が正にその状態になりました。
まずは、帯分数の足し算、引き算をしていて、3つの帯分数の足す引くが混じっているようなものも順調に、ほぼノーミスで解いていたのですが、22/29が3つ出てくる(そのうち2つは帯分数)足し算で整数部分はきちんとくり上げられているのに、なぜか分数部分が22/29(3つ合わせると66/29ですから、2と8/29になるのに、2と22/29)になっていて、その1問だけなぜかなかなか抜け出せませんでした。

次に、分数で考える文章題のようなものに進んだのですが、3年生にはそこそこ難しい問題もあるにも関わらず、ほぼ暗算、ノーミスで解いていきます。
49mのひもの3/7の長さ、85ページの本の3/5を読んだら何ページ読んだことになるか、2時間のうちの2/5を算数の勉強に使ったときそれは何分か、3dLのジュースを2/15こぼした残りはなど、全部説明せずともきちんと解いていくのですが、なぜか「1mの長さのリボンの3/4を使った残りは」という問題の答えだけが「1/4cm」から抜け出せなくなりました。
最終的には図を描いてもらって答えに気づいてもらうことはできましたが、ほかは助けずともできる子がどうしてその1問だけおかしくなってしまったのか、何とも不思議な気分でした。

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2018年8月 2日 (木)

目を見張る変化

小さい子達も性格は本当にそれぞれ違っていて、まだ年長や1年生であっても、私とのレッスンに慣れてくれるまで、正解かどうか不安だといちいち私の顔を見てきたり、「○○?」と答えが合っているかどうか尋ねてきたりする子がいます。

どちらかといえば女の子に多い印象を受けますが、間違った答えは書きたくない、間違いたくないという気持ちが強く、自信が持てないとなかなか答えを書こうとしないというような子もいます。

春から一緒にレッスンをさせてもらっている年長さんも、どうやらそういうタイプの子のようで、これまでのレッスンでは自信がないともじもじしたり、やりたくないと言い出したり、こちらの表情を見てきたりということが少なくありませんでした。
積み木などをお手本に合うように並べる課題もあまり楽しめていない感じで、くるくる回して合うところを探し、あ、今そこ!と思うところを通り過ぎて何度もクルクル回し続けたり、なかなかわからなくて嫌になってしまったりということもありました。

それが少し前から形合わせのようなものは以前に比べると成長を感じられるようになってきたなと思っていたのですが、今日はほかにも色々と、え?そんな風に考えられるようになったの?、あれ?もう不安そうにしなくてもできるようになったの?と思うようなことがたくさんありました。

何より嬉しかったのが、5までの数のひき算をしていて、これまでだと「3個?」などのように、答えが合っているかどうか必ずのようにこちらに尋ねてきていたのが、今日のレッスンの途中で突然「3個に決めた!」(答えが3ということを言っているのですが。)と大きな声ではっきり言って、それが正解でした。

とても嬉しかったので、「すごい!決めた!ってそれいいね!」というと、その次からも答えをいうときには、頭の中で何かを思い浮かべるような様子を見せた後「1個に決めた!」「取らないってことだから、そのまま!」などと、大きな声ではきはき、楽しそうに答えてくれるようになりました。

夏休み中でコンディションがよかったとかいうこともあるかもしれませんが、少なくともこれまでには見られなかった変化だったのは間違いありません。
そして、恐らくその子自身が自分の頭で思い浮かべて、答えがわかったのだろうとも思います。

間違うことを恐れ、少し難しいと感じると拒否反応を示すタイプの子だったので、その子のペースを見ながらゆっくり目に進めてきましたが、この調子で少しずつ自信を持ってくれるといいなと思います。

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2018年8月 1日 (水)

点つなぎ

これまで何度も書いていますが、新しく来てくださるようになった方にはお伝えし忘れていることがあるようで、今日それに気づかせてもらいましたので、また書かせて頂きます。

遡ればもう15年以上前になりますが、私が教室を始めるきっかけとなったある先生と学習法との出会いがありました。その学習法に一目惚れをし、それまで全く考えていなかった、自分の教室を始めるということになったのですが、初めに色々ご指導を頂いたとき、一番意味がわからなかったのが点つなぎの重要性でした。

その先生は、とにかく点つなぎは大事で、もし計算などで苦戦しているような子がいれば、計算練習をさせるより先に点つなぎがしっかりできるように練習させるべきだというようなことを言っておられました。
点つなぎといえば、多くの方がイメージされるのは点をつないでいくと何かの絵になるようなものではないかと思いますが、ここでいう点つなぎは、初歩的なものは絵になるものもありますが、目指すのは全く抽象的に線が入り組んでいるようなものをお手本通りに間違いなく、できるだけ短時間で書くというものです。

初めにそのお話を伺ったとき、一体何を言っておられるのだろう?どうして計算練習させずに点つなぎの練習をさせたら計算もできるようになるのだろう?ととにかく疑問だらけでした。
それでも、実際教室を始めてから、子ども達に取り組んでもらうと、点つなぎに強い抵抗を示す子や、なかなかお手本通りに書けない子はほぼ例外なく算数でも苦戦していました。
点つなぎが好きかどうかは別として、算数が好きな子、得意な子で点つなぎが間違いだらけだったり、強い抵抗を示したりする子は記憶にありません。

もちろん、発達上の困難などがあり、点つなぎはできているものの算数が苦手というお子さんもいましたが、点つなぎがきちんとできるかどうかと算数の能力とはかなりの相関関係があると言ってよさそうだとは思います。

個人的には、点つなぎがうまくできない子は空間認知などの力が弱いと言われれば、それは何となく納得できるのですが、どうやらそれに留まらず、数量感覚を身に着けるために大事な能力にも関わっているようなのです。

また、普段きちんとできている子があるとき線があちこち抜けていたり、間違ったところに線があったりするような場合は、その日のコンディションに何らかの問題がある場合もあるようです。

そういう意味でも、算数に取り組む前に数分、ウォーミングアップとして点つなぎをされるのもいいのではないかと思いますし、抵抗を示すお子さんに対しては初歩的なものから少しずつでも、できるように練習させてあげてほしいと思います。

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