中学受験の算数の問題などを見ていると改めて、小さいうちに色々な経験をさせてあげることが大事だなと感じることが少なくありません。
少子化が叫ばれるようになってから結構な年月が過ぎたように思いますが、それによって、より多くの子を早くから集めたい塾などが対象を更に低年齢にまで広げ、中学受験を考えるご家庭では幼児、低学年のうちから受験に向けた塾に通わせておられるというようなことも珍しくなくなっているように思います。
ただ、塾などで教えられる問題の解き方、テクニックは早くから習って早くから覚えさせるというだけであれば、長い目で見るとかえってマイナスになってしまうことも少なくないようにも思います。
例えば、よくある簡単な例でいえば、2桁同士やそれ以上の桁の掛け算の筆算を、九九を覚えた子に教える場合、数の感覚が全く伴なっていなくても、どこをどういう順で計算してどういう順で書くのかを教え、繰り返し練習させて身に着けさせれば、計算して答えを出すことはできるようになるかもしれません。
しかし、計算の仕方だけを習った子の中には、およそどのぐらいの答えになるかという概算などが全くできなかったり、自分が一体どういう計算をしているのか全く理解していなかったりする子もいるのです。
そういう例はいくらでも挙げることができます。
元々算数というのは実際に経験できる、確かめられる範囲の学習で、それを越えて抽象思考が必要になるのが数学だと聞いたことがありますが、「算数」であれば、実際に確かめることができると言えるでしょう。(もちろん、確かめるためには大掛かりになるので、個人では難しいというような場合もありますが。)
最近、速さに関する問題に取り組んでいた子がいるのですが、その子は初めに習ったときに覚えさせられたのだろうなという感じで、本来少し考えたらわかりそうなことまでごちゃごちゃになっている状態でした。
その状態の子が中学受験の算数で出てくるような速さに関する問題を解くのは相当ハードだろうとも思います。
例えば、受験算数では、特急列車と普通列車と人がいて、特急列車が普通列車を追い抜く場合や、向かい合って進んできてすれ違う場合、人が駅のホームに立っていて目の前を列車が通り過ぎていく場合と、人が普通列車に乗っていて特急列車が通り過ぎていく場合など、色々な場合の問題があります。
こういう問題でも、列車でどこかに出かける経験があり、列車に乗っているときに車外を眺める経験を多くしている子であれば、止まっているときに通り過ぎていく列車と、自分が乗っている列車が動いている状態で追い抜いていく列車、反対方向から来た列車とすれ違う場合、それぞれで感じる速さが違うという経験をしているかもしれません。
少なくとも、上述のような問題に出合った場合、自分の経験を思い浮かべることができます。そうすれば、それだけで少し問題を身近に感じることができます。
「同じような問題を解いたことがある」というのも経験ではありますが、実際の生活の中で自ら経験したことに比べれば記憶への残り方などが全く違うはずです。
川遊びや流れのあるプールで遊ぶときに、流れに乗っているときと流れに逆らっているときとでは進みやすさが全く違うという経験は流水算と呼ばれるような問題を解くときにきっと生きてくるだろうと思います。
同じ重さの荷物を持つときでも、腕を伸ばして体から遠くで持ったときと、腕を曲げて体の近くで持ったときに、重さの感じ方が違うであるとか、電灯の下にいるときと電灯から遠ざかったときとではできる影の長さが変わるとか、実際に経験できることは本当に色々あるだろうと思います。
ただ、例えばですが、電車に乗っているときにゲーム機に夢中になっていたり、外に出ているときにも言われなければ影の長さに全く気付かないというような子もいるかもしれません。
わざわざどこかに連れて行って特別な経験をさせなくても、ほんの少し周りの大人が意識をさせることで子どもの経験や経験に基づく知識を増やせるかどうかが変わってくるのではないかなと、そんなことを思います。
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