1を聞いて10を知る
子ども達は一人一人個性があり、得意不得意も好き嫌いも異なります。
また、学校などで授業についていけないような状態を「落ちこぼれ」と表現するようになってからは随分経つと思いますが、授業が簡単過ぎて物足りないような状態を「吹きこぼれ」と表現するのは今でも知らない方もいるかもしれません。
私が学校の先生を目指していた頃や塾講師だった頃は、できる子は放っておいてもそれなりにできるのだから、できなくて困っている子の手助けをしたいと思っていましたが、それはできる子にとっては可哀想なことなのだと気づくのには長い時間がかかりました。
今、教室には算数に苦手意識がある子も、算数が大好きな子もいて、これまでにも学ぶこと自体に困難がある子とレッスンさせてもらったこともあれば、きっと私より遥かに賢いなと思うようなずば抜けた子とレッスンさせてもらったこともあります。
そして、ずば抜けた能力を持つ子や、ほんの少し言えば全部理解してしまうような子は、その能力を伸ばせる環境を与えてもらえないとしたら、それはそれで不幸なことであるはずです。
教室では極力説明はしないようにしていますが、最低限の説明が必要な場合も、その「最低限」は個人差があり、ある子にとっての10はある子にとっては1でしかないかもしれません。
今日中3の子とレッスンしたとき、その子は2年の終わりから自宅近くの進学塾にも通い始め、夏でお別れが決まっているため、やり方を教えられる前に進められるところまでさらっとでも進みたいと、これまで以上にペースを上げてみているのですが、新しい学習内容も図を指し、いくつか確認するだけで、すっと問題を解き始める姿を見て、とても頼もしく感じると共に、この子が塾や学校で10とか12とか説明を聞かされてから問題を解くとしたら、さぞ退屈だろうなとも思いました。
勉強に限らず、得意なことはどんどん伸ばしていける環境を与えてもらえたら、幸せな子どもが増えるんだろうなと、そんなことを思います。
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