読む力
今日レッスンだった低学年さんは、図形など少し苦手とするものがある一方で、文を読み取る力は年齢を考えると相当のものがあるように感じます。
今日も、これまでそのプリントをした子達のほとんどは意味がとりづらく説明が必要だったものを、読み方を尋ねることもなく、問題自体も助けを必要とせず解いてしまいました。
この子の理解力ならいけるかもしれないなと、三角形の辺の長さによる分類の説明を読んでもらった後、「どういう意味か分かる?」と尋ねると、ひとつひとつについて説明しようとしたので、それはその通りなのだけど、その説明ではなくてと断わって、再度「三角形をグループ分けしたら普通は5つに分かれるけど、辺の長さでグループ分けしたら3つになるっていうのがどういう意味か分かる?」と尋ね直したところ、少し考えて「あ~あ、そういうことか!」と言った後、きちんと3つの分類の仕方について説明してくれました。
これはなかなか素晴らしいなと感心しつつ、先日目にした記事のことを思い出していました。
最近の中高生の中には、教科書のさほど難しいとは言えないような文の意味さえ正しく読み取れない子達が少なくない割合でいるというような内容でした。(具体例や調査結果なども書かれていました。)
それを読みながら、教科書のさほど難しいわけでもない文章が読み取れない子達は会話で比喩表現や少し回りくどい表現などを使われた場合、その意味さえ全く違った意味に取っているようなこともあるのではないかと思います。
国語の読解力があっても、算数の文章題が解けるようになるかどうかは全く別物ではありますが、それ以前のレベルで、基本的な読み取りができない子が増えているのが事実だとしたら、その原因は何なのだろうと思っています。
もしかすると、勉強に限った話ではなく、小さい頃から子ども自身が自らの頭で考え、理解し、判断するという経験がどんどん少なくなっていることが影響しているのではないかと思ったりもしています。
子ども達が自分達で遊びのルールを考えて遊ぶということは、今の子達は昔に比べて減っているのではないでしょうか。最初から決められたルールがあるゲームで遊ぶ。子どもの頃からコーチなどについてスポーツなどを習う。決められたことをその通りにするという経験は、小さい頃から数多くしている子もいるように思いますが、自分達で考えて、自分達で決めて、自分達の力でやり遂げるというような経験は、周りの大人が意識的にさせてあげなければ、なかなか難しくなってきているのかもしれません。(もちろん、個人差、地域差など色々あると思いますが。)
とにかく、書かれた分であれ、会話であれ、文を正しく読み取る力、聞き取る力は生きていく上でとてもとても大事なものなのではないかと思います。
そして、その力を育むのには小さい頃からの働きかけも重要なのではないかと思います。
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